秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

三郷町役場跡石碑と、紅梅

2023-03-04 | 日々是好日
今週3本目の梅のご紹介です。
どれもみなご縁ありまして…




奥に見えるクリーム色の建物は、
さくら小学校と併設の市立三郷コミュニティセンターです。

この紅梅は、三郷町役場跡地向かいのお家に植ってます。

角に石碑立つのは知りつつ、普段は自転車で通過するのでスルー。



近隣地域ポステイングで歩いててじっくりみました。


ずらずら〜っと歴史書かれてまして、後半に、
「この場所はかつて三郷町役場のあった場所です。
また、この場所には明治7(1874)年に茨田郡村立尋常小学校、後の市立三郷小学校が所在し…
平成30年橋波小学校と統合してさくら小学校となり、
令和3年にさくら小学校新校舎として…」


前半同様、文末の元号年にも西暦補足して欲しいな。
平成30(2018)  令和3(2021)


ざっと読んだだけでは前半の歴史が頭に入らなかった。
難しいこと書いてるわけじゃないのにね。

ブログ書くにあたり精読(^^)


江戸時代までの河内国茨田郡は、
明治18(1885)年大枝村、世木村、馬場村の3村合併し高瀬村に。
明治22(1889)年町村制施行により、その高瀬村に、橋波村、寺方村が合併して三郷村へ

戦前の昭和11(1936)年に三郷町となり役場ができた。
戦後昭和21(1946)年三郷町と守口町が合併して守口市となった。


詰まるところ、
三郷の名前の歴史は明治22年に始まり、昭和11年村から町になった。
その町役場跡であり、小学校もあったということ。

詳しい歴史はいいから、
高齢者にもスッと入る文章にして欲しい。




2/28に梅2本載せましたが。
最初の盛泉寺さんで義母の葬儀させてもらいました。
1993年のお雛さんに亡くなったのでちょうど30年です。
当時の住職母屋は後に建て替えられ枝垂れ梅も植えられたのでしょう。
今もお掃除行き届き気持ちのいいお寺です。


二つ目の梅の全景撮りました。



こちらのお家の奥さまは先輩保護司でした。
随分前に辞められて多分もう彼方へ?
今までこんな梅の大木あるの気づきませんでした。


そして今日投稿の3つ目の梅の木。
こちらではお地蔵さんのお祭りされてます。
幼い子どもの提灯作ってぶら下げてもらってました。
2000年のお地蔵さんに父が他界するまでお供えしてました。
あれからもう23年、下の娘も今年は不惑。
月日の流れ早いです。





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