経済再生担当相甘利明の12月19日の閣議後記者会見発言。
甘利明(円安、原油安が続いている経済環境に関して)「(日本は)いいとこ取りができている状態」(ロイター)
安倍晋三が12月20日、総選挙に大勝したから、毎日が気分が良かったに違いない、東京都内開催の「2014年報道写真展」を訪問、多数の犠牲者を出した御嶽山噴火災害やソチ冬季五輪での日本人選手の活躍など、今年の重要ニュースを記録した写真を見て回ったという。
安倍晋三「悲しいこともあったが、実り多き1年だった」(時事ドットコム)
記者団にこう話した。
二人は国家優先の国家主義に立って発言している。国民への視点を二人共一切欠いている。国民への視点は皆無と言っていい。
原油安は確かに朗報である。但しその原因が供給過多である場合に限る。需要の低迷が原因の場合、世界経済減速の兆候を示すことになる。アベノミクスによる景気回復が全体化していない日本をいずれ巻き込まない保証はない。
国際通貨基金(IMF)2014年10月発表の世界全体実質国内総生産(GDP)増加率は7月時点から0.1ポイント引き下げて3.3%へと下方修正している。日本に関しては2014年の成長率は2014年7月予想1.6%から0.7ポイントと大幅に下方修正、2015年の予想は0.8%。2014年7月予想よりもマイナス0.2ポイントの下方修正。
当然、原油の需要減少という現象を伴い、原油安に経済活動のマイナス面から力を貸す状況に陥らないとも限らない。
いわば原油安を「いいとこ取り」とばかりとは言ってはいられない。
問題は誰もが分かるように円安を「いいとこ取り」と言っていることである。誰もが分かることを甘利は理解できていない。国民への視点を欠く、国家優先の国家主義に立っていることの証拠がここにある。
大手企業はいざ知らず、多くの中小零細企業は円安による輸入資材の高騰によって経済活動を圧迫され、多くの中低所得層は同じく円安を受けた輸入原材料高騰の生活用品への価格転嫁によって生活を圧迫されている状況にある。現状の消費低迷は消費税増税だけではなく、円安をも原因としていることは周知の事実となっている。
にも関わらず、甘利明は「(日本は)いいとこ取りができている状態」だと、円安をメリットの面からのみ話すことができる。本質的には上目線のみで、下を見る眼の機能を持っていない。下を見るのは、立場上、下を見ないわけにはいかないときだけだろう。
安倍晋三は「悲しいこともあったが、実り多き1年だった」と1年を振返って述懐した。「悲しいこと」とは報道写真展で見た御嶽山噴火災害の写真に対してだろう。
これが常に頭の中に入っていて、自身の精神的機能の一つとしている国民への視点から発した言葉・思いの類いかどうかである。
2014年11月21日の安倍晋三の解散表明記者会見。
安倍晋三「都市と地方の格差が拡大し、大企業ばかり恩恵をこうむっている、そうした声があることも私は十分承知しています。それでは、日本の企業がしっかりと収益を上げるよりも前に、皆さんの懐から温まるような、手品のような経済政策が果たしてあるのでしょうか。また、バラ撒きを復活させるのでしょうか。その給付を行うにも、その原資は税金です。企業が収益を増やさず、そして、給料も上がらなければ、どうやって税収を確保していくのでしょうか。それこそが2年前までの風景ではありませんか」――
言っていることの裏を返すと、アベノミクスは都市と地方の格差拡大と大企業の利益獲得のみに寄与していて、それを是正するまでに至っていないということである。
同記者会見。
安倍晋三「アベノミクスの成功を確かなものとするために、私は、消費税10%への引上げを18カ月延期する決断をいたしました」――
同じく言っていることの裏を返すと、現状はアベノミクスは成功しているとは言い難い。だからこそ、「消費税10%への引上げを18カ月延期」しなければならなかった。
成功していない状況が如実に現れている主たるマイナスの兆候は非正規雇用の増加、実質賃金の低下、中小零細企業の経済活動の低迷・減退、地方の不活性状態、一般生活者の生活圧迫からの消費の低迷等々に見ることができる。
そしてこれらの点に関しても円安が大きな原因の一つを成している。
だが、アベノミクスのマイナスの兆候を差し置いて、「実り多き1年だった」と1年を振返ることができる。アベノミクスに実りを実感できないでいる国民が多数存在しているにも関わらずである。
要するに一般国民に向ける目、その概念が頭の中に本質的には入っていない。国民を差し引いた国家の概念のみが頭を占めている。
当然、御嶽山噴火の被災死者に向けた「悲しいこともあったが」は、常に頭の中に入っていて、自身の精神的機能の一つとしている国民への視点から発した言葉・思いの類いではなく、写真がそこに飾ってあった以上、そう言わないければ首相として格好がつかないから言ったまでの言葉と言うことができる。
以上から見ることのできる安倍晋三の国家主義とは国家の在り様を最優先していて、その関係から国家のための国民という関係を常に想定していて、国民のための国家という関係を想定していない形式の主義・主張を正体としている。
だからこそ、国家という存在のみが頭を占め、国民という存在への視点を欠くことになる。
そして甘利明も国家主義者という点で安倍晋三と双子の関係にあり、このこと以外に二人の正体はない。
総選挙投開票の翌々日の12月16日に安倍晋三と報道各社幹部との会食を伝えたマスコミ各記事の、いわゆる「首相動静」がネット上で話題になっている。実名を伝えたのは朝日新聞だけだと取り沙汰している。
それによると、先ず会食場所は東京・西新橋のすし店「しまだ鮨」
集合日時は12月16日6時59分。
会食対象者の報道各社幹部は次の各氏となっている。
時事通信・田崎史郎解説委員
朝日新・聞曽我豪編集委員
毎日新聞・山田孝男特別編集委員
読売新聞・小田尚論説主幹
日経新聞・石川一郎常務
NHK・島田敏男解説委員
日本テレビ・粕谷賢之解説委員
一人ひとりの画像を載せて、このような人物だと広くその顔を知らしめたいと思ったが、面倒臭くなってやめた。
「赤旗政治記者」なる名前のツイッターには次のような投稿文が載せられている。
〈(会食)テレビ番組のゲストでおなじみの田崎史郎時事通信解説委員が最後に出てきて、店外で待っていた記者8人に簡単なブリーフィング。「あらかじめ座る席が決まっていた」などと説明。「完オフ」(完全なオフレコ)が条件の会食とされ、何が話し合われたかは語らなかった(了)〉――
ネット上では癒着という文脈で異常だと囁かれているが、再び巨大与党の勢力を確保し、それをバックとした内閣の総帥と選挙翌々日の報道機関幹部との会食とは何を意味するのだろう。
マスメディアは国家権力監視を役目の一つとしている。常に付かず離れずの距離を保つ必要があるはずだ。会食が国家権力監視の一環であり、付かず離れずの距離内の出来事だったのだろうか。
もし会食が目的としたメインの会話が安倍晋三から選挙中の報道に対して労をねぎらう意図のもと交わされたものなら、あるいは安倍晋三の側から見た選挙に関わるマスコミ報道のあるべき姿について苦言を呈する意図のもと交わされたものなら、それとも選挙中の面白おかしい話題、失敗談の提供を意図して交わされたものなら、国家権力監視の一環としての会食とは言えないし、付かず離れずの距離を維持した会食とは決して言えない。
他にどのような会話を想像できるのだろうか。
国家権力は常に報道機関を手なづけたい願望を持つ。可能ならばの条件付きで手なづけて、意のままに操りたい衝動を抱えている。そして独裁的国家権力であればある程、その傾向が強い。
断るまでもなく、報道を手間もなく瞬時に一斉に流して国民の行動に影響を与える、あるいは国家権力が望む行動で国民を規制する優れた意思伝達手段は報道機関を置いて他にないからだ。
また、報道機関側からすると、国家権力に屈した場合、よりよく国家権力宣伝の道具・装置となり得る。
だから、軍人が民主的政権を覆し、軍事独裁政権の樹立を謀略してクーデターを起こした場合、直ちに国営・民営を問わずにテレビ局や新聞社、ラジオ局を占拠する。国民にクーデターの正当性を周知させ、クーデター下の国民統治をスムーズに行う最も有効な宣伝手段としての最も便利な機能をそれらのマスメディア機関は備えているからだ。
安倍晋三がテレビ番組に出演して、司会者等の質問に時折りキレるのは報道機関を手なづけて意の侭にしたい願望を抱えているからこその、それが阻害された場合の反応でもあるはずだ。
他者に対する怒りは他者が自分の思い通りの反応を示さないときの感情として発する。例えば自分が尊敬されるべき人間だと思っているのに対して侮辱されて怒るのは他者が尊敬という自分の思い通りの反応を示さないことに対する感情として発せられるものであろう。
安倍晋三がテレビ番組に出演して司会者の質問に時折キレるという点からも、安倍晋三が報道を自分の思い通りにしたい独裁体質の欲求を抱えていることからの怒りの反応と見ることもできる。
その独裁体質の現れの一つが、放送法第30条によって12人の構成となっているNHK経営委員会委員の3年任期満了5人に替わる昨年10月の人事に於いて、任命権を内閣総理大臣として握っている安倍晋三が再任の1人を除き新任の4人全てを安倍晋三に近い人物で固めたのも、あるいは同じく安倍晋三に近い人物である籾井勝人を2014年1月にNHK会長に据えたのも、報道機関を手なづけたい独裁体質の願望から発した人事であるはずだ。
もしそのような意図がなければ、報道機関を手なづけたい独裁体質からの人事であることを疑われないためにバランスを取った人事を心がけたはずだ。
この人事を民主党が公共放送の中立性を損なう可能性があるとして反対したが、自民党衆参多数の力を以って国会同意人事は賛成・可決された。
その結果、経営委員12人のうち10人が安倍政権下で任命されたメンバーに入れ替わることになった。5人の人事のうち、再任が一人、残る4人が全員共安倍晋三に近い人物ということなら、その確率から言って、安倍政権下で任命された10人は全員が安倍晋三に近い人物と見ていいはずだ。
いわば安倍晋三に近い人物でNHK経営委員を固めた。
改めて言う。国家権力は常に報道機関を手なづけたい願望を持つ。手なづけて、意のままに操りたい衝動を抱えている。そして独裁的国家権力であればある程、その傾向は強い。
NHK経営委員人事が報道機関を手なづけたい独裁的願望に反した人事でなければ、これ程にもバランスを欠くことはないだろう。そこには一般的な良識が見えない。
だとすると、元々独裁体質を抱えている安倍晋三である、総選挙投開票の翌々日の報道各社幹部との会食にしても、同じ線上の行動と見ないわけにはいかない。
すべての日本人が倫理的な潔癖感を欠いているというわけではない。だが、相当数の日本人が、と言うことができる。
東京都知事の舛添要一が12月16日(2014年)の記者会見で政界を引退した元都知事の石原慎太郎を「終わった人」と形容して、ネット上で、「失礼にもほどがある、リコールはよ」「本当に非常識だな」、「品がなさすぎ」と非難が殺到、物議を醸していることをツイッターで知った。
「ディーゼル規制を含め、大きな功績があった。信念を貫いてきたことが大きいと思う」と賛辞を贈ったあとの切り捨てらしい。
果して「終わった人」と片付けていいものだろうかと疑問に思った。太陽の党やその流れを汲む次世代の党の石原慎太郎を担いだ結党は当然のこと、石原慎太郎の政治思想に傾倒しての所属する議員たちの行動であったはずだ。
だとすると、彼らと彼らを支持する国民の間にその政治思想、特に憲法観や核思想は生き続けるだろうし、似たような憲法観や核思想を持つ政治家が自民党内にも存在するだろうから、何らかの形で影響力を保ち続けることになる。石原慎太郎にしても元気でいる間は次世代の党の会合に顔を出して、鼓舞という形での直接的影響力を行使することも考えられる。
ネット上で舛添要一の発言に対する批判者の中には石原慎太郎の思想に傾倒していて、だからこその批判ということもあるに違いない。
決して、「終わった人」で片付けることはできないはずだ。
舛添要一の記者会見のテキスト版が東京都のHPに記載されている。《舛添知事定例記者会見》(東京都/平成26年12月16日(火曜)14時00分~14時29分)
関係個所のみを抜粋してみる。文飾と当方。
記者「それとですね、先ほど石原慎太郎さんの話が出ましたので、もう一つ、ちょっと続けてお聞きしたいと思うんですが、石原さんのときにはですね、国に対して、相当にいろいろなことを提案し、物を申してきた人だったと思うんですけれども、そういう都知事のあり方としては、舛添さんの方では、どうお考えになるでしょうか」
舛添要一「それぞれの政治家、それぞれの都知事は、それぞれの政策を自分の思った政治手法によってやります。ですから、石原さんは石原さんのやり方でやった。私は私のやり方でやっている。全ては結果です。政治は結果責任で、国に対して大声を上げようが、小声しか上げなくても、結果がどうであるかというのを判断してください。あなたがきちんと結果を判断してやれば良いと思っています。
記者「パフォーマンスが過ぎるというふうなことをお考えになったことはございませんですか。
舛添要一「ですから、私はもう後ろを向きません。前を向いているので。あなたも少し前を向いてやってください。何度も言いますけれども、公共の電波を使っているのです。ここは、そういうお茶の間談義みたいなことをやる場所ではないのです。きちんとしたデータに基づいて、何月何日に私がどういうことをやった。誰がどういうことをやった。それについてどうだと。ここは、データとか基本的な位置付けがなくただ感想を言ったり、陳情をしたりする場ではありません。公共の電波を使っている公式の記者会見の場ですから、あなた自身がきちんと心をしてやっていただかないと。
記者「やはり都知事としての立場がありますのでね。いろいろ都庁さん、都知事のお考えとか、感じていることをですね、やはり、ここで、いろいろな形で、公共の電波を通してですね、述べていただくということは大事なことだと思うんですが。
舛添要一「述べるのは大事なのだけれども、まともなことを述べたいと思っています。もっともっと大事なことはあります。そうでしょう。長期ビジョンがあって、今からどういう風にしようかという都政の話をすることの方が大事なので、過去の知事がどうであったというのは、今は全く意味を持ちません。時間が無駄ですから。そういう思いで、喜田さんという素晴らしいジャーナリストがこの記者クラブにいる。もう参るな、唸るなというような建設的な質問をやっていただければ、私もそれに対してきちんとお答えしたいと思います。だから、終わった人のことをいろいろと言う暇があったら、私は都民のために一歩でも都政を前に進める。そういう思いでいて、私がやることがきちんと成果が出るかどうかをチェックするのが、あなたの立場であります」(以上)
1968年7月8日に参議院議員に初当選して以来、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰を受けた直後議員辞職、4年のブランクはあったが、1999年東京都知事選挙に出馬し、4期続けたあと、2012年、後継に猪瀬直樹を指名、都知事を辞職し、同年、衆議院選挙で比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰、今日に至っている。82歳。かくも長きに亘って多くの国民の支持の元、政治家として生き続けてきた。
言葉を替えて言うと、多くの国民の石原慎太郎に対する支持が石原慎太郎の政治思想を生かし続けてきた。そして例え政治家を引退したとしても、その政治思想は他者の血の中に生き続けるに違いない。
一粒の麦の如く、多くの実を結んで。
多くの国民が多くの実を結ばせる。
石原慎太郎の憲法観を見てみる。
石原慎太郎の太陽の党が合流した新しい日本維新の会の2013年3月30日発表の綱領は石原慎太郎の憲法観そのものを取り入れた主張だと言われている。
〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉
石原慎太郎の憲法観であることは石原慎太郎の発言自体が証明している。
2012年11月20日の日本外国特派員協会での会見。
記者「石原氏はナショナリストだと思われている。軍事力を強化するより外交を追求した方がいいのではないか」
石原核保有衝動者「軍事的な抑止力を強く持たないと、外交の発言力はない。今の世界の中で核を持っていない国は外交的に圧倒的に弱い。核を持っていないと発言力は圧倒的にない。防衛費は増やさないといけない。私は、核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいいと思う。これは一つの抑止力になる。持つ持たないは先の話だけど。(これは)個人(の意見)です」
この核保有の主張は日本国憲法の平和主義に対するアンチテーゼであり、アンチテーゼとしての核保有主張であろう。憲法9条を改正し、自衛隊を明確に戦力として位置づけ、核を持ち、交戦権を認めることによって初めて占領憲法から脱出できるというわけである。
多くの国民が石原慎太郎を支持し、このような憲法観・政治思想を生かし続けてきた。
もしこのような憲法観・政治思想を明確に支持し、そのような支持によって石原慎太郎という政治家を生かし続けてきたという明確な自覚がなく、単に石原裕次郎の兄で、高名な芥川賞作家だといったことだけで支持してきたとしたら、それこそが倫理的な潔癖感のなさの証明以外の何ものでもない。
石原慎太郎が女性差別主義者、障害者差別主義者、特に中国人を「支那人」と呼ぶ人種差別主義者であることは周知の事実である
障害者差別主義者であることを如実に示す、広く知られた発言。1999年9月17日、府中市にある重度障害者施設府中療育センターを視察。翌日の9月18日の記者会見。
石原都知事「ああいう人って人格あるのかね。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。
人から見たら素晴らしいという人もいるし、 恐らく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。 そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って 安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
記者から安楽死の意味を問われる。
石原都知事「そういうことにつなげて考える人も いるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。
自分の文学の問題に触れてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた」(朝日新聞)
ブログに次のように書いた。
〈重度障害者であったとしても、一人ひとりが持つ喜怒哀楽に対する視点を一切欠いている。
また、重度障害者の喜怒哀楽は家族の喜怒哀楽とつながっている。重度障害者の喜怒哀楽を否定することは家族の喜怒哀楽を否定することを意味する。
他者の喜怒哀楽を否定しながら、「自分の文学の問題に触れてくる」と、自身の喜怒哀楽のみを肯定している。
差別主義者というものは構造的に差別対象の他者存在否定・自己存在絶対肯定の人間関係を取る。
ヒトラーがその最たる差別主義者であった。
どう考えても、石原新党に対する期待度が男性よりも女性上位となっていることが理解できない。
石原個人の差別観と石原個人が率いる政党とは無関係ということなのだろうか。
だが、その人間性に目をつぶることはできない。〉――
ここに書いた「石原個人が率いる政党」とは2012年11月13日に 「たちあがれ日本」を改称する形で結党した太陽の党を指す。
石原慎太郎を支持する国民からは倫理的な潔癖感を感じることができない。
次も周知の事実となっている女性差別主義者としての発言を改めて取り上げてみる。かつての石原新党に対する期待度が男性よりも女性上位となっていることが理解できないことのクエスチョンマークの提示が理解できるはずだ。
2001年10月23日の「少子社会と東京の未来の福祉」会議での発言。
石原都知事「これは僕が言っているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)が言っているんだけど、文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です、って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって・・・・。なるほどとは思うけど、政治家としては言えないわね」――
同じくブログに次のように書いた。〈「僕が言っているんじゃなくて」と言いながら、他人の主張を借りて、「生殖能力」の有無のみで人間を価値づける自らの女性間差別・男女差別を披露している。
差別は往々にして存在否定そのものを同義とする。
他人の主張をなる程なと受け入れたということは自身の内面にある思想と呼応させたことを意味する。その内面性は本質的価値観として位置づけられているはずだから(そうでなければ、他人の主張に呼応しない)、11年前の発言であったとしても、世間の評判のために差別観を内深くに隠していたとしても、賞味期限を維持しているはずだ。〉――
最後の石原慎太郎の歴史観。かなり前の話だが、昭和天皇の病状が悪化していた頃の1988年9月22日の石原慎太郎当時運輸相の記者会見での発言。
石原慎太郎「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」
戦前の天皇と国民の関係は国民を赤子(せきし・天子を父母に譬えるのに対して人民のこと)とし、絶対的権威者である天皇を国民の父親と位置づけて絶対的な国家奉公と奉仕を求めた。そのような関係を自らが求める自主憲法に規定しようと衝動している。
いわば石原慎太郎は安倍晋三と同様に戦前の絶対主義的天皇制の日本を戦後に取り戻して、戦後の民主的な日本を駆逐したい欲求に駆られている。
このような石原慎太郎を今日まで長きに亘って生かし続けてきた。
多くの日本人の倫理的な潔癖感の欠如なくして成り立たない、その憲法観や歴史認識、女性差別主義や障害者差別、人種差別を無視した石原慎太郎に対する支持であり、そのような支持に基づいた輝かしい経歴の長さであるはずだ。
それとも石原慎太郎を支持してきた国民のすべてが石原慎太郎と同じ憲法観や歴史認識を持ち、同じく女性差別主義者であり、障害者差別主義者だと言うのだろうか。
だとしたとしても、石原慎太郎と同じ倫理観の持ち主とすることはできても、一般的な常識から言って、やはり倫理的な潔癖感を欠いていると見るしかない。
安倍晋三が12月14日、日本テレビ「ZERO」の選挙特別番組に中継で出演した際と、テレビ東京の選挙特別番組に同じく中継で出演した際、それぞれのキャスターに失礼な態度を取った記事を「The Huffington Post」(ハフィントンポスト)が載せている。
先ず「ZERO」での態度。《安倍晋三首相、「ZERO」村尾信尚キャスターの質問を無視 イヤホンを外して話し続ける(全文)》(2014年12月15日 16時53分)
記事には、〈冒頭、村尾氏は低い投票率を挙げて「国民がアベノミクスを信任していると思うか」と質問。安倍首相の反論をふまえて、村尾氏が別の質問をしたところ、安倍首相はイヤホンを外して一方的に主張を展開した。〉とある。
そして遣り取りの一部を紹介している。
安倍晋三「今年の初の賃上げは、自民党・公明党政権による初めての賃上げのチャンスだったんですが、我々は生かして2%上げて。これは15年ぶりの出来事でありましたし、ボーナスはですね…」
村尾キャスター「安倍さん、安倍さん、あの……」
安倍晋三「(イヤホン外す)ボーナスは7%上がりました。これは24年ぶりのことでありましたね」
村尾キャスター「働く人の約7割は、中小企業に勤めているんですけれども……」
安倍晋三「来年も上げていきます。来年の10月はですね、消費税の引き上げを1年半延期しました。そして再来年の春も上がっていきます。そうなっていくことによって、次の消費税の引き上げも経済的な対応ができる。そういう経済を私たちは手に入れることができると、このように確信しています」
村尾キャスター「あの……」
安倍晋三(イヤホンつける)
村尾キャスター「賃上げをするというんですが、中小企業の人たちに、それだけの(賃金が上がったという、あるいは賃金を上げようという)世論があるんでしょうか。働く人の約7割は、中小企業に務めているんですよ」
安倍晋三「中小企業のみなさん、大変だと思います。しっかりと中小企業だけでなくて零細、小規模事業者のみなさんに実感していただけるようにしていきたい。
しかし、2年前や3年前を見ていただきたい。あの時代は、まさに行きすぎた円高によって会社はどんどん倒産をしていきました。倒産件数は、安倍政権になって2割減ったんです。10月、11月の倒産件数というのは、24年ぶりの低いレベルになっています。私たちの政策によって、間違いなく雇用を作り、そして仕事の場を守っています。
さらに私たちの政策を進めていくことによって、中小企業、また小規模事業者のみなさんが潤うようにしていきたい。ただ村尾さんのように批判しているだけでは、これは何にも変わらないわけです」
村尾キャスター「私は批判していません」
安倍晋三「(イヤホン外す)変わらないわけです」
村尾キャスター「私は……」
安倍晋三「我々はしっかりと進めるべきことを進めていきたいと思います」
村尾キャスター「私はプラス成長の可否を安倍さんに問うているのです」
安倍晋三「(イヤホンを外したまま)また零細企業の方々に対してですが、『今、原材料が上がって大変だ』という声もあります。そういうみなさんに対しては、政府系金融機関の低利の融資を行っていくことにしています。
また『材料費が上がって、借金の返済が大変だ』という方々に対しては、我々は金融機関に返済の猶予をするような要請をしていて、10月に6万社、11月に11万社がその融資を受けています」
粕谷賢之氏(日本テレビの報道局解説主幹)「総理」
安倍晋三「(イヤホンを外したまま)さらに私たちは、ものづくりの補助金制度をしっかりと作って、頑張っていく中小企業のみなさんを応援していきたい。中小企業、零細企業、あるいは小規模事業者のみなさんの場で、雇用が守られ、賃金が上がっていくように、これからも努力を続けていきたいと思っています」
粕谷氏「総理、ひとつだけ」
安倍晋三(イヤホンつける)
粕谷氏「来年、すぐに戦後70年を迎えますけれども、アベノミクスの次にあるものは何でしょうか?」
安倍晋三「(イヤホンを一度外して、つけ直す)え……ちょっとね、そちらの音がうるさくてね。1回1回(イヤホンを)取らせていただいているんですけど。ちょっとね」
アナウンサー「申し訳ございません。ここでお時間となりました。安倍総理、どうもありがとうございました」
安倍晋三「音がうるさくてね。ちょっとね音がうるさいんだけど。ええ」
アナウンサー「はい、ここでお時間となりました」(中継終了)――
相変わらず自分に都合のいいだけの統計を持ち出す狡猾な情報操作を駆使している。そういった情報操作を得意としているということなのだろう。
事実音がうるさければ、「ちょっとそちらの音がうるさくて、はっきりと聞き取れないのですが」と最初に言う。だが、「音がうるさい」と言っている割には村尾キャスターの「中小企業の人たちに、それだけの(賃金が上がったという、あるいは賃金を上げようという)世論があるんでしょうか」との質問に的確な対応の発言をしている。
音がうるさかったのではなく、2%の賃上げの話をしていたとき、村尾キャスターに「安倍さん、安倍さん、あの……」と遮られそうになったのを、実質賃金が上がっていないことのアベノミクスにとっては不都合な事実を指摘されると思い、不快に感じ、その質問を回避しようとしてイヤホンを外したのだろう。
このことは村尾キャスターがアベノミクスの否定的な面として現れている世の中の動向をありのままに質問しただけのことを、「ただ村尾さんのように批判しているだけでは、これは何にも変わらないわけです」と、批判と把えた反応と合致する。
いわば安倍晋三はアベノミクスにとって不都合な事実は全く存在しないと自負している。多分、万能だと妄信しているに違いない。だから、自分に都合のいいだけの統計を持ち出して情報操作をすることまでして自己正当化に執心する。結果、批判は許さない。
批判を許さない頑なまでの感情を内心に凝り固まらせているに違いない。このような感情が国会質疑などでの批判的な質問に執拗に反論する態度となって現れる。時にはキレる。
枝野民主党幹事長が安倍内閣閣僚の「政治とカネ」の問題を追及したとき、枝野本人が直接革マル派活動家と関係しているわけでもないのに、民主党政権時代に大臣だった枝野が「殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使し得る主導的な立場に浸透していると見られるJR総連、JR東(総連)から献金を受け取っていた」とお門違いの批判をし、何日か後に自身のフェイスブックに秘書を騙って自身が書いたのか、実際に秘書が書いたのか、秘書名で国会答弁とほぼ同じ趣旨の枝野攻撃の記事を載せた執拗さにも現れている。
これは自身を完璧な政治家だと信じているところから起きている態度の数々であろう。完璧だから、やることなすことに不都合な事実はないと妄信し、批判を許さない感情を凝り固まらせるに至って、批判に対して執拗な反論を試みることになる。
人間は不完全な生きものであり、そうであることを自覚していたなら、間違いに対して反省の心理が働くことになる。だが、安倍晋三は事実でない事実まで並べ立ててクロをシロと言いくるめようとする。
次に池上彰氏の場合。
《池上彰氏の質問に安倍首相が反論 集団的自衛権「何回も申し上げた」【選挙速報】》(The Huffington Post/2014年112月14日 23時07分)
記事。〈安倍氏は池上氏から、低い投票率や解散権の行使についての所感を尋ねられ「政治においてしっかり信頼を獲得するよう努力していきたい」などと落ち着いて答えていたが、「集団的自衛権のことはあまり触れなかったのではないか」と問われると、声のトーンが上がった。〉・・・・
安倍晋三「そんなことはありませんよ。テレビ討論会でもずっと議論したじゃないですか。街頭演説で1時間の講演なんかできないですから。いくつかの新聞はそれが争点だとキャンペーンを張っていた。自民党が負けたらそれが原因だったと言われるかもしれないが、勝ったら訴えなかったというのはおかしい。
選挙というのは公約をお配りして理解して頂いて投票して頂く。それが基本的な姿勢。お示しした政策にご理解を頂いた。集団的自衛権については夏に解釈変更をしていますから、それを加味した上での選挙でした。テレビの討論会においては何回も申し上げています」
「何回も」のところで声のトーンを上げたということらしい。
池上彰「憲法改正が視野に入ってくる。やはりご自身の手で成し遂げたいか」
安倍晋三「国民的なご理解が必要です。3分の2の勢力をつくったとしても国民投票で過半数の支持を得なければなりません。そこから理解を得ていきたい」
池上彰「憲法改正に向けて一歩一歩進めていくということですね」
安倍晋三「そういうことです」(以上)
安倍晋三はアベノミクス解散と名づけ、アベノミクの是非を問うことを最大の争点として前面に立て、集団的自衛権と憲法改正問題は争点としてはアベノミクスの背後に置く選挙戦術を取った。
アベノミクスの是非を問うことと同じように前面に立てなかったのだから、何回かは発言していても、目立たないようにしていたことになる。
自身がそういう選挙戦術を取りながら、認めるわけにはいかない不都合な事実の指摘に思わずトーンが上がったといったところなのだろう。
自身を完璧な政治家だと信じて批判を非常に不快な攻撃として許さない感情を持ち、完璧な政治家だと信じるあまり自身に不都合な事実は頑なに認めようとせず、結果、自身に都合のいい事実のみを流布する情報操作で安心を得る態度は、精神分析医なら、自己愛性パーソナリティ障害ではないかと診断するに違いない。
自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型だそうだ。
自身を完璧な政治家だと信じるに至っている人格は、多分、A級戦犯被疑者であった祖父岸信介の膝に抱かれ、それを揺り籠とし、戦前日本が偉大な国家であったことの数々のお伽話・メルヘンを聞かせられて育ち、偉大な政治家と信じるに至った岸信介や佐藤栄作と血のつながりがあることが影響しているのではないだろうか。
祖父岸信介と大叔父佐藤栄作が偉大な政治家である以上、自身も偉大な政治家でなければならないと自己規定した。いわば自らのアイデンティティをそこに置いた。
批判や不都合な事実の許容は偉大な政治家としての自画像を損なうキズとなる。
要するにば許容するだけの精神の余裕がないことになる。だから、簡単にキレる。
と言うことは、実質的には偉大な政治家でも何でもないことになる。精神の狭い、偏執的な粘着質の性格に彩られて、執拗なところだけが安倍晋三の本質的正体といったところなのだろう。
尤も自画像実現への執念が安倍晋三をして二度目の内閣を担わせたのだろうが、良識ある国民にとってはその国家主義、独善主義は大いなる迷惑である。
生活の党PR
《12月15日 衆議院議員総選挙の結果を受けて 小沢一郎代表記者会見要旨》
『日本に本当の民主主義が定着するよう、全力を挙げたい』
【質疑要旨】
○選挙結果の受け止めついて
○野党結集について
○「次が最後」という声に対して
○選挙期間中の訴えについて
○当選16回について
○選挙結果の原因と、野党再編について
○岩手県選挙区、民主党とのすみ分けについて
○安倍政権について
○選挙前の2議員離党について
2014年12月15日、安倍晋三は自民党総裁として衆議院選の結果を受けて自民党本部で記者会見を行い、集団的自衛権行使容認と憲法改正について次のように発言している。文飾は当方。
安倍晋三「先ず安全保障法制についてですが、今回の選挙はアベノミクス解散でもありましたが、7月1日の閣議決定を踏まえた選挙でもありました。そのことも我々、しっかりと公約に明記しています。
また街頭演説においても、あるいは数多くのテレビの討論会でもその必要性、日本の国土、そして領空、領海を守っていく、国民の命と安全な国民の幸せな暮らしを守っていくための法整備の必要性、閣議決定をもとにした法整備の必要性ですね、集団的自衛権の一部容認を含めた閣議決定に基づく法整備、これを来年の通常国会で行っていく、これを訴えて来たわけです。このことにおいてもご支持をいただいた。当然、約束したことを実行していく。これは当然、政党、政権としての使命だと思う。来年の通常国会のしかるべき時に法案を提出していきたい。そして成立を果たしていきたいと考えています」――
安倍晋三「憲法改正については、これは自民党結党以来の一貫した主張です。ただし、国会において3分の2の議員を確保しなければならないと同時に、最も重要なことは国民投票において過半数の国民の支持を得なければならない。その観点から、国民的な理解と支持を深め、広げていくために、これから自由民主党総裁として努力をしていきたいと思っています」――
安倍晋三は集団的自衛権に関しては、今回の選挙は公約にも示していた集団的自衛権憲法解釈行使容認の7月1日閣議決定を踏まえた選挙でもあり、そのことは街頭演説やテレビ討論等で訴えてきたのであって、政権選択の支持を与えられたと言うことは集団的自衛権の行使についても支持をいただいたということだから、その法整備を行い、通常国会で法案を提出したいとしている。
憲法改正についても、自民党結党以来の一貫した主張であることを踏まえて、確保した3分の2の議席を背景に過半数の国民の支持を得る努力をしていくと、改正意志を明確に示している。
果たして今回の選挙で有権者は明確な意志で集団的自衛権の憲法解釈行使容認と憲法改正にまで支持を与えたのだろうか、与えたとしている安倍晋三が言っていることの正当性の有無が問題となる。
最初に、「今回の選挙はアベノミクス解散でもありましたが」と、アベノミクスを問う解散であり、そのことを主要争点とした選挙であったとしている。いわばアベノミクスの是非を旗印に高々と掲げた、あるいはアベノミクスの是非を前面に立てた選挙であった。
そういった選挙であったことは街頭演説を伝えるテレビニュース、あるいはテレビの政見放送が証明してくれる。
政見放送で登場した安倍晋三は次のように訴えている。
安倍晋三「安倍晋三です。日本は今、15年苦しんだデフレから脱却しようとしています。雇用は政権交代後、100万人増加し、賃金の上昇も過去15年で最高になっています。
このような経済成長のチャンスを手放すわけにはいかない。だからこそ、消費税増税の延期を決断しました。アベノミクスで雇用を増やし、所得を増やし、地方を元気に、国民生活を豊かにしていきます。
景気回復、この道しかない」
要するに選挙戦を通して安倍晋三以下自民党候補は、公明党も含めてだろう、国民の目の前にアベノミクスの是非を最も頻繁に差し出して、アベノミクスの効用を最重点に訴え、アベノミクスへの支持を求めた。
と言うことは、集団的自衛権についても、憲法改正にしても、自民党の公約とし、街頭演説やテレビ番組で発言はしているが、争点として高々と掲げて旗印としたわけでもなく、あるいは前面に立てたわけでもないと言っていることになる。
少なくも集団的自衛権も、憲法改正もアベノミクスの是非の背後に置いていた。アベノミクスの是非と並べて、アベノミクスの是非と同じ時間を掛け、その是非を争点としたわけではなかった。
当然、国民の側にしても目の前に最も頻繁に差し出されたことを受けて、アベノミクスの是非を最大の争点とした。安倍晋三がそうしたように国民も集団的自衛権と憲法改正をアベノミクスの是非の背後に置くことになった。
そもそもからして有権者の各政策に対する関心の度合いも手伝ったことは各種世論調査が証明している。NHKの11月28日~30日の世論調査。
「最も重視する6つの政策課題の中から一つ」
「景気対策」が31%、
「社会保障制度の見直し」が27%、
「財政再建」が12%、
「原発への対応」が9%、
「外交・安全保障」が7%、
「東日本大震災からの復興」が4%
アベノミクスが31%の最大関心事であり、集団的自衛権に関する「外交・安全保障」は7%の関心しか示していない。
興味深いのは投開票翌日の12月16日付の《衆院選:「白紙委任していない」自民に投票100人アンケ》(毎日jp/2014年12月16日 06時45分)なる記事である。
北海道から九州まで全国30市区の投票所で自民の候補や党に投票した有権者を対象に各政策への賛否を取材、男女114人が応じた。
政策と賛否
▽アベノミクス――約9割が賛成
▽憲法9条改正――5割超反対
▽集団的自衛権の行使容認――4割近く反対
▽原発再稼働−−――4割超反対
集団的的自衛権については6割近くが賛成しているが、アベノミクス程賛成しているわけではないし、憲法改正は反対が過半数を上回っている。アベノミクスの9割賛成はアベノミクスの是非を争点として前面に立てたことに対応した割合であろう。
もしアベノミクスを争点として最前面に立てずに、あるいは集団的自衛権と憲法改正を争点の位置づけとしてアベノミクスの背後に置かずに憲法改正と集団的自衛権を等しく並べて争点とした場合、各マスコミ世論調査の集団的自衛権に対する賛否が賛成が30%前後、反対が50%台半ばから60%近くとなっていることと、さらに内閣支持率が50%を切っていることを考え併せると、アベノミクスに対する約9割の賛成は約9割まで獲得できたかどうかは疑わしい。
アベノミクスの是非を第一番の争点としていた以上、アベノミクスの是非に対する賛成を減らす分、議席減につながることになる。議席を前回総選挙よりも大きく減らせば、例え自公で過半数を得たとしても、集団的自衛権や憲法改正まで信任を得たとすることは難しくなる。
つまり、安倍晋三はこれとは逆の経緯を狙って、アベノミクスの是非を第一番の争点とし、集団的自衛権と憲法改正を争点としてはアベノミクスの背後に置いた。
アベノミクスだけを見て、その背後に置いてある集団的自衛権と憲法改正を全然見ていなかった国民が多く存在していたのかもしれない。
安倍晋三の逆の狙いが見事に当たって、有権者は衆院で法案の再可決が可能となる3分の2の議席の317議席を超える326議席を自公与党に与えることになった。
このことを以って、安倍晋三は集団的自衛権についても憲法改正についても国民の支持を得たとしている。
実質的には有権者のアベノミクス支持の中に集団的自衛権と憲法改正の支持を潜り込ませているのだから、ここに巧妙・狡猾な仕掛けを見ないわけにはいかない。
有権者がアベノミクスの効果信じるに至ったのは安倍晋三の経団連に対する賃上げ要請であろう。要請が実現したとしても、賃上げだけで景気回復が可能になるとは考えてもいないだろうが、賃上げは取り敢えずは窮屈な消費に余裕を与える。
有権者にこのように思わせた安倍晋三が選挙戦で見せた巧妙・狡猾な仕掛けはアベノミクスの効果を賃上げ要請で釣って、集団的自衛権や憲法改正まで掴ませる悪質詐欺商法同然に見える。
安倍晋三は国民や野党がどう批判しようと、どう反対しようと、獲得した3分の2以上の議席を国民の信任とイコールさせて、それを力として様々な口実を設けて集団的自衛権行使と憲法改正に向けた歩みを進めていくに違いない。
国民の側から言うと、人間はパンのみにて生きる生きものではないが、賃金が保障するパンに飛びついたばっかりに、望んでいる有権者ならいざ知らず、望んでいない場合、望んでいない世の中まで掴まされる悪質詐欺商法の被害に遭ったことになる。
国民の納得がないままに自衛隊が海外まで出兵して戦争し、憲法が改正される世の中である。
安倍晋三は衆院選投開票日12月14日夜のNHKのインタビューで答えている。
安倍晋三「先ずは(政府、経済界、労働界でつくる)政労使会議で来年の賃上げに向けて合意を形成していきたい。賃金を上げていくことによって皆さまに景気の回復を実感してもらえる」(時事ドットコム)
衆院選圧勝を受けた自民党総裁としての記者会見の中でも同じことを発言している。《安倍総裁記者会見》(自民党本部/2014年12月15日月曜日・午後2時~)
一部抜粋――
安倍晋三「15年苦しんだデフレからの脱却を確かなものとするため、消費税の引き上げを延期する。同時に景気判断条項を削除し、平成29年4月から消費税を10%へと引き上げる判断が解散のきっかけでした。同時にその大前提として、日本経済を、国民生活をどのようにして豊かにしていくのか、経済政策のかじ取りが今回の選挙に於いて最大の論点・争点になったと言えると思います。そして昨日、『アベノミクスをさらに前進せよ』という声を国民の皆さまからいただくことができました。三本の矢の経済政策をさらに強く大胆に実施してまいります。
明日早速政労使会議を開催し、経済界に対して来年の賃上げに向けた要請を行いたいと考えています。今回の選挙戦では、全国津々浦々をめぐり、物価が上がって大変だという生活者の声や、原材料が上がって困っているという中小・小規模事業者の方々からの声がございました。こうした声に対して、きめ細かく対応することによって個人消費をテコ入れし、地方経済を底上げしていかねばなりません。直ちに行動してまいります。年内に経済対策を取り纏めます。
さらに、来年度予算を編成し、年が明ければ通常国会もあります。農業、医療、エネルギーといった分野で大胆な規制改革を断行し、成長戦略を力強く前に進めてまいります。引き続き経済最優先で取り組み、景気回復の暖かい風を全国津々浦々にお届けしていく決意です」――
今日12月16日の政労使会議で来年の賃上げに向けた要請を行う。上がった賃金で「個人消費をテコ入れし、地方経済を底上げしていく」。そして「年内に経済対策を取り纏め」、そのようにして「景気回復の暖かい風を全国津々浦々にお届けしていく」・・・・
要するにアベノミクスの景気回復の好循環は企業団体に賃上げを要請し、上がった賃金で個人消費を促してモノが売れるようにして、モノが売れた企業から経営を良くしていって、全体的な景気回復につなげていくという方式だけで成り立たせていることになる。
経済対策は年内だろうと、来年だろうと実効性期待不可能を既に証明しているから、アベノミクス景気回復の好循環の要素とはなり得ないからだ。
既にブログに書いたことだが、2012年12月26日に政権を担ってから、2014年4月の消費税5%から8%への増税を視野に入れた、デフレ脱却と実体経済回復に向けた経済対策を打ってきた。
更に消費税増税後は駆け込み需要の反動減を睨んで、それ相応の経済対策を打ち、さらに予定していた2016年10月の10%への消費税増税に向けた経済対策に備えていたはずだ。
《平成25 年度予算案の概要》(国立国会図書館/2013. 3.7.)には次のような記述がある。文飾は当方。
〈「2本目の矢」である財政政策について政府は、1月11日に総事業費20兆円を超える緊急経済対策を閣議決定し、この経済対策を実施するための平成24年度補正予算案を1月15日に閣議決定した(1月31 日国会提出)。そうした中で、平成25 年度予算案は、平成24年度補正予算と一体をなす「15 カ月予算」として編成された。これにより景気の下支えを行い、民間投資・消費の持続的拡大に向けて平成25年6月にも成長戦略(「3本目の矢」)を策定し、実行するとされる。〉――
具体的に見てみる。
12年度補正予算で2.4兆円の公共事業を組み込んだ約10.3兆円の「日本再生に向けた緊急経済対策」に取り組んでいる。
大まかな内訳は次のとおりである。
「復興・防災対策費」約3.8兆円(東日本大震災からの復興加速約1.6兆円+事前防災・減災等約2.2兆円)
「成長による富の創出」約3.1兆(民間投資の喚起による成長力強化約1.8兆円+中小企業・小規模事業者・農林水産業対策約1兆円+日本企業の海外展開支援等約0.1兆円+人材育成・雇用対策約0.3兆円)
「暮らしの安心・地域活性化」約3.1兆円(暮らしの安心約0.8兆円+地域の特色を生かした地域活性化約1兆円+地方の資金調達への配慮と緊急経済対策の迅速な実施約1.4兆円)
要するに「日本再生に向けて」10.3兆円もの経済対策を打った。
そして2013年度本予算。一般会計総額は約92兆6千億円で、経済対策関連約10.3兆円。約5兆2千億円の公共事業費の計上。
12年度補正予算と同様に、「成長による富の創出」だ、「暮らしの安心・地域活性化」だと、名前だけ見ると麗々しい経済対策を並べて、各事業を実施してきた。
さらに13年度補正予算で5.5兆円の経済対策を盛りみ、そのうち1.0兆円を公共事業に回している。
さらにさらに2014年度本予算は一般会計総額95兆8823億円。公共事業費は約6兆円。
この予算でも前予算を引き継いで、「復興・防災対策費」及び「成長による富の創出」や「暮らしの安心・地域活性化」の各事業に予算を配分している。
そして当初予定していた来年10月の消費税率10%引き上げに備えた経済対策として2014年度補正予算を年内に編成する検討を始めたものの、解散で立ち消えとなった。
かくこのように安倍政権発足2012年12月26日からのほぼ2年の間に多額の予算をかけて経済対策を打ってきた。だが、民主党政権を引き継いだ東日本大震災の確かな復興は未だ見えてこないし、「成長による富の創出」も、「暮らしの安心・地域活性化」も、見えてこない。
安倍政権2年間の経済対策の成果が見えてこないことの証明が7月~9月GDP改定値は物価の変動を除いた実質の伸び率が前の3カ月比でマイナス0.5%の2期連続のマイナス、年率換算マイナス1.6%という散々な内容にある。
要するに麗々しく銘打った「日本再生に向けた緊急経済対策」は、安倍晋三は円安と株高を援軍としていながら、経済対策としての実効性を持たせることができなかった。
考えられる理由は二つ。公共事業偏重であることに間違いがあったか、安倍内閣自体に実現能力がなかったかである。
十分に実現能力があれば、政策自体を間違えることはなく、的確な政策を生み出す。的確な政策を生み出してこその実現能力だからである。優秀なアスリートが優れた練習方法を編み出すのと同じである。優れた練習方法が優秀なプレーを生み出す。
政策と実行能力双方に欠陥があると見なければならない。
自らが打った経済対策から成果を何ら上げることができなかったにも関わらず、「この道しかない」と胸を張ってウソぶき、記者会見でも同じフレーズを恥知らずにも繰返している。
安倍政権の2年間で日本経済と国民生活を「どのようにして豊かにしていくのか」取り組んできたにも関わらず、政策と実行能力双方の欠陥とその成果の無効化という前科を正直に自白もせずに、「日本経済を、国民生活をどのようにして豊かにしていくのか、経済政策のかじ取りが今回の選挙に於いて最大の論点・争点になった」と、そのような政策は今後の課題だとばかりに恥ずかしげもなく言う。
「『アベノミクスをさらに前進せよ』という声を国民の皆さまからいただくことができました」と、さも何らかの成果を既に上げているかのように鉄面皮にも言うことができる。
2年間の失敗を隠して、「直ちに行動して」、「年内に経済対策を取り纏めます」と言う。
これまでと同様、所詮、同じ事業項目を並べた経済対策に過ぎないのは目に見えている。そんなものを更に前進させてどうなると言うのだろうか。政策と実行能力双方の欠陥と成果の無効化を繰返すだけのことで、ただ単に自公与党に3分の2を超える議席を与えただけで終わるだろう。
以上のことから読み取ることができる結論は、題名で謳ったように安倍晋三は経団連への賃上げ要請だけでアベノミクスを乗り切ろうとしているということである。
賃上げ要請は国民には分かりやすい。だが、実体経済の底上げ・活発化をせ果たさずに企業も早々に賃上げに応ずることはできるだろうか。2014年春闘のように賃上げが一部の企業にとどまる僅かな金額であったなら、個人消費にさして回らないことになるし、7割を占める中小零細企業の従業者は目に見える賃上げから再び蚊帳の外に置かれないとは限らない。
結果、今年の春闘のように5%から8%消費税増税の3%分と円安を受けた生活物資の高騰分に賃上げ率が追いつかずに個人消費が低迷した同じ情景が繰返さない保証はない。
これが安倍晋三という一国のリーダーの正体である。口先だけの情報操作、自分に都合のいい統計を並ばるだけの情報操作で自身をさも大したことのあるリーダーであり、アベノミクスがさも大層な経済政策であるかのように国民の前に見せている。
2014年12月衆院選挙は自公与党が憲法改正発議可能な3分の2の317議席を上回る前回2年前の325議席プラス1の326議席を獲得する圧勝で終わった。
この圧勝は日本国民のかつてない右傾化が安倍晋三の右翼国家主義の助けとなったからだろう。
日本の韓流ブームは2003年4月からのNHKBS2の韓国ドラマ『冬のソナタ』がヒットしたことによって始まったとされる。それは大きなブームにまで達した。
ブームはいつかは終焉する。終焉するまでの間、日韓国民は精神的に蜜月の関係にあった。韓流ブーム開始後、波はあったものの、9年後の2012年8月10日、当時の李明博韓国大統領が竹島に上陸したことで下火にもなっていた韓流ブームに先ず第一撃を与えた。
そして李明博大統領の日本の天皇批判発言が韓流ブームにトドメを刺した。精神的な蜜月感情が一気に嫌韓感情へと裏返った。
李明博韓国大統領は8月10日の自身の竹島上陸から5日後の日本の植民地支配から独立した記念日8月15日の前日8月14日、忠清北道(チュンチョンブクト)の大学で公演した。
李明博韓国大統領「(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」(YOMIURI ONLINE)
これが大方の日本国民の精神に根づいている日本民族優越意識を痛く刺激した。なぜなら、日本人の日本民族優越意識を根拠づけている精神の核は日本の天皇制であり、天皇の存在だからだ。
いわば天皇は日本国民統合の象徴であるよりも、日本民族優越性の象徴として日本人の精神に生きづき続けている。それが李明博韓国大統領の天皇批判発言によって火がついた。
嫌韓感情は日本民族優越意識によって日本国民を上に置いて、韓国人を下に見る人種差別の構造を内容とするようになった。
そして李明博韓国大統領の2012年8月14日の天皇批判から4カ月後の2012年12月26日の天皇を信奉する日本民族優越主義者であり右翼の国家主義者である安倍晋三の登場以来、嫌韓感情は益々過激且つ攻撃的な姿を取るようになった。
そのキッカケは安倍晋三の歴史認識発言と靖国神社への真榊奉納や参拝そのものに対する韓国と中国の反発に対する日本民族優越意識に基づいた、結果的に安倍晋三の歴史認識と歴史認識に基づいた靖国神社参拝を擁護することになる日本側からのより激しい反発である。
在特会の在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)が嫌韓感情を直接行動で代弁し、日本国民の優越民族意識を示威する役目を担っている。在特会に関係する自民党政治家が結果的に嫌韓感情や嫌中感情に基づいた日本民族優越意識を補強することになっている。
尤も彼ら自体が日本民族優越意識に染まっているのだから、当然の在特会支援と言わなければならない。
だからなのだろう、安倍内閣は今年2014年8月に国連人種差別撤廃委員会(ジュネーブ)から人種や国籍で差別を煽るヘイトスピーチを法律で規制するよう勧告を求められていながら、現行法の適用での処理に重点を置いて、新しい法規制に不熱心となっている。
ヘイトスピーチや日本国民の日本民族優越意識に則った嫌韓感情からの韓国人に対する嘲笑・侮蔑はかつての朝鮮人差別の再来である。
日本人の嫌中感情は沖縄の尖閣諸島に対する中国の領有権主張と中国公船による領海侵犯と安倍歴史認識等に対する中国側からの批判に対する日本国民の日本民族優越意識からの反発によって醸成された。
安倍晋三の中国批判一辺倒の姿勢が対中外交の無策を隠したものだと気づかずに結果的に巧まずして多くの日本国民の嫌中感情を煽る役目を果たしていた面があるはずである。安倍晋三自身、日本を上に置きたい日本民族優越意識が災いして、バランスの取れた外交を演ずることができなかった。
いわば安倍晋三の日本民族優越意識が日本国民の現在の嫌中・嫌韓感情を太い幹にまで育み、日本国民の右傾化を側面援助したと言うことができる。そして日本国民のその右傾化が巡り巡って今回の2014年12月総選挙の安倍自民党圧勝の助けとなった。
天皇制及び天皇の存在を根拠とした日本民族優越意識は日本人が侵されている島国根性を土壌として育んだ狭隘且つ独善的なメンタリティに過ぎない。個々の人間が個の存在として自律し得たとき、国籍や民族で人間の優劣を価値づける価値観はあまりにも閉鎖的であり過ぎ、島国根性の独善性・閉鎖性に依拠せずに育まれることはないだろうからである。
そのような独善性・閉鎖性から離れて、何人でもない、どの民族でもない、国籍や民族から自律した個々の存在として相互に対峙することができるようになったとき、国籍や民族で人間の優劣を価値づける差別観から免れることができる。
在特会の人間や嫌中・嫌韓感情から中国や韓国及び双方の国民に対して差別意識をぶっつける日本人は個として自律していない人間だと言うことである。
安倍晋三の右傾思想と日本国民の右傾化が化学反応し合って、日本は益々危険な国としての姿を露わにするに違いない。
生活の党PR
《「衆議院総選挙の投票日を迎えるに当たって」小沢一郎生活の党代表》
衆議院議員総選挙も本日いよいよ投票日を迎えます。
私たちは、強い者ものだけを優遇する「アベノミクス」から、大多数の国民の生活を豊かにする「生活者本位の国」へ日本を転換することを強く訴えてきました。
安倍政権下で、一部の大企業や富裕層は大きな利益を挙げましたが、それ以外の大多数の国民は、所得が増えないのに消費税率や物価だけが上がり、生活は苦しくなる一方です。「アベノミクス」は大多数の国民にとって何も良いことがありませんでした。
今回の総選挙の本当の意味は、この破たんが明確になった「アベノミクス」を継続するのか、それとも国民の力でこの流れを止めるのか。それを国民の皆様が自らの意思で決める絶好の機会であります。
政治とは国民の生活を守るためにある。それが私たち生活の党の基本理念であります。全国どんな山村に住んでいても、どんな離島に住んでいても、すべからく国民が安心して暮らせる。そういう国土を、日本をつくることこそ、政治本来の役割であります。
「国民の生活が第一」の政治理念のもと、「生活者本位の国」をつくるという私たちの主張は、日を追うごとに理解され、生活の党への支持が全国で確実に広がっています。しかし、「生活者本位の国」は、国民の皆様のご理解とご協力なしには実現できません。
生活の党は、国民とともに歩む「生活者本位の国」へ必ず日本を変えていきます。私たち生活の党ならびに生活の党候補に国民の皆様のさらなるご支持とご支援を賜りますよう、心より重ねてお願いを申し上げます。
国家主義とは「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(「大辞林」)を言う。
しかし現代は個人の権利・自由を最大限に尊重しなければならないとされている。そのため表向きは最大限に尊重するタテマエを取りつつ、特に経済的な利益の点で国民の利益よりも国家の利益を最優先させて、国民を国家の利益に奉仕する存在とすることで国家主義はその装いを存続させている。
国家の利益により多く奉仕できる国民は自らがより多くの経済的利益を獲得し得た存在であるのは断るまでもない。
個人の権利・自由は常に絶対的な姿を取るわけではない。現代の国家主義がこのような構造を取るために個人の権利・自由が経済的利益に応じて左右されることも起こり得る。
つまるところ、国家主義とは国民の在り様よりも国家の在り様を優先させると翻訳することができる。
究極の国家の在り様とは偉大な国家であることは断るまでもない。
当然のこと、現代の国家主義は個々の国民の生活の成り立ちよりも国家の偉大さを求めることになる。個人に優先させて国家の偉大さを求める。
例えばGDPの規模とか、経常収支とか、貿易額とか、外貨準備高とか、有効求人倍率とか、鉱工業生産指数とか、住宅着工率とか、個人消費支出とか、企業の設備投資額とか等々、国家の在り様・体裁を最重要視する。
雇用にしても、その中身は問わずに全体数の増加のみを優先させる。どのような雇用の増加であっても、企業が利益を得ている証明となり、利益を得た企業が支払う税金によって国家の税収が増え、GDPの規模が大きくなれば、国家としての地位を与えられて、その持続性によって偉大な国家としての誉れを獲得し得る。
また、企業が大きな利益を得て国家の地位と偉大さの獲得に貢献するためにはも、国際競争力をつけるためにも搾取の構造を持った経営がよリ大きな力を与える。
「搾取」とは、階級社会に於いて、生産手段の所有者が生産手段を持たない直接生産者から、その労働の成果を無償で取得すること。資本主義社会では、資本家が労働者から剰余価値を取得することと、ネット上にこのような解説があった。
「直接生産者から、その労働の成果を無償で取得する」とは労働の成果に対して報酬を与えないことを意味する。現代では報酬を与えない労働の強制は許されない。
現代の搾取は与える報酬に差をつけることによって、その差額分を利益とする形で行われている。
例えば同一労働でありながら、正規社員にはそれなりに労働に見合う賃金を支払うが、非正規社員の場合は正規社員に支払う賃金に相当する賃金を支払わずにより少ない賃金で働かすという、差をつける形で搾取は行われる。
当然、企業は同一労働でありながら、より少ない賃金で働かすことのできる非正規社員を多く雇用する程に搾取は実効性を発揮し、より多くの利益を上げることができて、国家の地位と偉大さ獲得に貢献することが可能となる。
結果として国家優先の国家主義を母として生活の格差が生じることになる。現在の格差はは安倍式国家主義が生みの親であるというわけである。
安倍晋三が雇用の中身を問題とせずに「雇用が100万人増えた」と選挙戦前から言い、選挙中も言い続けることができたのは個々の国民の生活の成り立ちよりも国家の成り立ちを優先させる国家主義に立っているからに他ならない。
安倍晋三が選挙中に非正規に言及し出したのは非正規解消に向けた政策を述べるためではなく、野党の批判に反論するためでしかなかった。
安倍晋三が考えている現行の労働時間報酬主義から成果報酬主義への移行を目指す新たな「労働時間制度」の創設にしても新しい搾取の形を用意して、企業が利益を上げる機会とし、個人の利益ではなく、国家の利益獲得に貢献させようとする意図からのものであろう。
安倍晋三が「賃金が上がるよりも株価が上がった方が資産効果の点で経済に対する影響は大きい」と言っていることも、国民の在り様よりも国家の在り様を優先させる国家主義からの主張であるはずだ。
「資産効果」とは「保有する土地や株式などの資産価格や資産残高の実質価値が高まり、それが個人消費・住宅投資・設備投資などを刺激する現象を言う」とこれもネットで解説されているが、一般国民には無縁な消費や投資の形であって、無縁であることを無視して賃金上昇よりも株価上昇を優先させているのだから、国家利益を優先させた国家主義と言う以外にない。
安倍晋三は2014年9月25日午後、国連本部で国連総会の一般討論演説を行った後、ホテル「ニューヨーク・グランドハイアット」で内外記者会見を行っている。
安倍晋三「日本が、再び、世界の中心で活躍する国になろうとしている。そのことを改めて実感いたしました」
国連総会の一般討論演説での反応から、そのように実感したということなのだろう。
だが、「世界の中心で活躍する国になろうとしている」と言っているとき、そこには生活弱者とか非正規とか、子どもの貧困とか、母子家庭等々に向ける視線は一切ない。国家の地位と偉大さを願望する国家主義のみを自分に纏わせていたから発することができた発言である。
安倍晋三の「日本の世界の中心」願望が満たされて、国家の地位と偉大さを獲得し得たとき一般国民の生活も底上げされて少しは豊かになることができるだろう。
だが、それは国民の在り様よりも国家の在り様を優先させた国家主義に基づいた、それゆえに搾取を受け、拡大した格差の下限方向に位置する利益でしかないことを自覚しなければならない。
安倍晋三が戦前の大日本帝国を軍事力・経済力共に世界に於ける大国としてのその国家の地位と偉大さの点で信奉していることも自らの国家主義から発している思想であろう。
安倍晋三が首相であり続ける限り、特に経済によって影響を受ける国民の様々な存在の姿は国家優先・国民従属の国家主義の扱い=格差の扱いから免れることはできないだろう。
テレビなどの報道に関わっているジャーナリストたちが発起人となって、「『表現の自由』と報道を考える会合における緊急メッセージ発表・記者会見のお知らせ」と題する案内を報道機関に送った。
記者会見の日付は2014年12月11日、場所は参議院議員会館地下1階。「『表現の自由』と報道を考える」キッカケは、案内に、〈自由民主党筆頭副幹事長・報道局長の連名による「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書が送られたこと〉としている。
その結果、〈いま、テレビの報道現場では、政権与党から放送局上層部に直接渡された「お願い文書」によって、かつてない萎縮ムードが蔓延しています。〉という状況に陥っていて、このような憂慮すべき状況を受けた緊急メッセージ発表と記者会見ということらしい。
だが、である。なぜ「萎縮ムード」を蔓延させることになっているのだろう。もし蔓延させているとしたら、戦前の軍部や国家権力の検閲を手段とした報道弾圧を学習していないことになる。報道側は国家権力側の意に添わない記事が黒塗りにされて戻ってくると、先ず検閲に引っかからない記事を書く萎縮に基づいた自主規制を学習し、次に国家権力に気に入れられる記事を書く慣れ合いを学習、身につけていったという。軍部や国家権力の意向への一体化である。自らの意向=言論、主義主張を放棄した。
一旦、「萎縮ムード」とう名の自主規制に入ったなら、それを初期的段階として、慣れ合い、そして一体化、自らの言論や主義主張の放棄の段階へと進んでいかないとは限らない。
また、「萎縮ムード」は政治家側の意図の忖度という心理作用から発しているはずだ。
発起人たちも同様の危惧を抱いている。〈番組の準備段階からテーマ設定や出演者の忖度や自粛がおこなわれれば、視聴者にわからないままに事実上、放送番組が政権与党から干渉され、規律されることになってしまいます。いまや、放送法第一条が謳う「放送による表現の自由」や「放送が健全な民主主義の発達に資する」ことが危機に瀕している、と私たちは考えるに至りました。〉――
但し発起人たち自身が「萎縮ムード」に囚われていないだろうか。いわゆる「お願い文書」の差出人名は萩生田光一自由民主党筆頭副幹事長と自民党所属の衆議院議員福井照広報本部報道局長である。
それを役職名のみ書いて名指ししないところに自主規制と言うこともできるある種の忖度=「萎縮ムード」を感じないわけにはいかない。
案内に同封した《「表現の自由」と報道を考える会合 緊急メッセージ》には「お願い文書」の問題点を次のように言及している。
〈(1)「中立」という誤った考え方を放送局に要求……対立する両者から等しく距離を置き、どちらの味方もしない「中立」は、言論報道機関が必ず守るべき原則ではありません。仮に政党Aが独裁政治を目指して政党Bと対立すれば、民主主義社会の言論報道機関が政党Aを批判して当然です。「健全な民主主義の発達」を謳う放送法の趣旨からは、放送局は政党Aを必ず批判しなければなりません。
(2)放送の「政治的な公平」を番組単位で要求……放送法が放送局に求める「政治的な公平」は、単一番組で必ず実現すべきものではありません。政治的な公平は、一定期間に流された放送番組全体で判断すべきです。このことは、放送を所管する総務省(旧郵政省)の過去の答弁からも明らかです。〉――
いわば萩生田光一と福井照広報本部報道局長が差出人となった「お願い文書」が要請している政治的中立性と政治的公平性を否定し、報道に於けるあるべき政治的中立性と政治的公平性を示し、主張した。
後者の「一定期間に流された放送番組全体で判断すべき」だと主張している政治的公平性の根拠として、「放送を所管する総務省(旧郵政省)の過去の答弁からも明らかです」としている。
「過去の答弁」をネットで探してみたが、見つからなかった。根拠として挙げる以上、第何回の衆議院か参議院、いずれの国会の何月何日のどの委員会でその発言があったのか把握しているはずである。
根拠の確かさを自分たちの言論や主義主張に合わせることを求める形の報道規制欲求を抱えている安倍晋三とその一派に伝え納得させるためにも、あるいは表現の自由の危機を憂えている多くの国民に知らせるためにも発言の出所を明白にすべきだし、大体が報道の基本はいつ・どこで・誰が・何をしたかであるはずだが、その基本も忘れて、納得させることができるかどうかも分からないままに自分たちのみの根拠としている。
発起人たちが著名なジャーナリストでありながら、こうも小じっかりしていないところを見ると、現場の放送人たちの間に忖度から発した「萎縮ムード」が蔓延するのも無理はないのかもしれない。
安倍晋三と中川昭一がNHKの番組に政治介入、改変させたとした裁判で高裁は政治介入の事実を認定せず、「NHK幹部が政治家の意図を忖度して番組を改変した」とする事実認定にとどめたことを以って安倍晋三は自身の政治介入を無罪としているが、萩生田光一の「お願い文書」を出す2日前に安倍晋三はTBS「NEWS23」に出演して、番組が景気の実感を街行く人にインタビューした、いわゆる街の声を聞いた際、アベノミクスに否定的な声が多かったことに、「街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら」とテレビ局の情報操作を疑っている。
この関連性から言うと、「お願い文書」がテレビ各局に出演者の発言回数や時間等の公平性等々を要請しているものの、「アベノミクスを評価する声をもっと出せ」と暗に要求することを通して、安倍晋三を背後に置いた報道側に対する政治の側からの安倍晋三とその一派の言論・主義主張を忖度させる意図を含んでいる疑いが濃い。
いわば“忖度”という人間心理を利用した政治利用、もしくは政治介入である。
同じことを繰返すが、何しろ萩生田光一の「お願い文書」一通で報道現場に忖度から発した「萎縮ムード」が蔓延したのである。
高市早苗が総務省としてマスコミに慎重な当確放送を要請したことも、例えそれが政治的圧力や政治的介入を背景としていなくても、そこに否応もなしに報道側からの「何のために」と要請の意味を問う忖度を介在させることになる。報道側が過剰反応して、ありもしない意味づけを忖度に付与するケースも否定できない。
土台、表現の自由、思想・言論の自由を抱えている生きものである人間にいくら報道を職業としているとは言え、「放送の不偏不党」や「政治的公平性」の名の下、自らの言論、あるいは主義主張の表明に不自由を強いる、あるいは封印させる、あるいは忖度という心理的な檻に閉じ込めて、萎縮させたりするのは精神的拷問を与えるに等しい。
この不自由や精神的拷問から解放して、自由な報道をさせるためにも、あるいは報道側が国家権力の言論弾圧に屈する万が一の危険性を奪い取るためにも、あるいは国家権力側が報道機関や国民の表現の自由、思想・信条の自由等の基本的人権を奪う機会を排除するためにも放送法を改定、1987年にフェアネス・ドクトリン(報道の公平原則)を廃止したアメリカのテレビのように「放送の不偏不党」や「政治的公平性」を規定した条文を削除すべきではないだろうか。
後は放送人の良識に恃(たの)む。
このようにでもしなければ、安倍晋三とその一派の自分たちの言論や主義主張に合わせることを求める形の報道規制欲求は最初は“忖度”の心理を利用した政治的圧力であったとしても、徐々にエスカレートして、いつの日か戦前の報道弾圧と似た道のりを二の舞いとしない保証はない。
いずれにしても、報道の自由、表現の自由、思想・信条の自由等々に関して安倍晋三は危険人物という他ない。
昨日の深夜から今朝にかけの衆院選終盤情勢を伝えているマスコミのネット記事はどれも自民党が300議席の勢い保っているとして、民主党や維新の党は勢いを得ることができず、苦戦を敷いられているようだが、このまま雪崩れ込む情勢にあるようだ。
安倍自民党にそんなに勝たせていいものなのかどうか、この辺で一考すべきではないだろうか。
衆議院選挙公示前日12月1日(2014年)の8党首による日本記者クラブ党首討論会での安倍晋三のウソ・ゴマカシは集団的自衛権の議論にも及んでいる。今回はそのウソ・ゴマカシを見てみようと思う。
先ず党首が党首に質問し、答弁する形式の第1部から海江田民主党代表が安倍晋三に質問したところから入る。発言の中から集団的自衛権に関する議論のみを取り上げて、他の議論は削除する。
幸いにも文字化した記事をネットで見つけたので、質疑はそれに拠る。年寄りにはキツイ、ビデオを聞き取れない個所を何度も巻き戻したりする手間が省くことができて、誰からも貰ったことのないクリスマスプレゼントを早めに貰った感じがする。文飾は当方。
《日本記者クラブ8党首討論会》
海江田民主党代表「集団的自衛権は、先ほども話が出ましたけれども、日本の国が攻撃されていないのにもかかわらず、やっぱり日本の国の自衛隊が他国で戦争をやるということになるわけですけれども、これと、これまで日本が国是に掲げてきました専守防衛とが、どうやって整合性がとれるのか、これは矛盾するんではないだろうかと思いますが、わかりやすく、どうして専守防衛の原理原則とこの集団的自衛権が矛盾をしないのか、お答えをいただきたいと思います」
司会「安倍さん、最初の質問に端的に答えたうえで、1 分間で集団的自衛権をお願いしますよ」
お前さんは本題には答えずに関係ないことを長々と喋る悪い癖があるから、手短に答えろよとは残念ながら司会は注文をつけなかった。
安倍晋三「集団的自衛権につきましては、これはわれわれ、先般、7 月1 日に閣議決定を行ったところでありまして、一部容認をいたしました。しかし、その際、われわれは厳しい3要件をつけたわけでありまして、その3要件とは、『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること』ということがちゃんと入っているわけでございまして、事実上、先ほど山口代表が示されたように、他国のいわゆる一般的な集団的自衛権全部を認めることとは違うわけでございまして、そのままにしておきますと、まさにわが国が大変な状況になってくるという状況において行う。集団的自衛権という武力行使においては、そういう歯どめがしっかりとかかっているわけであります。
来年、法整備を行うわけでありますが、当然、自衛隊を動かしていくときには国会の承認というのは当然必要になってくるだろうと、このように考えております」
司会「ありがとうございました」
一問一答形式であるために、一旦はここで打ち切りとなった。
2部に入って、朝日新聞の星浩が山口公明党代表と安倍晋三に問い質している。
星浩朝日新聞社特別編集委員「外交安全保障の問題に移ります。集団的自衛権について、山口さんに具体的にお伺いします。現在の安倍政権の閣議決定によりますと、例えば、戦闘中のペルシャ湾に機雷が撒かれたときに自衛隊の掃海艇はそこに出動して掃海作業ができるのか、できないのか、山口さんの見解をお伺いしたいと思います。
山口公明党代表「機雷掃海一般は、停戦やあるいはその停戦の合意、実質上の停戦等が行われれば、国際協力でやっていいことだと思います。しかし、戦闘行為として敷設されているところを取り除く、これ自体も戦闘行為とみられる状況であれば、これは慎重に考えなければいけないと思います。
今回、閣議決定で決められたことは、先ほど申しあげた新しい3要件、つまり国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されることが明白な場合、明白な危険がある場合、こういうことですから、それに当てはまるかどうか。
これを安倍総理あるいは内閣法制局長官ともに同じ答弁をされていらっしゃいますが、国会では、他国に対する武力攻撃が発生した場合において、つまりペルシャ湾での機雷敷設ですね、わが国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であるかどうか。これは単なる経済的利益が損なわれるということだけではだめですよ、という考え方です。
もう一つ、そのわが国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断するんだ、このように答弁されています。
ですから、そのペルシャ湾の実際に起こる事態が、こういう閣議決定及び予算委員会の答弁、この基準に合うかどうか、これを判断していくことが重要だと思います。それに基づいた法律をこれからつくっていこうと考えているわけです」
星浩朝日新聞社特別編集委員「一時的に石油が途絶えるということは、根底から覆る事態ですか、事態じゃありませんか」
山口公明党代表「いま言ったような、戦禍がわが国に及ぶ蓋然性とか、わが国の国民がこうむる犠牲が深刻、重大だ、ということはなかなか簡単には言いにくいことだと思います」
星浩朝日新聞社特別編集委員「安倍総理、その点についてはいかがでしょう。安倍総理は、石油が途絶えることは根底から覆る可能性について言及されていますけれども、いまの山口さんの考え方についていかがでしょうか」
安倍晋三「これは個別の状況、世界的な状況で判断をしなければいけません。ホルムズ海峡が完全に封鎖をされているという状況になれば、これはもう大変なことになって、油価は相当暴騰するということを考えなければいけないわけでありますし、経済的なパニックが起こる危険性というのは世界的にあるわけでありまして、そこでこの3要件とどう当てはまるかということを判断していくことになります。3要件に当てはまる可能性は私はあるとは思います。
ただ、同時に、先ほど山口代表がおっしゃったように、戦闘行為が行われているところに、普通、自衛隊の掃海艇は行きません。自衛隊の掃海艇というのは木でできていますから、そもそも戦闘行為が行われているところに行ったら一発でやられてしまうわけであります。そこで、通常は、停戦が完全に行われている状況で、停戦が行われた後、行きますが、しかし、事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていなければ、要するに国際法上、機雷を掃海することは集団的自衛権の行使に当たりますから、そういう状況、これはなかなか起こり得ないのですが、想定外ということは許されませんから、そういうときのために、事実上、今回閣議決定を行っている、ということであります。
事実上、戦闘行為はほとんど行われていませんが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況というのはあり得るわけでありまして、数カ月間、その間も、しかし、しっかりとやっていかなければいけないという考えでありますが、当然その間、その決定するうえにおいては、3要件に適合しているかどうか、そのうえにおいてさらに国会で判断もいただくことになります」(以上)――
山口公明党代表は、実質的に停戦が成立している場所での機雷掃海は可能だが、戦闘行為中の機雷敷設に対する掃海は戦闘行為を伴うことになるから、「慎重に考えなければいけない」と言っている。
しかし集団的自衛権という観点から言うと、山口代表の言っていることには矛盾がある。
集団的自衛権とは同盟国と共に戦うこと、あるいは共に戦争をすることを意味するから、実質的に停戦が成立している場所での機雷掃海は集団的自衛権の論外であって、単なる国際協力に過ぎない。
当然、このようなケースの場合、例え3要件に当てはまったとしても、集団的自衛権の行使としての機雷掃海とはならない。議論に載せること自体に矛盾が生じる。
では、山口代表は敵国によって戦闘行為の一環としてペルシャ湾に機雷が敷設されて石油の輸送がストップして日本のみならず世界が重大な経済的被害を被る危険性が生じた場合はどう考えているかというと、「単なる経済的利益が損なわれるということだけではだめで」、「わが国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況あるかどうか」等、閣議決定や安倍晋三と内閣法制局長官の国会での答弁を引用して、その基準に合うかどうか判断していくことが重要だとしている。
山口代表にしても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断された場合は戦闘行為中の機雷掃海であっても、認めるとしていることになる。
だが、こういった問題設定自体が山口代表の場合は前の発言と矛盾することになる。なぜなら、このような問題設定は自身が「慎重に考えなければいけない」と言っている戦闘行為中の機雷掃海となるからだ。
要は戦闘行為中であろうとなかろうと、すべては3要件が基準になるということを言っているに過ぎない。
では、安倍晋三の議論を見てみる。
ホルムズ海峡の完全封鎖は「3要件に当てはまる可能性は私はある」と答えている。
但し議論の展開にウソとゴマカシを紛れ込ませている。
山口代表と同様に完全停戦が実施されている場合は集団的自衛権行使の対象とはなり得ない。対象とするのは戦闘中か、停戦が合意されていながら、その合意が完全には守られていない準戦闘行為中を前提としなければならない。
安倍晋三も「戦闘行為が行われているところに、普通、掃海艇は行きません」と断っている。但し「普通」と断りを入れいている。“特別”の場合は、戦闘中でも準戦闘中でも対象となり得るというわけである。そのための「閣議決定」だと。
安倍晋三にしても山口代表と同様に、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断された場合は、いわば「3要件」に当てはまると判断された場合は戦闘行為中、あるいは準戦闘行為中の機雷掃海を集団的自衛権行使の対象とすることを自身の真意としているということである。
だが、安倍晋三は自身の真意を国民に分かりやすいように正直に端的な言葉で説明はしていない。いわば明確には説明責任を果たしていない。ゴマ化そうとする意識があるからだろう。「戦闘行為が行われているところに、普通、掃海艇は行きません」と言い、「掃海艇というのは木でできていますから、そもそも戦闘行為が行われているところに行ったら一発でやられてしまうわけであります」と言って、さも戦闘行為中や準戦闘行為中の集団的自衛権行使はないかのように思わせている。
勿論、本心は別のところにある。それも適正な判断であるかのように思わせる言葉の使い方をしている。
「事実上、戦闘行為はほとんど行われていませんが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況というのはあり得るわけでありまして」という表現で戦闘行為が殆どないかのような言い振りで、実際には完全停戦合意ではない以上、機雷掃海阻止の攻撃の可能性は排除できないのだから、準戦闘行為中以外の何ものでもない状況を対象として、「3要件」に適合しているかどうかの判断と、「国会で判断もいただくことになります」との言葉遣いで国会の承認を前提に集団的自衛権行使を「しっかりとやっていく」と結論づけている。
国会の承認にしてもクセモノである。国民の大多数が反対であったとしても、安倍自民党が衆参共に単独多数を占めていたなら、国民の反対は有効性を失って有名無実となるからだ。
安倍晋三は普天間の辺野古移設と同様に民意に従わずに自身の意思に従って集団的自衛権の行使を行うだろう。
準戦闘行為中だけではない。戦闘行為中であっても、国会で多数派の議席を占めていたなら、それを力として行使を可能とすることができる。
当然、12月14日の衆院選投票日で自民党に議席を与えれば与える程、安倍晋三の集団的自衛権行使の力を増殖させて、万能に近い場所に鎮座させることになる。
国民自らがそうさせるということである。
だが、そう思わせないところに安倍晋三のウソとゴマカシで成り立たせた光り輝く雄弁術の存在意義がある。
安倍晋三は「掃海艇というのは木でできていますから」と言っている。ネットで調べたところ、機雷爆破の方法の一つとして磁気を使用する場合があり、この磁気対策のために船体が鉄ではない木造船が使用されることになったようで、現在は非磁性鋼製や繊維強化プラスチック (FRP)の採用の船が広がっているということだが、例え木造船でも準戦闘中、あるは戦闘中の海域に派遣して、それを護衛する空母や駆逐艦、戦闘機を派遣して、敵の攻撃に対して防戦の撃退行為、あるいは戦争行為を行って、“立派に”集団的自衛権の行使を全うするに違いない。
安倍晋三の軍国主義・国家主義がそう仕向ける。