右翼の軍国主義者安倍晋三が「韓国はただの愚かな国」と発言したと週刊文春の最新号記事の中で伝えているとするマスコミ報道を見て、言って当たり前だと思った。
先ずは発言を伝えている記事から。《文春報道、韓国で波紋 「韓国は愚かな国、首相が発言」》(asahi.com/2013年11月15日23時21分)
文春記事「安倍総理周辺によると、総理は『中国はとんでもない国だが、まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ』と語っていたという」
日韓・韓日協力委員会合同総会に出席するため訪日している韓国の代表団の11月15日の発言。
韓国代表団「同記事は韓日関係の悪化を招くものであり、深刻な憂慮を表明する」
日本政府が事実関係を明らかにするよう求める声明を発表したという。
韓国与党・セヌリ党関係者「韓日関係は今後、多くの困難に直面するだろう」
韓国最大野党・民主党「政府が断固として対応すべきだ」
菅官房長官の11月15日の記者会見。
菅官房長官「その記事は今、初めて知ったが、そんなことを言うわけがない。あり得るわけがないというのが私どもの正式な見解だ。
(韓国は)極めて大事な隣国であり、価値観を同じくするものだ。当然、日韓の発展に努めていく」――
菅官房長官が「そんなことを言うわけがない。あり得るわけがない」としているが、言って当たり前だと思っている。
右翼の軍国主義者安倍晋三は国の中心を天皇に置いていることは既に多くの国民が知っている次の発言から分かる。
安倍晋三「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」(自著『美しい国へ』)
安倍晋三「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」(2012年5月20日放送「たかじんのそこまで言って委員会」)
「天皇を縦糸」にした日本の「歴史」とは、右翼の軍国主義者安倍晋三の頭の中では当然、戦前の日本も含めた「歴史」であり、明治・大正・戦前日本と戦後日本を共に連続性を持たせた歴史であるのは断るまでもない。
だが、厳密に言うと、連続性を持たせたい歴史と言わなければならない。
現実には戦前日本と戦後日本は絶対主義的天皇制から象徴天皇制への移行を含めて国家体制や、文化・道徳がアメリカナイズされたことによって断絶しているにも関わらず、両者間に連続性を持たせているということは戦後日本を戦前日本に反映させることは不可能だから、戦前日本を戦後日本に反映させたい欲求を抱えた連続性への思いでなければならない。
つまり戦前日本を肯定し、戦前の天皇制肯定しているからこその戦後日本への反映欲求となる。
その現れが占領時代の否定であり、日本国憲法を占領軍がつくったとして否定し、新たな国家主義的な憲法を制定しようとしているところに現れている。
あるいは徳育教育を通して天皇への忠誠心を養い、その忠誠によって国民の心を一つにすべく謀ろうとした「教育勅語」に今以て郷愁を感じていて、教育勅語の思想から断絶していたからだろう、教育基本法が占領時代に作られたからといって、第1次安倍内閣で改正教育基本法を成立させ、そこに愛国心教育を盛り込んだことに現れている。
そして戦前日本は韓国を植民地とし、日本国民の多くは韓国人を下等国民として蔑視していた。朝鮮人差別である。その最も過激な形が1923年(大正12年)9月1日の関東大震災時のデマを基にした朝鮮人虐殺であろう。
朝鮮人虐殺の中に中国人も含まれていた。
日本の子どもたちが朝鮮人の子どもたちを指して、「ハンカーチ」とバカにしたという。「半価値」――日本人の半分の価値しかない劣る人種だと、大人の差別を引き継いで蔑視していた。
戦後も色濃く残った朝鮮人差別は人間を対等な個人として見ることのできない、民族で優劣を価値づける日本民族優越意識の反映であり、日本の植民地の国民だからであったからなのは言うまでもない。
戦前の天皇制自体が日本民族優越意識で成り立たせていた。そのことは「国体の本義」を読めば理解できる。
そのような天皇制を賛美している。
日本民族優越意識を引き継いでいる右翼の安倍晋三からしたら、「韓国はただの愚かな国」は自然な思いであるはずだ。