中山恭子の7月30日参院特別委「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様」の歴史修正主義

2015-08-02 10:05:44 | 政治



 次世代の党の中山恭子が7月30日参議院安全法制特別委員会で安倍晋三に対して北朝鮮に拉致されている日本人拉致被害者の解放を切々と訴えた。その最後の発言を見てみる。

 中山恭子「この北朝鮮による拉致問題、日本はなぜ北朝鮮の工作員が日本にやすやすと日本に入国することを防げなかったのか。なぜ北朝鮮が日本の若者を拉致するのは防げなかったのか。

 日本が拉致された日本人が北朝鮮に監禁されているいると分かっていながら、放置してしまったのか。日本政府はなぜ北朝鮮に監禁されている拉致被害者は日朝国交正常化のために犠牲になっても止むを得ないといった方針を取っていたのか。

 この点は安倍総理になってから改善されていることと考えておりますが、戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか。

 無念の思いを抱えてこの北朝鮮の拉致問題に関わって参りました。この問題は今解決しなければならない問題で、真っ先に解決しなければならない問題であると考えておるます。

 そして北朝鮮が不安定化する前に、勿論、それは分からないことでありますが、それが可能性があるのであれば、その前に拉致被害者を救出しなければならない、これは言を俟ちません。

 私はまさに今が救出の時と考えています。タイミングを外しては救出のチャンスがないと言って良いかもしれません。そして拉致被害者を救出できるのは安倍総理しかいないと考えております。

 拉致被害者救出に向けて直接指揮を取る、信頼できる側近が情報グループと共に北朝鮮と直接遣り取りを進めることによって救出できると考えています。

 それ以外には救出は難しいと言えるかもしれません。総理に於かれましては総理の元に拉致被害者救出の特別チームを編成し、直接指揮を取って頂きたい。心からのお願いでございます。

 交渉の扉をこじ開けたと今日の午前中お話がありましたが、一旦、この扉を閉じない限り新たな交渉ルートが出てまいりません。総理お願いします。総理に一言ご所見頂ければ」

 安倍晋三「まさに拉致問題に関しましては私はその責任者としてオールジャパンで取り組んでいるところでございます。今後共総力を上げて、拉致被害者帰国を実現したいと思っています」

 既に中山恭子の質問時間が切れていたからなのかもしれないが、それにしても中山恭子の切々たる訴えに余りにも紋切り型、通り一遍の素っ気ない答弁で終えている。

 中山恭子が「日本政府はなぜ北朝鮮に監禁されている拉致被害者は日朝国交正常化のために犠牲になっても止むを得ないといった方針を取っていたのか」と言っていることは2002年9月17日に当時の日本の首相小泉純一郎が訪朝、金正日と日朝首脳会談を行い、金正日は日本政府が認定した拉致被害者17人のうち13人の日本人拉致を認め、5人生存・8人死亡、他は「入境せず」を伝えて謝罪、その後両人は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意したことを指す。

 いわば当時副官房長官として同行していた安倍晋三も含めて小泉政権は日本政府が認定した拉致被害者17人のうち「5人生存・8人死亡・4人入境せず」で拉致問題の幕引きを謀った。だが、日本の世論は「5人生存・8人死亡・4人入境せず」に怒りを示し、対北朝鮮制裁を求めた。

 小泉純一郎は2004年5月22日の再訪朝で先に帰国していた拉致被害者の夫や子供の日本への帰国を果たしたが、残りの12人の安否を更に求めたものの、前回と同様の返事を得たのみで、北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」の姿勢を取り、このことに納得しない日本の世論を受けて小泉政権は「拉致問題の解決なしに国交正常化なし」の方針に転換、現在もその方針を引き継いでいる。

 だが、安倍晋三も一枚加わって5人生存でいっぱし一旦は拉致問題の幕引きを謀った歴史的事実は残る。

 中山恭子はそのような安倍晋三に「拉致被害者を救出できるのは安倍総理しかいないと考えております」と全幅の信頼を寄せている。

 大いに結構なことだと思うが、「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか」と言っていることの歴史修正主義に非常に危険な思想を見ないわけにはいかない。

 「戦後」と言っているからには「戦前の日本の在り様は自国民を守ることを貫く立派な国だった」ということを逆説的に言っていることになる。

 日本軍が米軍との戦闘で追い詰められて民間人共々洞窟等に避難し、息を潜めている際、幼い子供や赤ん坊が泣き出すと、日本軍兵士が「泣き声が敵に聞こえると居場所が分かる」からと母親に命じて首を絞めて殺すように命じたという話は沖縄戦初めよく聞く話なのは中山恭子が言っているようには戦前の日本が自国民を守ることを優先させた国家の在り様を見せていたとする事実を否応もなしに歴史修正の事実誤認とさせる。

 フィリッピン国立公文書館に保存されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録には第2次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手纏いになるとして虐殺したことが記録されているという。

 1回目は10歳以下の子ども11人が対象となり、兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋め、2回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。

 何という自国民保護だろうか。

 部隊司令官らは「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」などと殺害理由について供述したという。
 
 犠牲者の親は、戦前に九州や沖縄などからセブ島や南パラオ諸島に移り住み、当時セブ市に集まっていた人たちで、長女ら子ども3人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時35)は米軍の調べに対して「子どもを殺せとの命令に、咄嗟に子どもを隠そうとしたが間に合わなかった」などと証言、他の親たちも「(指揮官を)殺してほしい」などと訴えたという。

 戦前の最大の自国民放棄はシベリア抑留であり、それが疑いの段階にとどまっているが、ソ連満州侵攻時に捕虜となった日本軍兵を「役務賠償」の対象としたことからの抑留であるとされていることであろう。

 ご存知のように「役務賠償」(えきむばいしょう)とは「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」(『大辞林』三省堂)を言う。

 ソ連軍に捕らえられた日本兵捕虜の即時送還を国際法に基づいて求めることはせずに、逆に関東軍司令部が「帰国までの間極力貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います」と申し出たと1993年7月6日の『朝日新聞』は伝えている。

 1945年(昭和20)8月9日のソ連対日参戦1カ月前の昭和20年7月に昭和天皇から対ソ平和交渉を命ぜられた近衛文麿元首相が作成した天皇制維持を目的とする『和平交渉の要綱』の「(四)賠償及び其の他」で、〈イ、賠償として一部の労力を提供することには同意す。〉とした規定は、ソ連参戦前だったから、ソ連対象の方針ではないが、日本軍捕虜兵士を役務賠償の対象とする考えを持っていたことを証明することなる。

 政府側のこの考えが反映したシベリア抑留の疑い――自国民放棄の疑いは拭い去ることはできない。

 戦陣訓の一つ、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」も兵士を含めた国民放棄・生命軽視の代表的思想と言うことができる。

 この戦陣訓のために多くの兵士は捕虜となることを恥として玉砕を選択し、この玉砕に軍と行動を共にした民間人が集団自決や断崖からの集団投身自殺で付き合うこととなった。

 このように戦前の日本が自国民を守ろうとせず、その生命を軽んじていながら、中山恭子は「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか」と、戦前の日本国家が自国民を厳格に守り、その生命を大切にしていたかのように事実無根を根拠として、そのことに比べて「戦後」の様変わりを嘆く。

 しかしこの事実無根の思想を誘い出している心理の底には日本民族に対する優越意識を存在させていて、存在させているからこその歴史修正の事実無根なのである。

 日本民族は優秀であるからとしている思想が客観的認識能力を曇らせて、歴史の事実としてあった戦前の国家の国民に対する在り様を消し去り、優秀という思いのみで戦後の国家の在り様を見るから、「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様」という言葉の構造を取ることになる。

 歴史修正の多くが日本民族優越主義を背景としている危険性に留意しなければならない。

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