秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

「天満やけ」後の堂島、北新地

2021-12-21 | 世情雑感
先の記事、曽根崎新地と蜆川の続きです。
堂島が気になるので調べたこと追記しておきます。

40年以上前あの辺りに通勤してた当時も、
堂島という地名は心に留まるものがありました。
ちょっとした疑問はよっぽどでない限り忘れ去られていきます。
今と違って簡単にネット検索できませんからね。






20年ほど前、堂島アバンサ堂島薬師が再建されたニュースは覚えてた。
新しくなった薬師堂は127枚のガラスが球状となり覆われた祠で近未来的というかキテレツそう。

気にはなってもわざわざ出向く機会もなくて、それっきり。
ところが、



あの放火による大惨事があった堂島北ビル、
そのすぐ下に何故か堂島アバンザが明記されてる。
元曽根崎川の桜橋あたりに堂島北ビルがあり、堂島アバンザは曽根崎川沿岸ですね。

記憶が蘇りました。

今は不思議に思ったことがすぐ調べられるので興味は尽きない。
毎日学生時代のレポート書いてる気分です(^^)
暇つぶしにもいいですね。






推古天皇の勅命により聖徳太子が四天王寺創建の際、
建築資材運搬船が暴風で難破し流れ着いた中洲に堂宇を立てた。
その日本最古ともいわれるお堂が地名の堂島に。
難波の守護として信仰を集めたと書かれてます。
堂島薬師堂には井戸があり、その水を汲んでお供えするのが習わしだったとも。

堂島アバンザに建て変わり井戸はなくなったので、
2004年(平成16)3月から堂島薬師堂お水汲み祭りがスタートしたようです。

来年2022年の予告は



以上、画像並びに情報は
堂島薬師堂 節分お水汲み祭り よりいただきました。



元あった蜆川(曽根崎川)が、1909年「北の大火」被災瓦礫で埋められた。
堂島や曽根崎を焼け尽くしましたから。

「大阪市消防の歴史」によれば、
「罹災地面積36万9438坪(約122ha)、東西1840間(4100m)、
幅員(南北)の最も広き所300間(545m)に達し・・・
焼失戸数1万1365戸、主なる建築物の焼失したもの、官公署11、学校8、
銀行4、公社10、神社4、寺院16、巡査派出所9を算し、橋梁の焼失21に達した」

「北の大火」火元は空心町で、なんで別称「天満焼け」とも呼ばれるのだろう?

大阪天満宮はどんな被害があったか調べてみると、
本殿に水かけて屋根に水含ませたムシロ敷き詰め延焼免れたそう。

しかし、お初天神は




堂島と曽根崎が地続きとなり北新地と呼ばれる今、
堂島薬師堂に寄せられた思いも知らなかったのでした。

今冬の火災現場鎮まった頃には、堂島薬師堂へ行きたいと思います。




2 コメント

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Unknown (雷音寺)
2021-12-27 22:43:30
考えたら曽根崎新地の付近で交通量調査のバイトをした事がありました。
今回の火災は北の大火と何らかの因縁があるのでしょうか。

堂島薬師堂は聖徳太子の創建なんですね。
今年は聖徳太子の遠忌1400年であるのも意味がありそうです。
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雷音寺さんへ (ulala)
2021-12-30 15:21:25
大阪にご縁おありでしたか。
大阪駅近辺もずいぶん様変わりしてますね。
昔の郵便局あたり西口の開発進んでますが、ちょっと不安。

年代的に千日前の大火災ご記憶あるか不明ですが、あれは凄まじかった。
跡にできたプランタンというダイエーの百貨店、結局閉店間際に一回行っただけです。
やっぱり陰気臭かった。
土地に蓄積する思いとかあるような気がしますね。

>今年は聖徳太子の遠忌1400年

そうだったんですか。
やっぱりコロナの影響でお出かけ激減しましたが、
年明けたら四天王寺行こうと思いました。
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