大阪市長の橋下徹が8月23日、大阪市中央公会堂(北区)で開かれた市主催戦後70年記念シンポジウムの冒頭挨拶で「安倍晋三戦後70年談話」や日本の戦争責任に言及したと、その発言要旨を《【戦後70年首相談話】橋下氏の発言要旨 「子供・孫がずっと戦争責任負うのは違う」「国家指導者と国民の一緒くたはちょっと…」》(産経ニュース/2015.8.24 13:07)が紹介している。
この題名の、「子供・孫がずっと戦争責任負うのは違う」、そして「国家指導者と国民の一緒くたはちょっと…」と、いわば戦争責任は国家指導者のみが背負うべきとする発言が気になったので、記事からその発言のみを抽出してみる。
橋下徹「(安倍晋三の70年談話で)ただ僕が気になったのは、将来世代の子たち孫たちに謝罪しつづける負担を負わせてはならない、それが現役世代の使命なんだ――という趣旨の言葉が入っていたが、僕は国家の為政者、指導者と国民をいっしょくたにするのは、なんか違うなという思いがある。国家の指導者、政治家は、僕はやっぱり、まだまだ謝罪をし続けなきゃいけないと思っていますし、もっと反省ということを全面に出していかなきゃいけない。国家の指導者はですよ?
民主主義というある種の建前で国民と政治家は同一性があるといわれているが、(昭和53(1978)年締結の)日中平和友好条約の時、(昭和47(1972)年調印の日中共同宣言で)中国の指導者たちが対日賠償請求を放棄した際に、戦争被害を受けた国民を納得させるため、二分論を取って国家の指導者と国民を分け、この戦争の責任は国家の指導者にあるわけで、国民全体にあるわけではないということを、中国の時の指導者が二分論という論法を用いて、日本国民全体に責任を負わせていないんだという論理で、条約を締結した。
こういうことを、社会人になって知った。こういう話を知ると、国家の指導者が出すメッセージと、国民が出すメッセージや国民が受ける責任というものは、別に考えてしかるべきだと。
安倍談話は、国民全体を代表してのメッセージというような前提で発せられたものであるがゆえに、謝罪、反省、そういうものを極力薄くしていったような感じがするんですが、ここはきちっと分けて、国家の指導者、政治家からのものはきちっと歴史に対して真摯に向き合って反省。そして隣国の中国や韓国に対しては謝罪の意はきちっと表明しながら。
・・・・・・・中略・・・・・・
国民が、子供たち孫たちが、ずっと戦争責任者と同じような負担を負わされ続けるのは違うと思っている。国家の指導者と国民を分ける二分論で日本の戦争責任はきちっと整理をしていかなければいけないのではないかと思っている」――
中略のとこところは論点を整理するためにかなり省いた。
戦争責任を「国家の為政者、指導者と国民をいっしょくたにするのは、なんか違うなという思いがある」、中国は「国家の指導者と国民を分け、この戦争の責任は国家の指導者にあるわけで、国民全体にあるわけではないということを、中国の時の指導者が二分論という論法を用いて、日本国民全体に責任を負わせていないんだという論理で、条約を締結した」、「国家の指導者が出すメッセージと、国民が出すメッセージや国民が受ける責任というものは、別に考えてしかるべきだ」、あるいは「子供たち孫たちが、ずっと戦争責任者と同じような負担を負わされ続けるのは違うと思っている。国家の指導者と国民を分ける二分論で日本の戦争責任はきちっと整理をしていかなければいけないのではないかと思っている」等の言葉で、戦争責任は国家の指導者が負うべきで、特に戦争に関係しない子どもや孫たちの世代は戦争責任を負わなくてもいいとしている。
ドイツのヴァイツゼッカー大統領が1985年5月8日にドイツ連邦議会で演説したことと大分違う。
「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」――
戦後生まれの世代が「自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません」が、それでもなお、「罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」と、戦後生まれの国民であっても戦争の歴史と責任を負っていかなければならないことを訴えて、橋下徹のように「国家の指導者と国民を分ける二分論」を取っていない。
いずれが正しいのだろうか。
日本の戦争は軍部主導で行われた。だが、当たり前のことを言うが、戦争は当時の大日本帝国軍隊のみで行われたわけではない。日中戦争も太平洋戦争も国民が関知しない環境で国家権力が独走する形で起こした戦争ではなく、戦勝祈願の神社参拝、出征兵士家族への慰問、生産増強や資源愛護の運動への参加、様々な勤労奉仕、あるいは赤紙を待たない内の志願等々を通して協力し、熱狂して共に戦った戦争であった。
勿論、大日本帝国軍隊兵士たちも天皇陛下と大日本帝国国家のために命を捧げる玉砕を覚悟で戦場に臨み、実際にも多くの兵士が玉砕を実行し、天皇陛下と大日本帝国国家のために命を捧げた。
このように国民・兵士共に合わせて全体的に集団を形成する形に至った天皇と国家への一億総国民的な奉仕を可能とした日本人の精神は日本人の行動様式・思考様式となっている権威主義を措(お)いて他にはないはずだ。
ここで言う権威主義とは上の者が下の者を従わせ、下の者が上の者に従う、支配と従属の上下関係を構造とした行動様式・思考様式を言う。
国家権力は天皇を現人神に仕立てて日本人の最上位に置き、最も高貴で最も尊い存在として天皇への奉仕・忠誠を「国体の本義」や「教育勅語」等を通して国民に植えつけていき、国民はその植えつけを受け入れ、自らの精神としていった。そして日本国家を体現している天皇への忠誠・奉仕が同時に日本国家への忠誠・奉仕となった。
これが当時の愛国心の正体である。安倍晋三はこの手の愛国心を望んでいる。
この天皇や国家という上の者に自らを下の者と位置づけた国民が集団的に従う、あるいは集団的に従属する上下関係は権威主義の行動様式・思考様式のメカニズムなくして成り立たない国家と国民の関係構造であるはずだ。
集団主義と権威主義は相互関連し合う。国民が全体的に権威主義の思考様式・行動様式を取るとき、それは集団主義の様相を見せる。
だから、国家が本土決戦を控えて天皇の名の下、一億総玉砕だと言えば、国民は一億総玉砕だと悲壮感を持って応えることになる。
日本の過去の戦争の時代、日本国民はこのように天皇及び国家と、その命令・指示に権威主義の思考様式・行動様式に則って集団的に自らを従属させる関係を持ち、それを国民の姿としていた。
いわば国家と同様に戦争を通して共に加害者の立場に立っていた。
後世の国民は二度と過ちを侵してはならない教訓として時々の歴史に於ける国家指導者の姿と同時に国民の姿も学ばなければならないのは当然であるが、例えそれが自らの世代に関係しない先人の過ち――国家の姿・国民の姿であったとしても、それが決して小さなものではない日本人全体の過ちであった以上、同じ血を引く後世の日本人として国家指導者共々、その責任を引き受けるべきであるし、引き受けることによって、かつての狂気じみた集団主義・権威主義が再び現れてはならない国家の姿・国民の姿の教訓・戒めとして生きてくるはずだ。
引き受けてこそ、過去の歴史の全てに痛感できる。
橋下徹のように後世の国家指導者は日本の戦争責任は負い続けるべきだが、過去の歴史を学ぶ必要を訴えているものの、「国民が、子供たち孫たちが、ずっと戦争責任者と同じような負担を負わされ続けるのは違う」という表現で、後世の国民は戦争責任は負わなくてもいいという考えを取ることはできない。