12月20日のブログでは総選挙投開票の翌々日の12月16日に安倍晋三と報道各社幹部との会食を伝えたマスコミ各記事を読んで、マスメディアは国家権力監視を役目の一つとして負い、国家権力に対して一定の距離を置かなければならないのに対して国家権力側はマスメディアを手なづけたい欲求を常に抱え、独裁的国家権力程その傾向が強く、このような関係性から、安倍晋三は元々独裁的体質を抱えていることから、会食は安倍晋三がマスメディアを手なづけたい意思からの行動と見ない訳にはいかないといったことを書いた。
ところが、この報道各社との会食はかなり頻繁に行われていることを知った。
《2年間で40回以上 メディアと首相 危うい夜食会》(TOKYO Web/2014年12月20日)
有料記事で途中までしか読めないが、全文参考引用してみる。
〈衆院選直後の十六日夜、安倍晋三首相が全国紙やテレビキー局の解説委員らと会食した。首相は二年前の就任以来、大手メディア幹部と「夜会合」を重ねている。最高権力者の胸の内を探るのはジャーナリズムの大事な仕事とはいえ、連れだって夜の町に繰り出しているようでは、読者・視聴者から不信をもたれかねない。ましてや相手は、メディア対策に熱心な安倍政権だ。メディアは権力を監視する「ウオッチドッグ」(番犬)と呼ばれるが、愛嬌(あいきょう)を振りまくだけの「ポチ」になっていないか。 (沢田千秋、三沢典丈)〉――
要するに一歩距離を置くのを忘れて、権力監視の役目を麻痺させていないかと警告を発している。
2年間で40回以上。機会的に単純計算してみると、1年間で20回以上。1カ月に1回、あるいは2回の月も8カ月はある計算になる。
マスメディア幹部側から言うと、2度3度と会っているケースもあるはずだ。安倍晋三としたら、懇ろな関係性を見せない幹部とは2度3度とは会わないだろう。見せる幹部とは会う回数が増えるに連れて、懇ろの密度を増していくことになる。
なぜそんなに会う必要があるのだろうか。例え同じ相手ではないケースがあったとしても、いずれもマスメディアの幹部という立場にある人間が国家権力を最高の立場で握っている政治家と頻繁な会食を通して懇ろな関係を築いているということはマスメディアが国家権力に対して一歩距離を置いてそれを監視するという緊張関係を幹部たちは少なくとも会食の場では溶解させていることになる。
懇ろな関係性に向かう程にその溶解度は深まる。
“幹部”とは元々樹木の幹の部分を意味する。そこから物事や組織の基(もと)、中心を指す言葉となった。幹は枝を支える。幹が腐ると、枝から枯れてくる。
なぜなら、幹は栄養を大量に蓄えていて、少しぐらい腐っても見た目は変わらないが、栄養が少ない枝から、少ない分、腐敗の影響が出てくるからだ。
いわば幹部は枝に当たる部下に対して常に模範を示していなければならない立場と責任を負っている。国家権力監視の模範であり、常に国家権力に対して一歩距離を置くことの模範である。
幹部のあるべき模範が崩れた場合、その影響が部下にも現れて、部下が模範としてきた規準そのものが崩れない保証はない。
安倍晋三が12月21日の日曜日に4カ月ぶりにゴルフを楽しんだというネット記事を読み、誰とゴルフをしたのだろうかと「首相動静」記事を見て、部下たちの規準の崩れを疑った。
二つの新聞社のネット記事から見てみる。文飾は当方。
《首相動静―12月21日》(asahi.com/2014年12月21日22時21分)
【午前】7時41分、神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」。友人や秘書官とゴルフ。
【午後】2時58分、東京・富ケ谷の自宅。6時55分、東京・赤坂の飲食店「燻」。昭恵夫人、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。9時50分、自宅。
《首相動静(12月21日)》(時事ドットコム/2014/12/22-00:03)
午前6時43分、東京・富ケ谷の私邸発。同7時41分、神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」着。友人や秘書官とゴルフ。
午後1時50分、同所発。
午後2時58分、私邸着。
午後6時38分、私邸発。
午後6時55分、東京・赤坂の飲食店「燻」着。昭恵夫人や友人と食事。
午後9時31分、同所発。
午後9時50分、私邸着。
22日午前0時現在、私邸。来客なし。
「asahi.com」記事と「時事ドットコム」記事両方共、安倍晋三のゴルフ相手を全く同じ言葉で紹介、実名は記されていない。
この両方の「首相動静」記事を読んで部下たちの規準の崩れを疑ったのは、以前は実名で報道していたからだ。
4カ月前の多数の死者を出した広島土砂災害当日の、一報を受け取りながら予定通りゴルフを行った2014年8月20日と、2014年4月11日から4月13日にかけて熊本県多良木町の養鶏場で飼育中のニワトリ5万6000羽のうち約1100羽 が大量死し、県が鳥インフルの疑いで自衛隊の出動要請までして殺処分に入った4月13日の、やはり一報が既にゴルフのプレーを始めていた安倍晋三のところに入りながら、首相官邸に幾つかの指示を出しただけでプレーを続行した「首相動静」記事を時系列で見てみる。
但し「時事ドットコム」の「首相動静記事」は6月24日分までしか記載されていない。
《首相動静―4月13日》(asahi.com/2014年4月13日19時46分)
【午前】7時20分、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」。ヒッチンズ駐日英大使、日枝久フジテレビ会長らとゴルフ。
【午後】2時42分、報道各社のインタビュー。4時50分、公邸。51分、農水省の小林消費・安全局長。57分、外務省の斎木事務次官、杉山外務審議官、上月欧州局長。6時11分、東京・富ケ谷の自宅。
《首相動静―8月20日》(asahi.com/2014年8月20日20時25分)
【午前】7時26分、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」。森喜朗元首相、茂木経産相、岸外務副大臣、加藤官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、笹川陽平日本財団会長、日枝久フジテレビ会長とゴルフ。9時22分、同県鳴沢村の別荘。10時59分、官邸。11時、危機管理センターで古屋防災相、西村内閣危機管理監。菅官房長官同席。23分、報道各社のインタビュー。
【午後】0時44分、北村内閣情報官。2時1分、公邸。5時19分、西村内閣危機管理監。7時42分、別荘。
《首相動静(8月20日)》(時事ドットコム/2014/08/21-00:04)
午前7時22分、山梨県鳴沢村の別荘発。同26分、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。森喜朗元首相、茂木敏充経済産業相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長とゴルフ。
午前9時19分、同所発。同22分、別荘着。
午前9時41分、別荘発。
午前10時59分、官邸着。
午前11時から同22分まで、危機管理センターで古屋圭司防災担当相、西村泰彦内閣危機管理監。菅義偉官房長官同席。同23分から同24分まで、報道各社のインタビュー。「広島市の土砂災害で政府の対応は」に「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」
午後0時44分から同1時22分まで、北村滋内閣情報官。
午後2時、官邸発。同1分、公邸着。
午後5時19分、西村内閣危機管理監が入った。
午後5時44分、西村氏が出た。
午後5時54分、公邸発。
午後7時42分、別荘着。
21日午前0時現在、別荘。来客なし。
「asahi.com」記事も「時事ドットコム」記事もゴルフ相手を実名で報道している。このように実名を伝える慣習から、記載されていない「時事ドットコム」の2014年4月13日の「首相動静」記事にしても実名を伝えていたはずである。
だが、この慣習は12月21日の「首相動静」記事では途絶えている。いわば自分たち新聞社の慣習に齟齬を来した非実名報道となっている。相手が誰か、特定していないままに動静記事を書くことはないはずである。
知ることは知っても、それを重要ではないという理由で伝えない、あるいは何らかの不都合から意図的に隠すということもあるだろうが、事実を知ろうとする姿勢は、そして知って、それを伝えようとする姿はそれが重要であろうとなかろうと、あるいはどんなに些細な事実であったとしても、常に変わらない姿勢として頑なに保持していなければならないからだ。
もしそのような姿勢を一時的にでも失ったとしたら、あるいは自ら放棄したとしたら、報道に携わる者としての資格を失うことになる。
4月13日も8月20日もマスメディア関係者として日枝久フジテレビ会長の名前が挙がっている。12月16日の報道各社幹部との会食では日枝久の名前は出ていないが、報道各社幹部との会食に続いてゴルフでも報道関係の誰かがプレーに関係していたなら、マスメディア関係者と2年間で40回以上もの会食という事実を国民に知られているだろう点からしても、安倍晋三とマスメディア関係者の親近性が権力監視の観点から好ましいこととは映らず、疑われることになって、安倍晋三にとっては都合のいい事実とはならない。
「友人」が誰か、マスメディアが伝えなければ、真相は分からないし、実名報道の慣習を破って非実名報道としたことの真相も分からない。
だが、国家権力側の安倍晋三にとって不都合な事実をマスメディアにとっても同じ不都合な事実として自主規制に出て意図的に隠したとしたら、あるいはは首相官邸から遠回しの要請があって、それに従って意図的に隠したとしたら、国家権力監視の役目を放棄することになるマスメディアと国家権力の癒着の始まりとならない保証はない。
いや、国民の目の届かない場所で既に始まっているのかもしれない。
国家権力に対する一つの迎合が、それが弱みとなって次の迎合を呼ぶことになるだろう。
国家権力の不都合をマスメディア側が共通の不都合とする利害の一致が両者間に生じて伝えないことを慣習とした場合、あるいは捻じ曲げて伝えることを慣習とした場合、断るまでもなく国民の知る権利が崩壊の危機を迎えることになる。
戦前の日本の二の舞いを迎えかねない。