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《12月9日小沢一郎生活の党代表各メディア出演ご案内》
『吉田照美 飛べ!サルバドール』(文化放送/AM1134)
日 時:平成26年12月9日(火)15:00~17:50
小沢一郎代表出演時間(16:15~16:25)
内 容:今回の選挙に向けて、最も訴えたいこと
景気対策・エネルギー対策・外交政策等
BSフジ「プライムニュース」
日 時:平成26年12月9日(火)20:00~21:00
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:選挙の争点・党の選挙戦略
BS11「報道ライブ21 INsideOUT」
日 時:平成26年12月9日(火)21:00~21:54
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:「2014総選挙 各党幹部に聞く」
〇今回の総選挙の最大の争点は
〇具体的に何を訴えるか
TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」
日 時:平成26年12月9日(火)22:00~01:00
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:総選挙に向けて、各党党首に聞く
【謝罪】昨日のブログ冒頭の衆院選中盤情勢を伝えている記事紹介で、「asahi.com」記事と書いてしまいましたが、「毎日jp」記事の誤りでした。訂正しておきました。謝罪します。
衆議院選挙公示前日12月1日(2014年)の8党首による日本記者クラブ党首討論会では安倍晋三は数々のウソを垂れ流して平然としていて、そのウソに関して既にブログで2回取り上げたが、今回は村山談話と靖国神社参拝についての歴史認識発言のウソを取り上げてみる。
倉重篤郎毎日新聞政治部長「歴史認識問題なんですけどね、安倍さん、先日のテレビでね、あの、来年戦後70年、安倍談話をつくるという明確なお話をされていたと聞きましたけどね、そして私は50年と60年の談話を見たんですね。村山、小泉談話ね。そこにはですね、一般的認識としてね、やはり植民地支配であったこと。ね、それから、侵略であったことについて明確な認識を披瀝(ひれき)し、その上に立って日本はどうすると、いうことが書いてあります。
でー、去年ね、安倍さんとこの場でですよ、議論した時にね、安倍さんはこの二つの言葉は政治家は使うべきじゃないと、ね、これは学者が使うべき言葉であって、えー、私はそれ程、おー、何と言いますか、あのー、利己的じゃないと、いう趣旨のお話をされた。ね。
で、実は、しかし、えー、来年もし、そのー、談話を出すとすればですね、これ極めて政治的な談話ですよね。その政治的な談話の中で、えー、この二つの、おー、一つの情勢認識について、安倍さんどう書かれるつもりなのか、今回は是非、あの、結論を聞きたいと」
安倍晋三「あの、まあ、歴史認識については今倉重さんが例として挙げられた、あー、この、おー、小泉談話、そして村山談話。全体として受け継いでいるということは既に政府の、えー、いわば正式な見解として私申し上げている通りであります。
その上に則りまして、来年は70年を迎えます。えー、70年を迎える段階に於いて、もし、安倍政権がこの選挙で勝ち抜くことができて続いているんであればですね、えー。我々の政権として、安倍政権としての談話を、えー、出したいと、こう考えています。
それは、あー、えー、先の大戦に、の反省、そして、その後のですね、戦後の歩み。さらにはこれから日本はどういう、うー、国として、えー、地域や世界のためにどういう貢献をしていくんだということもきっちりと、おー、書き込んでいきたいとなあ思います。
えー、まあ、政治家としてはですね、かつて中曽根康弘元総理が発言しておられます。これはあの、えー、先般倉重さんが発言した通り、正しかったんで、えー、私の考え違いであって、記憶違いであったんですが、えー、政治家で発言されている方がいますが、基本的にはですね、えー、歴史に対しては政治家は謙虚でなければならないという姿勢は基本的には変わりがないわけでありますが、今申し上げましたように、70年を迎え、えー、そして次の80年、90年、100年に向けてですね、日本はどのような国になっていくかっていうことを世界に発信できるようなものを、これから、えー、英知を結集して、えー考えていきたい。
倉重さんのお知恵もお借りしたいと、このように思います」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「あのね、安倍さんね、その靖国参拝、それをするかしないかなんていうことは言ってないんです。言ってないけど、靖国参拝問題て言うのはですね、よく考えるとね、要は、その戦争責任をどう考えるかという問題だと思うんですよ。ね。中国とか、アメリカは、やはりその、戦争責任はA級戦犯にあると、いうことで、安倍さんの靖国参拝に対しては比較的批判的な。
ね、だけど安倍さんは、まあ、それを抜きにして参拝をされた。しかし、じゃあ、安倍さんはね。あの戦争がですね、責任をですね、どう、どう、誰の責任だとね、把えられているのか。軍部の責任なのかね、政治家の責任なのか、メディアの責任なのか。天皇の責任なのか、国民の責任なのか。
これ、1分の中で喋るのは非常に難しいと思いますけど、安倍さんのね、やはりそういう歴史感覚を知るためには非常に重要な、私は、あの、材料だと思いますから、是非その辺の披瀝を1分の間だけですけど」
安倍晋三「あのー、まあ、昨年、私は、あー、靖国神社に参拝を致しました。日本から、あー、遠く離れて、えー、祖国を思い、家族の行く末を案じながら、尊い命を落とされた方に対して、えー、手を合わせ、ご冥福をお祈りする。これは世界各国のリーダーの共通の姿勢なんだろうと、私はそう思うわけであります。
それは、誰に責任が、という問題ではありません。心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題なんだろうと、こう思うわけであります。
えー、そこで、では先の大戦はどこに原因があったか。これこそまさにですね、まさに、えー、歴史家の判断に委ねなければなんない、と思うわけでありまして、えー、その意味に於いて、様々な方々がですね、えー、あの戦争の原因。果たしてあの戦争を止めることができたかどうか、ということも含めてですね、様々な論文が、あー、えー、出されているわけでありまして、我々政治家はですね、謙虚にそうした、あー、書物に目を通しながらですね、今後、おー、日本を平和な国にしていく、世界の中で誇りある国にしていくという使命を果たしていくことが、私の責任ではないかと、こう考えております」(以上)
安倍晋三が「政治家としてはですね、かつて中曽根康弘元総理が発言しておられます。これはあの、えー、先般倉重さんが発言した通り、正しかったんで、えー、私の考え違いであって、記憶違いであったんですが」と言っていることは、2013年7月4日公示の第23回参議院議員選挙の前日7月3日に同じく日本記者クラブで行われた9党首党首討論で、安倍晋三が「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と言ったのに対して、倉重が「歴史の総合的判断は政治家がすべきだ。中曽根元総理がそういう判断をしている」と反論。対して安倍晋三がそれを最後まで否定し、倉重が水掛け論になるからと引き下がったことを指す。
先ず「村山談話」について「全体として受け継いでいる」と言っている。と言うことは、個々の点では受け継いでいないことを意味することになる。
ではどの点を受け継いでいて、どの点を受け継いでいないか、多くの記事で取り上げられていることだが、私なりに過去の国会答弁と「村山談話」から見てみる。
2013年2月1日の「第183回国会参議院本会議」での福島みずほ当時社民党代表の質問に対する国会答弁。
安倍晋三「村山談話及び河野談話についてのお尋ねがありました。
いわゆる村山談話は戦後五十年を機に出されたものであり、また、戦後六十年に当たっては、当時の小泉内閣が談話を出しています。
我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります。その上において、しかるべき時期に二十一世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については、今後十分に考えていきたいと考えております。
また、河野談話については、昨日も国会にて答弁申し上げたとおり、私としては、この問題を政治問題、外交問題化させるべきではないと考えております。この談話は当時の河野官房長官によって発表されたものであり、総理である私からこれ以上申し上げることは差し控え、官房長官による対応が適当であると考えております」――
「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」としている歴史認識に関する点は歴代内閣同様に安倍内閣は受け継いでいくと言っている。
安倍晋三のこの点の答弁について白眞勲(はく しんくん)民主党議員が2013年4月22日の第183回国会参議院予算委員会で取り上げ、追及している。
白眞勲民主党議員「そこでポイントになるのが歴史の認識問題だと思うんですけれども、総理は村山談話については、せんだっての参議院本会議でも、『我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました、その認識においては安倍内閣は歴代の内閣と同じ立場であります』、その上において、しかるべき時期に21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については、今後十分に考えていきたいとしております。この認識でよろしゅうございますね。
安倍晋君「先般の本会議で答弁したとおりでございます」
白眞勲民主党議員「村山談話継承ということですね。
安倍晋三「この村山談話について言えば、言わば村山談話において述べられた点について私が共感できる点について今御紹介をいただいた、それを私は答弁させていただいたわけでございますが、言わば村山談話は戦後五十年を契機として、戦後五十年に出された談話でございます。そして、今の安倍政権の考え方としては、これを継承する継承しないということではなくて、六十年には小泉政権の談話が出されているわけでございまして、あれからもう十数年時を経ておりますので、例えば七十年を期して新たな談話を出していくということも考えたいと、このように考えているということでございます」
白眞勲民主党議員「私が聞きたいのは、村山談話は継承するのかどうか、その一点なんですけれども、お聞かせください」
安倍晋三「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません。言わば、これは五十年に村山談話が出され、そして六十年に小泉談話が出されたわけでありまして、これから七十年を言わば迎えた段階において安倍政権としての談話をそのときに、そのときの言わば未来志向のアジアに向けた談話を出したいと今既に考えているところでございます。
白眞勲民主党議員「いや、ちょっと今驚きましたね。村山談話を継承するわけではないということをお話しいただきましたけれども、靖国について稲田大臣にお聞かせいただきたいと思うんですけれども、あなたは、どうでしょう、稲田大臣は八月十五日、靖国神社へ行くんでしょうか。
稲田朋美「安倍内閣の一員として適切に判断し、行動してまいりたいと思います」(以上)
白眞勲民主党議員は深追いせずに「いや、ちょっと今驚きましたね」と言ったきりで、質問内容と質問相手を変えてしまった。
「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません」は 2月1日の参議院本会議での答弁「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります」の簡略化した言い替えに過ぎない。
つまり「村山談話」が示している一部の歴史認識は受け継ぐが、他の部分は受け継がない。だから、そのまま継承しているわけではないということになり、これが安倍晋三が「全体として受け継いでいる」と言っていることの意味となる。
当然、継承している歴史認識よりも継承していない歴史認識を取り上げなければならないが、多くの議員の殆どの追及が継承するかしないかを問題としている。
「村山」談話から、安倍晋三が継承している歴史認識と継承していない歴史認識を見てみる。
全文は外務省サイトの「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)(1995年8月15日)を参考にして貰うとして、安倍晋三の国会答弁から窺うことのできる継承している歴史認識箇所と継承していないそれのみを抜粋することにする。
「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」(以上抜粋)
以上の歴史認識に関わる文言のうち、安倍晋三が2013年2月1日の参議院本会議で「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります」と答弁していることと重なる文言が継承している箇所であり、重ならない文言が継承していない箇所となる。
要するに「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」としている歴史認識は受け継がないということである。
具体的には日本の戦前の戦争を、“誤った国策”、“植民地支配と侵略”としている歴史認識は受け継ぎませんと安倍晋三は国会答弁で拒絶反応を示した。
これが安倍晋三が言う「全体として受け継いでいる」の正体である。「村山談話」の最大の価値は戦前の日本の戦争を“誤った国策”であったことを認め、“植民地支配と侵略”を性格としていたことを認めたところにある。
だが、安倍晋三はその最大の価値を70年の安倍談話作成で最終的に骨抜きにしうよと画策し、画策が成功するまでだろう、“誤った国策”でもなく、“植民地支配と侵略”ではなかったとしている自らの歴史認識に関わる本心を決して明かさず、常にウソをつき、詭弁を用いたゴマ化しで凌いでいる。
国民はこのウソと詭弁とゴマカシに気づかなければならない。
既に安倍晋三自身が日本の戦前の戦争に対して政治家として自らの歴史認識を施していながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」とか、「歴史に対しては政治家は謙虚でなければならない」とかウソをついてゴマ化している。
安倍晋三は70年談話の作成について、「倉重さんのお知恵もお借りしたいと、このように思います」と言っているが、日本の戦前の戦争が“植民地支配と侵略”であることを認めている倉重の歴史認識を参考にするはずもないのだから、心にもないウソをさらりと言ってのけたに過ぎない。
倉重は安倍晋三の靖国参拝について、靖国参拝は「戦争責任をどう考えるかという問題だ」と尋ねた。対して安倍晋三は「誰に責任が、という問題ではありません。心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり」と言って、戦争責任の問題と靖国参拝問題を一緒くたにするゴマカシを働いている。
但し「先の大戦はどこに原因があったか、歴史家の判断に委ねなければなんない」と答えて、戦争責任解明を一見歴史家に丸投げしている。
しかしこの丸投げ発言は戦争責任が「誰に責任がという問題ではありません」としている言葉と明らかに矛盾している。
日本の戦前の戦争を「誰に責任がという問題」ではないとしたら、戦前の政治指導者・軍部指導者を全て無罪放免とすることになり、戦争自体を全面的に免罪することになる。そうしたい強い歴史認識を願望として持っているということなのだろうが、自身がそのような強い歴史認識を持っていながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」は明らかに矛盾する。
自身の歴史認識を公の歴史認識とするためには自身の歴史認識に賛同する歴史家のみを集めるか、そのような歴史家で多数派を占めるかして、自身が望むとおりの歴史認識を公の歴史認識として確立しなければならないからだが、例えそうすることができたとしても内外から批判や反対の声が上がるのを抑えることはできないはずだ。
やはり自身の歴史認識の正体を隠すためにウソをついてその場その場の追及を凌いでいるに過ぎない。
安倍晋三は靖国参拝を「心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題」と答えている。
だが、歴史認識自体が「心の問題」である。歴史に対する自らの心の在り様が歴史認識を決定するからだ。自身の歴史認識に関わる心の在り様が「信仰」に影響を与えたり、「生き方」に現れたりする。
当然、参拝することだけが「心の問題」ではないことになる。参拝しないことも個々の歴史認識に則った「心の問題」であって、全ては戦前の日本の歴史に対する心の在り様=歴史認識にかかっている。
いわば、倉重が言っているように靖国参拝は「戦争責任をどう考えるかという問題」――「心の問題」としてある歴史認識に行きつく。
安倍晋三は靖国参拝は「心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題」と言いながら、本質的には自身の歴史認識に則って参拝しているに過ぎない。
その歴史認識とは、既に触れたように戦前の日本の戦争を“誤った国策”、あるいは“植民地支配と侵略”とは認めていない歴史認識である。
つまり戦前の大日本帝国を肯定し、その無謬性を妄信している歴史認識である。
だから、以前から、安倍晋三や高市早苗たち右翼の国家主義者たちが戦死者を国策に殉じた、国家のために尊い命を捧げたと顕彰する靖国参拝とは神社の空間で戦前の大日本帝国に国家の理想を見、大日本帝国を体感する儀式に他ならないと書いてきた。
少し前のところで安倍晋三は歴史家に戦争責任解明を「一見」という形容詞を付けて丸投げしていると書いたが、自身の歴史認識は既に固めているのだから、丸投げは見せかけのゴマカシに過ぎないという意味で、「一見」と書いた。
倉重は安倍晋三が「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と答えたなら、「あなた自身の歴史認識を聞いているのだ」と聞くべきだったろう。村山談話を「全体として受け継いでいる」と言っていること自体が、既に自身の歴史認識を通した解釈を行っていることになるし、靖国参拝を「心の問題」としていることも、歴史認識に対応した安倍晋三自身の心の在り様に従った参拝に他ならないのだから、そのことを伝えて「答えなければならない」と迫らなければならなかった。
戦前の日本の戦争を“誤った国策”とも、“植民地支配と侵略”とも認めていない歴史認識を振り撒きながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と自身の歴史認識を隠蔽するウソを振り撒き続けている。
国民は安倍晋三が歴史認識に関してもついているウソの数々に気づかなければならない。気づかないままに安倍晋三のウソにいつまでも騙される存在であってはならない。