![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/36/00dc0241b9d7e7f728edab1359340e03.jpg)
春の行楽シーズン、西国33箇所の京都市内4寺の朱印を賜りに出かけました。
午前10時ごろ京阪三条について、まずレンタサイクルを借りました。
まだエネルギーがある午前中に、坂がキツイ音羽山の清水寺(16番札所)からスタート。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3c/97e1de9daf3b46a432b708a49d58645f.jpg)
続いて補陀洛山 六波羅蜜寺(17番札所)へ行く前に、
すぐ近くにある六道珍皇(ちんのう)寺の見学をすることに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/595c04f4ea4bef1a95e48b52b23cd4f7.jpg)
京都市東山区松原通 東大路西入ル
たまたま今日から特別公開で拝観料800円が必要でした。
え~、拝観料無料だと思ってた。。。
しかしこれも何かの縁と学生ボランティアの説明をしっかり聞いてきた。
本尊の薬師如来坐像(重文)をはじめ、
寺宝の地獄絵「熊野観心十界図」などが間近に拝観できますが撮影禁止です。
境内はいってすぐ右手に薬師堂、続いて閻魔堂、迎え鐘の鐘楼が並んでます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b5/178323942c68e4001723de36cd17fe47.jpg)
画像は入口とは逆に本堂の方から撮影
土壁で囲われた鐘楼の中に迎え鐘があり、
鐘を突くのではなく、外に出た紐を引くと中でぽ~んと鐘がなります。
お盆には、この鐘をついて先祖の霊を迎え入れる「六道まいり」がおこなわれます。
六道珍皇寺は、冥界と現世との境「六道の辻」に建つ寺です。
平安前期の延暦年間に開創され、古くは愛宕(おたぎ)寺と呼ばれ周辺が風葬、鳥葬の鳥辺野の高台でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a0/8ef715d5664b3503880a069c3375ad1f.jpg)
「六道とは仏教の説く六道を輪廻の死後の世界のことで
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の6つの世界をさす。
生前の善悪の業により六道のいずれかに赴くとされ、珍皇寺はこの6種の冥界の入口にあたり
こここそが人の世の無常とはかなさを感じる『あの世とこの世』の分岐点と信じられてきた。
この寺と冥界にまつわる伝説がもう一つある。
それは、平安時代初期の官僚で、閻魔大王に仕えたとされる小野篁(たかむら)は、この珍皇寺の裏の井戸を使い、夜毎冥界へ通ったという。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/9d/b960bd79922662468d434706a0cf61d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/da/2e2dc8354c405f1be8178e23029dceea.jpg)
本堂裏には冥界に通じる井戸があり、普段は格子戸からのぞきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/59/6e70c289af122e733267e0cd23113abd.jpg)
しかし今日は特別拝観で本堂中に上げてもらえますから、
庭の鬼門にある井戸がしっかり見えて撮影してた。
すると、ココは間近で撮影するとやばいそうですよ
とボランティアの男子学生さんが注意してくれた。
それで撮影した画像を一緒に見ながら、
真正面から撮影したものは削除して、少し遠くからのものならいけるだろうと…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/45/4c2558eadc3ffc9361e4769bac7c0491.jpg)
何か写ってたらと、PC画面で画像を確認するまでドキドキものだった。
閻魔堂に、仏師でもあった小野篁が檜材から制作した閻魔大王坐像が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b8/6f09cd531fc1aa8d9c449caf7de63367.jpg)
小野篁立像は江戸時代に制作されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e0/e4df920df40304af8b44c47d2e33a27b.jpg)
通常は格子越しに拝観できてもかなり見にくいようですが、
今日は特別拝観で扉が開け放たれてよく見えました。
しかし撮影禁止のためネット検索で画像もらってきました。
衣冠束帯姿をし、身長6尺2寸(約186cm)
袖の広がりは、井戸から冥界に降りた立ったとき風を受けて膨らんだ様子を表わしてるんだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a1/534e7a428528195ffc9c392a849b010a.jpg)
半眼の眼光鋭くじっと見つめられているようでちょっと怖い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/1d/13229af4b3b827db28eb40e38eaa2427.jpg)
小野篁は、聖徳太子に仕えた小野妹子を先祖に持つエリート家系に生まれた。
歌人として有名な小野小町は篁の姪にあたります。
父岑守が陸奥の守として奥州に赴任するのに同行し、少年時代は狩や弓馬にあけくれた。
36歳のとき遣唐副使に任命されたが、正使である藤原常嗣の乗船する第一船に欠損が発見され、
篁が乗船予定の第二船と取替えよとの詔に反発し、破損した船での渡航を拒否。
さらに疑問を感じていた遣唐使制度を「西道謡」という詩を作って風刺批判。
嵯峨天皇の逆鱗に触れ、839年隠岐に配流となりました。
難波(なにわ)より、隠岐へ向かう船に乗り出で立ちた時、詠んだ一首
わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり船
しかし僅か1年半で許され召し返され、
その後、蔵人頭、参議、左大弁を歴任し、不正を正し風俗を矯正するなど手腕をふるったそうです。
昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁に勤めたという冥土通い伝説は、
篁が都の治安維持にあたる検事のような役職に就くなど、都や人を取り締まり裁く役職を歴任。
また平安京の三大葬送地 (鳥辺野・化野・蓮台野)の整備と火葬をすすめ、
人々に自身の体験をもとに冥界や地獄の恐ろしさを説いたことによるものと考えられています。
午前10時ごろ京阪三条について、まずレンタサイクルを借りました。
まだエネルギーがある午前中に、坂がキツイ音羽山の清水寺(16番札所)からスタート。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3c/97e1de9daf3b46a432b708a49d58645f.jpg)
続いて補陀洛山 六波羅蜜寺(17番札所)へ行く前に、
すぐ近くにある六道珍皇(ちんのう)寺の見学をすることに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/595c04f4ea4bef1a95e48b52b23cd4f7.jpg)
京都市東山区松原通 東大路西入ル
たまたま今日から特別公開で拝観料800円が必要でした。
え~、拝観料無料だと思ってた。。。
しかしこれも何かの縁と学生ボランティアの説明をしっかり聞いてきた。
本尊の薬師如来坐像(重文)をはじめ、
寺宝の地獄絵「熊野観心十界図」などが間近に拝観できますが撮影禁止です。
境内はいってすぐ右手に薬師堂、続いて閻魔堂、迎え鐘の鐘楼が並んでます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b5/178323942c68e4001723de36cd17fe47.jpg)
画像は入口とは逆に本堂の方から撮影
土壁で囲われた鐘楼の中に迎え鐘があり、
鐘を突くのではなく、外に出た紐を引くと中でぽ~んと鐘がなります。
お盆には、この鐘をついて先祖の霊を迎え入れる「六道まいり」がおこなわれます。
六道珍皇寺は、冥界と現世との境「六道の辻」に建つ寺です。
平安前期の延暦年間に開創され、古くは愛宕(おたぎ)寺と呼ばれ周辺が風葬、鳥葬の鳥辺野の高台でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a0/8ef715d5664b3503880a069c3375ad1f.jpg)
「六道とは仏教の説く六道を輪廻の死後の世界のことで
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の6つの世界をさす。
生前の善悪の業により六道のいずれかに赴くとされ、珍皇寺はこの6種の冥界の入口にあたり
こここそが人の世の無常とはかなさを感じる『あの世とこの世』の分岐点と信じられてきた。
この寺と冥界にまつわる伝説がもう一つある。
それは、平安時代初期の官僚で、閻魔大王に仕えたとされる小野篁(たかむら)は、この珍皇寺の裏の井戸を使い、夜毎冥界へ通ったという。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/9d/b960bd79922662468d434706a0cf61d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/da/2e2dc8354c405f1be8178e23029dceea.jpg)
本堂裏には冥界に通じる井戸があり、普段は格子戸からのぞきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/59/6e70c289af122e733267e0cd23113abd.jpg)
しかし今日は特別拝観で本堂中に上げてもらえますから、
庭の鬼門にある井戸がしっかり見えて撮影してた。
すると、ココは間近で撮影するとやばいそうですよ
とボランティアの男子学生さんが注意してくれた。
それで撮影した画像を一緒に見ながら、
真正面から撮影したものは削除して、少し遠くからのものならいけるだろうと…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/45/4c2558eadc3ffc9361e4769bac7c0491.jpg)
何か写ってたらと、PC画面で画像を確認するまでドキドキものだった。
閻魔堂に、仏師でもあった小野篁が檜材から制作した閻魔大王坐像が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b8/6f09cd531fc1aa8d9c449caf7de63367.jpg)
小野篁立像は江戸時代に制作されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e0/e4df920df40304af8b44c47d2e33a27b.jpg)
通常は格子越しに拝観できてもかなり見にくいようですが、
今日は特別拝観で扉が開け放たれてよく見えました。
しかし撮影禁止のためネット検索で画像もらってきました。
衣冠束帯姿をし、身長6尺2寸(約186cm)
袖の広がりは、井戸から冥界に降りた立ったとき風を受けて膨らんだ様子を表わしてるんだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a1/534e7a428528195ffc9c392a849b010a.jpg)
半眼の眼光鋭くじっと見つめられているようでちょっと怖い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/1d/13229af4b3b827db28eb40e38eaa2427.jpg)
小野篁は、聖徳太子に仕えた小野妹子を先祖に持つエリート家系に生まれた。
歌人として有名な小野小町は篁の姪にあたります。
父岑守が陸奥の守として奥州に赴任するのに同行し、少年時代は狩や弓馬にあけくれた。
36歳のとき遣唐副使に任命されたが、正使である藤原常嗣の乗船する第一船に欠損が発見され、
篁が乗船予定の第二船と取替えよとの詔に反発し、破損した船での渡航を拒否。
さらに疑問を感じていた遣唐使制度を「西道謡」という詩を作って風刺批判。
嵯峨天皇の逆鱗に触れ、839年隠岐に配流となりました。
難波(なにわ)より、隠岐へ向かう船に乗り出で立ちた時、詠んだ一首
わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり船
しかし僅か1年半で許され召し返され、
その後、蔵人頭、参議、左大弁を歴任し、不正を正し風俗を矯正するなど手腕をふるったそうです。
昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁に勤めたという冥土通い伝説は、
篁が都の治安維持にあたる検事のような役職に就くなど、都や人を取り締まり裁く役職を歴任。
また平安京の三大葬送地 (鳥辺野・化野・蓮台野)の整備と火葬をすすめ、
人々に自身の体験をもとに冥界や地獄の恐ろしさを説いたことによるものと考えられています。
あの世から見れば、この世を映す鏡なんでしょうか。
昭和の日に英皇太子が結婚。
これも対構造なのかな。
認証数字が7557。
鏡数でした。
写真のせいかも(笑)。
さすがイギリス、規模を縮小してもみせますね~
キャサリン妃は350年ぶりの庶民出身なのであらたに紋章作られたと先だってのワイドsショーで聞きました。
日本の家紋といい、古今東西どこの民族も同じようなこと考えてるんですね。
小野家ってどんな家紋なんでしょうね。
小野妹子はきっと語学もできたかもしれないし、篁は186cmと体格立派で、小野小町も超美人と、それぞれが固有の日本民族と少し違ってるかも。
ところで、あの井戸は枯れ井戸だそうで、いつから水がないのかは知りません。
昨日はたまたま666めぐりとなりましたので、続きまた見てくださいね。
小野篁と縁のあるお寺なんですね!
今回初めて最初から朱印もらうのを目的で京都へ出かけたので、ちゃんと事前にコースを考えて効率的に回りました。
京阪三条駅でレンタサイクル借りて、清水寺、六道珍皇寺、六波羅蜜寺、ランチ休憩。
午後から六角堂、革堂行願寺、下御霊神社廻って3時には自転車返し5時間かかりました。
今の政治家 公務員に たとえると どういう立場の人かなぁ
この記事を書いてから、小野の一族のかかわった場所が目に付いて…
その後丹後半島へ出かけたら、小野小町が晩年過ごしなくなったようで、ゆかりの温泉がありその湯に浸かってみたかったです。
奈良の春日大社は、もともと春日の地に祀られていたのは榎本神で、春日地方の旧勢力であった和邇氏一族の小野氏が奉祭したと考えられているそうです。
また、小野氏が宮司を務める日御碕神社には、因幡、但馬、若狭などの商船が出入りし、奥出雲で生産された鉄などが取引されていたようです。
となると小野氏って、何かすごい歴史ある一族で、今の政治家では太刀打ちできませんよね。
小野氏は現世でも女性のが感じんですけど男性で感じる少ない一族と思ってます。グローバル気質もあります。和爾でもあるけど尾張の血も感じます。なのでこの頃は両氏がくっ付いた後だとも思います。ワニの男性は骨格が大きいイメージで、尾張は中肉の筋肉質で漁師的なイメージ持ってます。
小野は各地の地名にも残っていますが相当ふるいですし、閻魔さまと一緒にいたら正義感も半端ないでしょうね。今の時代ならば狙われやすい、悪の勢力からは目の上たんこぶだったでしょうね。ただこの家系女系は美人ゆえ不幸で毎回トラブルメーカーになってしまう。ただ嫁は善の所には悪が来やすいので気が強い女性は怖いですね。
春日の榎本社には今回は行きませんでしたが大好きな所で蜂がやたらきてました。小野と関係あるのは知りませんでしたけど恵比寿的で耳が聞こえなくて土地取られたとの伝説もあるので理解できます。多分言葉喋れなかっただけで耳は健在だとも。和歌でも実績あるのであれば相対音感とか芸術にもたけたのでは?清水寺もそもそも舞台なので舞とか雅楽とか猿楽とかの聖地にも感じます。
で風葬鳥葬ですけど、土浦で行った遺跡ではお顔に土器をかぶせるために土器を作って埋葬というかエリアを決めて置いて置く場所を分けていたようです。美豆良も出た場所で小町の関係もある地です。単純に高い所に置いておく形ではなく死者の尊厳を守る意識はあったはずの葬いと思いました。わざわざ土器作るんですからそれ用に。
それを思うと、ちょっと怖いような海外からの文化とは区別したいなあと思ってます。火と風の怖い部分はそっち由来なのではと思ってます。
残念ながら現実に小野の関係先に行っても合う合わないがあるようなのでこの一族には両方入っているので注意が必要です。ただ篁さんが閻魔と縁があるならば地蔵系で護られます。
お地蔵さんは誰にでも優しいので悪い者へNOが言える日本人をサポート出来るのが閻魔でしょうし篁さんには今後も見守って頂きたいですね。
東京の小野照崎神社ののぼりでは野はのは堅という字を使ってます。小堅ですね。オガタとか言う音だと面白くなりますよ。近江の小野の地は行けてない所ですけど、おごと堅田の観音堂とかも近いのでカタという音も気になってます。字も上手い一族は日本に漢字が伝わる前に石碑からいた可能性もありますので。
江戸時代の像みたいですけど何かを感じた者が後世のために何かを残すというのも大事そうですね。口伝とか木簡とか石碑とか金属への刻印とかも書物では火でやられちゃうのでやられない知恵なのでしょうね。
うららさまの縁、震災後ですね。意味ありそうです。8570、9019 反正さん19ですね、反正さんも小野気質あるのかな?
でもあれから6年経過してほとんど忘れてしまいました。
2011年4月から半年以上過ぎた11月に嵯峨野行った時に清凉寺で冥界の出口見ました。
2年前だったか矢田寺へ紫陽花見に行った時も地蔵つながりでヘェ〜とおもったのに、なんで繋がってたのか肝心なないよう忘れてしまった。
これより過去ログ読んできます。
ついでながら、京都から若狭への鯖街道は西と東二つあります。
出町柳から琵琶湖西岸の朽木あたりから小浜への東の鯖街道、小野氏ゆかりの神社とかあります。
西の鯖街道は金閣寺から鷹ヶ峰へ周山街道は美山を通り若狭の高浜へ、確か北山杉あたりにも小野氏ゆかりの諸々あったような。
まだ縁がなくて、どこもフィールド調査行けてません。
春日の榎本社にも関心お持ちですが、矢田寺にも春日社が鎮守でした。
ほか、小野の不思議について書いた記事
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/14d74d922df1045a16acd79e828ba331
でやはり風葬鳥葬こだわってますね。山の上の巨石も風が作った芸術です。そこに人間をというのも一般ピープルではそこにまで運ばないですし、また自分の意思ではいけないので慕われないといけないのですからね。輪島さん見ているとなんかかぶるんですよね、慕われ度っていうか後世に影響与えた人の最後ってなんかすぐ分かる。
ただはたからみていると野蛮だとかもちろん怖いとか思うのですけど、お互いのリスペクトがないと理解されないでしょうね。
私も友人が行ってるのでずっと行かないといけないと思ってるお寺です。けど父系で私は嫌われそうかと思ってましたけど少しづつ行って良いとの許可貰ってきたようにも勝手に感じてます。
お返事頂いてたんですね、参考サイトみてみますね。今最適なタイミングなのでしょうね。
ありがとうございます。7683
ただ人間ウォッチでは小野って場所へ行くのは注意してください。その筋の方でもお邪魔が強い場所がありそうです。地蔵か閻魔の護りを付けてたら安心だとは思います。昨日好きなサイトでも大津の小野に行きたいのを思い出したのですけど、古墳とかも色々な勢力のミックスした地なので安全確認出来てから行こうと思ってます。神だけじゃダメみたい、山岳信仰や真言宗やお世話になっている天台宗もヘルプして貰ってですね。7683
サイトみてみますね。