ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第275号、ネットと民主主義者

2007年04月26日 | 政治関係
教育の広場、第275号、ネットと民主主義者

 民主主義は言論で戦うものです。それは迂遠な方法ではあると思
います。言わば漢方薬みたいなものだと思います。副作用があまり
なくゆっくり効くのです。劇薬ではありませんから、一部の人にと
っては物足りなく感ぜられると思います。しかし、人類は長い間の
経験の中から、民主主義が一番「悪くない」という結論を引き出し
たのだと思います。それは必ずしも「好い」方法とは言えないこと
もあるでしょうが、他の方法に比べれば「悪くない」方法だと思う
ようになったのです。

 従って、民主主義にとっては言論の手段がどれだけあるかが大き
な問題になります。近時のネットはそれを完全にとは言えないが、
大きく改善してくれたと思います。

 社会の統治機構の枠組みと言うかインフラは法律が決めますが、
それは実際には公務員によって運営されます。その公務員は、選挙
などで選ばれる者、その選ばれた者に任命される者、それらに関係
なく任務に付く一般公務員、の3種に分けられます。アメリカでは
第2の政治的任命公務員が大きな比重を占めているようですが、日
本ではそれはまだ大きくありません。

 さて、公務員はそれぞれ情報を持ち扱っています。その情報は原
則として公開されるべきであるというのが、最近の民主主義の基本
です。それによって、権力や官僚の腐敗や不正を防ぎ、是正できる
からです。

 前提はこれくらいにしまして、私の経験から述べますと、行政の
持っている情報は「公開」という観点から見ると3種に分けられま
す。

 第1は「行政が自分から進んで広報誌などに発表する情報」であ
り、第2は「市民が聞けば教える情報」であり、第3は「聞いても
教えない情報(情報公開条例で公開が禁止されているもの)」です


 第1の進んで公開する情報については、その公開の仕方に問題が
あります。その特徴は「全体像が分からないように、真相が分から
ないような形で公開する」ということです。ヘーゲルの「真理は全
体的なものである」という言葉の正反対なのです。

 第2の「聞けば教える情報」は、普通に考えられているであろう
より、はるかに多いです。

 第3は仕方ありません。法律か条例を変える以外にないでしょう
が、それはかなり大変です。

 市民の対処方法としては、第1の公開情報を丹念に読んで問題点
を発見してその疑問点を聞いてみることであり、生活の中で疑問に
思った事をまず聞いてみるということです。第1と第2を組み合わ
せて真相を明らかにしてゆくというものです。そして、これを行う
とかなりの事が分かるのです。

 しかも、ネットのある今では、メールで質問して返事を受け取る
ことが出来ますからとてもやりやすくなっています。メール以外は
電話を使う程度で十分です。出掛けていく必要はないのです。これ
だけならたいていの人が出来ると思います。

 この2つを継続的に実行し、受け取った回答を整理して保存し積
み重ねていくのです。すると、与えられた情報の読み方が深く鋭く
なり、次の質問の仕方がうまくなるのです。要するに、学問研究と
同じなのです。

 1例を挙げます。どの自治体でも毎年1回、「職員給与のあらま
し」というものを広報誌に発表しているはずです。これは法律で定
められているようですから。その中の「平均収入」といった所を見
ますと、それは「予算ベース」でのそれなのです。つまり、人件費
として予算にいくら計上してあるか(これが「総額」)と、それを
対象者数(人数)で割ったものが「平均年収」として発表してある
のです。実際に支払われた年収に基づいた数字ではないのです。こ
れは総務省がそう指導しているそうです。

 しかし、ある質問をした所、平成16年度の旧浜松市の職員が実際
に受け取った年収(源泉徴収票にあるものと同じ額)について一番
多い人(額)、 501番の人、1001番の人~最低の人(これは新人な
ので9ヵ月分)の数字を聞くことが出来ました。このような数字を
入手するのはとても難しいそうで、この年は偶然記録を取っていた
とのことでした。源泉徴収票は税金以外には使ってはいけないこと
になっているからです。

 私は今回の浜松市長選挙に大きな関心を持ち、昨年(2006年)の
7月末に早くも「浜松市長の条件」を発表し、現職に対する対立候
補が出てからは、いくつかのブログで論陣を張りました。

 沢山の意見を発表しましたが、それはいずれもここ数年の調査研
究に基づいたものでした。特に、明確な数字を挙げて論じたもので
は「合併の真実」が反響を呼びました。これは、浜松市の合併は財
政の合理化が目的の1つなのに、実際には合併によって職員給与の
総額が約 370億円から約 377億円に増えていることを明らかにした
ものです。この数字は2004年度に自治会長をしていた時に独自に調
べておいたものが基礎になっています。

 つい最近も新市長の教育行政の前途多難を予想した「子ども第1
主義の実行」を発表しましたが、そこでも「現在の教育委員の残り
任期」を具体的に示して論じました。

 もう少し大きい構想としては、前々から提唱しています「カウン
ター・ホームページ」を作りはじめています。

 特に学校(大学を含む)のカウンター・ホームページ、あるいは
そこまでいかなくても「学校ホームページの1つ1つについての批
評」は大きな意義を持ちます。学校の事は子どもがその学校に通っ
ていないとなかなか関心を持ちにくいですが、その時には「子ども
を人質に取られている」ということで批判しにくいからです。直接
の関係のなくなった住民が継続的に監視する必要があります。そし
て、それをネットに記録していくことです。

 ある時、インターネット新聞のJanJanに、公務員の期末手当ての
計算における「加算措置」というものを暴露した記事が載りました
。これに対して私はコメントを書き、「市民が自分でカウンター・
ホームページを作るべきだ」と言いました。そうしたら、「それは
行政が自分ですることだ」というとんちんかんな返事がきました。


 行政に任せていたら本当の事はいつまでたっても分からないから
市民の自主的な活動が必要なのです。そして、そのための手段が今
やネットに与えられているのです。

 私の率直な印象では、JanJan記者を含めていわゆるジャーナリズ
ムというのは「犬の遠吠え」でしかないと思います。別の譬えを使
うならば、マスターベーションのようなもので、何も生まれてこな
いと思います。例外は、行政や力の強い人々と直接戦った経験を報
告している場合だけです。


教育の広場、第274号、子ども第1主義の実行

2007年04月22日 | 政治関係
教育の広場、第274号、子ども第1主義の実行

 康友さんのマニフェストのトップに掲げられているのが「子ども
第1主義」です。その内容を見ますと、育児などの支援を主として
考えているようです。しかし、この言葉を聞いて普通、期待するこ
とは「学校教育を子ども第1主義にしてほしい」ということだと思
います。そして、この事自体には康友さんも全然異論はないはずで
す。

 そこでこれをどのように実行するかが問題になるのですが、それ
を考えるためにまず確認しなければならないことは、現在の浜松市
の教育行政は何を第1にしているかです。それは「消化試合校長第
1主義」と言えると思います。これは他の公共団体でも、教員上が
りの人が教育長になっているところでは品川区以外はほとんど同じ
です。

 なぜこうなるかと言いますと、教育長に上り詰めた元教師(元校
長)は、自分だけが教育長になって60歳の定年後も1千万をはるか
に越える年俸(浜松市なら1330万円。なお校長の年俸はみな1千万
を越えています)を取ることに成功したのだから、それの出来なか
った他の校長を叱ったりすると、「なんだ、あいつは。自分だけ旨
いことをしやがって」と恨まれるからです。

 私は何人かの校長の問題点を指摘して、教育長に「指導」を求め
ましたが、いずれの場合も、自分で現地に足を運んで調査すること
をしないで、「~と聞いています」とか、「指導の必要はない」と
いった返事しかもらえませんでした。

 さて、市長が教育行政に関してどんな考えを持っていたとしても
、それは直接自分では実行できません。教育行政は教育委員会が主
導するものです。今の教育委員会に「今後は子ども第1主義でやっ
て下さい」と言ったとしても、教育委員会は「これまでもそうして
きました」と言うでしょう。そして、消化試合校長第1主義を続け
るでしょう。

 従って、本当に子ども第1主義を実行しようと思ったら、教育委
員を代えなければならないのです。しかし、教育委員は任期が切れ
るまでは市長でも勝手には代えられません。現在の浜松市の教育委
員の残りの任期は以下の通りです。

 山本委員  平成20年10月03日まで
 熊田委員長 平成21年03月31日まで
 中野委員  平成21年10月02日まで
 須藤委員  平成22年09月30日まで
 高木教育長 平成23年03月末まで
 (残りの任期の短い順)

 このように考えると、前教育長の土屋さんが3月末で辞めた時、
北脇市長が次の教育長を空席にしておかないで、早々と高木さんに
決めてしまったことは、自分が負けた場合に康友さんの足を引っ張
るという目的からは見事な方法だったと思います。

 しかし、これが現実なのです。康友さんはこの条件を前提して出
発するしかないのです。しかも市議会多数派の北脇派は康友さんに
意地悪をしようと待ち構えていると思います。では、この悪条件下
で、康友さんはどう自分のマニフェストを実行するのでしょうか。
ブレーンに智恵者はいるのでしょうか。


教育の広場、第271号、北脇「理論」のお粗末さ

2007年04月07日 | 政治関係
教育の広場、第271号、北脇「理論」のお粗末さ

 北脇さんの論法は、合併や政令市化の経緯を一番良く知っている
のは自分だから、市長にも自分が一番適任なのだ、ということのよ
うです。これを理論的に検討してみましょう。

 第1点。もしこの論法が正しいとすると、どんな地位でも前任者
が一番良く知っているのだから、交代させるのは原理的に間違って
いるということになると思います。これでは民主主義ではないと思
います。

 戦後、本格的な政権交代のないのは先進国の中では日本だけです
が、このために日本は本当の民主主義国ではないと言われています
。ことほどさように、民主主義にとって政権交代は重要なのです。


 第2点。たしかに、合併や政令市化の経緯を一番良く知っている
のは北脇さんかもしれません。では、どうしてこうなったのでしょ
うか。その最大の理由は、北脇さんがその仕事について必要かつ十
分な報告をしてこなかったからだと思います。

 思うに、ある程度以上重要なポストに就いている人は、自分に万
一の事があった場合でも人々に迷惑をかけないように、自分の仕事
を整理し、適当な形で記録を残しておかなければならないと思いま
す。そして、公的な立場の人は「週間活動報告」を発表しなければ
ならないと思います。

 しかし、北脇さんは毎週のメルマガに「式での話」を載せるだけ
です。私が、市長、助役、収入役、部長、総合事務所長等の頁をホ
ームページに作って、「週間活動報告」をするようにしてくれ、と
要求したのに対して、その必要はない、と答えたのは北脇さん本人
です。北脇さんは自分のこの言と行の不一致をどう考えているので
しょうか。

 第3点。別の観点から考え直しますと、本当に北脇さんは一番良
く知っているのか、という疑問が浮かびます。一般にも、自分が自
分の事を一番良く知っている、という言い方がありますが、その反
対に、他人から見てこそ本当の事が分かる、という言い方もありま
す。この2つは矛盾しています。では真相はどうなのでしょうか。
北脇さんはこういう問題を考えたことすらないようです。

 第4点。これと結びついていることとして思い出すべき事は、「
知っている事と理解している事とは違う」というヘーゲルの言葉で
す。北脇さんは、自分が優秀な成績で卒業した東京大学というのは
非哲学的な大学であることをご存じないようです。だから、「知っ
ている」だけでいいのだと無邪気に思い込んでいるようです。

 北脇さんは、やはりしばらく仕事を休んで、これまでの人生を振
り返り、広い世間を見て、今後の人生をもう一度考え直した方がい
いと思います。そのようにさせてあげるのが本当の親切だと思いま
す。