ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

第256号、夢を語り合いましょう

2007年02月28日 | 政治関係
教育の広場、第256号、夢を語り合いましょう

 康友さんがマニェストの草案を出して市民の意見を聞く集会を開
いてくれるそうです。

 我々も近所でその集会が開かれる時には参加するのはもちろん、
積極的な提案を出して協力しなければならないと思います。

 提案と論争は今から始めてもいいと思います。他者の提案や意見
への批判もいいと思います。

 但し、「元気で楽しい浜松を作る」という目的にそった親切で建
設的な態度が要求されると思います。

 まず隗(かい)より始めよ。手始めに2つの提案を出します。

 提案1・道路や建物の工事のホームページでの説明を。

 道路や建物の工事が予定されたり、実施される時、市はホームペ
ージに次の事を発表してほしいと思います。

 (1) 現状の写真と完成後の様子のCG(コンピューター・グラフ
ィックス)
 (2) その工事を行う理由
 (3) 工事期間
 (4) 受注業者名と受注金額

 もちろん市民の意見欄も作ってほしいと思います。


 提案2・すぐやる課の設置

 引佐町の鎮玉診療所に行くと「中日新聞」が置いてあります。ほ
とんど読む人がいません。これは必要ないと思います。

 この種の「小さなムダ」を無くす提案を受け付けてどんどん実行
する部署がほしいと思います。

 「すぐやる課」では少しイメージが違うというなら「改善する課
」でもいいと思います。名前にはこだわりません。

  (これも或るブログへのコメントです)


教育の広場、第255号、浜松市の合併の真実

2007年02月24日 | 政治関係
教育の広場、第255号、浜松市の合併の真実

 さる2006年11月05日、広報「はままつ」に合併後の職員給与が初
めて発表されました。そこには平均給与についてこう書いてありま
す。

職員総数、5679人
平均年俸、 664万4000円(23万6000円減少)
給与総額、 377億3049万円
(かっこ内は前年比)

 この前年比とは、旧浜松市のそれとの比較です。昨年(2005年)
は新市の統計は発表されませんでした。

 そこで真実を明らかにするためには、合併直前の給与と比較しな
ければなりません。

 2年前の全12市町村では以下のようでした。

職員総数、5749人
平均年俸(無意味だから出しません)
給与総額、 370億6610万円

 合併によって職員総数は70名減りましたが、給与総額は
  約6億6000万円(!)
増えたのです。

 なぜでしょうか。

 旧浜松市以外の11市町村の職員の給与が「合併しただけで」大幅
に増えたからです。

 11市町村の2年前の平均給与を以下に書きます。

浜北市   656万円
天竜市   580万円
細江町   580万円
三ヶ日町  516万円
引佐町   564万円

水窪町   519万円
佐久間町  330万円
春野町   540万円
舞阪町   588万円
雄踏町   610万円
龍山村   378万円

(参考)
浜松市   698万円

 これらが、どこでも、 664万4000円になったのです。

 「合併しなければやっていけない」と言いながら、実際は合併で
給与総額は増えたのです。

 そして、それを隠すような「情報公開」をしているのです。

 こういう市長を支持できますか。

 なお、勤労者の全国平均年収は約 440万円です。

 1世帯当たりの平均年収は約 620万円です。

  (これも或るブログへのコメントです)


教育の広場、第254号、なぜ北脇市長は変節したのか

2007年02月21日 | 政治関係
教育の広場、第254号、なぜ北脇市長は変節したのか

   お断り

 私は最近、浜松市長選に強く係わっています。出掛けていって何
かをするということはしていませんが、ネットで論陣を張っていま
す。立候補予定者のブログのコメントへの書き込みが主です。

 内容的には、一般的な意味のあるものもあるので、それをメルマ
ガにも転載しようと思います。

 浜松の事情に通じていない方には分かりにくい部分も少しはある
でしょうが、仕方ないでしょう。なお、「康友さん」というのは、
私の推している対立候補で鈴木康友氏のことです。かつて民主党の
代議士でした。(牧野 紀之)


  なぜ北脇市長は変節したのか

最近、康友応援団の1つである「新しいまち(政令都市浜松)を
つくる会」からその設立趣意書が送られてきました。

 そこに同封されていた或る文書には、北脇市長が民主党の国会議
員だった時の発言と市長になってからの行動との違いを示す証拠が
沢山書かれていました。

 これらはみな、事実だろうと思います。

 私は市長に沢山の質問や意見をして、返事をもらってきましたが
、その回答を見ましても誠意がなく、「市民への約束」が実行され
ているとはいえません。

 さて、市長の変節を事実として確認した我々はどう考え、どう行
動したらいいのでしょうか。

 最近とみに評判の高い畑村洋太郎さんの失敗学を実行することだ
と思います。それは、責任の追及の前にまず、「なぜ、どのように
して失敗が起きたのか」を究明するべきだというものです。

 そこで表題のテーマになります。これについて私見を出します。

 市というのはサービス業を営む1つの経営体だと思います。収入
源とか法的権限とかが普通の私企業とは違いますが、経済行為とし
て見ればこうなると思います。市長というのはその組織のトップで
す。

 すると、その組織は内部のあり方については合理化しなければな
りませんが、それは自己目的ではありません。市民により良いサー
ビスを提供しなければならないのです。これが政策です。

 そのためには想像力(創造力)がなければなりません。しかし、
北脇市長は新しいサービスなり、新しいやり方なりを考え出す知恵
とイマジネーションのない人だったのだと思います。小さい頃から
「学校秀才」ではあったようですが。

 そのため、その政策を幹部職員に丸投げすることになりました。
職員は長年の経験がありますから、これまでのやり方で、予算を使
い、見てくれはいいかもしれないけれど市民への実質的なメリット
はほとんどない「事業」を見つけてきて、市長に進言したのだと思
います。

 ハコモノを建てるのはその典型的な例ですが、今回誘致した「モ
ザイカルチャー」とかいうのもその1つでしょう。

 つまり、本当に市民のためになる事業を考え出す能力があるか無
いかの問題なのだと思います。換言するならば、北脇市長の変節
は、節操の問題である前に、何よりもまず、能力の問題だったので
す。

 浜松を元気で楽しい街にする政策を企画する能力の無い北脇さん
には、幹部職員の担ぐ御輿に乗るしか選択肢はなかったのです。

 こう考えますと、現下の康友応援団にも危惧の念を禁じえません
。なぜなら、「無駄を省く」ことしか言わないからです。康友さん
自身の「政策」も今のところ、立候補表明の時に述べた、「市長の
退職金の全廃」と「市長公舎の売却」の2つだけです。

 これらは当然の事ですが、内容的にはあくまでも「これまでの間
違いの尻拭い」であって、浜松を元気で楽しい街にする積極的な政
策とは言えません。

 一部には、この後者の政策も全部、康友さんに考え出してもらお
うと考えている人もいるようです。これには賛成できません。

 康友さんは北脇さんとは違うでしょうが、我々市民がどんどん建
設的な提案をしていかなければならないと思います。支持者にはそ
の権利も義務もあると思います。

 康友さんを第2の北脇にしないために我々はどうしたらいいか、
私見を述べました。


 追記

 少し前の朝日新聞でも、改革派の首長が長続きしないといった趣
旨のことを書いていました。青島都知事は論外としても、美濃部さ
んも田中康夫さんも物足りなかったと思います。

 その理由として、朝日新聞は、後継者がそれらの人の仕事を引き
継がなかったという点を挙げていたと思います。たしかにこれもあ
ると思います。

 「引き継ぐ」以前に、青島さんの場合は都市博の中止以外何も出
来ませんでした。田中康夫さんは政策では新しいものを出したと思
いますが、議会対策等が失敗でした。

 世の中を変えるのは本当に難しいものだと思います。


議員の通信簿運動と社会運動デビュー

2007年02月20日 | カ行
 02月18日の朝日新聞に次の投書が載っていました。まず引用しま
す。

  (編集部で付けた題名)「議員に通信簿、市政が変わる」

 無党派の市民約60人でつくる神奈川県の「相模原市議会をよくする会」は、当選した市議が選挙後、どう働いているか、その働きぶりを議会の全部を傍聴してチェックし、市議一人ひとり実名で通信簿を作って、公開しています。

 発言の内容・回数、公約達成のための活動などについて、一度も質問しない「落第」、質問はしたが公約に言及しない「不可」、ある程度質問した「可」、質問回数が10回以上、公約への言及も多い「秀」などと評価。

 また、議員の調査力・行動力なども「努力を要する」「一層の努力を要する」と監視しています。

 活動には大変な勇気と努力が必要です。不偏不党の立場を堅持するのも容易なことではありませんが、市政をよくしようとする会員の熱意が、今回、2回目の通信簿に実りました。

 活動で、議員の居眠り・私語・内職・やじ・読書が激減。傍聴席も3倍に増えました。2003年の統一地方選では通信簿の影響で落選したと思われる市議(定数46)も2人現れ、市議たちは神経質なほど関心を寄せるようになりました。

 自治体の政治を変えるのは議員ではなく、選挙民であることを痛感しています。新しい市民参加の形でもあり、全国にこの風が広がることを期待します。(引用終わり)

 名前は「今野徳四郎」で「無職」とありました。年齢は68歳とありましたから、年金で生活しているのでしょう。

 以下に批判的な事を書きますが、この活動それ自体は評価していることを最初に確認しておきます。

 それを確認した上で感想を箇条書きにします。

 すぐにも思い出したのは、学生運動をやっていた頃の事で、いわゆる「実践」という言葉を使うのも大げさな事なのですが、それはともかく、何かの署名活動をしたとか、学科などで集まりを開いて人を少し集めたというだけで得意になる人が少なくなかったということです。

 とにかく、左翼では「理論と実践の統一」とやらが自明の公理で、しかもその意味が「マルクスを口にする人は政治ごっこをしなければならない」という意味であることも自明の公理でしたから、実践という名の政治ごっこをしていないと負い目を感じるし、逆に少しでもそれをすると得意になるという現象が沢山見られました。

 この投書にもその感じが出ていると思いますが、どうでしょうか。

 しかも、そうして得意になると、他者をオルグする訳です。つまり他の人にも「お前も俺のようにやれ」と言う、時には強要するのです。

 ここではさすがに強要はしてはいませんが、ほかの人に勧めているのは事実です。

 こういう人はたいていすぐに冷めてしまうものです。私も棺桶に片足をつっこむ年齢になりましたが、昔他人に実践を強要していた人がその後どうなったかは大体知っています。続けてきた人はごく少数です。もう生きていない人もかなりいます。

こういうあり方を反面教師として出てきたのが、宇井純さんや小田実さんの「一人でもやる」「一人でも止める」という住民運動のスタイルだと思います。

 では、こういう社会運動を始めた人が次にするべき事は何なのでしょうか。それは「全体の中での自分たちの仕事の位置(意義)を調査研究してみる」ことだと思います。そうすると、自分の仕事の意義と限界が分かると思います。

 そして、今後の自分の進むべき道を考えるのです。今やっている事を深める方法を考え、あるいは幅を広げる方法を考えるのです。もちろん自分の分を考えて、今のまま続けるだけにしよう、という選択肢もあるでしょう。

 今はインターネット時代でこの種の調査は昔と比べてはるかにやり易くなっています。

 とにかく、世の中の大きな枠組みは官の人々が作っているのであり、それは大きな組織になっていてとても強固で、議員の活動を監視したくらいではビクともしないものだという事くらいは知っておいた方がいいでしょう。

 以上、自分自身の多くの間違いの経験と少しの成功の経験を反省してまとめました。

 上に引用した方は今後どのように進むのでしょうか。

 これを書いたら、昨日19日には、印西市のオンブズの方が議員の政務調査費の使い道を調べて追及しているとの投書が載っていました。これをしている人はあちこちにいます。

 又、厚生労働省が病院のホームページにおける公開情報の基準を定めたので今後は患者が病院を比較して検討できる、とかいう記事もありました。

 私は先に、学校ホームページの必要条件を提案しましたが、有識者の皆さんはこういう事には気づかないようで、誰も言いません。

 やはり私は今後も「一人でやる」しかないでしょう。