ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第68号、投書とお返事「国民不在政治」

2006年01月18日 | ご意見の広場
教育の広場、第68号、投書とお返事「国民不在政治」

(2002年02月07日発行)

   投書・国民不在政治(K・S)

 先日は先生の謦咳に触れることができ、とても嬉しく存じました。
また恥を省みず、メールを差し上げます。

 先生は、私へのご回答で「大学の教員が「研究第一で教育第二」
だから、教育に熱心でない、という「定説」には賛成できません。
「アルバイト第一」が根本問題だと思います。これは本メルマガ
第十号に書きました。」
と仰ってますが、第10号を拝読して、自分の考えを整理したいと
思いますので、お手数で恐縮でございますが、メールでお送りく
だされば幸いに存じます。

 大橋巨泉氏や田中外相の相次ぐ辞任で、耳目を騒がせており、
先生も小泉政権の手法について議論なさっているので、少し拙
論を申し上げたく存じます。

 今朝の日本経済新聞で大橋氏が所属していた民主党某代議士
が、「大橋氏は選挙で連呼等の汗をかくことを知らなかった」
と批判していたことが報じられておりました。この某代議士の
発言は日本の国民不在政治の典型と思います。

 日本の選挙で、政党は選挙の時のみ、有権者に対して自分の
名前や、政党名を連呼し、それで国民にアピールできている、
とする国民を愚弄する手法から脱却していないのではないかと
思われます。国民は「パブロフの犬」ではないのだから、連呼
されたからと言って、それが投票行動に結びつくとは思えませ
ん。このような選挙の時しか、国民の方を向かない民主党が政
権を執ることは不可能と言えましょう。

 必要なのは日常の政治活動であると考えます。その点従来の
自民党は、業界団体等との日常的接触で、陳情や献金を受けな
がら、仕事を斡旋する、ということをやってきたので、それな
りの強さがあったのでしょう。

 しかしそれも献金や斡旋等も政治腐敗の原因となり、規制強
化される傾向にある今日では、このような日常政治活動は(典
型的なのは、土建屋さんを儲けさせるための、利用者が1日数
名の舗装農道設置等)、退場せねばならないでしょう。またご
く一部の国民の利益しか考えず国益を考えない、このような政
治行動は早急にやめるべきであろうと思います。

 たしかに小泉首相が、インターネット等を活用して、日頃か
ら国民の意見を徴する手法は、現代政治のよい面であると、一
応評価いたします。この点について先生は民主制を骨抜きにす
る危険性を看破なさっていますが、それにも納得しております。
しかし一つの問題として、小泉首相が個人的にこのような手法
をとっても、あくまでも一方向的なもので「対話」がないので
はないか、ということはないでしょうか。意見した国民と対面
もせず、またそれを政策に実現する際に議会と対話しようとし
ないところに問題があろうと思います。

 民主党は飲み屋で政治討論するパフォーマンスをやりました
が、それも今やっているとは聞きません。結局パフォーマンス
倒れでした。

 自民党や民主党またその余の政党も、似たり寄ったりだと思
います。そこでは政党の顔である、大政治家が活動しているの
は、TVでも分かりますが、一般の党員等が、自分の政党が国益
になるとの信念をもって日常的に政党活動しているようにはお
もえません。せいぜいしても一方向の「政治報告会」やビラ貼
り程度でしょう。

 ところでドイツに1年ほど滞在した経験がございます。ちょ
うどコール前首相のCDU=CSU政権が飽きられ、シュレーダー
現SPD内閣が登場する時でした。

 選挙活動では連呼はありません。もちろん街頭演説はありま
す。しかしもっとも異なるのは、広場や市場に政党の屋台が出
て、パンフレットを置き、政策について市民と対話することが
よく見受けられました。大体選挙日の1ヶ月半前から、一般の
党員がジャンパー姿でこのような活動をしておりました。パン
フレットを積極的に配ることもせず、来る者は拒まないが、押
売りもしない、という態度で屋台にただ座っているだけです。

 しかし、これは選挙活動以外の場面でも見受けられました。
特にトルコ人を中心に元の国籍を失わせずに、ドイツ国籍を取
得させる、という問題が出てきた時でした。そのときこの二重
国籍法案に反対したCDUの屋台が、広場に出てました。そこへ
トルコ系の人が来て、CDUの一般党員と議論していました。そ
れを普通の人たちが取り囲んで熱心に聞いていました。しか
し彼らの議論に加勢するものも、妨害するものもおらず、非
常に興味深く拝見しました。なかなか日本ではない光景でし
た。日常の地道な政治活動の他に、日本人には、本当の対話
ルールも知られていないことを痛感させられました。

 よく朝に忙しく出勤する人たちに街頭でむなしく演説して
いる、政治家がいます。あれも単なるマスタベーションに過
ぎないと思います。彼は我々に政策を訴えているかもしれま
せんが、一方向です。本当に自分の政策を理解してもらおう
と思ったら、むしろ夕方に街頭に屋台を設けて、そこで議論
をふっかける人たちを相手に対話をする方が、ずっと支持者
がえられ、また国民から遊離しない政治ができるのではない
かと思います。

 最近では今ほど政治に関心がある時期がなく、それは小泉
内閣になってからでしょう。国民一人一人がかかわることで、
政治が変わるかもしれない、という期待感があるためかもし
れません。それなのに政党は従来の国民との対話を軽視した
「国民不在政治」をこれからも続けていくのでしょうか?

 非常に長くなってしまい、申し訳ございません。万が一、
掲載なさる場合には、先生が適当に取捨選択なさることに異
存はございません。

 因みに大橋氏辞任についての、「反対でも全体に従う」で
すが、どの場合に従うべきで、どの場合に従わなくてもいい
のか、さらに従ってはならないのか、重要な倫理学的問題だ
と思います。多数が少数に理不尽を押しつける「正当理由」
の虚構性を暴き、それを破壊することこそ、倫理学的使命だ
と門外漢ながら思います。


   牧野からのお返事

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箇所をクリックしてください。お願いします。

 政党が国民とどう対話していくか、ドイツの政党のやり方の紹介
をありがとうございます。

 イギリスでは各候補者が個別訪問して戸口で話し合うということ
を聞きました。

 いずれにせよ、国民の方も自分の考えを言い、話し合う態度が身
についていなければならないと思います。すると結局、学校におけ
る政治教育如何という問題にもなります。

 ドイツの高校の政治の教科書をもらってきましたが、ものすごく
大部です。そして、現実の新聞記事を引用して説明し、「君はこれ
についてどう思うか」という質問が載っています。日本と全然違い
ます。

 ところで貴下のようにどの政党もだめだという意見はよく聞かれ
ますが、これでは日本はよくならないと思います。全部だめだとし
ても、政権交代はした方がいいと思います。自民党の代議士と官僚
の結託による腐れ縁を一時断ち切り、行政の掃除ができると思いま
す。

 いずれにせよ、自分はどういう考えでどういう投票行動を取った
か、どういう考えで何党に投票したか、といったことを出し合うべ
きだと思います。

 日本人のように、自分のことは言わないで「何党が勝つか」を議
論するのはおかしいと思います。

 「決まった事には従う」の基準についても、S・Kさんは自分の
授業で、授業運営について学生と意見が違った時どう処理している
かということを出してほしいと思います。

 私の考えは第40号(教師の間違いをどうするか)及び第59号(教
壇の意味)にまとめました。

 一般的には、民主主義と民主集中制と全体主義で少数意見の扱い
方は違うと思います。この点は「民主主義」(拙著『ヘーゲル的社
会主義』に所収)に書いておきました。

 それから、今一番大切な事は自由で徹底した話し合いを具体化す
るための技術と方法を発展させ普及することの方だと思います。

 学校では、学級通信とか教科通信とかがとても役立つということ
が分かりました。