秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

さんりんぼう

2005-07-20 | 世情雑感
先だって占い師が、神様が何でも許して下さる日と言っていたので、
暦を調べていたら、7月9日は甲午 先負 六白 そして三隣亡。
どれがその何でも許される日なのかわかりませんでした。

そして明日も三隣亡の日なので、
宙ぶらりんになっている因縁事件について、明日完結したいと思っています。

が、「三隣亡」についてはちょっと面白いことがわかりました。

三隣亡(さんりんぼう)とは選日の一つで、その字面から、
この日に建築事を行うと、三軒隣まで亡ぼすという迷信があります。
少し前までは建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど、建築に関することは一切忌むべき日とされました。

ところが、三隣亡は古い暦注解説書には書かれていなくて、
江戸時代の本には「三輪宝」、屋立てよし、蔵立てよしと注記されているそうです。

すなわち、現在とは正反対の吉日だったのに、これがいつの頃からか、
明治以降らしいですが、屋立てあし、蔵立てあしと書かれるようになりました。  

これは、ある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま伝わってしまったのではないかと考えられています。 
後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで、同音の「三隣亡」に書き改められました。

 なんじゃあ こりゃあ~  です、ね。 

3 コメント

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昔の名前と今の名前 (またミミーです…)
2005-07-20 19:28:09
 因縁話はどうなったのか、気になっていますので、明日のブログを待つことに…

 ところで「三隣亡」はそういういわれだったのですか。1つ賢くなりました。「さうざうし(「そうぞうし」と発音し、今だったら「そうぞうしい」という言葉)という言葉は、昔は、夜の墓場のように寂しい様子を表す言葉だったし、「きりぎりす」と「コオロギ」、「鈴虫」と「松虫」は、昔と今と正反対になっています。探したらこういうものは、日本全国にいっぱいあるのでしょうね。私がわからないのは「婦」という字の意味です。今「婦」という字は女が帚(ほうき)を持っているーつまり「家事は女の仕事だ」という固定観念を表す言葉だと言われ、最近では、差別的な意味を持っているということで、使われなくなりました。「婦人会・婦人部」が「女性会・女性部」にという風に、「女性」という言葉に変えられました。私は個人的には「そうかなあ、婦人でもいいのになあ」と思っていますが、少数意見です。宮城谷昌光さんという中国の人物を小説にしている作家は、「婦」という言葉に差別性はない、むしろ中国古代では敬意を持って使われていたと書いています。正夫人を婦、国王の正妃を王婦と呼んでいたということです。果たしてどうなのでしょうか。むしろ未亡人とか、夫人とか言う言葉の方が女性を男性より低めた言葉だと思うのですが。PTAでも、いまだに「父兄」と言う人が多いですね。

 ま、それはともかく「三隣亡」勉強になりました。
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婦人 (おざさ)
2005-07-20 22:16:53
ミミーさんのコメントの中の婦人。全くもって同感です。更生保護婦人会も昨年度から更生保護女性会と名称変更になりました。ワケのわからん改変ですよね。義務教育のカリキュラムもいろいろいじくられていますが、私達団塊の世代前後がうけた教育、決して間違っていないと思いますけど。あの小中学生の時代に身に付けた知識、教養?で今なお十分役立ってますもん。
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本当の勉強って (ミミー)
2005-07-24 11:23:00
 ほんとですね。高校も今の3年生から新課程になっていますが、情報とか総合学習とかが入って、その分、家庭科や芸術の時間などが減らされています。今の家庭科は、高齢化社会や世代の対立・お金に対する考え方など、班別にテーマを設定して劇をつくらせたり(ロールプレーイングと言います)、1つの問題に対して2つの正反対の意見を2つのグループに分けて討論させたり(ディベートと言います)、生活上の法律や保険など、本当に生きていく上で大切なことを学習させてくださっていたのですが、それらが減らされて、さっきの新しい科目が導入されています。情報なんてつまりパソコン関係の勉強なんて、自分であるいは家庭で社会でできることだし、芸術教育は各家庭でなかなかできることではないし、子供達も好きな情操教育なので、学校で子供達が集団で学ぶべきことは何かを「お上」が考えて欲しいです。またほとんどの学校は、受験科目本位のカリキュラムになっているようです。でも偉い人の子供は、ほとんど私立の学校なので、本気で公教育を考えているとは思えないし、また、公立の学校の実体や、先生・生徒のことを知っているはずもない。実情を知らない人々の手でこの国の教育、そして、苦しい生活の実態を知らない恵まれた地位の人々によって政治が行われていること、それを認めている国民…私たちの世代は「老兵は死なず、消えゆくのみ。」しかないのでしょうか。
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