昨日1/19 中之島中央公会堂で「第2回遺骨収集シンポジウム」が開催され、知り合いからチケットをいただいたので行ってきました。
最初に、アルピニスト野口健さんの講演がありました。
ネットで検索したら、ちょうどそこで聞いたお話しとほぼ同じ内容のことを公式ブログで公表されていました。
野口健公式ブログ すでに昨日のことが記事にされていました。
2010年1/20 第二回遺骨収集シンポジムを終えて
2008年3/22 遺骨調査団に参加して
去年ウズベキスタンへ行った時、首都タシケントで日本人墓地を訪れました。
大戦後シベリア抑留捕虜のうちウズベキスタンで過ごした方々のお墓です。
器用で働き者の日本人は、建築などにも力を貸して感謝され今でも篤く弔われていました。
舞鶴にある引揚記念館へいっても、過酷なシベリアで抑留されていた捕虜時代の暮らしぶりが偲ばれ涙を誘います。
昨日1/19は日米安保50周年でした。
1960年の安保闘争の頃は小学校低学年だったし、次の1970年はエクスポ70で浮かれてた。
浅間山荘事件や赤軍派の絡んだ事件は、すべてテレビニュースを通しての他人事だった。
大学生になってすでに学生運動も下火になっていても、
過激派がキャンパスを閉鎖したりして入学式も卒業式も全学で行われなかった。
当時は帝国主義やベトナム戦争反対とアジられていたように思うけれど、
その根本となった日米安保について深く考えたことは全くなかった。
敗戦後、日本人は祖国のことや国を守ることからあえて目をそらしてきたように思われる。
それらについて意見を述べたりすると、左か右かに偏っているかのごとく受け止める風潮が無きにしも非ず。
占領政策の一環だったのか、日本の指導者が及び腰になっていたのか分からないけれど、
ほとんどの一般国民は正しい教育や情報を与えられなくなっていたのでしょう。
いろんな国を訪れてみると、祖国建国や護国のために命をささげた人たちに弔う場所があり、その国の兵士が24時間警護してたりします。
祖国を守るために戦争に送り込まれ、はからずも命を亡くされた英霊をないがしろにしてきたのではないか、…
国旗や国歌の問題、靖国神社参拝の問題など、
日本国民としてどうあるべきか、真剣に向き合うべき時がやっと巡ってきたように思います。