美濃インターから10分と書かれてあったのに渋滞。
ひんここ祭終わってる時間なのになぜ混んでるの?
15:47 バス車中から見えた村里からの遥拝所?
暗くなるまでに着くだろうか?
と案ずるも16時ごろ到着できて
16:04
立派な楼門過ぎて、参道には屋台がいっぱい。
この画像と次の2枚は帰りに写しました。
立派な大銀杏、祖父江でもこんなイチョウだと想像してたのだった。
神橋から向こうは聖域
行きは急いてたので撮影は帰りにした。
階段参道が270段あまり、
のぼりは息切れて、途中休憩した所の滝。
最後の一踏ん張りの階段参道は参拝行列できてたので、左脇道へ迂回。
今は、どこの神社行っても並んで参拝待つ。
時間ない時これが焦れったくて、脇道より上がったのだった。
拝殿横からお賽銭だけ入れさせてもらってご挨拶して、本殿見に行く。
立派な本殿・拝殿繋ぐ珍しい渡り廊下?
もぐって右手へ出ると、社務所
ひんここ祭りはやはり午後2時からで終了してた。
ここより南へ歩いて30分の御旅所で行われてた模様。
拝殿前にはまだまだ長い行列できてた。
本殿左手から山頂へ上る登山口の表示があった。
境内図には、大もみじまで約30分、
その程度なら時間があればそこへ行きたかった。
帰りは階段ではなくて、けっこう急な坂道を下った。
境内社の荒祭若宮神社 があり、ここは参拝者いない。
画像なし。
もうかなり疲れてたから。
でもここが一番空気よかったと思う。
大矢田神社(おやだじんじゃ)
天王山の麓楓谷の鎮座で、通称 お天王さま
岐阜県美濃市大矢田2596
祭神:
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
摂末社祭神:
天若日子命(あめのわかひこのみこと)
阿遅志貴高日子根命(あじしきたかひこねのみこと)
祭神:
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
摂末社祭神:
天若日子命(あめのわかひこのみこと)
阿遅志貴高日子根命(あじしきたかひこねのみこと)
創建由来や社殿の詳細は、岐阜県神社庁のサイトをご覧ください。
気になったのは
境内社喪山天神社は天若日子命を祀る喪山神話の地で、
付近一体は神話縁の故郷である。
喪山神話って?
大矢田をおやだと読むのはなんでかな?
そしてけったいな名前のひんここ祭
初めて知った大矢田神社、初参拝。
ここでも古代史のミステリーに遭遇することになりました。
つづく
で私の気になるアジシキさん(今までアジスキだと思ってました。志貴なんですね〜。)もどこかにいらっしゃるようですね。
相当古いようですね。お時間短かったのといっぱい人が並んでいるタイミングで大変そうでしたけど、その場にお祭りの日に行かれたのは凄いですね。
お旅所の場所も気になります。
記事が無かったら全く知らなかった神社です。私の好きな祭神さんは近江にいたはずなので近江と岐阜が繋がるのは父の関係でもヒントになりそうです。で奈良にもいたような?いい情報ありがとうございます。
ドンピシャ繋がってるかもね。
アジスキタカネヒコ、古事記では漢字いろいろ当てはめられてますが、アジシキですね。
スキと入力すると鋤が真っ先に出ました。
シキならまた異なるから、その存在のとらえ方に相違あるということでしょうね。
アメノワカヒコと間違えられて怒って、喪屋を切り倒し蹴り飛ばしたエピソードは古事記だけなので、大矢田神社はアジシキ。
いっぽう出雲国風土記では、
「大人になっても言葉を話すことができず泣き叫んでいるばかり。そこでオオクニヌシがアジスキタカヒコネを船に乗せて池に放したところ、そこに白鳥が飛んできて、アジスキタカヒコネが声をあげて叫んだことから言葉をしゃべれるようになった」
皇子が鳥を見てしゃべれるようになったという逸話あちこちにありましたね。
なんか被さってるようですね。
きっと若宮と繋がる原点のエピソードなんでしょう。