安倍晋三の吐血報道が事実でなく、法的措置を検討なら、テレビ公開で胃腸内視鏡検査を行い、白黒つけよ

2015-08-23 09:10:35 | Weblog


 8月19日発売の週刊文春が、安倍晋三が今年6月、自民党の幹部やJR東日本の幹部と都内のホテルの客室で会食中に気分が悪くなり、トイレに駆け込み吐血したと、関係者の話として報道していることを2015年8月20日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 安倍晋三の事務所は週刊文春の編集長と発行する文藝春秋の社長に対し、「全く事実無根の内容が含まれており、根拠のない証言によって構成する見出しと記事全体は、個人を中傷し、読者に著しい誤解を与える、悪質極まりないものだ」と強く抗議すると共に記事の撤回と訂正を求めたという。

 「事実無根の内容」とは、吐血を指すのだろう。

 もし記事の撤回と訂正が行われなかったらという意味に違いない、事務所は「今後、法的な措置を取るかについても検討していく」としているということだが、つまり強い態度を示しているということなのだろう。

 但し週刊文春編集部は「記事に書いたとおりです」と話していると記事は伝えている。

  安倍晋三側は吐血は事実ではないと言い、週刊文春側は事実だと譲らない。記事撤回と訂正の要求には応じるつもりはないということである。

 こうなったら、安倍晋三側は法廷闘争に持ち込んで、吐血の事実を争うしかない。

 件の週刊文春記事を読んでいるわけではないから、想像で書くことになるが、ブログのテーマは別のところにあるから、想像であっても、大目に見て貰いたい。

 会食は都内のホテルの客室で行われたというから、バス・トイレは客室内に備えているはずだ。「ちょっと失礼」と言って落ち着いた様子で立ち上がり、落ち着いた足取りでトイレに向かって、トイレの個室で水を流しながら嘔吐したとしたら、その声は同席者に届かないのではないだろうか。

 トイレの個室に入る余裕がなくていきなり洗面台で吐いたとしたら、その声は客室に届くかもしれない。

 吐血を直接見た者、嘔吐時の声を聞いた者がいなければ、伝聞の争いとなる。いざ法廷で証言するとなると、果して正直に証言するだろうか。「聞いた話ですから、確かかどうか分かりません」といった曖昧な証言にならないだろうか。

 見た者、聞いた者がいたとしても、安倍晋三側の関係者と言うことなら、法廷では口を閉ざして何も言うまい。

 週刊文春側はこの事実をどうして知り得たのだろうか。ホテルのロビーで張り込むことはあっても、客室にまで入り込むことはできない。会食等の報道は記者がホテルのロビーや料理店の前で待ち構えていて、安倍晋三なり、同席した関係者なりを掴まえて、どういったことを話し合ったのか尋ねるというのが定番となっている。

 それにホテルの客室での会食ということなら、SPは廊下に待機するはずだから、週刊文春の記者は客室の廊下に佇むことはできても、SP程には客室のドアには近づくことはできないはずだ。ドアに耳を押しつけたり、精巧な集音マイクをドアに当てて中の様子を窺うことはできまい。

 とすると、SPが予定時間よりも早く客室を出てきたことで何らかの異常を察知しことと併せて、安倍晋三と同席者を前後囲む形でホテル玄関の車まで移動する際、心配した関係者が安倍晋三に様子を尋ねる会話を聞いて知り得た可能性が出てくる。

 SPの一人が週刊文春にリークしたということではなく、SPの家族なり、知人なりについ喋ったことが、最終的に週刊文春側に伝わったという可能性も考えることができる。

 SPから始まった間接の間接の、あるいはさらにその間接の伝聞だから、6月の事実が8月19日発売の週刊文春に取り上げることになる2カ月前後の時間差が生じたということもあり得る。

 再び断るが、あくまでも想像である。記事が伝えている実際の情報入手経路は全然異なるかもしれない。あるいは単に「関係者」とすることで、具体的には何も触れていないのかもしれない。
 
 但し吐血の事実が想像通りの情報入手であるなら、裁判となって確かな証言を得るために入手元のSPにまで辿り着くことができたとしても、やはり、「はっきりと聞いたわけではない」と証言するぐらいがオチで、安倍晋三自身が否定すれば、裁判に勝ち目はなくなる。

 だが、一つ確かめる方法がある。もし吐血が事実であるなら、吐血の痕が胃内壁なり、腸内壁なり、食道内壁なりに残っているはずだ。安倍晋三の60歳という年齢から言っても、傷痕はそう簡単には消えないだろう。年を取る程に傷痕は消えにくくなる。

 刑事ドラマで刑事が体表面に残っている傷痕(きずあと)を「古い傷痕だ」、「まだ新しい傷痕だ」と判定しているから、医者が内視鏡検査すれば、傷痕の色素の沈着具合で何時頃の吐血によるものかどうかは判定できるはずだ。

 ここ半年以内の吐血痕がなければ、週刊文春報道は事実ではないとすることができる。

 医者単独にその検査を任せるのでは、安倍晋三側からの圧力でどのような情報隠蔽が行われるか保証の限りではない。週刊文春と安倍事務所の両者の立ち会いのもと安倍晋三の食道・胃・腸の内視鏡検査を行い、内視鏡を操作する医師、検査補助の看護師、そして検査が厳正に行われているかどうかを監視する立会人を含めた検査の様子と、内視鏡検査と同時にモニターに映し出されていく各器官内の様子を、ウソ偽りのない事実を国民の前に明らかにするという意味でテレビ報道したら、事実かウソか、白黒をはっきりとつけることができる。

 各器官共に最近の吐血痕が見つからなければ、週刊文春報道の吐血が事実無根であるとする安倍晋三側の主張・抗議が信頼できる、あるいは信用できる事実として国民は受け入れることができる。

 そのためにも内視鏡検査のテレビ公開が必要ではないだろうか。

 特に公の立場にある者が事実でない出来事を事実とすることも、事実である出来事を事実でないとすることも、決して許してはならないとすることを厳格なルールとしなければ、いつまで経っても、事実を自分たちの都合で様々に扱う情報操作が後を断たないとになる。 

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