日本の教育が暗記教育であることの1つの事例

2012-12-21 08:35:13 | Weblog

 ――暗記教育が生んだ「規律性」充足と「働きかけ力」不足――

 《若手社員:得意能力は「規律性」 苦手は「働きかけ力」》毎日jp/2012年12月04日 18時02分)

 12月4日(2012年)発表の大阪商工会議所実施――『在阪中小企業の上司・先輩に聞く!新入・若手社員に対する意識調査』である。

 経済産業省が学生キャリア教育支援で重視する社会人基礎力12項目を使用、上司・先輩の目を通した入社3年目までの若手社員の姿を調査対象とした。

 目的は調査を入社3年目までの若手社員の人材育成支援に役立てるため。

 ということなら、調査対象の入社3年目までの若手社員の学歴は大学卒ではなく、高卒以下ということになる。

 大卒であるなら、大学4年間で身につけるべきとしているキャリア必要の社会人基礎力12項目を入社3年目までの若手社員が実際に身につけているかどうか改めて調査したということになり、調査の目的は経産省の学生キャリ教育支援が役立っているかどうか、あるいは社員側が役立たせているかどうかの判定ということになる。

 要は高卒ではあるが、実社会の入社3年間で大学4年間で身に付けるべきキャリアとしての社会人基礎力12項目をどの程度身につけているかどうか調査し、その程度に応じて若手社員の人材育成支援の教材にしようということであるはずである。

 調査は10~11月に大商実施の研修講座参加者767人を対象に実施、413人(有効回答率53.8%)が回答。

 「得意分野」+「やや得意分野」上位3分野

 規律性
 傾聴力
 柔軟性

 「やや苦手分野」+「苦手分野」上位3分野

 働きかけ力
 創造力
 課題発見力

 「得意分野」+「やや得意分野」のうちの「柔軟性」とは思考の柔軟性ではなく、上司・先輩が誰であっても、それぞれが言うことに対して素直に聞いて、素直に従う「柔軟性」ということであろう。

 こういった態度は規律性を発揮することになるが、悪くすると、自分を持たない人間だという評価を下されないとも限らない。思考の柔軟性は自分を持った人間であることを条件としないと、軽薄なだけということになる。

 記事解説。〈仕事のルールや約束を守る意識は高いが、先輩社員らを能動的に巻き込んで踏み出す能力が乏しいと上司らが評価している実態が浮かび上がった。〉――

 大商は調査の結果、〈仕事を進める上で他部門と円滑に進める段取りの付け方など苦手分野である“巻き込む力”を強化する研修講座を来年度に開く計画〉だそうだ。

 働きかけ力や創造力、課題発見力等を自己能力とすることができ、それらが合わさって相乗的な総合性を持ち得たとき、主体的立場からの大きな「巻き込む力」となって周囲にプラスの影響を及ぼすことになる。

 ところが、入社3年目以下の若手社員は研修講座等の上からの教えがなければ他者を「巻き込む力」(=働きかけ力)は身につかない姿を取っているということになる。

 この手の姿は必要に応じて自分が取るべき言動を他者の命令・指示に仰ぐのではなく、自分で考え、判断して、試行錯誤を繰返した上で一つの型に完成させていくのとは正反対の姿だと言うことができる。

 自身の言動を自らの考え・判断に負う姿とは自力性を備えた姿を言い、その逆の他者の命令・指示に負う姿は自力性を欠いた他者依存型ということになる。

 当然、前者は自立的存在と言うことができ、後者は非自立的存在と言うことになる。

 暗記教育とは教師が児童・生徒に伝える知識・情報を、その伝達の過程で児童・生徒が考えるプロセスを置かずにほぼそのままなぞる形で暗記して自らの知識・情報とする構造を取る。

 いわば考え、判断する思考動作の下からの働きかけがない、上から下への丸のままの一方通行構造だということになる。

 思考動作の下からの働きかけというプロセスがないのは上に位置する教師が下に位置する児童・生徒に対して考え、判断する思考動作を求めないからだろう。

 求めたとしても、暗記教育である以上、暗記した知識・情報の中から一つを選び出して答とすれば済む程度の思考動作といったところであるはずだ。

 学校テストの形式自体がこういった構造を取っている。但し最近は思考力を試す設問も用意してあるそうだが、日本人の思考様式・行動様式が上位下達の権威主義的構造となっているから、普段の授業で常に思考力の発動を必要とする知識・情報の伝達と授受の形式を取らずにテストの時だけ思考力を試しても、周囲を巻き込む力となり得る程の確かな思考性として根付かせることは困難ではないだろうか。

 若手社員の自身の言動を上司・先輩等の上に位置する他者の命令・指示に負う自力性を欠いた姿はそのまま暗記教育の知識・情報授受の構造そのものが反映した姿と言える。

 また「得意分野」+「やや得意分野」上位3分野の規律性、傾聴力、柔軟性は教師が授業で伝える知識・情報を児童・生徒がそのままなぞる形でノートに取り、頭に暗記する型通りの受容によって獲得し得る能力であって、このこともまた暗記教育の知識・情報授受の構造そのものが反映した姿と言うことができる。

 尤もここ10年以上の間、児童・生徒の中には規律性、傾聴力、柔軟性自体を欠き、授業そのものが機能しない、荒れた教室となっているケースも存在する。

 いずれにしても大商が上司・先輩を対象に行った入社3年目までの若手社員の意識調査によって浮かび上がった彼らの姿は日本の教育が暗記教育となっていることの一つの重要な事例を示したものだと指摘することができる。

 教師が伝える知識・情報に従うだけの暗記教育を脱し、自分で考え、判断して、自分で決める、いわば自分の判断に従って自己決定する考える教育を目標とした総合学習を日本の教育の現場に実現させないことにはいつまで経っても働きかけ力や創造力、課題発見力を欠いた人間を社会に送り出し続けることになる。

 当然、会社や商工会議所等の組織は周囲を巻き込んで新しいことに挑戦する人間へと改造のカネと手間をかける時間のロスを代償としなければならないことになる。非生産的な人間を生産的な人間に代えるために。

 問題の根っこは日本の教育にあることを自覚しなければならない。

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