安倍晋三の12・28真珠湾日米和解:政治史に名を残すために“息をするようにウソをついた”スピーチ

2016-12-29 11:16:13 | 政治

 ――なぜ今更ながらに日米和解なのか―― 

 安倍晋三が「息をするようにウソをつく」と批判したのは民進党代表の蓮舫なのは承知のことと思う。

 安倍晋三が2016年10月17日の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に関する衆院特別委員会で「我が党は結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と発言、恰もTPP承認案・関連法案を強行採決しないが如くに見せかけた。

 だが、過去に於いていくらでも強行採決してきた例に違わず、2016年11月4日の衆院TPP特別委員会で強行採決の挙に出た。

 このことを批判して蓮舫が2016年12月7日の安倍晋三との党首討論で「息をするようにウソをつく」と言う言葉をぶつけた。

 但しウソは正直な人間もウソつきの人間も、誰彼の区別なしにつく。正直な人間がウソをついて、それを批判された場合、謝罪したり、ウソをつかないように反省したりするが、ウソつきの殆どは自分がウソをついているとは思っていない。大抵は自分は正直な人間だと信じているから、いつまでも平気でウソをつき続ける。

 安倍晋三がハワイを訪れて、2016年12月28日、オバマ大統領と共に旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊、不戦の誓いと和解のスピーチを行った。

 スピーチは胸打つ美しい言葉で綴(つづ)られているが、それが“息をするようにウソをついた”スピーチなのかどうかは安倍晋三の過去の発言との整合性が決め手となる。

 スピーチ全文は各マスコミが報道しているが、首相官邸サイトから引用することにした。    

 安倍晋三と元外交官、安倍晋三と同様の右翼国家主義者岡崎久彦(2014年10月26日死亡)との2004年1月27日発売対談集『この国を守る決意』で安倍晋三は次のように発言している。

 「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」

 この「命を投げ打ってでも」という行為の場面は国家という単位が「その人の歩みを顕彰する」という報奨との関係から、戦争という場面での行為ということになる。

 いわばこの発言は戦争という場面を想定して、そういった場面が生じた場合は命を投げ打て、投げ打たなければ国家は成り立たない、命の犠牲の代償として国家は顕彰すると国家を優先させた戦争観の示唆となる。

 と言うことは、安倍晋三は内心では日本が戦争という場面に遭遇した場合は国家を成り立たせる国家優先を目的に命の投げ打ち――犠牲を国民の義務としたい衝動を抱えていることになる。

 これは戦前の戦陣訓に於ける「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の思想と何ら変わらない。

 戦争で守るべき対象は自由や民主主義、国土、国民の生命財産、自らの命であって、戦死は守ろうとした行為の不幸な最終場面に位置づけなければならないはずだ。

 いわば兵士の命は自身にしても、軍にしても、国家にしても、大事に大事に扱わなければならない。

 だが、安倍晋三は戦陣訓同様に国家を成り立たせるためには「命を投げ打ってでも」と、命の犠牲――戦死を最初の場面に持ってきている。

 安倍晋三は自身では気づかないところでヤクザ集団の出入りのように戦争を命の遣り取りと見ているのかもしれない。

 戦争で戦う兵士に対して国家優先のこのような生命観を持っている安倍晋三が真珠湾では日本軍の攻撃で戦士した米軍兵士に対してどのような生命観を示しているか見てみる。

 「パールハーバー、真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。

 耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
 
 私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。

 あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

 そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。

 亡くなった、軍人たちの名が、記されています。

 祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、様々な地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で、死んでいった。

 75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。

 耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。

 あの日、日曜の朝の、明るく寛(くつろ)いだ、弾む会話の声。

 自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。

 最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。

 生まれてくる子の、幸せを祈る声。

 一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。

 それら、全ての思いが断たれてしまった。

 その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。

 その御霊(みたま)よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました」――

 戦争で止むを得ず亡くなった米軍兵士たちの命を愛(いと)おしむ魂の込もった静かな言葉の響きとなっている。安倍晋三の国家を成り立たせるために兵士の犠牲を求める国家優先の生命観・戦争観とはどう逆立ちしても、どのような整合性も見つけ出すことはできない。

 当然、後者の生命観・戦争観こそが安倍晋三のホンネなのだから、前者はタテマエでしかない綺麗事となる。

 一見、魂の込もった言葉に見えるが、この場合のタテマエは「息をするようにウソをついた」言葉の羅列に過ぎない。

 安倍晋三は2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」にビデオメッセージを寄せている。

 「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります。

 教育基本法は改正しました。教育の目標に道徳心を培い、伝統と文化を尊重し、郷土愛、愛国心を書き込むことができました。

 まさにそれは憲法に、憲法とは私たち日本人が日本をこういう国にしていきたい、その思いを、その理想を込めたものです。自由民主党は憲法改正草案を作りました。いわば国民の皆さん、これから憲法論議に参加をして貰いたいと思います。

 特に若い皆さん、一緒に仲良くしながら日本をこのような国にしていきたい、日本をしていきましょう。

 まずは憲法の96条を私は変えていくべきだと思います。これは改正条項です。国会議員の3分の2ファ賛成しなければ国民投票できない。これは国民から憲法を引き離している、とおざけている厚い大きな壁です。これを皆さんと共に打ち破っていきたい、こう思います。

 共に一緒に前進していこうじゃありませんか。宜しくお願いします。ありがとうございました」――

 発言の趣旨は次のようになる。

 日本が戦争に負けて受け入れた占領軍は大日本帝国という日本国家を改造し、大日本帝国が歴史的に培ってきた日本人の精神に悪影響を及ぼした。日本が占領軍の手を離れて独立した現在、占領軍の手によって日本国家を改造した諸々の制度を改造以前に戻さなければならない。

 諸々の制度の内、その一つ教育基本法は改正し、戦前同様に、だが、そう思わせない形で愛国心の涵養を盛り込むことに成功した。同じく占領軍によって作られた日本国憲法も改正しなければならない。

 それが安倍晋三の掲げる戦後体制からの脱却=戦後レジームからの脱却であって、意味するところは占領軍政策の否定、あるいは抹消であり、占領軍による改造以前の日本国家に戻すことを意図していることになる。

 安倍晋三は日本国憲法を占領軍憲法だからと、次のようにも否定している 

 2013年4月25日の産経新聞のインタビュー。

 「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ。昭和21年に連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」

 ここで使っている「代物」という言葉は程度の低さを意味させた言葉であろう。いわば占領軍がつくった憲法だからと侮蔑している。

 2015年11月28日の右翼政治家の集まり「創生日本」での安倍晋三会長のスピーチ。

 「憲法改正をはじめ占領時代に作られた仕組みを変えることが(自民党)立党の原点だ。そうしたことを推進するためにも、来年の参院選で支援をお願いしたい」(毎日jp/2015年11月28日 22時28分)

 かくまでも占領軍政策を真っ向から否定し、嫌悪している。

 では、対占領軍否意思・嫌悪意思は真珠湾でのスピーチにどう現れているのか見てみる。

 「戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。

 皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
 
 敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。

 私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

     ・・・・・・・・・・・

 私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。

 あの『パールハーバー』から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました」――

 占領軍に対する否定意思・嫌悪意思など影さえもなく、何と言う褒め上げようなのだろうか。敗戦から現在に至る米国への感謝の思いが溢れに溢れた言葉の連続となっている。

 日本人が「未来へと、命をつなぐことができた」のも米国の寛容の心であり、「日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた」のも米国の寛容心であり、「敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています」と、褒めちぎっている。

 これらの原点に立っていたのは占領軍である。米国は占領軍を通して日本を物質的に支援し、教育基本法を通して全体主義の呪縛を解き、日本の教育の民主化を図った。更に安倍晋三が「日本は改造し、日本人の精神に悪影響を及ぼした」と言い、「全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」と否定し、軽蔑している日本国憲法を通して日本の民主化、基本的人権の保障を確立させた。

 いわば諸々の現在はそのような原点を経て、長い年月の末に成り立っている。

 安倍晋三は原点を否定していながら、その先にある諸々の現在に感謝の言葉を述べている。

 このようにもホンネとタテマエを使い分けて、真珠湾で尤もらしい悲痛の表情を見せて、臆面もなくと言うか、鉄面皮にもと言ってよいのか、タテマエを堂々と披露した。

 まさしく息をするようについたウソ満載のスピーチと見ないわけにはいかない。

 大体が安倍晋三は日本の戦争を侵略戦争だと歴史認識していない。オリバー・ストーン監督らが2016年12月25日に出した「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」The Huffington Post/2016年12月26日 10時48分)には安倍晋三が侵略戦争を否定している下(くだ)りがある。   

 〈あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。〉――

 要するに安倍晋三自身、侵略戦争であることを否定し、自存自衛の正しい戦争だったと歴史認識している。

 日本の自存自衛の正しい戦争を打ち破ったのはアメリカと言うことになる。

 この文脈からすると、日米戦争をした者同士である「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、『和解の力』です」という言葉も、「日本と米国の同盟は、だからこそ『希望の同盟』なのです」も、自身の歴史認識と整合性を持ち得ていない以上、心にもないタテマエを用いて一大芝居を打ったに過ぎないことになる。

 但し安倍晋三が真珠湾で見せた“日米和解”の演出は日本の政治史に特筆されるに違いない。政治史に名を残すために“息をするようにウソをついた”スピーチが正体だと言うことである。

 安倍晋三のように日本軍の真珠湾攻撃を日米和解の道具としたら、幻想でしかない日本民族の優越性を根拠に勝ち目のない戦争に走った日本軍と日本の政治家の愚かしさまでをもどこかに雲散霧消させてしまうことになる。和解などで誤魔化さずに愚かしさの象徴としていつまでも残しておくべきだろう。

 最後に一つ。戦後75年を経て、なぜ今更に日米和解なのか。真珠湾攻撃を今以て日本に対する不信感の種としている一部アメリカ人を対象とした、極く狭い範囲の和解でしかないことを肝に銘ずるべきであろう。

 とっくの昔に多くの日本人、多くのアメリカ人が日米和解を果たしているはずだ。安倍晋三に対して歴史修正主義者の疑いの目を向けている日米の多くの人間からしたら、真珠湾攻撃に限った日米和解は意味もないことであるはずだ。

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