09年マニフェストをカラ手形同然とした民主党がカラ手形同然の12年マニフェストを公表

2012-11-30 11:12:32 | Weblog

 2012年民主党マニフェストは達成内容を必要最小限の数値目標化しか行わず、数値目標化を極力避けている。2009年マニフェストが事細かに数値目標化してその殆どが達成できず、批判された反省に立って数値目標化を避けたということだが、数値目標化の回避は挑戦する姿の消滅そのものであって、同時に達成できなかった場合の批判を免れる責任回避衝動からの結論ということなのだろう。

 少なくとも2009年マニフェストは各政策の達成内容を数値目標化することで、その実現に積極的に挑戦する姿で臨んだはずだ。にも関わらず、それら政策の多くが達成できず、カラ手形同然とした。

 その原因を財源の見通しが甘かったことに置いているが、予算削減の事業仕分けを経ても、会計検査院から各種予算や補助金のムダ遣いの指摘を受けているし、復興予算の流用を見ても、復興予算に限らない、予算全般に亘るムダ遣いの存在を窺うことができるし、公務員宿舎賃料を民間相場より低く抑えていたムダの放置等から見て、ムダ遣いの徹底的な削減や予算の組み替え等を行なうことによって、まだまだ財源を捻出できたはずだが、不徹底に終わった。

 この不徹底はマニフェスト政策のカラ手形化と相互対応する姿勢の現れでもあるはずである。

 要は積極的に挑戦する姿が無効だったことになる。財源捻出をも含めて政策実現能力を欠いていたということであろう。

 各政策の達成内容を数値目標化して積極的姿勢で臨んだにも関わらず、2009年マニフェスト政策の実現は殆どカラ手形同然としたということなら、数値目標化を避け、その分積極的姿勢で臨む姿勢を欠くことになる2012年マニフェストが2009年マニフェストに対応してカラ手形同然の運命を抱えることになるのも自然の流れと言える。

 何よりも2009年マニフェストに引き続いて2012年がカラ手形同然を思わせる点は、《民主党5つの重点政策》の政策順位に現れている。

 2012年マニフェストはテキスト版、《民主党の政権政策 Manifesto》から見てみる。

 重点政策を見る前に大体が美しい言葉を書き連ねると相場が決まっているスローガンに触れてみる。

 〈動かすのは、決断。今と未来への責任。民主党は、責任ある改革の道を真っすぐに進む。〉――

 しかし2009年マニフェスト実現では「決断」不足であった。決断不足に対応して、3年間に関わる「今と未来への責任」を満足に果たすことはできなかった。「責任ある改革の道を真っすぐに進む」ことにならなかったのである。

 このカラ手形同然の姿は次のカラ手形同然の姿につながらない保証はない。

 次いで、〈すべては東日本大震災からの復興、福島の再生からはじまる。〉とスローガンを続けているが、被災地の復興も福島の再生も遅れていて、東日本大震災発災の2011年3月11日からの1年8カ月間に亘って復興と再生の的確な実行能力を欠き、カラ手形同然としたということであって、このことの言い訳はできないはずだ。

 また、的確な実行能力を欠いていたと言うことなら、次の4年間の実行能力も期待できないカラ手形同然を覚悟しなければならなくなる。

 では、《民主党5つの重点政策》を見てみる。

 1社会保障

 〈共に生きる社会

 支え合いの社会、すべての人に居場所と出番がある社会をめざします。〉

 2経済

 〈新しい競争力は、人と地域

 経済政策の目的は働く場を創ること。2020年までに400万人以上の働く場を創ります。〉

 3エネルギー

 〈原発ゼロで生まれ変わる日本

 地域産業の創造、地域の雇用の創出につながるグリーンエネルギー革命を断行します。〉

 4外交・安全保障

 〈平和国家としての、現実的な外交防衛

 「冷静な外交」と「責任ある防衛」を組み合わせ、日米同盟の深化、アジアとの共生をすすめます。〉

 5政治改革

 〈政治への信頼回復は、身を切る改革から
 世襲政治からの脱却、議員定数の削減を実現し、新しい政治文化を創ります。〉

 なぜ、「経済」を重点政策に於ける優先順位の第一番に持って来なかったのだろうか。だが、「社会保障」を優先順位の第一番に置いた。

 国の税収は企業や国民の税金によって賄われる。その税金の多い少ないは経済状況によって左右される。税金の多い少ないによって国の税収の多い少ないも左右される。

 いくら社会保障費を消費税増税で賄うといっても、現在のような不景気が続けば、ただでさえ消費活動が鈍る上に中低所得層が消費税分の購買価格増を避けるためになお消費を控える傾向が生じた場合、そのことが直ちに税収に響くだろうから、先ずは「経済」を政策の優先順位に第一に置かなければならないはずだが、二番目に持ってきている。

 一般家庭に於いても、子育てにしても子どもの学校にしても、日々の食生活にしても、病院にかかるについても親の収入(家庭経済)が生活の基盤となる。

 将来年金や貯蓄で生活を安定させるためにも現役時代の収入にかかっている。

 それが例え生活保護受給世帯であったとしても、生活保護からの収入(家庭経済)が生活を成り立たせる出発点となる。

 国という生活体をを成り立たせる点に関しても、社会保障政策についても、エネルギー政策についても、広い意味では外交・安全保障についても、政治改革についても、国の経済によってその効力が左右されることになる。

 経済の力が強いか弱いかで、各政策に与える影響は異なってくる。

 すべての基盤は経済なのである。政策の財源を問うこと自体が、経済が国家経営の基本なのを教えている。

 社会保障に関して消費税をいくら当てにしようとも、経済によって相殺される。その相殺を免れようとするなら、経済を強くすることを考えなければならないはずだ。

 当然、政策優先順位の第一番に経済政策を持って来なければならないはずだが、野田政権はニ番目に持ってきた。

 マニフェストに書いてなかった消費税増税に対する後ろめたさが一体改革として打ち出した社会保障政策を優先順位の一番に持ってくることでその重要性を訴え、その重要性で後ろめたさの帳消しを図る思いが優先順位一位となって現れたといったところではないのか。

 だとしても、政策の優先順位は国民が何を求めているかに対する認識の問題でもある。NHKが11月23日から3日間行った世論調査の「投票するにあたって最も重視することは何か」の答は次のようになっている。

▽「経済対策」34%
▽「社会保障制度の見直し」21%
▽「原発のあり方を含むエネルギー政策」11%

 国民は「経済対策」を政策優先順位の一番に置いている。社会保障や学費、食費等々、全てに亘って生活成立の基盤は「経済」だということを第一番に認識しているのである。

 だが、野田内閣は「経済」を政策優先順位の二番目に置き、経済なくして良好な状態で成り立たせることができない「社会保障」を優先順位の第一番に持ってきた。

 この認識のズレは2009年マニフェストをカラ手形同然としたのと同じく2012年マニフェストをカラ手形同然とする予感となって立ちはだからないでは置かない。

 なぜなら、認識のズレは立ち向かう意志、立ち向かうエネルギーのズレに還元されるからだ。政策優先順位の一位に置いた「社会保障政策」により多くのエネルギーが注がれることになるが、「経済政策」を二番目に置いた分、注がれることになるエネルギーは否応もなしに過小となる。

 民主党が2009年マニフェストでカラ手形そのものとした政策の一つに最低賃金政策がある。2009年マニフェストでは、「中小企業を支援し、時給1000円(全国平均)の最低賃金を目指します」と書いた。

 だが、2012年度の都道府県別最低賃金改定額の全国平均(時給)は前年度比12円増749円であって、民主党3年間で全国平均「時給1000円」をカラ手形としている。

 最低賃金を思い切って上げて消費活動を誘導。物が売れて中小企業を潤し、賃金上昇分を吸収させるか、中小企業を守るために最低賃金を抑えて、消費活動を低迷させたままにしておくか、どちらの循環を取るかの優先順位の問題だが、中低所得層の生活の基盤となる、最低賃金面からの経済を無視、中小企業保護政策を優先させた認識のズレも2012年マニフェストに反映させてカラ手形同然とする認識性と見ないわけにはいかない。

 野田首相は自分たちが2009年マニフェストで約束した最低賃金「時給1000円」を実現させる政治力を発揮できなかったにも関わらず、横浜市での街頭演説で日本維新の会が衆議院選挙の政権公約として最低賃金の廃止を検討していることについて、次のように批判している。

 野田首相「驚いた。賃金が下がり続けていることがデフレの大きな原因であり、そんなときに最低賃金すら撤廃したらおかしい」(NHK NEWS WEB

 「賃金が下がり続けている」という状況は自身が「中間層を分厚くする」と言っていながら、中間層から下層に落ちこぼれをつくっている状況であって、このことと最低賃金「時給1000円」を実現できていないことに少しぐらい責任を感じてもよさそうだが、何ら責任意識もなく、維新の会に対する批判のみに重点を置いている。

 もし経済を政策優先順位の第一位に置いていたなら、政策優先順位を第一番に置いた「社会保障」の項目で、〈共に生きる社会 支え合いの社会、すべての人に居場所と出番がある社会をめざします。〉とか、「めざす社会」として――

 〈透明・公平・公正なルールにもとづき、正義が貫かれる社会。

 働く人が豊かさと幸せを実感できる社会。

 格差を是正し、誰にも「居場所」と「出番」のある社会。〉などと奇麗事の理念を並べ立てたりしないだろう。

 経済が豊かで、国民の暮らしが豊かであるなら、「居場所」と「出番」は自ずと見つかるからである。このことは特に若年層の非正規社員と正規社員の100万円から200万円も年収の差がある収入の格差が結婚・未婚の格差へと反映している状況によって逆説的な証明とすることができる。

 経済の豊かさが保証する「居場所と出番がある社会」、「透明・公平・公正なルールにもとづき、正義が貫かれる社会」、「働く人が豊かさと幸せを実感できる社会」であるにも関わらず、経済政策を優先順位の第一位に置かずに並べ立てているから、必然的に低所得層や貧困層には無縁の奇麗事となる。

 このような認識のズレも2012年マニフェストがいくら数値目標化を避けようとも、カラ手形同然で終焉を迎える予感を否応もなしに誘(いざな)うことになる。

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