道頓堀の続きです。

たぶん今世紀になってから初めて行ったぐらい、ご無沙汰でした。
半世紀前、高校から大学時代にお百度参りくらい親しんだお不動さんです。
千日前にある伊勢海老の中納言へ行くのに、
戎橋でリバーサイドから道頓堀筋へ入ると

EXPO2025のモニュメント出来てました。
みゃくみゃく様といい、なんかようわからんオブジェです。
コロナ大阪ワクチン、結局は失敗したのですが、大金引き出したアンジェス?
あのトップが万博のプロデューサーになってるとか。
このオブジェから10mほど進み、超細い路地へ

ここ抜けたら法善寺横丁に出ます。
♪ 包丁一本さらしに巻いて〜
あの一世を風靡した歌のセリフ
こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは
「藤よ志」に奉公に上った晩やった。
「早う立派な板場はんになりいや」ゆうて、
「藤よ志」に奉公に上った晩やった。
「早う立派な板場はんになりいや」ゆうて、
長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなぁ
あの晩から私は、私は、こいさんが、好きになりました。
あの晩から私は、私は、こいさんが、好きになりました。
この演歌は昭和35年発表でした。
幼稚園から小学校に上がる前で、その頃我が家に初テレビ📺
きっと歌番組で観てて心に刻まれてたのでしょう。
高校は南海高野線の堺東駅にあり、急行で10数分でターミナル難波駅です。
テスト終わったらいつもミナミへ、
戎橋北詰のキリン会館で二本立て洋画観るのが定番過ごし方。
録画やレンタルビデオ時代前で、安い映画館しか足繁く通えない。
日立ホールで漫才みる時もありました。
テレビ中継してる日だと「映ってたで」と言われたことも。
「制服着て行くなよ」って。
観客席で大笑いしてた映像流れてたようです。
当時は桂三枝がデビューして間もない頃でした。
その後吉本の2丁目劇場の前身だと思います。
そうした娯楽のついでに必ず立ち寄ったのが法善寺横丁水掛不動でした。

お水で苔むした様は変わっていません。
と書いたものの、ひょっとして頭やお顔は苔で覆われてなかったかも。
胸から下が苔だったような気がしないでもない。
記憶って定かじゃなくて作られることもあるから。

西向不動明王
この石柱に初めて気づいたのでした。
当時はこの参道沿いにあるインディアンというカレーやさんよく行きました。
いろんなことのほんの一部しか観てなかったんだなぁとつくづく。
あのキリン会館はどうなったんだろうと調べてみました。
多数の道頓堀の歴史がヒットして読み耽ってしまった。
こちらのブログ2007年6月の記事によれば、
>1980年代中頃まで、緑色タイル張りのキリン会館があり、
戎橋筋に面した壁面には巨大なビールの神(ガンブリヌス)のレリーフが飾られていたことを覚えている。

1987年にはキリンプラザ大阪というビルに建て替わってたようです。
子育て真っ最中でミナミへ来ることなかったもの。
そして20年後、2007年10月には閉館してました。

そして今は
ほんと青々とすごい苔ですね。
ulalaさんの高校時代の思い出がとても面白かったです。これだけでもすごく楽しんでた感じが伝わってきました。
いつか大阪来られたら、道頓堀の飲食店のでっかい看板も必見(^o^)
高校時代、お笑い好きみつるちゃんと日立ホール何度か行きました。
戎橋劇場はほとんど1人で、映画の好みありますもんね。
ものすごくたくさんの洋画を観まくった青春期でした。