石原伸晃の「体育会の少林寺拳法部出身で、先輩やOBへの接し方は叩き込まれてきた」に見る自立性

2012-09-18 08:35:22 | Weblog

 自民党総裁選に谷垣総裁を抑え込んで立候補した、石原慎太郎東京都知事の息子、石原伸晃自民党幹事長が9月11日夜(2012年)のテレビ朝日の番組で、〈派閥の重鎮らの受けが良いため「長老支配」との批判が出ていることについて〉、次のように反論したという。

 《石原氏「長老のかいらいではない」=自民総裁選》時事ドットコム/2012/09/11-23:37)

 石原伸晃「私は体育会の少林寺拳法部出身で、先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた。その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく、話を聞いたり接したりすることを悪いと言われたら、それは間違いだ」

 「傀儡」とは糸で操られて、操る者の思い通りに動く操り人形のことを言う。当然、自らの権力も意志・判断も持たず、それらは陰で操る者の権力、意志・判断に支配されることを意味する。

 「その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく」と言っている意味は、長老たちに支配されているわけではなく、私は私であり、彼らは彼らであるとする、相互に自立した存在として彼らとの関係はあるということであろう。

 いわば自分を下に置いた上下の関係ではなく、相互に自立した水平の関係にあると。

 そして、そのような自立的対人関係を学習した場として、「少林寺拳法部」を持ち出して、そこで「先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた」ことを経験例としている。

 と言うことは、少林寺拳法部に於いても自分を下に置いた上下の関係ではなく、水平の関係を叩きこまれて、そのような「先輩やOB」との間の自立的対人関係がそのまま現在の派閥の長老に対する自身の自立的対人関係に発展していったということでなければならない。

 石原伸晃が何歳から少林寺拳法を学んだのか、あるいは大学で初めて学んだのか分からないが、いずれの段階でも体育会系にありがちな厳しい上下関係がなく、その刷り込みを免れたことになる。

 このような説明を素直に受け入れることができるだろうか。

 そもそもからして日本社会は上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的人間関係を基盤とし、上司対部下、先輩対後輩、男対女、中央官僚対地方役人、中央政治家対地方政治家等々の関係を上下で律している。

 そのような権威主義的な上下関係が象徴的に顕著なまでに現れている場面が体育会系の先輩・後輩の上下関係なのである。

 人間関係をより的確に学ぶことのできる彼の大学時代を取り上げてみる。

 石原伸晃は高校卒業後、アメリカの大学に留学、慶応義塾大学文学部在籍は昭和52年4月~昭和56年3月であり、20歳から24歳までの年齢である。

 既に芥川賞作家として高名な父親の石原慎太郎は石原伸晃が慶応義塾大学に入学する前年の昭和51年12月から52年11月まで福田内閣の環境庁長官に就任していて、石原伸晃の慶大1年生の時と重なる。

 普通の家の普通の息子としてではなく、高名な作家であり、高名な政治家の息子として、下手には扱うことのできない、それなりの敬意を持って処遇されたはずである。

 このことが幸いして、上下関係の刷り込みを免れたとしたら、親の七光りを受けた自立的対人関係となって、親の援護なくして成り立たない、見せかけの自立的対人関係となる。

 いわば親の石原慎太郎を上に置いた上下関係が少林寺拳法部に作用し、石原伸晃も親の側に身を置くことで体育会系にありがちな厳しい上下関係を相殺することになった見せかけの自立的対人関係ではないかと疑うことができる。

 ここで思い出すのは、多分衆議院に初立候補した時の街頭演説なのだろう、最近のテレビで放送していた出来事である。

 石原伸晃「私はあの石原慎太郎の血を引く者です」

 この言葉には、少林寺拳法部で学習したと言っている私は私ですという自立心を窺うことができない。全面的に親の七光りを利用しようする積極的な意思しか感じ取ることはできない。

 親子の人間関係で説明すると、親の七光り利用は親と自身を水平の関係に置くのではなく、逆に親を上に置いて自身を下に置く、自立性とは正反対の権威主義性を石原伸晃自身が体現していたということである。

 親の名声を自身の名声に擬(なぞら)えようとした。譬えるなら、石原伸晃は名声という点で心理的には自身を親の石原慎太郎の“傀儡”に貶めていたのである。

 だとすると、「長老支配」批判に対して反論した石原伸晃の、「私は体育会の少林寺拳法部出身で、先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた。その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく、話を聞いたり接したりすることを悪いと言われたら、それは間違いだ」の正当性は些か疑わしくなる。

 大体が自身の対人関係性を証明するために体育会の少林寺拳法部を持ち出すこと自体が幼稚で、単純とか言いようがない。

 「私は私です。常に自立した関係を心がけています」で説明の用を足すことができたはずだが、公党の幹事長まで勤めていながら、そうするだけの認識を備えていなかった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする