goo blog サービス終了のお知らせ 

ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

第242号、募金という言葉を巡る攻防

2006年09月15日 | 日本語疑典
第242号、募金という言葉を巡る攻防

 募金という語の意味は、元は、(1)寄付金を集めることだけだった
と思います。文学博士の監修した辞書にはこの意味しか載っていま
せん。

 しかし、「募金を集める」という間違った用法が広く使われるよ
うになった今では、事実上、(2)寄付金そのものという意味も認め
ざるを得なくなっていると思います。

 しかし、数年前から私が気づいているところでは、更に、いまや、
(3)醵金、すなわち寄付金を出すことという意味でも使われるように
なってきているのです。

 9月13日の朝日新聞の天声人語はその例を出してくれました。以下
にその全文を引きます。(2)の意味で使っている所は無いと思います。
(3)と思われる所は(醵金)と入れました。

        記

 自動販売機に120円を入れて、缶コーヒーを買う。自販機の前面に、
「収益金の一部は、『緑の募金』に寄付されます」とある。隣の普
通の自販機と値段は変わらない。どういう仕組みで、いくら寄付さ
れるのか。

 寄付金は「緑の羽根」の活動をしている団体に入る。担当者によ
ると、飲料メーカー側の提案で4年前に始めた。今では全国に約2300
台ある、売り上げの約2%、飲料1本あたり約2~3円が寄付金に回る。
負担するのは、飲料メーカーと自販機設置者だ。平均1台あたり年
約1万2千円になるという。

 透明性を図るために半年ごとに、「この自販機から××円募金
(醵金)しました」という表示を掲示しているそうだ。ほかに、福
祉や医療関係の団体に寄付金が回る自販機もある。

 自販執は電気を消費し、環境に悪影響を与えるイメージが強い。
緑への貢献をうたうことは、業者にとって環境に優しい印象づくり
になる。街頭やビル内の自販機は飽和状態で、新たに設置してもら
うのはなかなか難しいが、募金自販機は売り込みやすい利点もある。

 何台も並んでいるところに、募金自販機を1台置くと、その売り
上げが一番になることが多いそうだ。買う側としても値段が同じな
ら、募金(醵金)になる方が気分がいいのかもしれない。

 米国には4兆円以上も慈善団体に寄付する大金持ちがいるが、自
販機はあまりない。日本は「寄付文化」がないとよくいわれるが、
自販機の普及は世界一だ。1回の寄付金はごくわずかとはいえ、日
本的な新しい芽が育っでいるようにも感じられる。
   (引用終わり)

 私は少し前からフリー国語辞典のウィクショナリに協力していま
す。手始めに「募金」について思っていることを書き込みました。

 上の(3)の用法があること、それは間違いだと書きました。ほかの
人がそこだけ全部削除してくれました。

 私は又書き込みました。又、削除されました。又、書き込みまし
た。こうして攻防が続いています。

 それにしても天人さんまでこういう用語法を使うとは。昨年は、
大学での第2外国語教育についての天人さんの浅薄な考えを批判し、
朝日新聞社に送りました。

 編集部から「筆者に回します」との返事が来ました。筆者からは
何も来ませんでした。

 天人さんは朝日新聞を代表する文章家のはずです。その天人さん
のモラルも学力も地に落ちたということは、朝日新聞のそれが地に
落ちたということでしょう。


教育の広場、第 124号、文章を味わう以前の問題

2005年11月01日 | 日本語疑典
教育の広場、第 124号、文章を味わう以前の問題

 井波律子さんという中国文学者が『三国志演義』を一人で訳した
そうです。その井波さんが朝日新聞に週1回、「私の『三国志』」
を書いています。数回で完結するようです。

 (2003年)05月23日の第3回は「三国志」と「三国志演義」に出
てくる猛将の話でした。私は「三国志」を知らないので、少し知り
たいと思って読んでいるのですが、内容以前につまづいてしまいま
した。日本語でおかしいのではないかと思うことが沢山出てきたか
らです。

第1。「まず魏(ぎ)の~軍団を見れば、~等々、豪勇無双の猛
将は枚挙に暇がないほど存在する」。

「枚挙に暇がないほど存在する」という言い方はあるのでしょう
か。「枚挙に暇がない」で十分ですし、普通はそうとしか言わない
と思います。

第2。「まず魏(ぎ)の~軍団を見れば、~等々、豪勇無双の猛
将は枚挙に暇がないほど存在する。」のすぐ後に、行を改めた時、
「なかでも極め付きは~」と言っています。しかしこれはかえって
冗長に感じます。「なかでも」を取って「極め付きは~」の方がテ
ンポが早くていいと私は思います。

第3。「なかでも極め付きは~○○の猛将ぶりである。」と話題
を限定した後、その人について「~を攻撃したさい、思わぬ不覚を
とり、あわやというところまで追いつめられた」と言っています。

 「思わぬ不覚」は不必要な重複表現ではないでしょうか。「不覚
をとり」だけで十分だと思います。「思わぬ」を使うなら「思わぬ
失敗をし」くらいでしょう。あるいは「彼には珍しい失敗をし」と
完全に代えてもいいでしょう。

第4。「曹操(そうそう)は自分のために死んだ~のために追悼
式を催し、激しく慟哭した」とあります。「慟哭」に「激しく」を
付けるのは不必要だと思います。

学研の「国語大辞典」で「慟哭」を引くと、「悲しみのあまり、
声を上げてはげしく泣くこと」とあります。

第5。井波さんは「慟哭」という言葉が好きなようで、少し先に
行くと、「私は『演義』の翻訳をしたとき、このくだりに来ると涙
が止まらず、ほとんど慟哭しながらキーボードを叩きつづけた」と
書いています。

事実かもしれませんが、強い言葉はかえって興ざめだということ
くらい、文筆で飯を食う人なら知っておくべきでしょう。まず、
「慟哭」を再び使ったのが拙い。ここは「ほとんど泣きながら」で
十分だと思います。

第6。「見せ場が多い」という表現も2度出てきます。1回目は
「『三国志演義』において関羽の見せ場は数多いが、なかでも、~
」となっています。2回目は「『演義』の陰の主役といわれる関羽
には感動的な見せ場が多いが、陽気な暴れ者の張飛は~」となって
います。

まず、「見せ場が数多い」は間違いとは言えないでしょうが、や
はり「見せ場が多い」の方がいいと思います。「数」を入れないこ
とです。

それはともかく、同じ人(事柄)について同じ表現を使って同じ
事を2度言うのは文章家のすることではないと思います。「まず義
兄弟の関羽・張飛」と並べて挙げた上で、関羽のことを長々と論じ
てきて、張飛の話に移っていく所ですから、2回目は「このような
関羽に比して、陽気な暴れ者の張飛は~」と持ってくるだけで十分
だったと思います。

第6。最後の方で、「残る呉の孫策・孫権軍団にも~をはじめ、
~等々、魅力的な猛将はあまた存在する」と言っています。

「あまた存在する」という表現が何となく不自然に感じられます
。多分、「あまた」という和語と「存在する」という漢語の結びつ
きが不自然だからだと思います。「魅力的な猛将は多い」で十分だ
ったと思います。

最後に第7。終わりの部分では、「『三国志演義』の世界で、~
のごとく強烈な印象を与える猛将は、総じて絶体絶命の危機におい
て、死と背中合わせになりながら、不屈の攻撃精神を炸裂させる」
と書いています。

「攻撃精神」とは余り言わないのではないでしょうか。「不屈の
闘争心」でしょう。「炸裂させる」も私なら使いません。「不屈の
闘争心を見せる」で十分です。言葉というものは過剰であるよりも
控えめな方が効果があることをこの人は知っておくべきでしょう。

 この人の文章を読んでいると、やたらに「スッゴク」という言葉
を使う女子中学生を思い出します。

以上、率直な感想を述べました。ご意見をどうぞ。

(2003年05月28日発行)

日本語疑典、第01号、全身全霊をかける(?)

2005年10月06日 | 日本語疑典
日本語疑典、第01号、全身全霊をかける(?)

 この所「全身全霊をかけて」という表現を2回、耳にしまし
た。

 1回目は民主党の前原代表が、代表になって決意を表明した
時です。

 もう1回は、昨10月05日、巨人の新監督に就任することにな
った原辰徳氏がやはり決意を表明して、「全身全霊、全知全能
をかけて」と言っていました。

 私の経験則によりますと、同じ間違った、で悪ければ、新し
い言い回しに2回出会うと、その言い回しは既にかなり広く使
われていると見てよいようです。

 「全身全霊をかける」という表現も今では、多分、かなり多
くの人によって使われているのでしょう。

 私の知っている日本語では、全身全霊は「傾ける」もので、
「かける」ものではないのですが、この「かける」にはどの漢
字が使われるのでしょうか。「賭ける」でしょうか、それとも
「掛ける」でしょうか。

 「新明解国語辞典」を見ますと、「全知全能」の方も「傾け
る」と言う言い方しか載っておらず、「かける」は載っていま
せん。

 載っていないからと言って、「ない」と断定できるものでも
ありませんので、ご意見を広く求めます。

 お断り

 「日本語疑典」はこれまで「教育の広場」に付けて書いてき
ましたが、そして今後もそういう事も止めたわけではありませ
んが、単独で書きたくなった時には、このブログにそれだけと
して載せようと思います。

  (2005年10月06日)