ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育、自分の思想と行動を語ること(教養の条件、その1)

2006年01月10日 | カ行
 大学の教養教育をどうするかといったこともあって、教養とは何かということが問題になることも多いようです。私はこの問題に個別的な事柄を考える中から近づいていきたいと思います。

 (2002年)02月25日の朝日新聞の「私の視点」欄に阿部謹也氏の「人事の刷新で新風を入れよ」と題する文章が掲載されています。肩書は「共立女子大学学長」となっています。括弧して「元国立大学協会会長」とも書いてあります。よく知られていますように、氏はかつて一橋大学の学長をしておられた方です。専門は西洋中世の歴史だと思います。

 この中で氏は2つの事を提言しているのだと思います。1つは国立大学を主として念頭に置いたものです。それは、「大学が或る方向を目指そうとしても、あるいは学長が先進的な改革案を提示しても、それは実現できない。なぜなら、人事が専門分野ごとに先任者の関心や人間関係や出身大学の関係で決められるからだ」というものです。

 だから「大学改革は、何よりもまず人事で新しい人を迎え入れることから始めなければならない」というのですが、その具体案は示されていません。

 もう1つは、私立大学を念頭においたものかもしれませんが、大学全体にあてはまる事です。それは「大学で現在与えられている『学問』は学生たちが求めているものに応えていない。彼らの心に訴える授業がなされていない」というものです。

 氏の考えは「教えるとは、ともに希望を語ること」だそうですが、ここでもそのような「学生の心に訴える授業」にしていくための具体案は示されていません。

 第1点に関しては、まず、どんな方針もそれを実行するに相応しい人事を伴わなければ画に描いた餅であることは氏の言う通りだと思います。

 しかし、すぐに私の念頭に浮かぶ疑問は、氏がこのような国立大学の根本欠陥に気づいたのは、学長をしてみて改革をしようとしたがそれが出来なかったからなのか、ということです。

 それならば、どういう案を出して、どういう努力をしたがそれが挫折したのかを具体的に書くべきだと思います。

 逆に、学長になる前からこういう根本欠陥を知っていたとするならば、なぜ学長を引き受けたのか、その理由を書くべきだと思います。

 こういう風に自分の思想と行動を踏まえて発言するのが「教養の第1条件」だと思います。氏のこの論説にはこの点が欠けています。

 私は専任教官ではありませんから、内部事情に詳しくはありませんが、一般的に言って「組織はトップで8割決まる」と考えていますし、学長の権限はどんどん強まっていますから、やろうと思えばかなりの改革が出来るはずだと思います。阿部氏に改革ができなかったとするならば、それは氏に能力と情熱が欠けていただけだと思います。

 一つの例を挙げますと、一歩を譲って誰を教授に採用するかはしがらみで決まっていて学長には決められないとしましても、大学教授の最大の問題であるアルバイト(他大学での授業)は学長の許可事項です。これは教育公務員特例法に定められていることです。

 学長の方針に従わない教授にはアルバイトを許可しなければ、あるいはアルバイトを全廃すれば、相当の効果があると思います。阿部氏は学長在任中、このアルバイトの問題にどう対処したのでしょうか。それをぜひ聞きたいものです。

 第2点についても、氏は現在学長をしているわけですから、その考えを実行するためにどういう具体策を打ち出してどういう成果を挙げているのかを書くべきです。これを書いてくれなくては意味がないと思います。

 阿部氏は日本を代表する知性の1人のはずですが、こういう社会的な発言では、自分の思想と行動を踏まえて物を言わなければならないということすら知らないようです。

 トップがこれではその下に立つ人々や学生が教養のない人間になるのは当然だと思います。これでは日本は世界で尊敬される国にはならないと思います。

      (2002年04月10日発行)