九州場所大関稀勢の里が横綱白鵬を破った瞬間に飛び出した万歳に見る日本民族優越主義からの他民族排他主義

2013-11-25 08:44:07 | 政治



 題名からしてオドロオドロしいが、決して大袈裟でも何でもない。多くの日本人の血の中に権威主義からくる日本民族優越主義が今以て眠っていて、時としてそれが現れ、日本民族優越主義の反動としての他民族排斥主義を伴わせることになる。

 大相撲九州場所14日目の横綱白鵬と大関稀勢の里の対戦で稀勢の里が白鵬を破ると、万歳が湧き起こったという。新聞記事で知り、YouTubeの動画《白鵬vs稀勢の里 激しい睨み合い (なぜか万歳三唱 )》(2013/11/23)で確かめてみた。 
   
 大入り満員の盛況を呈していた。13日まで全勝の横綱白鵬に対して既に2敗を喫して来場所横綱挑戦の位置に残れるかどうかの瀬戸際に立たされていた大関稀勢の里、長い時間の睨み合いが続き、時間一杯で立ち上がってすぐさま左四つになると、稀勢の里は右上手を掴んで一気に土俵際に寄った。白鵬が左下手投げで稀勢の里を投げ倒そうとすると、稀勢の里が右上手から投げを打ち返して、白鵬が先に落ち、稀勢の里の勝利となった。

 動画で見た限りでは、その時点でまだ万歳は湧き起こっていなかった。呼び出しが次の取組となる西方力士を呼出しているとき、土俵を囲むように四方の観客席のかなりの数の観客が両手を上げ下げして万歳を湧き上がらせた。

 次の記事から、対戦そのものよりも迫真の表現となっている記事文章から、そのときの情景を窺ってみる。《稀勢の里 白鵬ブン投げた/九州場所》日刊スポーツ/2013年11月24日8時48分)

 〈異例の万歳コールが起こった。大関稀勢の里(27=鳴戸)が横綱白鵬(28)を上手投げで破り、2日続けて全勝横綱を止めた。今場所最多6986人の観客は、万歳三唱とスタンディングオベーションで盛大に祝福。結びの一番で横綱日馬富士(29)が勝ったため、逆転優勝の目は消えたが、来場所の綱とりへ大きな1歩を刻んだ。

 興奮冷めやらぬ館内に、声が響いた。最初は静かに。だがやがて、波のように大きなうねりとなって広がった。7000人近い観客が、一体となって声を上げた。立て続けに起こった万歳三唱。その数、10度。立ち上がる人もいた。異例の光景。その声を、稀勢の里は全身で感じ取った。「すごいことですよね。本当にうれしかった。相撲を取って良かったと思います」。優勝の目は、もうない。だが、主役はこの男だった。〉――

 この記事によると、今場所最多の入場者数6986人のうちほぼ全員の観客が座ったまま両手を上げ下げして万歳を唱えたことになる。中には立ち上がって万歳したものもいた。

 但し動画ではかなりの数の観客が万歳していたが、していない観客も窺うことができた。だとしても、三々五々バラバラに湧き起こったわけではなく、塊となった万歳三唱であった。

 白鵬がモンゴル人力士ではなく、日本人力士であったなら、これだけの観客が果たして万歳しただろうか。これまでは白鵬が日本人力士相手に勝ったとき、圧倒多数の観客が歓声を上げ、手を叩いていたはずである。

 白鵬を応援せずに対戦相手の日本人力士を常に応援していたなら、負ける機会の多い日本人力士の不甲斐のなさに失望の溜息や非難のブーイング等が起こるはずだが、そういった情景は起きていない。勝利を祝福する歓声と拍手で迎えられていたはずだ。

 いわば多くの観客が白鵬を贔屓にしていた。

 だが、圧倒的多数の観客が普段は白鵬を応援し、贔屓にしていながら、14日目の稀勢の里戦では相当数の観客が稀勢の里の勝利を万歳で迎えたということは、白鵬を応援していた観客の中にも稀勢の里に対する万歳に回った観客も存在していたことになる。

 外国人力士白鵬に日本人力士がいつも負けさせられている無意識下のもやもやした鬱憤が抑圧されて精神の奥底に蓄積した感情が、稀勢の里の対白鵬戦勝利で解放され、得た精神の浄化(カタルシス)が万歳の連呼という形となって現れたということだろうが、白鵬の普段のフアンをも巻き込んだこういった突発的な現象自体が白鵬に対する応援・贔屓の多くが日本人力士と対置させた場合は表面的であったことを物語ることになるはずだ。

 「万歳」は極めて日本的な最大限の歓迎表現である。それが外国人力士に勝った日本人力士に向けられた。原因はやはり白鵬が日本人力士ではなく、モンゴル人という外国人力士だからだろう。だから、白鵬に対する応援・贔屓は日本人力士と対置させた場合は表面化してしまう。

 もし白鵬が日本人力士であったなら、歓迎表現は万歳にまで進まなかったはずだ。今場所からなのか、座布団は投げることができないように4枚に括りつけの状態になっているというから、せめて立ち上がってスタンディングオベーションの形で拍手したり歓声を上げたりするのが対白鵬戦稀勢の里勝利に対する精々の歓迎表現であったろう。

 だが、熱狂的な万歳に至った日本人の精神は相手が外国人力士であることから起こった歓迎表現であることを考えると、外国人に対する排他主義を裏合わせした、そのような構造の、日本人力士稀勢の里に見せた最大の歓迎表現である万歳であったはずだ。

 外国人に対する排他主義=他民族排斥主義は自民族優越主義に於ける反動主義として併存する。いわば他民族を自民族よりも劣等民族と見做し、排斥することによって自民族優越主義を成り立たせる。

 戦前の日本人の多くが日本民族優越主義に取り憑かれ、中国人や朝鮮人等の他民族を劣等民族と見做して蔑視し、排斥した。そのような血が日本人の精神の根の所に眠った状態で生きづいたまま戦後も引き継がれて、日本人力士稀勢の里の外国人力士白鵬に対する勝利の場で稀勢の里に対しては熱狂的な万歳という形で日本民族優越主義が目を覚まし、白鵬に対しては日本民族優越主義の反動的対応としての他民族排斥主義が同じく目を覚まして表現されることとなった。

 現在問題となっている在日韓国・朝鮮人に対する日本人のヘイトスピーチも理由のないことではない。

 日本民族優越主義が他民族排斥主義を友として眠った状態で日本人の精神の奥底に生きづいている以上、戦前のように国家の洗脳・誘導によって再び戦争遂行に覚醒し、熱狂する場面を迎えない保証はない。

コメント (1)
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