ナザレの広場で干した果物やナッツ類を売るおばあさんです。
少し赤ら顔で体格は立派です。
日本に鉄砲が伝えられた種子島で、初めて南蛮人を目にしたときの印象を、「赤ら顔で大きな鬼のよう」と書かれているそうです。
このおばあさんを男にすればそんな感じがしないでもない。
バテレン(伴天連)とはキリスト教の神父のこと、 転じて、キリスト教の俗称。
ポルトガル語のpadreパードレー(神父)からきた言葉といわれていますが、
この記事を書いていて私が推測した由来は、「バターリャ」から来た者。
あんたどこから来なすった?
バターリャ
おぉ、バタレ、 No バターリャ、 バテレン? Ohイエース!
1/16 旅の5日目
ポルトを出て186kmでバターリャに、その後ナザレ、オビドスをめぐり、リスボンへ。
体調悪いなんてへこんでられないほど、この日もたくさん見学しました。
日本の戦国時代同様イベリア半島でも、国家が固まるまでは、婚姻関係や養子縁組やらあらゆる方法をとって、地盤を固めていきます。
スペインやポルトガルも大航海時代を迎える16世紀までは様々な結びつきがあったようです。
バターリャの街には世界遺産の重厚なバロック様式の修道院があります。
1385年6000名を率いた隊長のジョアンⅠ世が3万人のスペイン軍と戦い勝利を収めました。
まるで桶狭間の織田信長のようですね。
その勝利の記念に建立したのがバターリャ修道院。
そしてアッバス王朝が始まり、5番目の息子がかの有名なエンリケ航海王子です。
1498年バスコ・ダ・ガマが喜望峰をまわり、インドに達し胡椒を独占、原価のなんと360倍で流通し大儲け、やがて東方貿易など大航海時代をきりひらきました。
その500年を記念して、1998年のリスボン万博が開催されたように、いたるところで大航海時代の遺物や記念ものが世界遺産や観光地となっています。
修道院で暮らす人たちは外を出ることが禁じられています。
そのため横に回廊を儲け、中庭でくつろいだそうです。
無名戦士の墓を24時間守る衛兵たち、
たまたま毎日正午に行われる交代式を見ることができました。
どこの国でも自国のために命をささげた戦士を丁重に弔うのが常識ってもんでしょう。
バターリャでキャベツのスープのランチで一息ついて、次はナザレへ。
イエス・キリストが育った街ナザレはイスラエル北部にありますが、同名の町は世界各地であるらしい。
昔は漁村だったようですが、今はセレブなリゾート地としても有名らしい。
谷間の真珠と称されるオビドスは城壁に囲まれた山間の小さな町です。
13世紀から19世紀にかけ、代々王妃の直轄地として愛され、今もなお中世のままの姿をとどめています。
ここに売っているものを食べると
こんなにもパワフルになるんだと
勝手に想像してしまいます
とても綺麗な海で
その周りの家の屋根も統一されていて
きれいですね
玄関を出て海の生活はあこがれますね
たぶん白葡萄?、マスカットなんでしょうか、甘みがあってものすごくおいしかったです。
ナザレの埃も一緒に口に入れて、エネルギーを感じましたね。
いいもの食べてるなぁってちょっとうらやましかったです。
イチジクの干したものもあちこちで見ました。