2016年12月26日付《The Huffington Post》記事が安倍晋三の真珠湾訪問に対してオリバー・ストーン監督ら53名の著名人が2016年12月25日付で、「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」を出したことを伝え、その全文を紹介している。
この記事に対して次のコメントが寄せられていた。
〈Ken Makita
>2013年4月の国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁したが、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争を侵略戦争とは認めないということか
親愛なる(笑)ハフィントンポスト編集部=朝日新聞別働隊殿
その答えは、既に出ているぞ。この答弁の直後の国会答弁で安倍首相は、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」と述べて、事実上の訂正・修正を図っている。〉
このコメントに対しての理解を問うコメントが載っていた。
〈Nanae Chimes
つまり安倍首相は、大東亜戦争を日本によるアジア太平洋諸国に対する侵略戦争だと認めたということで宜しいでしょうか?〉――
最初のコメントが罷り通って、安倍晋三が日本の戦争を「侵略戦争だと認めたということで宜しい」が通説となっては困るから、これまではブログに、〈侵略だと言わないまま、「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と言っているのだから、侵略を認めないまま相手を納得させるギリギリの仄(ほの)めかし程度の詭弁に過ぎない。〉と言ったことを書いてきたが、改めて安倍晋三が言っている意味を考えてみた。
安倍晋三は正確には「私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが」と言っているが、コメントに書いてあるとおりにする。
「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という言葉は二つの脈絡に分けることができる。
「あの戦争は侵略ではない」
そうであるとは「一度も言っていない」
最初に侵略を否定した脈絡となっていて、最初の否定の脈絡を更に否定する脈絡を経て、全体として肯定の脈絡を形成している。
しかし二重否定の結果のその肯定は、安倍晋三は「私はあの戦争は侵略だと言っている」とは一度も発言していないのだから、侵略戦争の真正面からの肯定とは言えない。
強いて言うなら、遠回しの肯定に過ぎない。
どのような理由を用いた戦争の性格であろうと、戦前の日本国が始めた日中・太平洋戦争でありながら、真正面からの肯定ではない遠回しの肯定という関係性を用いているところを見ると、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という遠回しの肯定を「あの戦争は侵略だと言っている」という真正面からの肯定に変え得る可能性はゼロとなる。
安倍晋三の中で変え得る歴史認識であるなら、二重否定を構造とした遠回しの肯定としかならない言葉の用法を用いずに最初から「あの戦争は侵略だ」と素直に真正面から肯定していたろう。
但しこの逆の関係性は可能となる。
「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」の遠回しの肯定としかならない二重否定を、「あの戦争は侵略ではない」と単純直截に真正面からの否定にあからさまに持っていく歴史認識への変更である。
なぜなら、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」の歴史認識は現況に於ける諸々の事情の制約を受けたゆえの遠回しの肯定を意味させた二重否定に過ぎないからである。
戦前の日本の戦争を侵略戦争ではないといくら否定したくても、否定していい雰囲気に現在の日本はなっていない。
このような雰囲気が歴史認識に関わる制約となっていると言うことである。
最近は「日本の戦争は侵略戦争であったか否か」を問う世論調査を見かけなくなったが、2000年9月付の「先の戦争と世代ギャップ」なるPDF記事に2000年5月に行った侵略戦争か否かの調査を載せている。
調査対象は、〈戦無世代が34%、戦後世代が37%を占め、先の戦争の当事者である戦中・戦前世代は29%と3割を下回っている。〉状況下での全国16歳以上の男女約2000人。
「侵略戦争」 全体51% 戦無世代48% 戦後世代54% 戦中・戦前世代50%
「侵略戦争ではない」 全体15% 戦無世代16% 戦後世代13% 戦中・戦前世代15%
この戦前の日本の戦争に対する歴史認識に関わる現在の心理傾向は当然、戦前の日本国家を理想の国家像とする現在の政治家の表向きの歴史認識を制約することになる。
現在の多くの政治家が戦前の日本国家を理想の国家像とすしていることは散々ブログに書いてきた。安倍晋三もそうだが、安倍晋三と歴史認識に於いて近親相姦関係を密かに結び合っている稲田朋美は防衛相に就任する前は8月15日終戦の日とサンフランシスコ講和条約発効、日本の主権回復の4月28日の靖国神社参拝の常連であった。
今年は4月28日は参拝を済ませていたが、防衛相就任が8月3日であった関係からだろう、8月15日は例年の慣行を破って参拝をしていない。
ここにも歴史認識に関わる制約が現れていることを見て取ることができる。
靖国参拝が戦死者を「お国のために命を捧げた」、あるいは「お国のために殉じた」と顕彰する儀式となっているのは戦前の国家と戦死者、広くは国民の関係を奉仕を受ける側と奉仕をする側に位置づけ、「捧げた」、あるいは「殉じた」とその奉仕を改めて認識することを通して戦前の国家を暗黙のうちに奉仕の対象として相応しい国家と見做す心理作用を施しているからに他ならない。
この心理作用は相応しい国家と見做している以上、靖国神社での参拝行為を通した戦前の日本国家を理想の国家像とする心の働きに他ならない。
だから、安倍晋三にしても稲田朋美にしても侵略戦争だったと真っ向から否定することができない。
かくこのような歴史認識に関わる制約を受けていることは稲田朋美が防衛相就任後の8月15日に靖国参拝を避けたことにだけではなく、防衛相就任初の防衛省での記者会見発言での発言にも現れている。
記者から戦前の日本の戦争は侵略戦争かと問われて、本来なら安倍晋三と同様に戦前の日本国家を理想の国家像としているのだから、侵略戦争ではないと真っ向から否定すべきなのだが、安倍晋三同様にホンネの歴史認識を回避することになる。
記者「大臣は、日中戦争から第2次世界大戦に至る戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか」
稲田朋美「歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません」
記者「防衛大臣としての見解を伺いたい」
稲田朋美「防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております」――
この記者は後になっても同じ質問を繰返している。
記者「侵略戦争ですか」
稲田朋美「侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません」
記者「大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか」
稲田朋美「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」
記者「防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい」
稲田朋美「防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか」
記者「軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか」
稲田朋美「何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います」
記者「侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです」
稲田朋美「侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません」
記者「防衛大臣としての見解ですよ」
稲田朋美「防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません」
記者はなおも食い下がるが、稲田朋美はとうとう答えずじまいであった。
以上書いてきたことで、安倍晋三が「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という発言が侵略戦争だと認めて言った発言なのか、ホンネでは認めないまま、表向きの歴史認識――タテマエに過ぎない発言なのか、私自身の見立ては理解できるはずだ。