7月2日(2017年)投開票の都議選で都議会第1党だった自民党は現有57議席から34議席減らす23議席の大惨敗を受けた。翌日の7月3日午前、自民党総裁でもある安倍晋三が首相官邸の玄関ホールでだろう、記者に取り囲まれ、囲み記者会見を開いた。その全文を「産経ニュース」が紹介している。
--都議選の開票結果の受け止めを 「大変厳しい都民の審判が下されました。わが党に対する、自民党に対する厳しい叱咤と深刻に受け止め、深く反省しなければなりません。今後、党一丸となって、しっかりと体制を整え、結果を出していくことによって、国民の信頼を回復していきたいと、このように決意をいたしております」 --国政への影響は 「国政には一時の停滞も許されないわけであります。内外に課題は山積しております。こういうときこそ、私たちは一層身を引き締め、反省すべき点はしっかりと反省しながら、謙虚に丁寧に、そしてやるべきことはしっかりと前に進めていかなければいけないと考えています」 --今回の結果の最大の理由は 「これは政権が発足してすでに5年近くが経過をするわけであります。その中において安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろうと思います。そのことはしっかりと真摯に受け止めなければいけないと思います。われわれが政権を奪還したときの、あの初心に立ち返って全力を傾けてまいる決意であります」 |
現有57議席から34議席減の「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」だと受け止めている。あれ、あれ、安倍政権に対する厳しい目も大きく影響した惨敗のはずだと思っていたら、最後になって、安倍政権の「緩み」に対する「厳しい批判」を挙げているが、あくまでも「厳しい批判があったのだろうと思います」と推測の範囲にとどめている。
大惨敗の正確な分析はこれからだから、推測とならざるを得ないということかもしれないが、一党の総裁・一国の首相を務めているのだから、自らの認識能力に添った原因と結果のおおよその分析は即座にできるはずであるし、即座にできなければならない。
それが即座のおおよその分析であったとしても、的確な分析に近い程、認識能力が高いことになる。
そして当たり前のことだが、原因と結果の分析は責任の所在を明らかにする分析ともなる。責任の所在に触れない原因と結果だけの分析は意味を成さないし、そういった分析はあり得ない。誰が果たすべき責任を果たしたか、誰が果たすべき責任を果たさなかったか、それぞれに明らかにしてこそ、より妥当性を持たせた原因と結果の分析となるばかりか、今後のどう行動すべきかの教材となり得る。
要するに都議選惨敗の弁に、それが感覚的な原因と結果の分析であったとしても、安倍晋三の認識能力と責任感を窺うことができることになる。
安倍晋三は都議選惨敗という結果を、いわば「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」だと分析した。
「審判」という言葉の意味は主として、「物事の是非・適否・優劣などを判定すること」と、「キリスト教で、神がこの世を裁くこと」(「goo辞書」)の2つの意味に集約することができる。
対して「叱咤」という言葉の「叱」も、「咤」も、「叱る」という意味だが、二つを合わせて「叱る」という意味だけではなく、「叱り、励ます」と意味も持たせていて、主に後者の意味で使う。
「叱り、励ます」という行為は決して見放すという意味ではなく、より良い結果への期待を込めて気持を引き締め直させたいときに使う、そのような意味を持たせた行為であろう。
都議選での自民党の結果が現有57議席から34議席減らす23議席の大惨敗であり、都議会でのこの状況を一般的には4年間引きずることを考えると、「都民の審判」は単に「物事の是非・適否・優劣」の判断基準に基づいてより多くの都民が都民ファーストの会を選択した投票行動の結果ではなく、自民党に“裁き”の思いを込めた審判の形を取った投票行動と見るべきだろう。
そう、かつての民主党政権誕生時のように。民主党政権は失敗したが、小池都政が民主党政権の二の舞を演じる保証はない。
だが、安倍晋三は「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」程度に分析した。その判断能力はいくら身贔屓から出たものであったとしても、甘くはないだろうか。
なぜ、安倍晋三はこのように甘い分析となったのだろうか。安倍晋三は「政権が発足して既に5年近くが経過をするわけであります。その中において安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろうと思います」と推測程度の分析をしているが、“裁き”に等しい「都民の審判」の中にも、安倍政権の緩みの中にも安倍晋三自身を加えていないから、このような甘い分析となったのだろう。
昨日のブログで安倍晋三自身の森友学園国有地格安売却に於ける政治的関与疑惑、国家戦略特区を使った加計学園獣医学部新設に関わる政治的関与疑惑に関して自分たちの方から積極的に説明責任を果たそうとする姿勢を取るのではなく、逆に不誠実な姿勢に終始したこと、国民の多くが反対しているにも関わらず新安保法制やテロ等準備罪の採決を強行した国民に対しての不誠実な姿勢、さらには自民党議員や閣僚の立場・役目を弁えない非常識で認識外れな言動が数多く見られたことが影響した都議選惨敗だと分析したが、当然、安倍自身をも対象者のトップに加えなければならない「都民の審判」であり、同じくトップに加えなければならない政権の驕り・緩みとしなければならなかったはずだが、そのように厳しく分析するのではなく、その逆で、自民党と安倍政権という身内にも甘く自身にも甘いから、分析自体が甘くならざるを得なかった。
惨敗の原因と結果の分析が甘いということはそのまま安倍晋三自身の認識能力と責任感の甘さを見せつけることになる。
安倍晋三は下野時の「初心に立ち返って」と言っているが、自民党共々安倍政権に緩みが出たということは政権に就いて4年半程度で初心を忘れてしまったことを意味する。
安倍晋三も含めて政権担当に持すべき忍耐能力がその程度のものでしかなかった。加えて選挙結果の分析に関わる認識能力と責任感が甘ければ、形式的な「初心に帰る」で終わり、再び何年かすると政権の緩みが出ることになるだろう。
政権に緩みが出たことの原因の一つに閣僚が資質が問われることになる無責任な言動を犯しながら、安倍晋三が任命責任の回避から厳しい処罰を取らずに職にとどまらせることが成功すると、誰もがこの程度で誤魔化すことができると甘く見ることになって、自ずと緩みが出てくることを挙げることができる。
要するに都議選惨敗は安倍晋三自身にも大きな責任があることは排除できない。惨敗に於ける原因と結果の分析にその責任を含めなければ、安倍晋三自身の認識能力と責任感が問われることになる。