ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

大学(高校、中学)は自分で勉強する所か

2011年09月27日 | カ行
 学校が小学校から中学校、さらに高校から大学へと進むにつれて、よく、「中学校は(小学校と違って)自分で勉強する所だ」とか、「高校は(中学校と違って)自分で勉強する所だ」とか、「大学は(高校と違って)自分で勉強する所だ」といった言い方がなされると思います。

 「中学校は~」という言い方は余りないかも知れませんが、「高校は~」という言い方と「大学は~」という言い方はたいていの人が聞いているのではないでしょうか。

 今回はこれらの言い方を「大学は自分で勉強する所だ」という言葉で代表させて考えてみたいと思います。最近読んだ立花隆氏の『脳を鍛える』(東大講義)(新潮社刊)の中でも氏はそのような事を言っていました。

 私も半分無意識的にではありますが、生徒であった時にも教師になってからも、事実上そのような考え方をしていました。しかし、大学で教師をしていたある時、これは決定的に間違っているのではないかと思うようになりました。

 たしかに勉強における主体的契機、つまりいわゆる「やる気」とか努力というものを強調するだけならこの言葉も正しいと思います。しかし、実際にはこの言葉はそれ以上に、教師の指導の決定的重要性を見逃させる役割を果たしていると思います。これが問題なのです。

 もし本当に「大学は自分で勉強する所だ」とするならば、教師は何のためにいるのでしょうか。それなら教師は必要がないのではないでしょうか。こう考えただけでもこの考えの間違いは自明だと思います。ではどこが間違っているのでしょうか。

 人間を勉強への取り組みに関して分類すると次の3種類に分けられると思います。

 A・自分でどんどん勉強する人(変人)
 B・宿題(先生の適切な指導)があれば勉強する人(凡人)
 C・宿題(先生の適切な指導)があっても勉強しない人(ろくでなし)

 次にこのABCの割合はどうかと考えてみますと、ほとんどの人はBだと思います。つまり、一部の変人とろくでなし(もっとも気の毒な事情のある場合もある)を除くと、大部分の人間は「先生の指導がある限りで勉強する」という種類の人間なのです。

 人間の心の中には誰の心の中にも「勉強したい」「成長したい」という気持ちがあるのです。しかし、人間はそれだけでは勉強しないのです。勉強したいという気持ちに先生の指導という「外からの強制」があって初めて勉強するのです。

 人間は神様でもなければ獣(けだもの)でもないのです。その中間なのです。だからこそ、「先生に引っ張ってもらおう」「宿題を出してもらおう」と思って学校に来ているのです。だから、勉強では先生の指導力が決定的なのです。

 ここまで言うと聞こえてくるのが、「我々の頃は自分で勉強したものだ」という教授たちの声です。立花氏の本からもそのような声が聞こえてきます。

 「今の若い者は~」といった言葉は老人の口癖ですから聞き流しておけば好いのかもしれませんが、私がこの「大学は自分で勉強する所だ」という考えを決定的に否定する気持ちになったのは、この教授たちの考えの間違いに気づいたからです。

 ドイツ流に言うと私の主専攻は哲学で副専攻はドイツ語ですが、私はこの2つの学問で見てみますと、その「自分で勉強した方々」の「学問」がとてもお粗末だと思うのです。そして、その最大の原因が、先生から正しい指導が受けられなくて「自分で勉強した」結果だと思うのです。

 哲学については説明が大変ですからドイツ語学について言いますと、40年以上前に出版された橋本文夫氏の『詳解ドイツ大文法』(三修社)はお世辞にも「詳しい」と言える代物ではありませんが、それにも拘らずそれ以上の文法書が出ないのはどうした事でしょうか。

 初等文法が終わると読本の読解に進みますが、その読本には巻末に注解が付いています。これは英語の読本の場合と同じです。しかるに、その注解はあまりにもお粗末ではないでしょうか。間違いも散見されますし、必要な説明の落ちている事も多いです。それ以上にひどいのは、「ここは説明しなければならない」と気づきながら説明が出来ないために素通りしている所のあることです。

 そして、決定的に困ることは、注解全体を通して「言葉を科学するとはどういうことか」を教える姿勢が感じられないことです。例えば、ドイツ語の話法の助動詞の説明では、形と一般的な用法とその箇所の意味の3つを書かなければならないのに、その内のどれかを恣意的に書いているのが普通です。

 私の調べたのは学界で「大家」として名を馳せている方々のものですが、それがこの通りなのです。これが「自分で勉強された方」の学問です。

 ではどうしてこのようなお粗末なことになっているのでしょうか。私は、それは、「自分で勉強した」ために、先人の成果を十分に受け継がなかったからであり、そのために学問が蓄積されていかず、発展していないからだと思います。

 高校も大学も「自分で勉強する所」ではありません。先生の指導を受けて勉強する所です。それによって過去の成果を速やかに吸収して、学問を更に発展させる所です。

(初出、教育の広場2000年12月06日)

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教師と生徒の役割


ナイチンゲールの感性

2011年03月09日 | ナ行
                     日野原重明

 5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日で、日本では「看護の日」となっています。

2000年のまとめでは、正看護師と准看護肺の総数は104万2000人で、医師の総数の約4倍でこす。今や病院・診療所の看護職はほぼ定員を満たしています(「国民衛生の動向」から)。

 しかし、1990年ごろは多くの医療機関で看護師が不足していました。そこで、日本看護協会は、看護師の待遇を少しでも良くしてその社会的地位を高め、志願者を増やそうと働きました。「看護の日」の制定のための運動もそうです。「看護」に高い関心を寄せていた作家の中島みちさんから私も、「看護の日」実現のために手伝ってほしい、と頼まれました。私は、作家や評論家、病院ボランティアの人々まで呼びかけて、運動として盛り上げたらいいのではないか、と思いました。

 そこで、評論家の柳田邦男さんや秋山ちえ子さん、作家の橋田寿賀子さんやボランティア活動をしてきた石川美代子さんら、それに私を含めた医師3人が、中島みちさんを呼びかけ代表人とする「『看護の日』の制定を願う会」を作りました。そして、津島雄二厚生大臣(当時)にこの制度の実現を要望したのです。そうして、病む人や老いた人への看護の心、ケアの心、助け合いの心を広めるために、ナイチンゲールの誕生日が選ばれたのです。

 ナイチンゲールは1820年、英国貴族の娘としてイタリアのフローレンス(フィレンツェ)で生まれました。

 志願したクリミア戦争で、傷病者の看護に当たるうち、看護は医師とは違った立場であるが医療にとって重要な役割がある、正規の学校による訓練が必要だ、と考えました。1860年、彼女の名前を冠した看護学校がロンドンに開校しました。

 この学校で訓練された看護師が後にはスコットランドやカナダのモントリオール、アメリカのボストンやフィラデルフィアなどで看護学校を開きました。

 ナイチンゲールは看護学校の新入生に、看護人の心得を説いています。それは、自分が経験したことのない病気であっても、病人の抱える苦しみや悲しみを感知できる感性が何より必要な職業だ、というものです。

 恵まれた家庭環境にあった貴族出身の彼女が病人の苦しみに寄り添えたのは、まさにこの感性が備わっていたからです。

 日本ではこの仕事に就く人を最初、「看病婦」と呼んでいました。後に「看護婦」となり、2002年の法改正で、医師や薬剤師と同様に、性別を表さない「看護師」と呼ばれるようになりました。呼び方は変わっても、ナイチンゲールの唱えた精神は変わっていないのです。

 (朝日、2004年05月08日)

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浜松市立看護専門学校

番茶

2011年02月24日 | タ行
 お茶というと5月初めの八十八夜に摘まれる新茶(一番茶)を思いがちだが、今は、三番茶や秋冬番茶など「番茶」を楽しむまたとない季節だ。夏の強い日差しを受けて育った茶葉だけにカテキン量も豊富で、渋みも深みもしっかりした存在感を楽しめる。また最近では、地方の特色が色濃く出た「番茶」を見直し、食文化として残していこうとい与動きもみられる。

 鹿児島県知覧町の折田信男さんは今、秋冬番茶の収穫を終えたばかりだ。25haの広大な「おりた園」はひっそりと静まりかえり、春まで小休止だ。

 日照条件のよい鹿児島では、春の一番茶から始まって秋冬番茶まで5回の摘採(てきさい)期がある。折田さんは、日差しがより強い季節に育つ葉には新茶にはない力強さがあると考え、「カテキン番茶」を製造している。

 7月に摘む三番茶、7月末~8月中旬の四番茶、10月中旬~11月上旬の秋冬番茶をブレンドしたもので、100g500円。農薬を使っていないので、「粉末茶にして飲んでも安心」というのが自慢だ。殺菌力や悪玉コレステロールの抑制など、カテキンの効能が話題となったここ数年で人気商品に成長した。

 2代目の折田さんは、20代後半で農薬中毒にかかっていることが分かった。肝臓障害や言語障害、意識障害などに悩まされ、農薬の使用中止を決断する。10年余りは収穫がほとんどなく、多少の収穫があってもなかなか買い手がつかなかった。それでも土の養生方法など試行錯誤を続け、今や生茶で500トン仕上げ加工前の荒茶で100トンの生産量を誇る。化学肥料も使わず、4haはJAS認定も取った。

 もう一つの特徴は5年ほど前からやめた被覆だ。多くの茶畑では黒い布をかぶせて日差しを遮り、柔らかな葉を作ろうとするが、折田さんは被覆すると茶木が病害虫に弱くなることに気づいた。思い切って被覆をやめると茶木はみるみる強くなり、多少の病害虫は寄せ付けなくなった。

 「番茶の渋みを知っているからこそ、新茶の甘さをより味わえる」というのが折田さんの持論だ。

 日本茶インストラクターで東京都北区でお茶屋を営む高宇政光さんは、番茶の見直しを訴え、研究者などでつくる「番茶学の会」の立ち上げ準備中だ。

 製造技術が上がり、一年中、煎茶を飲めるようになってから、番茶を買うお客はめっきり減った。一方で、阿波番茶(徳島県)や京番茶(京都府)、美作番茶(岡山県)や碁石茶(高知県)など、各地で独自の製法で作られてきた「番茶」の中には、後継難で存続が危ぶまれるものもある。

 だが、各地にどんな「番茶」があって、どんなふうに飲まれているのか、農林水産省もお茶の業界団体も把握していないのが実情だ。実態調査から始め、ゆくゆくは、各地でお茶がどう作られ、どう飲まれてきたのか、生活に根ざしたお茶の歴史を明らかにしたいという。

 大妻女子大の大森正司教授(食品化学)は「秋はお茶にとっても実りの秋」と話す。夏の間、たくさんの紫外線を浴びしっかり光合成をした茶葉はカテキンを多く生成する。特に、折田さんのように覆いをせずに茶木を育てた場合は、それがより顕著に出るという。

 大森教授の実験によると、2003年産では、一番茶の葉に含まれるカテキン量は100g当たり12.5g、三番茶では14.0g、秋冬番茶はぐっと増えて18.0g。2004年産はそれぞれ12.7g、19.1g、11.0gで、秋冬番茶は台風の影響を受けたとみられる。大森教授は「今年は例外的」とみる。

 ただし、普通にお茶を入れた場合では、茶葉が軟らかい新茶の方がカテキンが出やすい。2003年産の実験結果では、100CCの熱湯に2.5gの茶葉を1分間つけた場合、一番茶から出るカテキン量は、83.1mg、三番茶では154.3mgだった。

 大森教授は、番茶からしっかりカテキンを取るために、①粉末茶にして食材として使う②沸騰した湯で3~5分煮出す③たっぷりの熱湯でじっくり5分ほどおく、などの方法を推奨。「甘みのあるアミノ酸の多い新茶とは違った、さわやかだけれどパンチのある味を楽しんでほしい」と話す。 

番茶の定義

 もとは「晩茶」と書き、遅摘みの葉で作る茶のことを指した。ただし近年、製茶技術や保存技術が向上し、市場も高級志向となったことなどから、上級品と区別し、アミノ酸の含有量が低い廉価なものを「番茶」と呼ぶようになってきた。さらに、地方独特の製法で作られているお茶をその地方では「番茶」と呼ぶことが多く、定義は一定ではない。

 (朝日、2004年11月20日。豊 吹雪)

 感想

 この記事も「多くの人はお茶の正しい淹れ方を知らない」という問題には気付いていません。

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浜松茶の未来

感じの好くない言葉(金田一秀穂教授)

2009年10月22日 | カ行
 NHKのラジオ深夜便で杏林大学教授の金田一秀穂氏が「最近の感じの好くない言葉」(?)とかいうテーマで、「国家戦略室」とか「マニフェスト」などを挙げていました。そこでメールで意見を送りました。まだ返事は来ていません。来たら掲載します。

──────

 前略。たまたま、10月18日(19日?)夜の深夜便を聞きました。適切な問題提起だったと思います。
 「マニフェスト」についての疑念は共有しますが、代案の「政権公約」はどうでしょうか。私なら「政策要綱」くらいかな。「政権」につかない場合のことも考える必要があると思います。

 しかし、杏林大学でも使っている「シラバス」になぜ言及しなかったのですか。自己反省も必要でしょう。私も大学講師をしていますが、「授業要綱」としています。大学の指定する「シラバス」は「あれはサボリ教授のためにある」として、適当にあしらっています。

 私も日本語の現状に、と言うより、辞書の現状に問題提起をしています。「マキペディア」の「募金」と「決める」を見て下されば大体の事はお分かりいただけると思います。10月19日。(引用終わり)

教科通信の目次

2009年10月11日 | カ行
 「天タマ」
 看護専門学校での哲学の授業の教科通信

 「ユーゲント」
 大学でのドイツ語の授業の教科通信

 「松の木」
 公民館での哲学講座の教科通信     

「菩提樹」の解釈(02、関口存男氏の説明)

2009年08月30日 | ハ行
 お断り・関口氏の『接続法の詳細』(三修社)の299頁以下に次の説明があります。知られていないようですので、ご紹介します。

     ──────

 まずドイツ語の原文を全部掲げます。下線部に注意して一応、全部お読みください。

     Der Lindenbaum
             一Wilhelm Müller

  Am Brunnen vor dem Tore,
  da steht ein Lindenbaum;
  ich trämt' in seinem Schatten
  so manchen süßen Traum.

  Ich schnitt in seine Rinde
  so manches liebe Wort;
  es zog in Freud’und Leide
  zu ihm mich immer fort.

Ich musst' auch heute wandern
  vorbei in tiefer Nacht;
  da hab ich noch im Dunkeln
  die Augen zugemacht.

  Und seine Zweige rauschten,
  als riefen sie mir zu:
  Komm her zu mir,Geselle,
  hier findst du deine Ruh’!

Die kalten Winde bliesen
  mir grad ins Angesicht,
  der Hut flog mir vom Kopfe,
  ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde
  entfernt von jenem Ort,
  und immer hör' ich's rauscben:
  Du fändest Ruhe dort!

 幼い時に抱かれた母の胸、幼い時に歌った唄のメロディー、幼い時に遊んだ樹の下、──それらは一生涯かけて吾人の気持の基底をなしてしまいます。吾人がそれを意識するとせざるとに拘らずです。それは上海で算盤(そろばん)を弾いている事業家の潜在意識の中にも眠つています。それは鬼畜の如き前科者の胸の中にも時々寝返りを打ちます。そしてそれが30年後40年後に何かの機会に眼ざめると(たとえば久し振りに故里へ帰って、井戸のある菩提樹の側を通ったりすると)、──人間は泣きます! たとえ二三十年間泣いたことのない人間でも泣きます。そして、その場の彼が、少し生活に疲れ人生に倦んだような気持の瞬間であったり、おまけに菩提樹の下が古井戸だったりすると……あぶない。非常にあぶない。

 この詞の主人公はそうした危機を無事に通過したのです。相当危なっかしい無事ではあったけれど、眼をつぶって、「桑原々々」と云いながら、後をも見ずにさっさと通ってしまったのがよかったのですね。

 通る時に菩提樹の枝は風にざわめきながら何と云ったか? Hier findst du deine Ruh’!と云った。即ち、「少し冷めたいかも知れないが、思い切ってドブンと飛びこんでごらん。あとはさっばりして好い気持だよ。お母さんのところへ帰ったようなものだ。勿論世間では一時さわぐかも知れないけれども、わたしに抱かれてぐっすり死んでいりゃ誰も何とも云いはしない、あとはわたしが引受けるから、思い切って飛び込んでごらん!」、菩提樹はこう云ったのです。菩提樹は母か乳母のような気持で云うのだから、決して悪い事は云わない。

 けれども詩の主人公は、まだ生きるつもりでいる。生きていたらまだ何か好い事があると思っている。人間て奴はみんなこんな馬鹿野郎です。菩提樹のいう事や母の云う事なんてものは、よく腑に落ちれぼ落ちるほど益々分かったような分からないような顔をしてブイとそっぼ向いて駈け出して行ってしまう。40になっても50になっても子供ですな人間と云う奴は!──

 菩提樹も、「頭が禿げて白髪が混るほど大きくなっていながら、うちの坊やはどうしてこう聞き分けが無いのだろう‥‥‥」と溜息つきながら後を見送っている。

 菩提樹の危機をやっとのがれた主人公は、ほっと一安心して、まあよかった、と思うと同時に、心の中に、母なる菩提樹の愚痴を開きます:Du fändest Rube dort!

 これからがいよいよ文法上の問題です(文法というものは興醒めなものです)。

 Du fändest Ruhe dortと、最後は findestの代りに fändestが使ってある。安楽に成仏出来るの「だろうになあ」という事です。と云うのは勿論「わたしの云う事を聞いてわたしの膝元へかえるとしたら」です。最初の findstの時には、本人を前に置いて飛び込むことをすすめる最中だから、実現の可能性を前提して直接法が用いてあったが、今度はもう駄目だとあきらめた後のこと故、愚痴のように fändestと云っています。

 この詩の最後のところが、幽(かす)かに、静かに、ゆるやかに、嘆くが如く、訴うるが如く、かこつが如く、溜息つくが如く、嫋々(じょうじょう)たる鈴音を以て ausklingen(後を引きながら鳴り止む)しているのは、主としてこの「仮定話法の結論部の独立用法」のためであると云えましょう。試みにそのつもりで一つ読み直して味って見て下さい。findstのところはゾットするほど「物凄い」。fändestの所は天籟(てんらい)の如く幽かに妙えなる響を持っています。

 ついでに。Du fändest Ruhe dortは、散文口調ならば Du hättest dort Ruhe gefundenでしょう。Du würdest dort Ruhe findenも考えられますが、この方はあまり面白くない。やはり hättest gefunden の方が「恨む」意味がはっきりと出ます。一たい完了形にする方が非現実的色彩がはっきりと現れます。


原発の後始末

2009年08月26日 | カ行
 日本原子力発電東海発電所を訪ねた。日本初の商業炉として1966年に営業運転を始め、1998年に現役を退いた原発だ。

 2001年末から17年がかりの「後始末」が続いている。出てくる金属やコンクリートの廃棄物はざっと20万トン。核分裂生成物などの高レベル廃棄物は含まれないが、3割余りは放射性のものだ。

 このうち2万3500トンは、放射線の程度に応じてさまざまな深さに埋める。なかでも、原子炉や周辺設備のように最も程度の高い1500トンは、深さ50~100㍍の地中に管理施設をつくって埋設しなければならない。どこに施設をつくるのかは、まだ決まっていない。

 一方、年間の放射線量が一般人の被爆限度の100分の1以下の4万トンは、法律上、放射性廃棄物として扱わなくてもよい。一部は屋外ベンチやコンクリートブロックに再生されているが、さすがに一般の公園で使うのは難しく、原子力関連施設の施設内で使うにとどまる。

 「後始末」の段階でも、原発には放射性廃棄物の問題がつきまとうのだ。

 昨今、原発は二酸化炭素(CO2)を出さないので地球温暖化防止に役立つといわれる。確かに、その一面はある。新潟県中越沖地震で東京電力柏崎刈羽(かりわ)原発が止まった2007年度、日本の温室効果ガス排出量は過去最悪になったのだから。

 ただ、CO2は出さなくても、さまざまな放射性廃棄物は出す。脱温暖化に貢献しても、やっかいな問題が消えてなくなるわけではない。
   (朝日、2008年11月28日。村山知博)

少人数学級

2009年08月24日 | サ行
 日本の小学校の1学級あたりの児童数は28.2人。経済協力開発機構(OECD)加盟国では下から2番目の低水準だ。

 中学校も下から2番目の33.2人で、OECD平均の23.8とは約10人の開きがある。

 文部科学省の幹部も「日本は学級規模で言えば後進国」と認める。

  (朝日、2009年08月24日)

  小話・少人数学級とは25人以下のクラスのことを言う。

 昨年(2001年)の4月に高校標準法が改正されて40人未満の学級編成ができるようになったそうです。その結果「少人数学級」が実際に作られる例が出てきて、それが新聞記事になっています。歓迎するべき事だと思います。

 しかし、1つだけ気になる事があります。それらの記事を読んでいますと、そこで「少人数学級」と言われているものの1クラスの人数は25人以上なのがほとんどなのです。

 (2002年)02月15日付け朝日新聞に載っていた例も「県立高校で少人数学級」とした上で、「25~36人」とありました。こういうのでも「少人数学級」と呼ばれる日本という国は本当に教育後進国だと思います。

 国際的には25人以下のクラスだけが「少人数学級」と呼ばれるということをしっかり確認しておきたいと思います。(メルマガ「教育の広場」2002年02月27日発行から)



大学教員(03、ニセ学位)

2009年07月02日 | タ行
 出所が疑わしい「ニセ学位」をもとに04~06年度に採用されたり昇進したりしていた教員が、全国の4大学に4人いたことが(2007年)12月27日、文部科学省の初めての調査でわかった。

 同省は全大学・短大に厳正な対応を求める通知を送ったが、関係者は「判明したのは氷山の一角」として、追加調査の必要性を指摘している。

 欧米や中国などには、ニセ学位を発行する「ディグリー・ミル」(学位工場)と呼ばれる組織がある。国内でも、インターネットなどで入手したニセ学位を示して大学の教員に採用されたり、教員採用後に経歴の箔付けで入手したりするケースも出ている。

 このため文科省は07月、すべての大学・短大1195校を対象に初の調査を開始。その結果、2004~06年度にニセ学位を重要な判断要素として採用または昇進させたケースが、国立の大分大と私大3校で見つかった。大分大は工学部の准教授の採用を取り消した。

 また、大学案内などの教員紹介欄にニセ学位を表示していたケースも、熊本大など国立大10校、公立大4校、私立大28校、私立短大4校の計46校(計48人分)あった。

 文科省は「非公表の前提で調べた」として、大学名や、学長や教授などの職名を公表していないが、大分、熊本両大は自主的に公表した。

 教員らが「本物」と信じているケースもあり、「偽物」と承知したうえで記入した者は特定できないとしている。

 二セ学位に詳しい静岡県立大の小島茂教授(国際社会論)の話

 文科省が調査したこと自体が、大学に緊張感を持たせたので貴重な第一歩だ。しかし、関係者の間ではニセ学位で採用された教員は数十人はいるとされており、今回の判明分は氷山の一角。文科省は今後、米韓のように大学や教員の名前を公表し、社会的制裁を加えることを検討すべきだ。

  (朝日、2007年12月28日)

     感想

 学位が本当であることは大前提。それ以外に、准教授は自著が1冊以上、教授は3冊以上必要だと思います。これを満たしていない教授は沢山います。

鬼追明夫

2009年06月04日 | ア行
                無職 Y(兵庫県三木市 62)

 日本漢字能力検定協会の新理事長に鬼追明夫氏が就任した。

 〔かつて〕勤めていた信金が破綻した際、私は整理回収機構に拾われ、5年間ほど勤務した。入社した2002年当時の社長が鬼追氏だった。

 当時、上司から「整理回収機構社員という地位を利用して債務者から便宜を図ってもらうようなことはするな」と注意された。法令順守はどの会社でも当たり前である。

 ところが鬼追氏は社長だった当時、債務者企業から月10万円の顧問料を受領していたことが、昨年(2008年)01月に明らかになり、09月には大阪弁護士会から懲戒処分を受けた。部下に「便宜を受けるな」と指示する立場にいた当人が便宜提供を受けていたのである。

 鬼追氏は理事長就任後の会見で、大久保昇前理事長が退職の事実がないのに退職金を受領していたことなどについて、「あきれてものが言えない」と批判した。前理事長を批判する資格が鬼追氏にあるのかどうか、私は問いたい。

  (朝日、2009年05月16日。声欄)