安倍晋三の「70年談話」は懇談会報告書に自身のホンネの歴史認識を隠れ蓑とする役割を担わせて作成した

2015-08-29 09:55:32 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《8月25日 小沢一郎代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》    

     こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     8月25日に行われた小沢一郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しました。ぜひご一読くだ
     さい。

     【質疑要旨】
     ○朝鮮半島情勢について                                    
     ○著名人擁立の秘策について                                  
     ○岩手県議選への対応について                                 
     ○自民党総裁選、野党政権のあり方について
     ○日米地位協定のあり方について  
     ○ロッキード事件について                                  
     ○維新の党の現状について 
     ○盛岡市長選の結果について

 8月24日の参院予算委員会で山下芳生共産党議員が「安倍晋三戦後70年談話」を取り上げて、談話には安倍晋三自身の歴史認識が語られていない、安倍晋三自身は日本の戦争を侵略戦争だと認めるのか認めないのかと追及したが、談話の中の文言を繰返し取り上げ、談話が全てだとかわす埒の明かない、不毛とさえ言うことのできる遣り取りとなった。

 安倍晋三に日本の戦争を侵略戦争だ、植民地化戦争だと認めさせること自体、土台無理な話である。なぜなら安倍晋三のホンネの歴史認識は「村山談話」や「河野談話」とは全く別物だからである。

 それを山下芳生議員は「村山談話」等を例に挙げて、「村山元首相が認めたことをなぜ認めることができないのか」などと迫る。

 安倍晋三はかつて国会答弁や記者会見、インタビュー等々で自身のホンネの歴史認識を繰返し述べている。
 
 その①「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」 

 あるいは、「侵略の定義は、学問的なフィールドで様々な議論があり、政治家としてそこに立ち入ることはしない。絶対的な定義は学問的には決まっていないということを申し上げた」

 その②「自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」

 その③「河野洋平長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」等々である。

 解説するまでもない。日本の戦争を侵略戦争だとか、植民地化戦争だとかは認めていない。植民地支配したとも認めていない。「認めろ、認めろ」と持間をかけるのは持間のムダ遣い、税金のムダ遣いとなるだけである。別の攻め手を考えるべきだろう。

 安倍晋三は自身の私的諮問機関である21世紀構想懇談会の報告書を狡猾にも自身のホンネの歴史認識を語らずに済ませる隠れ蓑(本当の考え・姿を隠す手段とするもの)として利用したに過ぎない。

 このことは「70年談話」自体に現れているし、山下芳生議員の答弁にも現れている。二人の遣り取りを見てみる。

 山下芳生議員「そこ(「70年談話」)には『侵略』、『植民地支配』、『反省』、『お詫び』などの言葉は散りばめられているが、侵略と植民地支配を行ったのは誰なのか、主語がない。戦後50年の『村山談話』に示された『日本が国策を誤り、植民地支配と侵略を行った』という歴史認識は全く語られていない。

 反省とお詫びも過去の歴代政権が表明したという事実に言及しただけで、安倍総理自らの言葉としては述べられていない。

 そこで総理自身の歴史認識を聞きたいと思う。先ず植民地支配について聞きます。私は植民地支配と言うんだったら、どの国がどの国を支配したのかが肝心要だと思う。総理は植民地支配を行ったという認識をされているのですか」

 安倍晋三には持っていない歴史認識を求めるという、いわばないものねだりをしていることに気づいていない。安倍晋三としたらないものを出すことはできないだろう。

 だからと言って、持っている歴史認識――ホンネの歴史認識をマジシャンみたいにパッと出して披露するわけにはいかない。中韓からのみならず、アメリカからも批判の声が上がるはずだ。

 安倍晋三(殆ど原稿読み)「21世紀構想懇談会の報告書に於いて日本がかつて台湾や韓国を植民地化したこと、そして戦争への道を進む中に於いて、1930年代以降、植民地支配が過酷化していったことが記載されています。

 懇談会に於いて有識者の方々が共有されしたその報告書の上に立って、今回の談話は作成したわけであります。戦後全ての民族は自決の権利が認められるべきであるという考え方が国際社会の大きな目標となりました。

 そうした国際的な流れの中で日本も自らの過去を振返り、植民地支配から永遠に決別し、全ての民族の自決の権利が尊重される世界を作っていくことを強く決意をいたしました。

 今回の談話に於いてはこのことと併せて、過去の植民地支配を含め、先の大戦に於ける行いについて痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明した歴代内閣の気持について私の内閣に於いても、揺るぎないものとして引き継いでいくことを明確にしたところでございます」

 前半は巧妙に「侵略」という言葉を避けて、「戦争への道を進む」という言葉に置き換えている。台湾や韓国に対する「植民地化」も、21世紀構想懇談会の報告書に記載されていることで、その報告書の上に立って談話を作成したと、自身の歴史認識を報告書の歴史認識に預けている。

 本人は気づいていないだろうが、このことを裏返すと、「植民地化」は21世紀構想懇談会の報告書が言っていることだとしていることになる。

 つまり安倍晋三自身は自身のホンネの歴史認識通りに日本の戦争を侵略戦争だとも植民地化戦争だとも思っていないことをここで示したことになる。

 後半は「痛切な反省と心からのお詫びの気持」は「70年談話」で言っていることの繰返しで、そのことを表明した歴代内閣の気持・立場を安倍晋三自身がではなく、安倍内閣として引き継いでいくという、自身を蚊帳の外に置いた歴史認識の引き継ぎに過ぎない。

 非常に巧妙・狡猾なレトリックの使用となっている。
 
 山下芳生議員「まあ、懇談会の報告書には明記されているというご答弁でしたが、私は『安倍談話』をいくら読んでも、その主語を見い出すことはできません。そこで聞いているんです。総理は日本が植民地支配を行ったという認識を持っているのですか」

 持っているはずもないことを聞く。

 安倍晋三「この談話についてはいわば談話全体が一つのメッセージになっているわけですから、一つ一つを切り取って、それを一部分だけを切り取って、議論するのはより幅広い国民とのメッセージを共有するという観点からは適切ではないと考えるわけですが、今回談話作成に於いては様々な有識者の方々にお集まり頂いて、有識者構想懇談会の中で様々な議論をして頂いたことでございます。

 当然、それぞれ主座は異なるわけでございますが、その中に於いて共通の一つの認識が示されたわけでございました。いわば今申し上げたとおりでございます。21世紀構想懇談会の報告書に於いては日本がかつて台湾や韓国を植民地化したこと、そして戦争への道を進む中に於いて、1930年代後半に、後半以降、植民地支配が過酷化していったことが記載されているわけで、その談話発表する冒頭、申し上げたとおり、私はこの報告書を歴史の声として受け止めたいと思います。

 こう述べたところであります。この報告書の上に立って、今回の談話を発表したところでございます」

 後半の答弁は前の答弁のほぼ同じ繰返しだが、「私はこの報告書を歴史の声として受け止めたいと思います」と言い、さらに「この報告書の上に立って、今回の談話を発表したところでございます」と言っていることは、「安倍70年談話」は「報告書」が言っていることを「歴史の声」として一つに纏めて作成・発表したということになり、その意味するところは安倍晋三自身の歴史認識・戦前に対する思想を何ら関与させていないことの言い替えとなる。

 であるなら、「安倍70年談話」と安倍晋三の名前を冠することも、その名称で閣議決定することも、その評価に値しないことになる。

 山下議員はこの矛盾を突くべきではなかっただろうか。

 ここでの答弁では、もう一つの矛盾が存在する。前半で、一つのメッセージとなっている談話を「一つ一つを切り取って」、「議論するのはより幅広い国民とのメッセージを共有するという観点からは適切ではない」と言っていることである。「村山談話」と同じ立場を取る歴史認識者は一つ一つを切り取って安倍晋三の歴史認識を問い質す必要に駆られるだろう。

 だが、「村山談話」と同じ立場を取らない歴史認識者たち、いわば安倍晋三と同様に戦前の日本国家を肯定する国家主義者たち、保守派の人間たちはこういった談話の一つ一つを切り取らずに、安倍晋三自身が日本の戦争を侵略戦争だとも植民地化戦争だとも認めていないことに、中にはこういった談話を出すこと自体に不満な保守派も存在するかもしれないが、談話としての価値を見ているはずである。

 いわば安倍晋三は同じ国民であっても、歴史認識の立場に応じて認識上の利害を異にしていることを無視したのか、気づいていなかったのか、自身のホンネの歴史認識を隠すことを「より幅広い国民とのメッセージを共有する」ことだと思い込んでいる。

 自身のその思い込みと実際には「安倍70年談話」が後者に属する国民のみと共有可能なメッセージであることの矛盾、あるいは歴史認識であることの矛盾である。

 と言うことは、安倍晋三と歴史認識を同じくする特定の国民のために発信した談話と言うことができる。

 勿論、このことはホンネの歴史認識をさらけ出した「談話」であっても、同じ姿を取ることになる。

 山下芳生議員「報告書の上に立ったのに、なぜ『安倍談話』では日本が植民地支配を行ったという認識が示されていないのか。歴代の政権は示しておりますよ。村山内閣はですね、談話でですね、『我が国が国策を誤り、植民地支配と侵略を行った』と、日本の植民地支配を行ったということははっきりと述べています。

 (安倍談話には)それが述べられていないんです。安倍談話にはその認識、総理自身の認識、ないんですか」

 安倍晋三に村山元首相と同じ歴史認識を求めようとすること自体が土台無理な話なのだが、無理なことに気づかずにないものねだりをする。「70年談話」を読み解いて、「あなたは侵略戦争だと認めていない。植民地支配だったとも思っていない」と断じた方が持間と税金を無駄にしないより建設的な追及だと思うが、どうだろうか。

 安倍晋三「今回の談話の作成に当たっては、例えばご紹介を頂いた『村山談話』に於ける『国策を誤り』といった抽象的な用語で終わらせずに、どのように進路を誤ったのか、歴史の教訓を具体的に振り返えらなければならないと考えました。

 但し政治は歴史に謙虚であるべきだという考え方のもと、その具体的な作業は21世紀構想懇談会を設け、有識者の皆さんに行っていただいたわけでございます。その報告書の上に立って、今回の談話に於いては第1次世界大戦後、戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流が生まれる中で、『当初は日本の足並みを揃えたが、世界恐慌が発生し、経済のブロック化が進むと、日本経済は大きな打撃を受け、その中で日本は孤立化を強め、外交的・経済的行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた』旨を述べた上で、『満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました』、(と談話に)こう記しているわけでございます」

 要するに国際状況の止むを得ない変化を受けた戦争であったとする歴史認識が、「抽象的な用語」で説明するのではない、「歴史の教訓を具体的に振り返え」って出した結論だとしている。

 但しその結論にしても、21世紀構想懇談会の報告書に立ったものだとしている。

 再び懇談会の報告書を自身のホンネの歴史認識を語らずに済ませる隠れ蓑(本当の考え・姿を隠す手段とするもの)として利用しただけのことである。

 山下芳生議員「いくら聞いても、肝心要なことは答えない。なぜ『安倍談話』に日本が植民地支配を行ったという認識を示されていないのかと聞いても、答えはない。

 私は角度を変えるが、日本がどの国に対して植民地支配を行ったのか、これが非常に大事ですが、その認識、総理、ありますか」

 侵略戦争・植民地支配の歴史認識がサラサラない者になぜないのかと聞く。質問の趣旨が同じのまま、どのように質問の角度を変えようと答は変わらないのに、改めて答を求める無駄を犯す。

 安倍晋三「これは先程申し上げたように21世紀構想懇談会の報告書に於いて日本がかつて台湾や韓国を植民地化したこと、そして戦争への道を進む中に於いて1930年代以降、植民地支配が過酷化していったことが記載されているわけで、この談話の報告書を歴史の声として受け止め、その上に於いて今回談話を発出したところであります」

 質問の似た内容の繰返しである上に答弁はほぼ同じ繰返し。山下議員は更に質問の角度を変えたつもりなのか、今度は「村山談話」発表の翌年に橋本龍太郎元首相が参議院予算委員会で「村山談話」と同じ認識であると表明した事例を挙げて、なおも安倍晋三に同じ認識か追及したが、談話に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と書いた一節を読み上げて、そのような考えを「明確にしているとこころでございます」とかわされる似た展開の答弁しか手に入れることができない。

 釣りで言うと、針に餌をつけて糸を海に垂らしても、餌を獲られるだけで、魚一匹釣れないのでなお躍起になって針に餌をつけて糸を垂らすが、魚一匹釣れないことに変わりはない、その循環を繰返しているだけといった状況に陥っているにも関わらず、山下議員は尚もホンネの歴史認識を語るはずもない安倍晋三の歴史認識を自身の言葉で語れと迫った。

 埒が明かないから、この辺で打ち切ることにする。時間の無駄・労力の無駄となる。

 繰返しになるが、安倍晋三は21世紀構想懇談会の報告書をうまく利用して、利用するために懇談会を設置したのだろう、自身のホンネの歴史認識を語らずに済ませる隠れ蓑(本当の考え・姿を隠す手段とするもの)とした。

 この前提に立って、安倍晋三が談話を如何ように歴史認識の隠れ蓑としているか、様々な機会で明らかにしている日本の戦争や植民地についての発言と併せてその歴史認識を炙り出して、これが安倍晋三のホンネの歴史認識だと広く知らしめないことには、安倍晋三の口から自身の歴史認識を語らせることは成果のない無駄な戦いを仕掛けるようなものだろう。

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