初動対応の危険な一般論化
昨20日の我がTwitter――
〈赤松農水相、担当大臣ながら、自民党が口蹄疫対策を首相官邸に申入れた日に外遊、危機管理意識ないと野党攻撃。01年2月ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高練習船えひめ丸が米源泉の衝突を受けて沈没、教員5人、生徒4人が死亡した事件の報告を受けながらゴルフを続行した森元首相が思い出される。 〉――
〈自民党が政府の初動対応の遅れが口蹄疫感染拡大を招いたと赤松農水相への不信任決議案提出を視野に政府の責任を追及する方針だとNHK。TBSテレビが複数の民主党幹部の証言として赤松大臣が外遊先でゴルフと報道、のちに根拠なかったと謝罪。えひめ丸事件、ゴルフ続行の森元首相を連想させたか。 〉――
誤報のおまけまでついたが、赤松農水相への集中砲火が止まらない。責任追及に対する赤松農水相の発言(抗弁?)を拾ってみた。
《赤松農水相、口蹄疫で辞任否定 自民、不信任案提出へ》(asahi.com/2010年5月20日20時10分)
20日の衆院決算行政監視委員会――
赤松「誠心誠意、大臣としての職務を全うしていこうと思う」
これは引責辞任の否定を意味する発言だそうだ。実際に初動対応に関わる責任があるなら、そこでの「誠心誠意」はなかったことになり、以降の「誠心誠意」も信用できないもの、口先だけの言葉と化す。
〈野党が被害対応の遅れにつながったと批判する4~5月の連休中の自らの外遊について〉――
赤松「大臣への連絡は24時間取れる体制になっている。私より優秀かもしれない副大臣や政務官が残り、同じ認識でことを進めている」
森喜朗もSPの携帯で事件の一方を受けながらゴルフを続行したとき、ゴルフ場にいても連絡を受けることができる体制にあったといったことを言っている。だが、ゴルフを続けたこと自体が攻撃材料となり、支持率を下げる原因となって、事件から2ヵ月後に、1年と20日程度しか持たずに退陣している。
赤松農水相は少なくとも攻撃材料となることを避ける危機管理意識に欠けていた。担当大臣として対策本部、もしくは口蹄疫発生地域の宮崎県に存在していることが求められていたのである。存在することが責任であり、存在しなかったことが責任放棄と取られている。
となると、「私より優秀かもしれない副大臣や政務官が残り、同じ認識でことを進めている」は意味を失う。「優秀かもしれない副大臣や政務官」の存在を持ち出したとしても、それ以って本人が存在していなかったことの埋め合わせとなるわけではないからだ。えひめ丸事件のとき、森喜朗が官房長官が官邸にいたはずだと言うのと同じになる。
「優秀かもしれない副大臣や政務官」の存在を持ち出すことで、自身の不在をたいしたことはないと免罪しようとしたのだろうが、大臣よりも「優秀かもしれない」人物が「副大臣や政務官」の地位にあって、「副大臣や政務官」よりも「優秀」でないかもしれない人物が大臣の地位にあるという、この逆説を当の本人たる大臣自らが結果として提出したことになる滑稽さに気づいていない。
要するに才能によってではなく、年功序列による順番や当選回数、あるいは強力なグループの贔屓で大臣の椅子にありついたと勘繰られないこともない。
《身内からも「弾が飛んでくる」 赤松農水相「本日も反省の色なし」》(J-castニュース/2010/5/20 19:37)が赤松農水相の発言をより詳しく伝えている。
5月11日の衆院農林水産委員会で責任者が国内にいなかったことについて批判を浴びたことに対して――
赤松「私ひとりがいなかったからといって、いささかも支障があったとは理解していない」
この発言に於いて、実質的に問題とされているのは、そこに存在したか存在しなかったかということであり、存在することへの認識が問われているにも関わらず、その危機管理を怠ったために止むを得ず自身の存在を不在と同等の価値に置こうとする倒錯を演じることとなっている。
いわば、「私ひとりがいなかったからといって」、農林水産行政が「いささかも支障」がないと、存在=不在とするなら、赤松大臣そのものの存在意義が問われることになる。
確かに代理の者が代理の役目を十分に果たしたということで、「私ひとりがいなかったからといって、いささかも支障」はなかったかもしれない。だが、あまり「優秀」でないかもしれなくても、それでそこに存在しなかったことが片付くわけではない。逆の立場に立たされたなら、やはりそこに存在しなかったことを取り上げて責任を追及するだろう。
5月19日の会見、記者から「何が遅れたと思うか」と問われて――
赤松「僕、ご批判を受けることは全く構いませんけれど、例えば、じゃあ、『この時点で、20日の時点で、何々しなかったことがこういうふうになった原因じゃないか』と言われるなら、どうぞ、そう言ってくださいと。だけど、みんな具体的に何も言えないんだよね、聞くと」
事実、そのとおりだろう。具体的な失態はなくても、存在していなかったこと自体が問われていることに気づいていないから、そう言える。
5月18日の記者会見での発言についてはメモを棒読みして答える。
「記者から辞任に関する考え方を問われたため、私は『批判があれば受け止めるが、私自身、農林水産大臣として、状況に応じ、適切な防疫措置及び、経営支援対策を講じてきた』ということを述べたものであります」
しかしこの発言は前の発言と矛盾している。「私より優秀かもしれない副大臣や政務官が残り、同じ認識でことを進めている」し、「私ひとりがいなかったからといって、いささかも支障」はないということなら、外遊中と同じく存在しなくてもいい、あるいは不在を続けてもいいということになるからだ。
TBSテレビが5月20日朝、5月19日夜に民主党幹部が明かした話として「赤松農水相が外遊中に海外でゴルフをしていた」などと報じたことについて全面否定――
赤松「怒りに震えているね。あり得るわけがないじゃん、そんなことは。(外遊に)行った人は職員を含めて10名ぐらいいるんだから、その人たちに聞いても分かるし」
外遊にしても、「私より優秀かもしれない副大臣や政務官」が代りに行えば、不在のままでいいことになる。存在しなくても構わないということに。
「私ひとりがいなかったからといって、いささかも支障」はないはずだ。いっそ辞任して、永遠に存在しない、永遠に不在を続けたらどうだろうか。何が起ころうと、攻撃対象となることはない。
ところが赤松農水相責任論に心強い味方が現れた。《政府対応に問題あった 口蹄疫対策で首相》(中国新聞/'10/5/18)
最初に鳩山首相の認識。
記者「政府や県の対応に問題点はなかったか」
鳩山首相「拡大を何としても防ぐということに対しては、それなりの一定の(問題)部分はあると思う」
「これ以上感染を決して広げないよう、特に九州の皆さんに安心していただくために、政府一体となって万全を期す」
「農家の方々に、経営のことは政府がしっかりやるから大丈夫だと理解していただくことも大事だ」
感染経路の特定について――
鳩山首相「十分に把握するのは難しい」
但し鳩山首相は赤松農水省の責任を認めたわけではない。
《赤松農水相の責任、明言避ける 口蹄疫対応巡り鳩山首相》(asahi.com/2010年5月19日12時12分)
〈19日朝、家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)への対応が後手に回ったとの批判がある赤松広隆農林水産相の責任問題について〉、〈明確な言及を避けた〉としている。
鳩山首相「どこに責任があるかという話以前の問題として、まず感染拡大を食い止めて、国民、特に九州の農家に安心を取り戻すことに万全を期す」
赤松農水相に対する心強い味方とは上記「中国新聞」記事に出ている枝野幸男行政刷新担当相の記者会見での発言である。
枝野「この手の問題では、当事者から常に『初動が遅い』と批判を受けるものだ。・・・・そのことは謙虚に受け止め、最善を果たすことが重要だ」
あくまでも初動対応に遅滞がなかったかの責任問題は個別に検証すべきもので、それを枝野行政刷新担当相のように一般論化した場合、初動対応の遅滞に対して、「この手の問題では、当事者から常に『初動が遅い』と批判を受けるものだ」を常套句として、どのような場合でも責任を免罪することができることになる。
阪神大震災の救出に関わる初動対応の遅れも「この手の問題では、当事者から常に『初動が遅い』と批判を受けるものだ」で許されることになる。結局は誰も責任を取らなかったが。
枝野発言は危険な一般論化、逃げ口上としかならない。
何か批判を受けたり、問題が起きたりすると、“謙虚に受け止める”を政治家は多用するが、それは“謙虚に受け止める”とすることで終わらせることの代名詞としているに過ぎない。いわば、謙虚であることを一応示して受け流す意味として使っている。
政治家使用の信用できない最たる発言と看做さなければならない。
5月12日を皮切りとした平野官房長官と徳之島側関係者との3回の会談の最後の16日の会談(あと1回は5月15日)で、会談相手の移設賛成派住民がメモにした7項目の地域振興策を要望項目として提示、〈一通り目を通した平野氏は「移設と振興策は別だが、7項目はすべて呑む」と言い切った。〉とその経緯を「毎日jp」記事――《普天間移設:徳之島受け入れ7条件「すべてのむ」官房長官》(2010年5月20日 2時34分)が書いている。
記事は地元3町長が受入れ拒否をしている状況下にあって、〈大胆な地域振興策で事態の打開を図るのが狙いとみられるが、「カネ」と引き換えに米軍の受け入れを迫る交渉手法に批判も出そうだ。〉と解説。
さらに、〈平野氏は会談で、奄美群島向けの10年度政府予算(奄美群島振興開発事業予算)が前年度比29%の大幅減となったことを謝罪、来年度予算編成での対応を約束した。徳之島へのドクターヘリ配備にも言及し、今後、徳之島の地元3町長や伊藤祐一郎県知事と振興策を詰める意向も示したという。〉と書いているが、予算削減への謝罪と削減を埋め合わせる来年度予算増額の意向を示したこと自体が既に予算と言うカネで釣る意思表示となっているばかりか、移設とカネを結び付けていることを示している。
にも関わらず、平野は「移設と振興策は別だが」と言っている。裏に何を隠している分からないあの無表情な、何食わぬ顔で言ったに違いない。
7項目とは――
(1)徳之島3町合計で約250億円の借金(公債)棒引き
(2)航路・航空運賃を沖縄並みに抑制
(3)燃料価格を沖縄・本土並みに引き下げ
(4)沖縄県が対象の黒糖製造工場への交付金を鹿児島県にも適用
(5)医療・福祉・経済特区の新設(健康保険税の免除)
(6)奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す
(7)看護学校、専門学校の設置
この7項目の要望の殆んどが県や徳之島という自治体が関わっている項目となっている。いわば単なる移設賛成派住民とか、民間団体が直接タッチできる問題ではない。特に(1)の「徳之島3町合計で約250億円の借金(公債)棒引き」に関しては、「借金(公債)」をどう処理するかは直接的には徳之島3町という自治体に所属する問題であって、移設賛成派住民、あるいは民間団体が勝手に提示していい要望項目ではない。
それを要望項目に入れたと言うことは、前以て町自治体の関係者と謀ったと見るべきだろう。
5月12日の徳之島徳之島町の町議との会談、5月15日の徳之島移設受入れ容認派関係者との会談。そして16日の移設賛成派住民(他の報道では移設推進の地元の団体となっている。)との会談を経ていく過程で、特に(5)の「医療・福祉・経済特区の新設(健康保険税の免除)」や、(6)の「奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す」を見れば分かるが、会談相手は平野官房長官と検討しながら、その検討内容を町自治体の関係者と連絡し合い、いわば自治体関係者が前2回の各会談の報告を受け、その報告に対する指示を出して、最後の3回目の会談で纏め上げた7項目を平野官房長官に最終提示したと見ることができる。
だが、最も確実な決定過程は7項目とも鳩山内閣で作成、それを5月12日の徳之島徳之島町の町議との最初の会談で提示した場合、それが町議側から提示された7項目だと粉飾したとしても、最初の会談で提示は用意がよ過ぎる、出来過ぎていると受け取られる恐れから、3会談をセット、各段階を経て到達した提示だと見せかけたとも疑うことができる。
この疑いの根拠は、平野長官が「移設と振興策は別だが、7項目はすべて呑む」と言い切ったとしているところにある。
それが最初の提示であった場合、一般的には「内閣に持ち帰って検討してみる」と言うべきであろう。いくら権力を持っていたとしても、平野官房長官が一人で決定していい地位にあるわけではないからだ。せめて言うことができることは、「私自身は7項目とも強力に後押しするつもりでいるが」の保証ぐらいまでである。
7項目とも鳩山内閣が作成した場合は、合意を既定事実としているから、平野長官にしても、「移設と振興策は別だが、7項目はすべて呑む」と言い切ることができる。
地域振興策で釣ることは間違っているとは思わない。「釣る」という言葉が悪ければ、正式の交渉ということになるが、記事は最後に次のように書いている。
〈会談の最後、平野氏は会談内容について出席者に固く口止めし、住民側は記者団に平野氏から振興策の話はなかったと口をそろえた。一方、出席者の一人は会談後、平野氏の「丸のみ」発言を徳之島の町長らに伝達。「微妙な変化が島にも出てきた」と賛成論の広がりに期待するが、3町長が交渉のテーブルに着く見通しは立っていない。【横田愛】〉――
「口止め」し、住民側がそれに応えて「振興策の話はなかったと口をそろえた」といった、いわば情報隠蔽を謀る交渉は裏取引そのものの証明以外の何ものでもないが、このような裏取引からは、“正式の交渉”といった正々堂々を窺うことは不可能で、例え徳之島側が提示した7項目の要望であったとしても、それを“丸呑み”することによって、結果として釣ったことになる。
以前のブログで基地移設のマイナスを上回るプラスの地域振興策を掲げて、3町長説得の正面突破を図るべきだと書いたが、やはり正面突破を図るべきだったろう。そうすることによって国民の目に正々堂々を見せることができる。正式の交渉だと胸を張ることもできる。〈平野氏は会談内容について出席者に固く口止めし、住民側は記者団に平野氏から振興策の話はなかったと口をそろえた。〉といった程度の低い情報隠蔽を図る必要は生じなかったはずである。
正面突破を試みずに程度の低い情報隠蔽を用いた裏取引に走った。情報隠蔽は報道関係者に対してばかりではない。国民の目からも交渉の経緯を隠そうとした行為に当たる。鳩山首相を初めとして平野官房長官がそういった体質を自らのものとしていて、そのような体質を起源として裏取引が展開されたということであろう。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
《支持率下落で菅氏が八つ当たり「報道がしっかりしていれば国民に理解される」》(msn産経/2010.5.18 13:01)
鳩山内閣支持率下落を、要するに幻滅の程度を記者から問われて、菅直人副総理兼財務相が18日午前の記者会見で次のように答えたと伝えている。
菅直人「少なくとも政権を担当した時点から比べれば、かなり景気も改善しているし、一歩一歩前進している。報道がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」
「私の職責では、日本経済を持続可能な形で軌道に乗せることが重要だ。それが国民の信任を得ることになる」
記事は最初の発言を、〈メディアによる報道の在り方に問題があるとの認識を示した発言で、「八つ当たり」との指摘も出そうだ。〉と解説。
確かに景気は改善している。しかし主として中国を筆頭としたアジア向け外需が中心の他力本願な緩やかな景気回復で、国内的には自民党政権から受け継いだ省エネ自動車に対するエコカー制度と省エネ家電に対するエコポイント制度を受けた対象製品に対する消費拡大を主体とした部分的な景気回復であって、民主党政権の関与は少ないばかりか、そのような部分的な景気回復が全般的な個人消費の拡大や雇用の創出拡大に確実につながっているとは言えない状況にある。
このことは3月の完全失業率(季節調整値)が前月比0.1ポイント悪化の5.0%という数値傾向や昨今の新卒者の内定取り消しと厳しい就職状況、2011年春の新卒採用が抑制傾向あるという状況、4月の大手衣料品チェーンやデパート等の流通各社の売上げが大幅に減少しているマイナス状況等に正直に表れている。
だからこその部分的な景気回復なのだが、民主党政権の政策に限っていうと、公立高校授業料無償化の影響で教育関連の物価が大幅に下落しているという指摘もある。貧乏人にとっては福音だが、企業経営の足を引っ張り、景気に悪影響を与えるデフレからの脱却に民主党政権は力を発揮しているとは言えない。
要するに、「少なくとも政権を担当した時点から比べれば」と偉そうには言えない景気動向にある。
民主党政権は雇用政策として(1)介護労働の雇用者数拡充 (2)公共事業削減に伴う建設・土木労働者の農林業などへの転職支援 (3)生活保護の受給促進などの「貧困層」対策を掲げた。
(3)の「生活保護の受給促進」では成果を挙げている。今年10年2月に生活保護を受けた世帯は、全国で132万9337世帯に上り、前の月より1万576世帯増えて過去最多(《生活保護 最多の132万世帯》NHK/10年5月16日 11時42分)となる成果である。
記事は次のように伝えている。〈増えた世帯の内訳は、
「高齢者」が1475世帯、
「母子家庭」が1148世帯、
「障害者」が951世帯で、
「その他の世帯」(失業者を含む)4901世帯〉
〈生活保護を受ける世帯は、雇用情勢が悪化した影響で急増しており、月ごとの増加世帯数は去年3月から12か月連続で1万世帯を超え〉、〈これに伴って、生活保護を受けている人数も、前の月より1万5701人増えて184万3353人とな〉っていると。
だが、生活保護世帯の増加は不況の裏返しとしてある状況であって、いくらセーフティネットとは言え、景気対策が効果を上げていないことの証明でしかない。
(1)の「介護労働の雇用者数拡充」に関して言うと、菅直人は2009年10月11日の朝日テレビ『サンデープロジェクト』に出演、介護労働者の賃金を、「我が党は月収にして4万円を引き上げるということを公約にしている」と偉そうに確約していたが、その公言の実現のために政府は「介護従事者の処遇改善のための緊急特別対策」として今年4月に介護報酬の3%引き上げを行ったのだろうが、それが介護従事者の給与アップに直接つながっているとは言えない状況にある。
いわば介護報酬3%引き上げが介護事業運営資金に大方吸収されてしまっているという。
(2)の「公共事業削減に伴う建設・土木労働者の農林業などへの転職支援」にしても、生活保護世帯の増加と併せて、《1年以上失業114万人=職探し長期化-総務省1~3月期調査》(時事ドットコム/2010/05/18-18:21)が、総務省の昨18日発表の労働力調査(2010年1~3月期平均)として、完全失業者(332万人)のうち期間1年以上の長期失業者は前年同期比23万人増の114万人で、四半期ベースで過去3番目に多い水準であったこと、100万人を超えたのは05年1~3月期以来5年ぶりで、増加幅は02年の調査開始以来、最大であると伝えて、記事の最後に書いている総務省の「職がなかなか見つからず労働市場に長期間滞留する失業者が多く、さらに増える可能性もある」という失業者が減らない状況からも、「建設・土木労働者の農林業などへの転職」が必ずしも成功していないことを物語っている。
改めて菅直人が言った「少なくとも政権を担当した時点から比べれば、かなり景気も改善している」を見てみると、どう逆立ちをしても妥当性を著しく欠く手前味噌な発言だと分かる。
こういった発言をするということは客観的判断能力をも欠くからだろう。
繰返しになるが、景気回復は主として中国を筆頭としたアジア外需の恩恵としてある。だとしても、特に中国の力強い経済活動に対する安心感が支えとなって日本の景気の先行きに微かな希望を見い出している状況に反して、支持率が下がる状況をこそ問題としなければならない。
菅直人は「報道がしっかりしていれば」ではなく、「鳩山首相がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」と言うべきではなかったか。閣僚の一員として言えないというなら、「報道がしっかりしていれば」も言うべきではなかった。わざわざ断るまでもなく、「報道」が原因ではないからだ。バカな男だ。
鳩山首相は普天間米軍基地移設問題で「国外、最低でも県外」の公約を個人的約束事に格下げ、だから破っていい訳のものではないにも関わらず、ポイ捨てして、一部のみ県外移設、大部分県内移設を以って「最低でも県外」をクリア、沖縄の負担軽減だとした。
具体的には沖縄県名護市辺野古沿岸部を埋め立てて滑走路を造成す現行案を埋め立てずに杭を打ち込んでその上に滑走路を建設する杭打ち桟橋方式への修正と部隊と訓練の一部鹿児島県徳之島移設の二つを柱とする計画を政府案として予定した。
鳩山首相は現行案については、「辺野古の海を埋め立てることは、自然への冒涜(ぼうとく)だと強く感じている。あそこに立ったら、埋め立てられたらたまったもんじゃないと誰もが思う。現行案を受け入れるような話になってはならない」(4月24日午後の発言/日本経済新聞WEB版)の完全否定を埋め立てから桟橋に変えることできれいさっぱりペイしたが、「あそこに立ったら」、埋め立てであっても桟橋方式であっても、青い海が見えなくなることに変わりはないが、見える見えないは「自然への冒涜」という点では問題なしということなのだろう。
だが、米側はこの杭打ち桟橋方式を滑走路と海面の間に空間ができるため、テロ攻撃の対象になりやすいこと、埋め立て方式と比べても、環境への影響は大きく変わらないこと、そして波が滑走路にかかる可能性の難点を挙げて受入れに難色を示した。
また、県内移設先とされた名護市長も名護市民も、また沖縄県民の多くが県内移設に反対、反対の大規模な県民大会を開催。県外移設先とされた徳之島の3町長も反対を表明。政府から話がある前から前以ての受入れ反対の意思表示として4月18日に島民1万5千人(主催者発表)を集めて移設反対の大規模集会を開催。連立内閣の社民党と国民新党からも現行案修正について反対の意思表示。政府は反対の四面楚歌を受ける窮地に立たされた。
その窮地を打開するため、鳩山首相は、多分自身の指導力を頭から信じたのだろう、5月7日に徳之島の3町長を首相官邸に招き、「徳之島へは部隊移転であっても1千人以下だ。部隊が駄目ならば訓練だけでもご理解いただける範囲で受け入れてもらいたい」(msn産経)と移設受入れ要請(受入れ懇願?)の会談を行ったが、指導力の甲斐があって、3町長から約2万6千人分の移設反対署名の提出を受け、受入れに絶対反対の成果を獲得することができた。
その成果の成果が翌日、5月8日鹿児島市開催の、徳之島3町長や伊藤祐一郎鹿児島県知事を初め、約5000人(主催者発表)が参加した「米軍基地の県内移設に反対する県民総決起集会」であった。徳之島はこの集会を通して交渉の余地を与えない姿勢を示した。
だが、政府としてもここでおとなしく引き下がって入られない。陰湿策士平野官房長官は交渉の余地を正面突破から側面突破に活路を求めた。
交渉相手として町長がダメならばと、受入れに前向きな徳之島町議へとシフトさせた。本来なら、何らかの方法を模索して受入れ反対の勢力を説得し、受入れ賛成に持っていく正面突破を正々堂々と図るべきを、そこは陰湿策士の平野官房長官、5月12日、鹿児島市のホテルで姑息にも受入れ前向きの町議という隙間に手を突っ込むことにした。
町議との会談に先立って、平野官房長官は次のように発言している。《普天間移設:官房長官が徳之島町議5人と会談》(毎日jp/2010年5月12日 21時51分)
平野「議員だから当然、島民の民意の代表者であることは間違いない。民意が許せる範囲で沖縄の負担軽減のため、ご理解をいただきたい」――
名護市長選で基地移設反対派の稲嶺市長が当選したときは、「民意の一つ」だとして、移設反対をすべて物語っている民意ではないと貶めておきながら、島民の多くが反対の意志を示していることからすると一部分の「民意の代表者」に過ぎないことを無視して、「島民の民意の代表者」だと他の「民意の代表者」と同格に扱う使い分けの矛盾を平気で演じている。
《官房長官、徳之島町議に「国も困っている」》(YOMIURI ONLINE/2010年5月12日23時46分)
約1時間30分間の会談。5人の町議が参加。
平野官房長官(会談後の記者会見)「町民の声が大変厳しいということは聞かせていただいた。(町の)議会に持ち帰って、報告する(ということだ)。日本全体の問題だから協議をお願いしたいと申し上げた」
池山富良町議「徳之島では厳しいと伝えた。(平野長官との会談では)賛成の意見は一つもなかった。・・・・きょうは9人か10人来る予定だったが報道陣がいっぱい来ていて、怖くなって出られなかった」
(平野長官はどういったことを言っていたのかの問いに)
池山町議「国も困っているから島の状況を教えてほしい。協力できるのだったら、(普天間飛行場の機能や訓練受け入れを)お願いしたいといったことを」 ――
まさか1時間30分間の会談で以上の遣り取りだけということはあるまい。確かに事実そのとおりだから、「徳之島では厳しいと伝えた」は確かだろうが、それだけ伝えるためだったなら、受入れに前向きな町議という立場からして、会談の意味を成さなくなる。
当然、「賛成の意見は一つもなかった」は受入れに前向きという自身の立場を自ら裏切る矛盾した発言となる。平野長官はどういった理由から、もしくはどういった利害から受入れに前向きか聞いたはずだし、聞かなければならなかったはずだ。そうしなければ、会談を開催した理由も意味も失う。
町議の側からも相手の質問に応じて、あるいは自分の方からそのことを伝えたはずだし、伝えなければならなかったはずだ。だが、そこの議論が欠けている。「議会に持ち帰って、報告」したとしても、その議論を欠いたままの「報告」であるなら、毒にもクスリにもならない機械的な通り一遍の「報告」で終わる。
隠す必要があったから、明らかにしなかったことは疑いようがない。
他のマスコミ報道から確実に言えることは町議との会談が徳之島島民の反対意志を頑なにしたということである。
《 「分断工作だ」と猛反発 徳之島、政府側に不信感》(中国新聞/10/5/13)
〈徳之島3町の住民らは「島の分断工作だ」と猛反発した。〉
大久幸助天城町長「3町長が首相に民意を伝えたのに、町議が政府側と会うのはいかがなものか」
住民団体「徳之島の平和と自然を考える会」椛山幸栄(かばやま・こうえい)会長「こんな意味のないことになんで政府はエネルギーを使うのか」
但し、受入れ賛成派の前町議の発言も伝えている。
賛成派でつくる「普天間飛行場誘致推進協議会」顧問前田英忠元天城町議「これまでは表立って賛成と言えずにいた人が声を上げるきっかけになる」
そう、受入れ賛成の「声を上げるきっかけ」と狙いを定めた会談でもあったろうから、受入れについて様々な交渉・議論が行われたはずだが、情報隠蔽を謀った。
平野官房長官はさらに側面突破作戦を継続するためには5月15日に鹿児島市を再訪、徳之島関係者と会談。《官房長官が鹿児島・徳之島関係者と会談》(msn産経/2010.5.15 22:24)
〈関係者によると、平野氏は「民意の許せる範囲でお願いしたい」と協力を要請し、訓練移転を受け入れた場合、徳之島空港沿岸の干潟を埋め立て空港を拡張する構想も示したという。〉
「人からコンクリート」への提示である。
この徳之島空港沿岸の干潟埋め立ては勿論のこと、信用できないものの、鳩山首相が言う「自然への冒涜」に当たらない“埋め立て”ということなのだろう。
同じ内容を扱った記事――《徳之島の移設受け入れ柔軟派と官房長官会談 普天間問題》(asahi.com/2010年5月15日23時41分)
記事は、〈徳之島側は「沖縄県並みの振興策を実施してほしい」と要望。平野氏は「検討する」と応じた〉ものの、〈移設案や振興策の詳細な内容には触れなかったという。〉と書いているが、会談出席者は〈受入れに柔軟な地元建設業者や農業関係者ら8人〉だというから、会談に意味を持たせるためにも「検討する」に徳之島側が十分に色気を示すことができる何らかの補足的サイン、鳩山首相の「国外、最低でも県外」、あるいは「5月決着」の約束よりも遥かに信用ができる暗黙の意思表示があったと考えなければならない。
味も素っ気もない「検討する」であったなら、受入れ賛成の仲良しを広げる動きが鈍る。馬にニンジンがあってこそ、奮起勇躍して「お国のため」だ、「安全保障の問題は国民ひとりひとりが考えるべき」だと、ニンジンを隠して大活動する。
いずれにしても徳之島側が〈沖縄県並みの振興策を実施してほしい」と要望〉したということは、振興策を受入れの条件としたことになる。前回の町議との会談では表に出なかった「振興策」が今回の会談で徳之島関係者の側から顔を出したということであろう。
誰も振興策なくして受入れはしない。平野官房長官は自分の方から直接的には表立って振興策を口にしないものの、徳之島3町長反対を受けて以降、振興策で釣るしか道を残していなかった。反対派は振興策という利害、交換条件を念頭には一切入れていないのだから、正面突破を断念して地域振興の側面突破に取りかかったこと自体が振興策で釣るしか道を残していなかったことの証明となる。
島民ぐるみと言っていい程のこれだけの大規模な反対運動、2万6千人もの反対署名という手の内を見せた以上、条件闘争だったとはもはや言えない。
次の16日朝も、平野官房長官は徳之島への基地移設を推進する地元の団体の代表ら14人と会談している。
《徳之島の移設推進団体と会談》(NHK/10年5月16日 11時42分)
平野官房長官「沖縄の負担軽減のため協力をお願いしたい」
その上で、〈受入れ拒否の姿勢を示している徳之島の3つの町の町長と、政府側との会談が実現するよう協力を求め〉たと書いている。
代表者側「安全保障の問題は国民ひとりひとりが考えるべきで、沖縄の負担軽減のためにも基地機能をぜひ徳之島に移転してほしい」
移設の残された突破口が振興策しか残されていない以上、また受入れ賛成派が同じ立場に立っている以上、「安全保障の問題は国民ひとりひとりが考えるべき」も、「沖縄の負担軽減」も、受入れることで結果的にそういった姿を取ることになるが、初期的目的としてはタテマエに過ぎない。
平野官房長官が〈滑走路の拡張やアスファルトの改修など、訓練に対応できるような改修が必要になるという認識を示し〉というが、もし具体的に地域振興に関して口にしていないが事実とするなら、地域振興策が相手方の受入れ条件となっていることに応えて、このような公共工事を先ず最初に挙げることで暗に地元利益誘導となる振興策に応じる姿勢としたに違いない。
久松隆彦(徳之島への基地誘致を推進する団体幹事長、会談後の記者会見で)「ぜひ徳之島に基地を持ってきてくださいとお願いし、政府が方針さえ出せば、徳之島を賛成の方向に持っていくと約束した」
地域振興策を頭に置かずしてお願いするはずはない。このことは徳之島町長の発言が何よりも証明している。
高岡秀規町長「政府が民間の人たちと交渉するというのは異例な状態で残念だ。沖縄の負担軽減問題より経済振興策が先行しかねないことを心配している。今後は、知事とわたしたち3人の町長が窓口になって政府と交渉し、訓練などの移転に反対を訴えていくべきだ」――
移設推進団体がどういう立場、どういう利害で移設推進を求めているか知っているからこその、「沖縄の負担軽減問題より経済振興策が先行しかねないことを心配している」であろう。
記事は伊仙町町長の発言も伝えている。
大久保明町長「3人の町長が鳩山総理大臣に会って、すでに反対の民意を伝えてきたのに、一部の議員や推進派の人たちと交渉する政府のやり方はまちがっている」
〈平野官房長官から町長に話し合いに応じてもらいたいという要望があったことについて〉――
大久保明町長「どんなことがあっても基地をつくらせないというわたしたちの決意は固い。交渉のテーブルにつくということは、受け入れを前提にした条件交渉にしかならない。今後も会う必要はまったくない」
「受入れを前提にした条件交渉」の「条件」とは地域振興以外はなく、町長側は地域振興を「条件」としていないことの証明となる。
受入れに向けた突破口が地域振興以外道はないにも関わらず、平野官房長官が地域振興をあからさまに口にしないのは、また会談で話したとしても、情報隠蔽を謀るのは、「安全保障の問題は国民ひとりひとりが考えるべき」だと言っているタテマエを守らなければならないからだけではなく、4月21日の鳩山・谷垣党首討論での鳩山首相の発言も影響しているはずである。
《【党首討論詳報】(4)首相、普天間問題で「札束でほっぺたをたたかない」》(msn産経/2010.4.21 17:03)
谷垣自民党総裁「奄美の振興予算ですね。これをですね、29%カットしたんです。で、やっぱり離島はなかなか厳しい状況にある。そういう離島の経済的厳しさをいわばダシにして、もしこういう基地の移転につきあうならば何とかすると言わんばかりの手法がね、かいま見えることに奄美大島の人は怒っているんです。徳之島の人は怒っているんです。どうですか」
鳩山首相「谷垣総裁、それはまったくの誤解でございます。奄美の振興に関して予算と、たとえば、札束を、この、いわゆるほっぺたをたたくようなやり方を今までされていたかもしれませんが、私ども新政権は決してそういうやり方はいたしませんから、どうぞそこはご懸念なきようにお願いします」
いわば後先も考えずに自分で自分の足を縛ってしまった。「かつての自民党政権が沖縄の基地について行ってきたように、基地受入れに関しては地域振興も必要です」と言えばよかった。
そう言ったなら、平野官房長官ももう少し自由に地域振興を口にできたはずである。
反対の徳之島3町長を賛成に変える正面突破の方法を模索するのではなく、地元利益誘導の地域振興を受入れ条件としている地元賛成派を側面突破口と位置づけながら、基地移設のマイナスを上回るプラスとなる地域振興を掲げるならまだしも、突破条件となる地域振興を表立って口にすることを自ら封じてしまった。
5月10日のブログ記事――《福島瑞穂の在沖縄米海兵隊抑止力の視野狭窄な矮小化》に対して、次のようなコメントをいただき、記事の形で答えることにした。
2010-05-15 23:39:54
素朴な疑問を持ちました。
じゃ 在外日本人が政変に巻き込まれて、生命の危険にさらされた時、誰が救出に行くのでしょうか?
民間機を使うのは難しい状況もあるでしょう。
エンデベ作戦は無理としても、航空自衛隊の輸送機や政府専用機(パイロット・スタッフは自衛官)を飛ばして、自国民を救うのが、国の役目では?
以下回答
イラク特措法は武力行使を禁止し、活動地域を非戦闘地域に限定しています。憲法9条に抵触しないための措置のはずです。
イラクに人道復興支援目的で自衛隊を派遣したとき、色々と議論がありました。武力不行使としていながら、自動拳銃、機関拳銃、小銃、機関銃、少し破壊力があるものとして、手動、単発の無反動砲等を携行させています。その矛盾をクリアするために小規模な武器携行だとし、“非戦闘地域”という名目で派遣していますが、地域の治安をイギリス軍やオランダ軍等の多国籍軍が担った、言ってみれば彼らが非戦闘地域としてくれている状況下での派遣です。
憲法9条によって、それが限界ということなのでしょう。戦争状態の外国への自衛隊派遣や海外の邦人救出等に限って言えば、例え自民党の石破が「日本の自衛隊が、今の憲法の範囲内で出来ることがたくさんあるんじゃないんですか」と言っていたとしてもです。
海外の邦人救出に小規模の武器を携行させたとしても、その使用に関しては使用を想定せずに済み、いわば戦闘行為を想定せずに済んで、憲法9条の枠内の武力不行使で自衛隊機を派遣して救出可能なら、民間機でも救出可能のはずです。
戦闘行為に巻き込まれる危険があるからと民間機の派遣は無謀だと見送られて、自衛隊機を送った場合、既にそこは“非戦闘地域”とは言えなくなり、“非戦闘地域”への派遣だと認めさせるために武器携行を小規模にとどめたとしても、多国籍軍が治安を担っていたイラクのサマーワと違ってそれで戦闘行為に巻き込まれないことが保証されるわけではなく、当然、武力不行使の保証も失う。
救出自衛隊機が攻撃を受けないようにするためには、当該国の軍隊展開地域への前以ての爆撃も必要になる場合も生じます。あるいは敵国戦闘機の直接の攻撃を防御するために救出機掩護の戦闘機を同行させる必要も生じるかもしれません。
自衛隊法をどういじったとしても、憲法9条をクリアできるのですか。
自衛隊オタクの石破は単に自衛隊機を出したいだけでしょう。一旦自衛隊機を出すことができれば、それを突破口として救援機への攻撃阻止を謳って援護の戦闘機をつける。国民の生命・財産を守るためだという口実を設ければ、国民は憲法9条はそのままだ、例外だと認める可能性も期待できる。
要するに憲法9条をクリアするために今までのように自衛隊法でゴマカシゴマカシやっていくということです。但し、憲法9条に手をつけずに、どこまで誤魔化せるかです。
海外邦人の救出に戦闘行為に巻き込まれる危険を冒して、戦闘地域に自衛隊機派遣を可能とする憲法9条のゴマカシが間に合わず、邦人救出ができない事態が生じたとしたら、それは政治がこれまで誤魔化してきたツケでしかないと思います。
私自身は憲法9条を改正し、集団的自衛権も認めるべきだという改憲派です。先進民主国家として世界の平和維持のために戦争地域・紛争地域に自衛隊を派遣し、他の先進国と共に戦い、先進民主国家としての責務を果たすべきだと考えています。
そうしなければいつまで経っても欧米先進国と肩を並べることはできないと思っています。
先進国家としての責務をゴマカシゴマカシ凌いでいくから、欧米から信用されない。日本国民の大多数が9条を守るとするなら、それはそれでいいと思います。但しあの手この手で9条を誤魔化すべきではないと思います。先進国家としての責任を果たせませんとバンザイし、例えどのように蔑まれようと、経済的利益の追求のみに走る。
政治が誤魔化してくれているから、国民は憲法9条に安住していられる。朝鮮戦争にしても、ベトナム戦争にしても、イラク戦争にしても憲法9条下で、実際には日本は参戦しているのです。攻撃基地として、兵站補給基地として、兵士と兵器の輸送基地として。
その上、日本は朝鮮戦争特需の恩恵を受けて戦前の鉱工業生産水準にまで一挙に復活して高度経済成長へのスタートを切り、ベトナム戦争特需で成長を確かなものとしていった。
特需は“準参戦”のご褒美だったのです。
それを象徴するのが世界のトヨタです。当時トヨタは倒産しかかっていて、朝鮮戦争で故障したアメリカ軍のジープや軍用トラックの修理、のちにはライセンス生産等で息を吹き返して世界のトヨタへと発展していった。
靖国の国のために尊い命を犠牲にした英霊たちが日本の戦後復興の礎となったというのは真っ赤なウソ。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
1週間ぐらい前だったか、NHKテレビだと思うが、小学生がゴミ焼却場と川でゴミ回収船がゴミを回収する現場を見学する場面を放送していた。船首に大きな口を開けたような開口部があって、川に浮かぶゴミを船に乗った作業員が二人程して舳先から長い竿でかき寄せて、その中に誘導していく。船の進む方向に口を開けているから、船が自分から吸い込む形となる上に竿でかき寄せるから、順調に吸い込まれていく。
小学生はそれを確か岸から見学していた。あるいは橋の上からだったかもしれない。
これから耳の記憶、目の記憶について書くつもりでいるのに自身の目の記憶、耳の記憶が至って怪しいときているから、書く資格はないのだが、そこを無責任にも無視して、今後の小学校教育のために、参考になるかどうかも分からないが、書いてみることにした。
生徒はゴミ焼却場では担当者の説明を揃って床に膝を立てて座り、立てた膝頭でノートを支えて、説明を聞きながら説明したことをノートに書き記していた。座って書くか、立ったまま書くかは違いがあっても、説明を懸命にノートに書き取る光景は工場見学等では定番となっている見学シーンであろう。
教室に戻って先生にゴミ焼却やゴミ回収船がどんな仕組み、どんな方法で行われていたかを聞かれたとき、あるいは感想文を書くよう指示されたときの参考にするためか、あとで復習して覚えるための参考に説明の要所要所を書き留めておくのだろう。
これを一切禁止する。ノートの持ち込みを禁止し、手ぶらで見学することとする。
説明を聞くだけとする。目と耳のみで見学したことを把握させ、記憶させる方法を採る。
当然、ノートに書き止めることができなければ、否応もなしに耳を鋭くし、あるいは耳を研ぎ澄まして説明担当者が口にする言葉を一言も聞き漏らすまいと耳を傾けることになる。あるいは説明している人間の口の動きや手の動き、説明対象の機械やその仕組みを自分の目でしっかりと把えようと目を集中させる姿勢を取ることになる。
結果的に徐々にではあっても、耳の集中力、目の集中力が自然と養われるていくはずである。目と耳の集中によって、目の記憶力、耳の記憶力が高まっていく。人間は言葉で記憶していなくても、目が記憶しているということが多々ある。何十年も前の目が記憶していたシーンを突然思い出すことがある。先ずシーンが思い浮かんで、それを言葉で補強していくといったことが。
ノートを取ることを禁止されたなら、見学した工場に於ける説明を耳でしっかりと記憶する必要が求められるだけではなく、説明を受けた機械の仕組み、仕事の仕組み、あるいゴミが固まって川に浮かんでいる光景、竿で掻き集めて、船首の開口部に押し込んでいく光景を目でしっかりと記憶する必要が求められることになる。
必要は発明の母であるばかりではない。必要は必要とする能力の養いの母でもある。必要に迫られると、否応もなしに応えざるを得なくなる。どのくらい応えるかは、人それぞれの姿勢にかかっているが。
逆に筆記の習慣を継続させた場合、説明したことをそのまま書くか、あるいは簡略化させて書くにしても、説明をなぞる行為であって、説明を受けたことを自身の説明に変えるとき、そこに自身の考えが加わることがあったとしても、説明をなぞったメモを基本にして説明することになり、全体としては二重のなぞりを行いがちとなる。
特に暗記教育に慣らされていた場合、なぞりの傾向は一層強まる。
だが、筆記が禁止となった場合、教師がどんな見学だったのか感想文を書かせるにしても、生徒を名指しして説明させるにしても、自身の説明は見学時の説明の一言一句を、あるいは説明を受けた光景の一コマ一コマを正確に記憶しているはずはない目の記憶と耳の記憶を頼りに行わなければならないために、見学した内容の再構築には言葉をつなぎ、説明を組み立てる考えることをしなければならない。思考の取り入れである。否応もなしに思考のプロセスを踏むことになる。
だが、教室に戻ってからの感想文にしても、再説明にしても、自身の耳の記憶力と目の記憶力だけで中には完璧かもしくは完璧に近い内容で仕上げる優秀な生徒も存在するだろうが、説明の一言一句を、あるいは説明を受けた光景の一コマ一コマを正確に記憶していることが難しいゆえに、いわばすべてを目と耳で把え切れないために、多くの生徒は感想文にしても、再説明にしても、頼りとしてきたノートのメモがないゆえにより簡略化したものにならざるを得ないのではないだろうか。
また再説明の場合、この点が面白かった、こんなふうに社会に役に立っていることが分かって参考になった、とか、見学の全体を効果的に集約した感想、意見ではなく、断片的な部分を把えた断片的な感想、意見に陥りがちとなる。
教室に戻ったなら、感想文を書くことや生徒一人ひとりに再説明を求めるよりも、見学した工場、見学した仕事はどういったことをしていたのか、どのような印象を受けたかと言ったことを生徒それぞれが耳の記憶と目の記憶を頼りにクラス全体で説明し合い、そのような説明のし合いを通して、見学した内容の全体をそれぞれの生徒の印象や感想を含めて再構築させることにしたらどうだろうか。
それぞれの生徒が自分たちが耳で記憶した内容、目で記憶した内容を基に何々をしていた、川に浮かべたゴミ収集船で1日に多いときで何トンぐらい、平均で何トン集めると言っていた、ゴミの多さに驚いた、いや、1日で最も多いときは何トンだったよ、と誰かが訂正する。そうだ、そうだったよ、と同調する生徒が多ければ、それが正しく記憶していたトン数となる。正しい目の記憶、耳の記憶となる。
当然、そこでは説明の一言一句、目にした光景の一コマ一コマを完全に記憶しているわけではないから、誰もが思考を働かせなければならない。全員して思考のプロセスを共有し合うことになる。一人の思考が他者の思考を刺激し、それが相互に影響しあって、それぞれの思考を高めていくというメカニズムを取るはずである。
間違えた生徒は次の見学では間違えないように目の記憶、耳の記憶をしっかりさせようとするに違いない。
このような目の記憶力と耳の記憶力を基本に組み立てる思考のプロセスは一般の授業でも役に立つはずである。教師の説明をノートに一生懸命筆記する今までのやり方では筆記することにエネルギーをより費やすために勢い目の記憶、耳の記憶が削がれることとなって、考える思考の力を妨げることとなる。
どうしても筆記した内容に頼ることになるからだ。
見学でノートの持込を禁止し、記憶をノートのメモに頼るのではなく、目の記憶、耳の記憶に頼るよう仕向けることによって、その習慣がつけば、教室でもそのことが生きてきて、目の記憶、耳の記憶の活用に時間の多くを割くこととなり、当然、筆記する時間も量も減っていく。
目の記憶力、耳の記憶力を高め、そのような記憶を基本とした思考のプロセスを取るようになれば、考えながら耳で把えて耳に記憶し、考えながら目で把えて目に記憶していく、常に思考を兼ねた目と耳の記憶の、より一段と高いプロセスへと進む。さらに考える習慣の備わりによって、記憶した情報の再構築に於いても、そこに自分なりの思考を付け加える作業=情報の再処理を伴わせるプロセスを踏むことになる。
このように小学校教育に於いてノートに筆記するエネルギーを最小限に抑えることで、生徒の考える力を高める契機とならないだろうか。
《内閣支持続落、19%=普天間で49%「首相退陣を」-時事世論調査》(時事ドットコム/2010/05/14-15:18)
(全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で5月7~10日実施。回収率68.8%)
鳩山内閣支持率――19.1%(前月比-4.6ポイント)
不支持率――64.1%(前月比+7.6ポイント)
内閣不支持の理由(複数回答)
「リーダーシップがない」――42.0%(前月比+9.9ポイント)
「期待が持てない」 ――38.3%(前月比+3.3ポイント)
「首相を信頼できない」 ――28.7%(前月比+7.8ポイント)
支持する理由
「他に適当な人がいない」――7.9%
「首相を信頼する」 ――3.7%
「だれでも同じ」 ――3.7%
普天間問題が「5月末決着」しなかった場合
「責任を取って辞任すべきだ」――49.2%
「辞任する必要はない」 ――42.0%
夏の参院選比例代表の投票先
自民 ――18.3%(前月比+1.5ポイント)
民主 ――17.3%(前月比-0.4ポイント)
みんなの党――7.3%(前月比+0.1ポイント)
公明 ――4.8%(前月比-0.4ポイント)
政党支持率
民主 ――17.0%(前月比-0.2ポイント)
自民 ――13.2%(前月比-1.0ポイント)
公明 ―― 4.0%
みんなの党 ――2.5%
共産 ――1.6%
どっこいしょ たちあがれ日本――0.7%
社民 ――0.1%
日本創新 ――0.1%
国民新 ――0.1%
新党日本 ――0.1%
支持政党なし ――57.7%(7カ月連続増)
前のブログで書いているが、「スポーツ報知」記事――《横粂氏、党執行部に鳩山、小沢氏の辞任を要求へ》(2010年5月8日06時02分)によると、神奈川11区選出民主党1年生議員横粂勝仁議員が「お二人に対して厳しい批判があり、そこを抜きにして党の再生はできない」という思いのもと、「民主党の中からなかなか声が上げられない。自分が最初でも声を上げないといけない」と心に決めて、自身のブログと地元の街頭演説で鳩山首相と小沢幹事長の退陣に狙いを定めた、1年生議員によるものとしては極めて異例だと記事が書いている執行部刷新を求める動きに出た。
そして、「発言して終わりでは意味がない。トップ2人に届いていない声を、党内で議論していきたい」と5月11日開催の民主党代議士会で執行部刷新要求の発言をし、賛同者を募っていく考えを明かしたという。
だが、いざ代議士会の蓋を開けてみたら、横粂議員は執行部刷新要求の声を一言も上げることなく幕を閉じることとなった。言行不一致を演じて見せたのである。このことについて、横粂議員は5月13日の自身のブログで1年生議員になって8ヶ月余、1年も経たないうちに世慣れたベテラン政治家に近い釈明を行っている。ブログを参考引用してみる。
《覚悟》(横粂ブログ/2010-05-13 23:24:32)
連日、様々なお声を頂いていることに、重ねて御礼申し上げます。
ご心配、お叱り、アドバイス等、一つひとつを重く深く、受け止めさせて頂いています。
代議士会での発言を見送った件につきまして、多くの失望のお声を頂いていますが、総理も幹事長もいらっしゃらない代議士会において、いきなり一方的に発言することが、国民の皆様のお声を届ける方法として果たして効果的な方法なのか、そして同時に、果たして政治家としてあるべき姿なのか、そう判断しての行動であることをご理解頂ければと思います。
政治家には、結果が求められます。
言いっ放しは簡単ですが、それでは意味がありません。
単なる批判は簡単ですが、それではどうしていくべきなのか、そして実際にどうしていくのか、そのビジョンが伴わなければなりません。
国民の皆様のお声の本質はどこにあるのか、それを届けるために今すべきこと今できることは何なのか、「実」を求めて、しかるべき行動を進行中です。
一時のご批判は覚悟の上、堂々と甘受させて頂きます。
ところで、ここ数日のうちに、たくさんの議員の「想い」に触れることができました。
各議員がそれぞれの「想い」を持ち、それぞれの「想い」に従って日々奮闘している、そんな当たり前のことを再認識しました。
また、私が思っていたよりも、永田町は「深い」なと素直に思いました。
早く私も深くならなければなりません。
深く、深く。
それでは、今後も様々なお声をお寄せ下さいますよう、宜しくお願い致します!
「民主党を前に!」
よこくめ勝仁(横粂勝仁)
「総理も幹事長もいらっしゃらない代議士会において、いきなり一方的に発言することが、国民の皆様のお声を届ける方法として果たして効果的な方法なのか、そして同時に、果たして政治家としてあるべき姿なのか、そう判断しての行動であることをご理解頂ければと思います」と釈明しているが、上記「スポーツ報知」はその冒頭で、〈昨年の衆院選で初当選した民主党の横粂勝仁氏(28)が7日、本紙の取材に応じ、鳩山由紀夫首相(63)と小沢一郎幹事長(67)への辞任要求を視野に、週明けの民主党代議士会で賛同者を募っていく考えを明かした。〉とはっきりと書いている。
賛同者を募っていく考えをマスコミとマスコミを通して国民にある意味約束することになる発言をしておきながら、なぜその声を上げなかったのだろうか。声を上げなかったことを、「総理も幹事長もいらっしゃらない」ことを理由としている。賛同者を募ることと「総理も幹事長もいらっしゃらない」ことは関係ないはずだが。
まさか鳩山首相と小沢幹事長にも賛同者になってくださいとお願いするわけではあるまい。お願いする予定だったなら、「総理も幹事長もいらっしゃらない」なら、お願いはできなくなる。
関係ないことを理由にするということはゴマカシの弁解に過ぎないということではないのか。
確かに「総理も幹事長もいらっしゃらない代議士会」では、執行部刷新要求の声を「一方的に発言」したとしても、相手にリアルタイムに直接伝わりはしないが、例え一方的発言であったとしても、これこれこういう声を上げましたとマスコミのインタビューに答えるなり、あるいは自身のブログに記事にすることで、マスコミやブログを通してその発言は広く世間に伝わるだけではなく、インタビューとブログの発言を元にマスコミが改めて記者会見なりの機会を捉えて二人に、横粂議員が執行部刷新を要求する、あるいは総理と幹事長の辞任を求める賛同者募集の発言をしていたがと聞くことをマスコミ自らの情報発信の本能的方向性としているから、結果としてマスコミ自体がその発言を二人に間接的にぶっつける役目を果たして、逆にその場に横粂議員が「いらっしゃなら」くても、マスコミを介して「総理も幹事長もいらっしゃらない」代議士会での横粂議員の“一方的発言”は二人の耳に届くことになるはずである。
こういった情報伝達の常識的なカラクリが頭になかったのだろうか。東大を出ているのである。
要するに、「政治家には、結果が求められます」と言いながら、インタビューやブログ、さらに街頭演説で発した“約束”に対して、“約束”に添う「結果」を出さなかった。
総理と幹事長の辞任という「結果」を出さなかったことではない。あくまでも代議士会で執行部刷新の声を上げると“約束”したことの「結果」を出さなかったことであり、代議士会で賛同者を募ると“約束”したことの「結果」を出さなかったことである。
「単なる批判は簡単ですが、それではどうしていくべきなのか、そして実際にどうしていくのか、そのビジョンが伴わなければなりません」と言っているが、これは政治家がよく使う、「反対ばかりしないで、対案を出せ」と同じ文脈の批判であろう。暗に、批判するのは簡単だ、批判ばかりしないで、どう行動すべきか「ビジョン」を示せと非を批判者側になすりつけている。責任回避と一種の開き直りでしかない。丁寧な書き方をしながら、いわば丁寧な姿勢を見せながら、その裏になかなかの強(したた)かさを隠していて、政治家のあるべき姿を見事に示している。
だが、ライバルの小泉進次郎のような正面切ってストレートに表に出していく強(したた)かさでなければ、支持政党であるという理由を乗り越えて本人の人格的な魅力で支持を得るには小泉進次郎のライバルになり得ないのではないだろうか。
このことは「私が思っていたよりも、永田町は「深い」なと素直に思いました。
早く私も深くならなければなりません。
深く、深く」の言葉に表れている。
政治家は常に自らの政治に対する理解者・賛同者を求めることを使命としているにも関わらず、その使命に反して永田町がどう「深い」のか、第三者が容易に理解できる具体的説明を簡潔明瞭、ストレートに展開すべきを、そうしないから、本人がどう「深くならなければな」らないのか、消化不良の理解で終わらせることになっている。
一般的に「永田町」という言葉で頭に思い浮かぶのは、「永田町の常識は社会の非常識」という良からぬ意味の言葉であるが、「早く私も深くならなければなりません」と言っている以上、いい意味での「深い」であるのは理解できるが、それ以上の意味は伝わってこない。
ブログ題名が「覚悟」とは勇ましいが、常に理解者・賛同者を求めることを使命としている政治家であることに加えて、不特定多数の他者を想定した情報の発信である以上、情報の受け手に対してより明確に伝わる情報伝達の姿を取るべきであり、また相手の理解を前提として政治家として常に言葉を発信することを役目としている以上、当然ストレートな情報発信であるべきを、こういったことに反して「覚悟」とは程遠く意味不明・理解不能なのは言葉の責任を果たしているとは言えないことではないだろうか。
無責任、独りよがり、独善の謗りを免れないが、こういったことも政治家なのだからといえば、免罪符ともなるが、そういった免罪符で成り立つ政治家に1年も満たないうちに成長を見せる姿を世間はどう見るかである。
世間がどう見ようと構わない、わが道を行くのみであると言うなら、古い政治家の体質を受け継ぐ新しい政治家という逆説を踏むことができることだけは確かと言える。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
今朝5月14日5時と7時のNHKニュースで、アメリカ軍普天間基地移設の日本側提案を議論する日米実務者協議(5月12日)がワシントンで行われたと報じていた。このことに関連して鳩山首相が「国民が、安全保障を自らや地域の問題として発想していただくことは大事なことだと」といったことを言っていた。
国民に「発想していただく」という受身の姿勢が引っかかった。自らの言葉で“発想する”ようリードする能動的姿勢こそが鳩山首相は一国の政治指導者として欠かすことのできない必要事項のように思えた。
詳しく知るためにNHKの記事を検索した。《普天間移設 来週も米側と協議》(NHK/10年5月14日 4時58分)
日本側の提案は既に多くのマスコミを通じて広く報道されている。名護市のキャンプシュワブ沿岸部を埋め立てる現行案を、埋め立ては鳩山首相自らが「辺野古の海を埋め立てることは、自然への冒涜だと強く感じている。あそこに立ったら、埋め立てられたらたまったもんじゃないと誰もが思う。現行案を受け入れるような話になってはならない」と強固な自然保護意識から現行案を拒絶、埋め立てる代わりに杭を打ち込んでその上に滑走路を敷設する、「自然への冒涜」とならない現行案一部修正の「杭打ち桟橋方式」案とヘリコプター部隊の部隊と訓練の一部を徳之島及び全国の自衛隊基地に移す案を含めた政府案を実務者協議で提示。
対してアメリカ側は、〈杭打ち方式は、滑走路と海面の間に空間ができるため、テロ攻撃の対象になりやすく、埋め立て方式と比べても、環境への影響は大きく変わらないなどとして慎重な考えを示し、具体的な工期や、滑走路の耐用年数など、さらに詳しいデータを提供するよう求め〉、妥結に至らなかったという。
この「桟橋方式」は「テロ攻撃の対象になりやす」いことと環境への影響という欠点だけではなく、「asahi.com」記事――《普天間問題、日米実務者協議が終了 日本側、桟橋案提示》(2010年5月13日11時0分)によると、「波が滑走路にかかる可能性の難点」もアメリカ側が挙げていたと伝えている。この難点に対して、〈日本側は「杭」を一定以上の高さにして滑走路を載せる方法などで波の影響を抑えることができるとし、理解を求めた模様だ。 〉と伝えている。
〈「杭」を一定以上の高さ〉とすれば、工事費が高くなることについては何も書いていない。
また上記「NHK」記事が伝えている、米側が「杭打ち桟橋方式」を〈埋め立て方式と比べても、環境への影響は大きく変わらない〉としている点について、環境NGO「WWFジャパン」が発表した「杭打ち桟橋方式」に反対する声明の中でも環境への悪影響を訴えている。
《“くい打ちは環境に悪影響”》(NHK/10年5月13日 4時45分)
声明によると、〈浅瀬にある海草の生息地やサンゴ礁が、くい打ち工事による海底のかく乱や構造物に光を遮られて光合成ができなくなることで壊滅的な悪影響を受け〉、〈こうした海草を食べているジュゴンの絶滅を早めるおそれがあるうえ、周辺のサンゴ礁などにも次第に悪影響を及ぼす可能性がある〉としている。
さらに、〈鹿児島県徳之島に基地機能の一部を移す案についても、空港の北側にあるサンゴ礁や干潟に飛来する渡り鳥などの生物への影響は避けられ〉ず、〈数多くの固有種をはぐくんできた沖縄など琉球列島に新たな基地を建設することは、生態系の破壊に直結する可能性が高く、固有種の絶滅の原因になりかねない〉と悪影響を挙げている。
これが事実だとすると、「あそこに立ったら、埋め立てられたらたまったもんじゃないと誰もが思う」「自然への冒涜」である埋め立てを避けた杭打ちが依然として埋め立てと変わらない「自然への冒涜」に当たるという「自然への冒涜」の連続性を打ち立てることとなり、鳩山首相の「自然への冒涜」は意味を失う。
このことへの答を見つけるとしたら、「杭打ち桟橋方式」は決して「自然への冒涜」にはならないと信念しているということなのだろう。「国外、最低でも県外」にしても、「5月末決着」にしても、当てにはならない鳩山首相の信念ではあるが。
いずれにしても政府案は妥結に至らず、持ち帰って、〈来週、東京で改めて協議を行うなど、引き続き粘り強く交渉していく方針〉だという。
日米合意に向けたこういった動きと併せて、鳩山首相は13日首相官邸で全国知事会会長の麻生福岡県知事と会談、政府案に協力を求め、全国知事会議を今月27日に開催することで調整しているとのこと。
全国知事会議を開催したとしても、大勢としては総論賛成、各論反対で推移するように思えるが、橋下大阪府知事が関西へ受入れる姿勢を示している。《橋下知事「基地移設で優先順位高いのは関西」》(YOMIURI ONLINE/2010年5月13日(木)21:43)
橋下知事(13日の発言)「受け入れの優先順位が高いのは、米軍基地のない地域。一番高いのは関西だ。政府から要請があれば、関西で回答を出さないといけない。」
「おねだり集団だった知事会が、国と対等な関係になれるかの試金石。(沖縄以外の地域で受け入れるという)回答を出さなきゃ、知事会は解散だ」
〈橋下知事はこれまでも、沖縄の負担を全国で分かち合うべきだとして、負担軽減策を全国知事会の場で協議するよう主張〉してきたと記事は書いている。〈地元・関西空港への一部機能の移転に関しても、「国から提案があれば、議論は拒否しない」などと発言していた。〉
「関西空港への一部機能の移転」などとケチ臭いことは言わず、日本のハブ空港は羽田空港か成田空港、いずれかに特化させて、政策も投資も一極集中化させ、関西空港を米軍と自衛隊の全面基地化とすれば、鳩山首相が言っていた「普天間の危険除去、沖縄の負担軽減」、さらに一旦は党の公約ではない、自分自身の発言だと口実を設けてポイ捨てした「国外、最低でも県外」の約束を拾ってちゃんとあとに戻すことができる。
ワシントンでの日米実務者協議と全国知事会の開催等に関して首相は13日夜に記者団に次のように発言している。引っかかった箇所である。
鳩山首相「国民のみなさんが安全保障を、自らの問題として、あるいは地域の問題として、発想していただけると、いただくことは私は大事なことだと、思っています。知事の皆様方、からですね、始めて、地域のみな様さん方にご負担をお願いすると、いうことを、これから真剣に取り組んでまいりたいと――」
知事に対しては「皆様方」、地域に対しては「みなさん方」、差をつけているじゃないか。
「発想していただける」、あるいは「(発想して)いただく」などと、国の安全保障を地域それぞれが担う、あるいは国民がそれぞれに担う意識を持つことへの期待を地域次第、国民次第に置く、あるいは安全保障の決定権を地域や国民の側に置く他力本願な受身の姿勢を持つのではなく、ジョン・F・ケネディ大統領が1961年1月20日の大統領就任演説で、アメリカ人はみなアクティブ・シチズン(活動的市民)である必要を語り、「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」(Wikipedia)と全国民に向けて訴えかけたように、あるいは代々のアメリカ大統領がラジオ・テレビ演説を恒例としていて、重要政策について直接国民に語りかけるように、鳩山首相も記者会見という形ではなく、テレビで全国民に向けて普天間の移設問題、日本の安全保障の問題、世界の平和維持の問題について直接語りかけて、地域、国民が主体的に「発想」するようリードするリーダーシップを発揮すべきではないだろうか。発揮することによって安全保障の決定権を自らの側に置くことができる。
それが一国の政治ではないだろうか。
そのようにリードするだけのリーダーシップ、あるいは創造的な言葉を備えていないというなら、早々に退散すべきである。
清新・爽快な印象は与えるが、どことなく逞しさに欠け、ひ弱な感じがある東大卒横粂民主党1年生議員28歳が執行部刷新を求める動きに出た。《横粂氏、党執行部に鳩山、小沢氏の辞任を要求へ》(スポーツ報知/2010年5月8日06時02分)
5日付のブログ――
「民主党に対するご期待、政権交代に託された想いにお応えできないような現状であれば、私は声を上げる覚悟です」
翌6日の地元・横須賀での街頭演説――
「幹事長は国民のため、国家のために幹事長の職を辞しても、違った形で政治手腕を発揮できると思っている」
翌7日、スポーツ報知の取材――
記事が〈新人による異例の造反の反響は大きかった。〉と解説したことの本人の説明。
「携帯は鳴りっぱなしの状態。『そんなことを言って大丈夫か』とか『頑張れ』という声です。青すぎるかもしれないですが、声を上げなくては行動はできない。切り込んでいかなくてはいけない問題です」――
「声を上げなくては」、「切り込んでいかなくては」と勇ましい言葉を連ねている。
「民主党の中からなかなか声が上げられない。自分が最初でも声を上げないといけないと思いました」
〈昨夏の衆院選では神奈川11区で小泉進次郎氏との一騎打ちで惜敗し、比例で復活当選。そこで感じたのは、敗れたにもかかわらず民主党への期待感だった。〉と本人の気持を代弁してから、
「それが今は失望に変わってしまっている。仮に小沢幹事長の目指す改革が数年後に国民に分かったとしても遅すぎる」
「発言して終わりでは意味がない。トップ2人に届いていない声を、党内で議論していきたい」
政治家生命を賭ける覚悟で、週明けの本会議前の民主党議員らが集まり打ち合わせする代議士会の場で議員に訴えかける予定を立てていたというから、東大卒の頭で相当に考えた末の覚悟の行動だったに違いない。
マスコミのインタビューの中で小沢幹事長の辞任を求めた生方民主党議員がテレビに出て、「1年生議員なら、おとなしくしていろって言うんですか?私は勇気ある行動だと思います」とどれ程役に立ったのか、心強いエールを送っていた。
同じ「スポーツ報知」が9日付の記事――《“横粂バッシング”が過熱…小沢氏辞任要求に「新人議員が何を言う」》(2010年5月9日06時02分)で1年生議員の政治家生命を懸けた反旗の次なる場面を、題名どおりの内容で以て伝えている。
6日に行った地元・横須賀での街頭演説の翌日からの2日間で事務所へ届いた500件以上の電話やメールのうち、80%以上が「執行部ありきの民主党だ。新人議員が何を言うんだ」「おまえが議員を辞めろ」と厳しい声だったとしている。
しかし8日も街頭演説に立った。そのことについて――
「小沢幹事長を怖いと思ったことは一度もない。ほかの人がやらないなら自分がやる、という使命感が強い」
賛同議員はまだ2人だが、「同調してくれる議員を1人でも多く集めたい」――
ひ弱な印象とは裏腹に批判には頑として耳を貸さない、なかなかの意志強固な様子で、頼もしささえ与える。賛同議員の1人は生方議員なのだろうか。
ところが、一昨日の5月11日開催の大波乱が予想された民主党代議士会では期待した大波乱はなく、音無しの構えを貫いたそうだ。政治家生命を賭けるということはこういうことなのだろう。鳩山首相にしても、4月21日の鳩山・谷垣党首討論で、谷垣に普天間問題を追及されると、「すべての政策の実現に向けて、職を賭して頑張ることはいうまでもありません」と断言したとおりに、今以て「国外、最低でも県外」に職を賭して頑張っている。「5月末決着」を些かも変えない強固な意志を貫いている。
横粂議員のこの間の事情を《党内圧力?意気地なし? 民主「横粂の乱」一転終息》(J-castニュース/2010/5/12 19:47)が穿った見方で伝えている。
2010年5月6日に地元、神奈川県横須賀市などで行った街頭演説――
「民主党執行部の刷新を。総理、幹事長、現状の執行部の刷新を求めていきたいと思っています」
「民主党を想う」と題した自らのブログで――
「民主党に対するご期待、政権交代に託された想いにお応えできないような現状であれば、私は声をあげる覚悟です」
そして事務所に賛否両論の声。代議士会での沈黙。
「代議士会で真っ先に発言することが国民の声を届ける最もベストな方法だと。そのお約束と違えてしまったことは真摯に反省するところ。要求を伝えるため、しかるべき方法をとる」
「(鳩山首相と小沢幹事長の)お二人に対して厳しい批判があり、そこを抜きにして党の再生はできない」――
「要求を伝えるため、しかるべき方法をとる」も、「お二人に対して厳しい批判があり、そこを抜きにして党の再生はできない」にしても、代議士会で音無しの構えを貫いた言行不一致のバツの悪さ、失点、あるいは第三者から見た失望をカバーし、自らのプライドを維持する一種の強がりでなくてはならない。こういったことから政治家の姿を学んでいく。
記事は〈周囲が発言を翻意するよう説得したとも伝えられ〉ているとしつつ、当然誰もが予想する圧力があったかどうかに焦点を当てる。そのことを先ずブログから探っている。
代議士会前日10日のブログから、執行部刷新要求に積極意志を表明している箇所を最初に取り上げている。
「私の言動に対して賛否両論あるのは覚悟の上、民主党執行部に対する恩義を忘れたのかというお叱りも覚悟の上、それでも民主党に期待して頂いた国民の皆様に対する恩義の方をより大切にしたい、そう愚直に想うのです」
次に積極意志の揺らぎも嗅ぎ取っている。
「私の想いに何ら恥じるものはなくとも、言動のあり方に未熟さがあった事実は素直に反省しなければなりません。国民の皆様から頂いている想いを如何に届けるのか、しかし同時に政治家として社会人として不誠実なところはないのか、皆様からいただいたご意見に基づき考慮中です」
記事はこの箇所を〈すでにトーンダウンとも受けとれる発言もしていた。〉と解説しているが、何らかの働きかけ――注意、説得といったものがあったことが窺える。
代議士会の終了後の記者からの質問。
――代議士会で発言しないよう、圧力があったのか。
「諸先輩方からさまざまなアドバイスはありましたが圧力というものはまったくなく、私の考え、意思、そのお伝えの仕方として、党人として社会人としてもっとあるべき姿があるはずだと考えます」
圧力の否定以下は記事がトーンダウンだとしているブログの発言と同じ趣旨の内容となっている。方法論が間違っていたと。どう間違っていたのだろうか。少なくとも方法論の間違いを指摘する他からの声があり、それに従ったということになる。
記事は最後に、〈地元の横須賀では「いろいろとしがらみがあるのでしょう」と同情的な声もあれば、「だらしない!」「やっぱり、ダメか。残念だねぇ」と憤りやあきらめの声が入り混じっている。〉と横粂議員の一連の言動に対する有権者の反応を伝えている。
民主党岐阜県連が4月12日に党や内閣の支持率下落を踏まえて夏の参院選に大きな影響が避けられないからと「新体制」構築を党本部に申し入れたことに関して、《民主岐阜県連の党体制刷新申入れは成算あっての要求なのか》のブログ記事を書いた。
この「新体制」構築要求は岐阜県連代表の平田健二参院国対委員長によると、「内閣や党の支持率低下で党員が危機感を持っている。参院選に必勝できる体制をつくろうという趣旨」から出た行動だというが、参院選を控えた当事者からしたら、支持率の動向は死活問題であり、その当落情勢が最重要課題だろうから、「支持率低下」の原因を作っている鳩山首相と小沢幹事長のうち、最低でも小沢辞任を引き出して支持率を上げたい気持は理解できないこともない。だが、小沢辞任が成算あっての要求でなければ、逆に党内抗争、党内混乱、あるいは内紛、ゴタゴタをマスコミを通して国民の目に露出させることとなって、却って支持率を下げることに手を貸し、参院選を今以上に不利な状況に曝すことになるといったことを書いた。
さらに不利なことに現在、東京地検特捜部が一旦は不起訴とした政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑に対して検察審査会が「起訴相当」としたことから再捜査することになり、小沢幹事長に対して任意の事情聴取を再び求める方針だと言うことだが、例え地検が起訴に踏み切ったとしても、一旦は不起訴としたことから、有罪に持ち込むことができない可能性は残される。有罪とならなければ、小沢幹事長は自らの政治生命がかかっている手前、自分から辞任する確率はかなり小さいと見なければならない。最後の最後まで自らの政治生命を賭けるに違いない。
有罪となった場合は辞任、最悪の場合議員辞職の条件となるが、例え一審で有罪となったとしても、自分は正しい、間違っていないという姿勢を伝えるために控訴する可能性が高く、控訴した場合、裁判の決着がつく前に参院選を迎えなければならない。あるいは一審の途中で参院選に突入ということもあるかもしれない。
どちらであっても、素直に幹事長辞任には応じないだろう。
小沢辞任のもう一つの条件は自身が指揮を取ったがゆえに一番に責任を取らなければならない参院選の民主党敗北であるのは誰の目にも明らかである。だが、このケースでは参議院選挙を踏み絵としなければ実現できない小沢辞任となって、一周遅れのランナーのゴール同然となる。
どう転んだとしても、小沢幹事長が幹事長の職に就いたままの参院選を戦うことになる。共々転ばない唯一の条件は参院選の勝利しかないが、現時点の内閣支持率と民主党支持率の低下状況、それと連動している小沢幹事長が置かれている「政治とカネの問題」からどう判断しても、過半数獲得の勝利は覚束ない。覚束ないところへきて、執行部を批判してその刷新を求めることは舛添が前例を示しているように、求める本人の人気・支持率は上がるが、逆に批判を受ける側の執行部をなお一層の悪者とすることとなって、内閣自体、党自体の人気、支持率を下げる代償を支払わなければならず、このことに連動して参院選をなお一層不利な状況に追いやることになる。
尤も参院選が不利な状況に立たされたとしても、参院当事者にとっては死活問題ではあっても、どことなく逞しさに欠け、ひ弱な感じがある東大卒横粂民主党1年生議員28歳にとっては籍は衆議院議員だから、自身は現在のところ選挙とは無関係の安全地帯にいる。
自身は安全地帯にいて、鳩山首相と小沢幹事長に対する成算のない辞任という執行部刷新を求めて、それが成算がないゆえに党内抗争や党内混乱の印象を逆に露出させることとなって支持率低下に手を貸し、結果として選挙当事者の参院選に不利となる状況を一層強めるという悪循環を招く。
勿論、鳩山退陣となって民意を問う関係から、衆参同日選挙の可能性も否定できないが、参議院選挙の勝利が予想できなければ、いわば敗北が濃厚な状況に立たされたなら、衆議院の300余の議席を虎の子の蓄えとして維持を図る方向に動くに違いないだろうから、鳩山退陣となっても民意を問うといった選択は言を左右にして避ける可能性は高い。
とすると、唯一残された道はヤケ糞でもいいから、共倒れを覚悟で一致団結して参院選に突入することではないだろうか。
要するに横粂議員の執行部刷新要求は例え正論であっても、それが成算のない要求である間は自身に利得とはなっても、内閣にとっても党にとっても、特に参院選当事者にとっても、利得とはならない、却って反党行為になるという逆説を招く要求だということではないだろうか。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
昨夜のNHK総合テレビのニュースが伝えていた鳩山首相の衆議院環境委員会(11日)での発言に引っかかった。どうでもいい細かいことのように見えるが、そこに巧妙なゴマカシを感じて、記事に取り上げることにした。「FNN」記事によると、普天間移設問題で自民党の中谷元防衛庁長官の質問に対して答えた発言だそうだ。
NHKのHPからその記事にアクセスして確認してみた。《首相“移設先 沖縄も負担を”》(NHK/10年5月11日 19時4分)
中谷議員が問題となっている「5月末決着」を問い質したのだろう。
鳩山首相「5月末までに、日米間で合意するために最善の努力をしている。その前に、沖縄の皆さんや、移設先になろうかと思われる方々にも、ご理解を深めていただくことは当然必要だ。5月末までに、1つの結論、合意を導くために、今、最善の努力をしているところだ」――
「5月末までに、1つの結論、合意を導くために、今、最善の努力をしているところだ」の要点は「最善の努力」の期限を「5月末までに」とは区切っていないところにある。
いわばここでも、「1つの結論、合意を導く」ことを以ってして「5月末決着」とするのではなく、そのことに「最善の努力をしている」努力目標に変化させて、「5月末決着」の断念に間接的に言及している。
社民党が国外や沖縄県外への移設を目指すべきだと主張していることについての質問に――、
鳩山首相「移設先として四十数か所を検討したが、最終的に沖縄にもご負担をいただかなければならない。社民党の理解をいただいて、問題の最終的な決着を図っていきたいと思っており、連立3党でしっかりと歩んでいきたい」――
次が引っかかった発言箇所。鳩山首相が初めて沖縄に訪問、沖縄県知事や名護市長と面会後の5月4日の午後の記者会見で記者から、海兵隊の抑止力の必要性と日米同盟の重要性を挙げて県外移設断念の理由としたが、にも関わらず去年の時点で「最低でも県外」と言っていたのは認識が浅かったからではないのかと問われて、首相は「それを浅かったと言われれば、あるいは、そのとおりかもしれませんが」と答えている。そのことへの追及に対する答弁――
鳩山首相「抑止力として、必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか疑問を感じていたときがあった。野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある。そういうなかで認識を新たにしていく部分もあり、沖縄における海兵隊の存在の重要性を認識している」
以前のブログにも書いたが、「抑止力として、必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか」否かは軍事・外交問題の多くの識者の意見を聞き、自ら判断すれば、「野党の時代」であろうがあるまいが、「総理大臣官邸」にいようがいまいが、そういった立ち位置的条件は無関係とするはずである。
いわば自分自身が持っている沖縄に於ける米海兵隊の存在意義に関わる、それが不完全な情報であったとしても、自らの感性や創造性が受け入れ可能な識者からの意見によって海兵隊の抑止力、あるいは存在意義等に関わる自らの“認識”(=情報)を新たに打ち立てることができるはずである。
何も受入れない、そういった感性や創造性であったなら、自身の“認識”(=情報)に従う以外に道はない。だが、以前は「必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか疑問に感じていた」「抑止力」の必要性を自らの“認識”(=情報)に受入れるに至った。要するに「認識を新たに」した(情報を新たにした)というわけである。
受入れた“認識”(=情報)内容に応じて、日米同盟の重要性の把握程度が決まってくる。
そういった過程を踏んでいさえすれば、「疑問を感じ」ることもない「沖縄に於ける海兵隊の存在の重要性」に関わる“認識”(=情報)だったはずである。
また、単なる頭数が存在理由となっている国会議員でない以上、党の代表を務め、政権を取れば総理大臣となる地位にいた以上、何よりもそういった過程を踏み、問題となっている状況、あるいは問題の必要性を読み取って的確に判断し、答を出すことができる自分なりの“認識”(=情報)を常に用意しておかなければならなかったはずである。
しかし首相は自身をそういった場所に置いていなかった。置かなかったばかりか、「野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある」と、認識の浅さを当事者か否かの立ち位置的関係性に置き換えている。
これは当事者か否かの立ち位置的関係性による先見性の否定ともなる。沖縄米海兵隊の抑止力に関わる“認識”(=情報)に向けた先見性を野党時代を理由として自ら否定したのだから。
確かに当事者ではないと理解できない“認識”(=情報)というものがある。だが、当事者から直接“認識”(=情報)を得ることによって、あるいは既に当事者から“認識”(=情報)を得た関係者から迂回する形の間接“認識”(=間接情報)を得ることによって、当事者の“認識”(=情報)に近づくことはできる。あとは受け手側の感性・創造性の先見性にかかってくる。
先見性の否定ともなる、“認識”(=情報)の獲得は当事者か否かの立ち位置的関係性に従うとするこのような考え方を正当とすると、野党の議員が何らかの政策で国会で首相を追及したとき、「あなたには何も分かっていない。首相官邸に入らないと見えないこともあるんです。まさにあなたが今追及していることがこれに当たる。野党の時代にはまるで見えないことなんですよ」という口実のもと、多くの追及を排斥することも可能となる。まさに「野党の時代」に於ける先見性の否定である。愚かな発言としか言いようがない。
要するに、「野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある」は自らの約束事でありながら反故にすることとなった「国外、最低でも県外」をウヤムヤとする口実として持ち出した薄汚い逃げ口上に過ぎないのではないのか。
そうとでも取らない限り、とても理解できない先見性の否定となる。また、野党の立場からの追及を排斥することになる愚かな発言としか言いようがない。
記事は最後に鳩山首相の「最低でも県外」発言に対する菅副総理兼財務大臣の発言を伝えている。
菅直人「広い意味で言えば、民主党を代表する立場での発言なので、公約と受け取られるのは十分理解する」
これはどういった意味なのだろうか。「公約と受け取られたのは仕方がないことだ」と擁護した発言なのだろうか。それもと、公約と受け取られても仕方のない党代表としての発言だと批判することで、鳩山首相の足を引っ張り、次の首相を狙ったのだろうか。
常識的に取るなら、前者なのだろうが、前者だとすると、公約だと間違えて受け取った側が悪いということになり、後者だとすると、間違いを与えた首相自身が悪いことになる。
但し、前者は首相に免罪を与えるゴマカシを如何ともし難く含むことになる。党の公約ではなくても、党代表が散々に約束したことである。その責任についての言及も行動も何もないまま、現在党代表であると同時に総理大臣の職にある。
追記
既に読んでいる読者があるかもしれないが、「goo」に普天間問題に関係して米英の記事を紹介した面白い記事が載っていたから、アドレスを付記しておきます。
《鳩山氏は「がっかりするほど、らしかった」と英誌 もっと議論すべきなのは・加藤祐子》(ニュースな英語/2010年5月11日(火)18:33)