ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

京都の妙心寺で法要

2005-07-16 22:42:16 | Weblog
早朝岐阜を発ち、在来線で1時間50分。
2年ぶりの京都です。
米原を過ぎると電車のお客さんの言葉が関西弁に変わるので、いつも不思議だなあって思います。
今日は義兄の13回忌です。
義兄は腕のいい整形外科医ですごーく素敵な人でした。
50歳の若さで胃がんで亡くなりましたが、何をやっても出来る人で、それでいて、人情があつく、憧れの義兄でした。
お兄さんの大親友の内科の先生も東京から来てくださり、京都の右京区にある、妙心寺で
13回忌法要が行われました。
妙心寺は私の大好きなお寺です。
山門を一歩入ると、そこはまるで別世界のように静かで、ここだけは時間が止ったような空間が漂っています。
京都の街並みがどんどん開発され、古都の雰囲気がなくなりつつあるのに、
妙心寺は何年経っても変わりません。
いつも、やさしく私を迎えてくれます。
法要が終わって、隣にある花園会館で義兄をしのぶ会が行われました。
お兄さんの思い出話に、久しぶりに義兄の親戚の方たちと話がはずみました。
義兄が天国から照れくさそうに笑っているような温かな雰囲気が流れました。


今日は京都は祇園祭の宵山。
祇園で宵山にでかけるのでしょう。浴衣姿の人が目につきました。
コンコンチキチーのお囃子に誘われて四条河原町から祇園に行きたかったけれど、
早々と京都を後にしました。
ゆっくり青春時代をすごした思い出の場所をゆっくり歩いてみたい。

なつかしい友達と、、、、、

行方不明騒動

2005-07-16 00:17:30 | Weblog
この2日間、生きた心地がしないほど心配なことがありました。

13日水曜、仕事を終えて帰ってきた長男ヒロが「床屋に行ってから、銭湯に行ってくる」
と言って家を出ました。
最近、銭湯に凝っているヒロですので、何の不安もなく送り出しました。
帰宅が遅いので心配していたら、10時45分携帯電話から聞き取れないほど早口で電話がありました。
かけなおしても早口で話して電話をきってしまうので、どこへ行くか、どこにいるのか、わかりませんでした。
結局、この日は帰ってきませんでした。
最近、お給料が以前よりたくさんまらえるようになったので、ヒロの深夜バスでの旅の回数が
多くなってきて、注意したばかりでした。

この一ヶ月も経たないうちに、岐阜高山  仙台と旅し、最近神戸に行きたいと言う話を
していましたので、「多すぎます。旅は一ヶ月に一回にしなさい」と注意したばかりでした。
だから、私に内緒で深夜バスで神戸に行ったと思ってその日はいちまつん不安を抱えながらも
明日になれば、「おかあさん、神戸に着きました」と電話があると思っていました。

今まではどんなときでも着いたら電話をしていましたから、、、、、
翌日、着いたという電話もない。携帯に電話をしても電源が切れているらしく、出ない。
それでも、夜になったら帰ってくると思っていました・
今までは2泊したことはありませんでしたから、、、、
東京の仕事を終えて夜11時になっても帰ってきません。連絡もありません。
だんだん、不安がつのり、悪いことことばかり考えるようになってきました。
不安な気持ちは抑えきれなくなり、警察に電話しました。
「明日帰ってこなかったら本人の写真を持って来て下さい」ということで、私と次男は
なす術もなく、長い時間をただ悶々と過ごすしかありませんでした。
当然、食事も喉に通りません。寝られません・
寝られないまま長い夜が明け、私は神戸から深夜バスで帰ってくると思っていました
インターネットで調べたら神戸からの深夜バスは東京に7時30分に着くとのことで、
それなら、9時には家に着くだろうと思っていました。
それでも、電話もないし、帰ってきません。
9時過ぎ私は次男と一緒にヒロの写真を持って、警察に行きました。
「軽い自閉の障害があります、療育手帳を持っています」など、ヒロに関する調書をとられました。
何の解決もないまま、家に帰りました。
私も次男も、不安がボルテージに達したとき、10時30分ぐらいでしたでしょうか、
ヒロの明るい大きな声「ただいま」が聞こえた瞬間、私と次男は床にへたりつくぐらい緊張していた体の力がぬけ、
安堵の声を同時に発しました
「帰ってきた。ヒロが よかった」その後、私も次男も「どこへ行ってたの?」と声を荒げて
聞きました。
何と神戸でなく、盛岡。
本人は休日が2日間あるので、東北に行く予定を前から計画していたようなのです。
東北に行く言うと母親や次男に反対されると思って、黙って行ったようなのです。

考えてみたらヒロは小さいときから母親の私のロボットのように素直に生きてきました。

私の言うとおりに反抗することなく、どんな時も母親は背後霊のように見守り、
現在に至っています。
今回の行方不明騒動は、自分の意見を通したということで、母親の手から離れた23歳の青年になりたかったのかもしれません。

私は先日見た、「マラソン」の映画のワンシーンをヒロとの今回の事件がオーバーラップ
していました。
就労の実習に明け暮れていてマラソンのトレーニングをしていない状態で、マラソン大会の会場に
行く場面がありました。
母親が危険だからマラソンをしてはいけないと、反対している中、母親の手を振り払い
マラソンを走り出す場面がありました。
今まで素直に母親の言うとおりに生きてきたこのマラソンの主人公は初めて自分の意思で
行動をしました。
ヒロも盛岡に行くという自分の意思をどうしても貫きたかったのでしょう、
自立の一歩と捉えてあげようと思います。
でも、連絡は必ず入れてね。ヒロ君。
携帯の電源が切れて、東北には公衆電話がなかった。という言い訳は通用しませんよ。