安倍晋三の「実り多き1年」と甘利明の円安・原油安「いいとこ取りができている」発言が証明する二人の正体

2014-12-21 06:26:36 | Weblog

 経済再生担当相甘利明の12月19日の閣議後記者会見発言。

 甘利明(円安、原油安が続いている経済環境に関して)「(日本は)いいとこ取りができている状態」(ロイター

 安倍晋三が12月20日、総選挙に大勝したから、毎日が気分が良かったに違いない、東京都内開催の「2014年報道写真展」を訪問、多数の犠牲者を出した御嶽山噴火災害やソチ冬季五輪での日本人選手の活躍など、今年の重要ニュースを記録した写真を見て回ったという。

 安倍晋三「悲しいこともあったが、実り多き1年だった」(時事ドットコム

 記者団にこう話した。

 二人は国家優先の国家主義に立って発言している。国民への視点を二人共一切欠いている。国民への視点は皆無と言っていい。 

 原油安は確かに朗報である。但しその原因が供給過多である場合に限る。需要の低迷が原因の場合、世界経済減速の兆候を示すことになる。アベノミクスによる景気回復が全体化していない日本をいずれ巻き込まない保証はない。

 国際通貨基金(IMF)2014年10月発表の世界全体実質国内総生産(GDP)増加率は7月時点から0.1ポイント引き下げて3.3%へと下方修正している。日本に関しては2014年の成長率は2014年7月予想1.6%から0.7ポイントと大幅に下方修正、2015年の予想は0.8%。2014年7月予想よりもマイナス0.2ポイントの下方修正。

 当然、原油の需要減少という現象を伴い、原油安に経済活動のマイナス面から力を貸す状況に陥らないとも限らない。

 いわば原油安を「いいとこ取り」とばかりとは言ってはいられない。

 問題は誰もが分かるように円安を「いいとこ取り」と言っていることである。誰もが分かることを甘利は理解できていない。国民への視点を欠く、国家優先の国家主義に立っていることの証拠がここにある。

 大手企業はいざ知らず、多くの中小零細企業は円安による輸入資材の高騰によって経済活動を圧迫され、多くの中低所得層は同じく円安を受けた輸入原材料高騰の生活用品への価格転嫁によって生活を圧迫されている状況にある。現状の消費低迷は消費税増税だけではなく、円安をも原因としていることは周知の事実となっている。

 にも関わらず、甘利明は「(日本は)いいとこ取りができている状態」だと、円安をメリットの面からのみ話すことができる。本質的には上目線のみで、下を見る眼の機能を持っていない。下を見るのは、立場上、下を見ないわけにはいかないときだけだろう。

 安倍晋三は「悲しいこともあったが、実り多き1年だった」と1年を振返って述懐した。「悲しいこと」とは報道写真展で見た御嶽山噴火災害の写真に対してだろう。

 これが常に頭の中に入っていて、自身の精神的機能の一つとしている国民への視点から発した言葉・思いの類いかどうかである。

 2014年11月21日の安倍晋三の解散表明記者会見。

 安倍晋三「都市と地方の格差が拡大し、大企業ばかり恩恵をこうむっている、そうした声があることも私は十分承知しています。それでは、日本の企業がしっかりと収益を上げるよりも前に、皆さんの懐から温まるような、手品のような経済政策が果たしてあるのでしょうか。また、バラ撒きを復活させるのでしょうか。その給付を行うにも、その原資は税金です。企業が収益を増やさず、そして、給料も上がらなければ、どうやって税収を確保していくのでしょうか。それこそが2年前までの風景ではありませんか」――

 言っていることの裏を返すと、アベノミクスは都市と地方の格差拡大と大企業の利益獲得のみに寄与していて、それを是正するまでに至っていないということである。

 同記者会見。

 安倍晋三「アベノミクスの成功を確かなものとするために、私は、消費税10%への引上げを18カ月延期する決断をいたしました」――

 同じく言っていることの裏を返すと、現状はアベノミクスは成功しているとは言い難い。だからこそ、「消費税10%への引上げを18カ月延期」しなければならなかった。

 成功していない状況が如実に現れている主たるマイナスの兆候は非正規雇用の増加、実質賃金の低下、中小零細企業の経済活動の低迷・減退、地方の不活性状態、一般生活者の生活圧迫からの消費の低迷等々に見ることができる。

 そしてこれらの点に関しても円安が大きな原因の一つを成している。

 だが、アベノミクスのマイナスの兆候を差し置いて、「実り多き1年だった」と1年を振返ることができる。アベノミクスに実りを実感できないでいる国民が多数存在しているにも関わらずである。

 要するに一般国民に向ける目、その概念が頭の中に本質的には入っていない。国民を差し引いた国家の概念のみが頭を占めている。
 
 当然、御嶽山噴火の被災死者に向けた「悲しいこともあったが」は、常に頭の中に入っていて、自身の精神的機能の一つとしている国民への視点から発した言葉・思いの類いではなく、写真がそこに飾ってあった以上、そう言わないければ首相として格好がつかないから言ったまでの言葉と言うことができる。

 以上から見ることのできる安倍晋三の国家主義とは国家の在り様を最優先していて、その関係から国家のための国民という関係を常に想定していて、国民のための国家という関係を想定していない形式の主義・主張を正体としている。

 だからこそ、国家という存在のみが頭を占め、国民という存在への視点を欠くことになる。

 そして甘利明も国家主義者という点で安倍晋三と双子の関係にあり、このこと以外に二人の正体はない。

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