秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

四国86番志度寺 海女の墓★身を捨てて浮かぶ瀬もあり志度の浦

2016-01-09 | 古代史のミステリー


四国遍路の逆打ちは88箇所の最後から巡礼します。
なぜ行こうと思ったかというと、志度寺に行きたかったから。

12年前2004年7月に巡った時は寺の名前すら??
ところが2013年春、伊勢神宮まで歩くというウォーキングで
奈良市の興福寺南側にある猿沢の池を通りました。

そのときの記録は↓

猿沢池の不思議伝説
三条通りの東詰、猿沢池の西北角に采女神社があります。西向きの社殿で有名で、鳥居から社殿後がみえます。。...


流失する川、流入する川もないのに常に一定の水量を保っていて、不思議な池には、不思議伝説が残されています。

むかしむかし、猿沢池には、善達竜王という王様のような竜がすんでいました。
自分が住処にしているこの池にある女が身を投げました。
・・・中略・・・最後に“室生の龍穴”まで移って行った
という話です。


この「善達竜王」はいつからこの池にすんでたのかを調べると
謡曲「海人」「海士」がヒットし、西国88箇所の志度寺に行き当たりました。
こちら

内容は、藤原北家の祖・房前が、亡き母の追善のために讃州志度の浦にやってきたところ、母の亡霊が海人となって現れ、子と対面し自らが死んだ事情について語るというもの。

それを知ってから、いつか志度寺へ行こうと。
四国お遍路でかつて廻ったことあったのにね。
全く覚えてなかったから、今度こそちゃんと見てこようとチャンスを待ってたのでした。








梁塵秘抄によれば
四方の霊験所は、「伊豆の走井、信濃の戸隠、駿河の富士の川、伯耆の大山、丹後の成相」とか、
土佐の室生と讃岐の志度の道場とこそ聞け。

ここに讃岐の志度の道場が出てきます。
志度の海は古くから異界へ通じる霊場とされていたそうです。


志度寺には、讃岐の守護細川家が造営し寄進した日本に三つしかないという曲水式庭園があります。
池中の島は、志度寺縁起にちなんで竜蛇の形と真珠島とを模したものらしい。

でもちゃんとした説明書はみなかったし、手入れ行き届いてなかったのは残念でした。




志度の地図見てると、神社仏閣があちこちに。
この地はかつて意味深い場所だったのがわかりました。




神代に速秋津比賣命が多和郷の渚にやってきて、
「此水門は、はなはだ深くて、よき須美戸なり」
と宣して鎮座した多和神社。
当初、志度寺の傍らに鎮座していたが、
1479年焼失し、その後現在地(さぬき市志度126)に遷座。
ここも気になるね。
自分でいつか車で廻るときがあれば参拝したいところ。





竹取物語の「竹取の翁」の名は「讃岐造」だったし。
「口頭伝承のかぐや姫」と「竹取物語のかぐや姫」

讃岐はもう少し詳しく調べてみよう~♪



19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゆかりさんへ (ulala)
2019-04-13 15:18:14
お知らせありがとうございます。
「能に見る志度寺縁起絵の世界」
https://www.my-kagawa.jp/event/3355/

おもしろそうですね。
ぜひ伺いたいものですが、ちょっと遠いな。

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志度寺縁起絵の世界 (ゆかり)
2019-04-13 14:14:55
貴ブログを見てお知らせしたくなりました。
2019年5月3日、4日
能楽「海人/海士」を志度寺にて解説付きで一部上演!
志度寺初のようです。
?2019年4月26日~1か月
国の重要文化財「志度寺の縁起絵」修復を記念して香川県立ミュージアムで6幅一挙展示

是非ご覧ください。
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りひとさんへ (ulala)
2017-06-06 08:05:53
田村神社はこの記事書いた時に知りまして、いつか行こうと思ってました。
やまととももそひめが幼い頃この地に来ていろいろ教えたから祀られてるんだという由緒。
そしてあの弥彦神社の天香具山彦も祭神の一柱で、初期の大和朝廷の開拓地というか足がかり残した地なんでしょうか。
平安時代には菅原道眞もこの地に派遣され888年前後ですが、毎月田村神社参拝してます。
お社下に池があり龍がいるんだそうで、元は水神を祀られた地だとか。
滋賀の日吉大社の樹下神社も社殿下に井戸あり山からの水を汲み上げるようになってました。

今回お返事書くに当たり、田村神社で検索したら、滋賀県は甲賀の田村神社が上位でヒットし坂上田村麻呂が祀られてました。
確かに田村で同じ、何か繋がりあるのかしら。
いろいろ興味尽きない神社です。
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ヒメコソ神社 (りひと)
2017-06-03 23:51:25
赤い姫いそうなので気になってますけど比賣で検索かけたらこちらの記事一つ、そしてそこに采女系で気になっていた猿沢池のお話も。東北からきた姫と讃岐からきた姫、青い姫と赤い姫。私赤い姫は怖かったのですけど、どうやらそうでもないようで。繋ぐために連れて来られたのは確か。田村神社って言葉も出てましたけどなら赤い姫でしょう、田村麻呂系で平野の辺りにも関係者がいたはず。モモソは赤の男系に入った方でちょい赤でなく野心ある赤なのでは?と信用出来ずでおります。一番埴山姫や埴山彦を消すことに加担しているので。で赤がやっつけるのだから埴さん系が青になりそうですね。讃岐造の実子でないのならやはり連れて来られてそしてまた連れて行かれたようにも。カグが付くときっと赤い姫でしょうね。その血が不比等が求婚するほど魅力を感じているいい筋の姫なのでしょう。自分の母の血も赤だと理解していたでしょうし、さらに執着しちゃてる所をみると不比等の兄系は青なのでしょう。という事で近畿には青も赤も共存していたはず。
青は男が行き過ぎてしまうと大変なのとその青に背乗りしている青が怖い。男の青も赤も器が大きくてお人好しなのでそこを信念と品格ですり寄るものをあしらって身軽になっておくと安心でしょう。最後は自分で決めるはず。得意分野と不得意分野はおそらく全く逆なのでフォローし合えるはず。赤の姫も青の姫も仲良しなはず。相手を排除しようとするような器の小さい方々ではないはず。猿沢も四国もそれぞれの土壌があったはずですけどそこにまたその土地目当てにくる、質が違うので来てもどうしようもないのに。自分の質を見抜く事もいい仕事やいい土地に出会うために必要になってくるでしょう。公僕も、私僕なら誰でもいいけどそういう方をどんどん肩身が狭く感じさせるように指摘していくと赤の姫はとても助かるでしょうね。赤の姫は青への配慮もありそうなの
と理性を持っている人間に近い巫女でしょう。青はそうはいかない自然神に近くコントロールは赤い姫しかできないと思います。青が白になれば話は別ですが。まず赤の姫を味方に付けないと。7840、5584 記事とそれてるきがしますけど、いい番号
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りひとさんへ (ulala)
2017-04-18 13:41:16
かぐや姫に求婚した一人の車持皇子は、不比等がモデルだといわれていますね。
蓬莱の玉の枝の贋物の玉は、ひょっとしたら漆の技術とかつかったかも。

ほかの記事のコメントでも触れてくださってますが、漆の櫛。
若狭湾の三方五湖近くの鳥浜貝塚縄文遺跡で出土しています。
鎌足とつながってたらなんて、興味はつきませんね。
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見たような (りひと)
2017-04-17 14:46:18
こちらの記事見たような気もするし、別件で讃岐神社の件きたのかもしませんがいい流れですね。

福島からかぐや姫は連れ去られた姫かもしれませんね。そもそも水神なのでお水の中に帰って行ったのかもしれませんね。

四国もずっと昔でいえば関わるでしょうけど私はあまり関わりたくないエリアです。

かぐや姫は多分木や漆に関わる一族の元に戻りたかったはず鎌足とタケノヒメの関係も調べないといけませんね。

そうだこの前、安達太良山の鬼婆に続きまんが日本昔ばなしで出たのがたけのこ童子というお話です。たけのこ中に入った立派な着物を着た童子のお話でしたが鎌足系かしら?竹とか笹との縁も何かありそうですね。錦糸の着物とか着てたりして。その着物はどうやら天からきた設定のようですけど東北なら全て揃っちゃいそうですよ。
金山姫は、金山彦よりも大彦命のが良かったんだっけ?弥彦さん関係しそうですね。6903
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aoiさんへ (ulala)
2016-01-11 14:13:01
大阪港から船ってバスと一緒にフェリーで?
明石大橋できてから四国や淡路島に船で行くことまずなくなりました。
でも以前のお遍路では高知と愛媛のはフェリーで車持って行きました。

この志度寺については説明不足ですので、項を改めてそのうちPCより投稿させてもらいます。
iPadではリンク貼るの手間かかるので。
藤原不比等とその兄定恵とか、勝尾寺と百済王妃の話とか、… ミステリーを感じる点にリンク貼ってね。
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正しい宗教観 (aoi)
2016-01-10 21:53:18
そうです、住まいは東京なんですよ。
瀬戸大橋が出来ていたのに、毎回大阪港から船で四国へ、途中から夫も同行お伴で2周目の県もあります。

>神社仏閣教会墓参り
年末年始の1週間殆どの日本人は何の疑問も持たずに楽しんでいる事、世界に誇れますね。
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aoiさんへ (ulala)
2016-01-10 17:26:35
ホンマやぁ~
西も四もパッと見似てるので気づきませんでした。
修正しました、ありがとうございます。
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Unknown (aoi)
2016-01-10 17:19:56
タイトルが西国になっていますが・・・。
四国86番志度寺ですよね。
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ミミーさんへ (ulala)
2016-01-10 16:42:10
このgooブログのコメント投稿はプレビュー画面無いので誤変換に気づかないこと多々あります。
ご迷惑おかけして申し訳ないですが、皆そうですので適当にスルーしてください。
さて広陵町の讃岐神社の話、自分も書いてながらすっかり忘れてました。
ただし書いた記憶はあったのでブログ内検索で読み返した次第です。
学者でも研究者でも無いし、ただ単にミステリー好きが書き散らした駄文です。
嘘は書かないよう気をつけているつもりではありますが、適当に読み流してくだされば幸いです。
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さっきのタイトル2014年です! (ミミー)
2016-01-10 16:19:57
すごい誤変換でまた申し訳ありません。ちゃんと入力したつもりなのに、2914年なんて…。
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2914年3月24日の記事拝見しました。 (ミミー)
2016-01-10 16:17:48
おざささんが讃岐神社のこと書かれたとき、私も記事拝見したはずですのに、記憶に残っていなくてすみません。ユーチューブで讃岐神社あとで見てみます。ももそひめがかぐや姫のモデルということはないのかなと、無責任な想像をしています。「箸墓」はここにも縁があるのですね。
私も遠近両用の眼鏡をかけていますが、近くは見にくいですね。勝手なこと書いてすみませんでした。
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ミミーさんへ (ulala)
2016-01-10 10:13:27
学生時代から古文苦手で長文読解はいつも独りよがりな独解でした。
今はさらに老眼のため眼鏡掛けて本読むの辛いので、お気持ちだけ頂戴しときます。
いつも心に掛けてくださりありがとうございます。
さて、広陵町の竹取公園、2014/3/24に記事にしています。
読み直したら、讃岐神社のこと書いてました。

その讃岐神社は、讃岐一宮である田村神社と繋がります。
祭神のももそ姫は大和の国からの帰還命令により、地元の反対空しく讃岐の国を去ります。
ももそ姫のお墓は奈良県の広陵町『箸墓』で、近くには讃岐神社があります。
これはももそ姫とともに讃岐から移り住んだ斎部(忌部)一族が創祀したと云われています。
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aoiさんへ (ulala)
2016-01-10 10:03:24
関ヶ原より東にお住まいかと勝手に想像してました。
四国遍路ご経験済みだったのですか。
西国もまわられてたのですね。
世界遺産も自然遺産でなければ神社仏閣教会墓参りが多いです。
国内観光も同じことで神社仏閣は外せないのも事実です。
しかし四国お遍路はエネルギーも時間もお金もいりますね。
距離のある地域からまわられた方はなおさらのこと、敬意を表します。
何度もまわられる方おられますが、私は他にも行きたいところいっぱいあるので。
今度は回ることよりも、その寺をちゃんと直視し歴史も感じれるよう、心にヒットした所をピックアップでと思っています。
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mariさんへ (ulala)
2016-01-10 09:54:40
今年もよろしくお願いします(^人^)
mariさんのブログが長く更新滞ることないので心配しました。
大晦日の大鳥神社の茅の輪画像とご挨拶を最後にされるのかしらと不安でした。
突然の年越しのご入院は、本人はもとよりご家族も驚かれたことでしょう。
しかし無事ことなきを得て回復された由、誠におよろこび申し上げます。
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私も驚嘆するばかりです。 (ミミー)
2016-01-09 22:49:35
ほんとにおざささんの向学心探求心の強さと行動力には、驚嘆するばかりです。
私も「竹取物語」のおじいさんの名がどうして「讃岐」の造なのか、近畿地方が舞台なのにって思っていましたが、浅学菲才なうえにこのごろ勉強する意欲もなくてわからなかったのですが、最近「讃岐」は「大和の国広瀬郡散苦郷」であろう(現在の奈良県北葛城郡広陵町三吉で、「讃岐神社」という神社もあるそうです)と、昭和29年に何とわれらが市大の国語国文の塚原鉄雄先生が説をたてられたそうで、今も岩波や新潮社の竹取物語の注釈書や注釈にはその説が採ってあるということを、知りました。燈台下暗しというより、私の無知ですが、家で埃をかぶっていた新潮古典集成の「竹取物語」を見ると、その通りでした。
私にはこれ以上わからないし、追究もできないので、おざささん、またいつか調べられたり、わかったりしたら教えてくださいね。何でしたら新潮古典集成の「竹取物語」送ります…。
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四国86番 (aoi)
2016-01-09 21:43:07
なんと多様性にとんだブログでしょうか、今度はお遍路さん(@-@)。
ulalaさんの神出鬼没(没はないですねwすみません)は予測がつきませんです。

私も2000年前後に5年かけて四国遍路しました、バスでの団参でした。四国のお寺は西国のお寺と比べるとしょぼいなあ~と山坂階段で四苦八苦しながらの参拝でした、お寺の名前どころかついて行くのが精いっぱいでお経が終わった頃に本堂に到着したこともありました。

志度寺もこんな興味深いお寺だったんですね、86番といったら、あと2ヶ時で結願ですから、きっと上の空で参拝したのでしょうね私。なんと勿体ない遍路行だったことよ。
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今年もよろしくおねがいいたします (mari)
2016-01-09 20:42:01
ご心配おかけしました。
大晦日に体調を悪くして、お休みさせていただいていました。
やっと復帰しました。
今年もよろしくお願いいたします。
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