鉢呂経産相の福島原発事故被災地視察で受けた深刻度

2011-09-10 10:01:54 | Weblog

 鉢呂経産相の福島原発事故被災地9月8日視察翌日の閣議後の記者会見「死の町」発言が批判を受けている。《鉢呂経産相発言の詳細》asahi.com/2011年9月9日18時16分)

 鉢呂経産相「昨日、野田佳彦首相と一緒に(視察した)東京電力福島第一原子力発電所事故の福島県の現場は、まだ高濃度で汚染されていた。事務管理棟の作業をしている2千数百人がちょうど昼休みだったので話をした。除染のモデル実証地区になっている伊達市、集落や学校を訪れ、また佐藤(雄平)知事、除染地域に指定されている14の市町村長と会ってきた。

 大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ。

 事故現場の作業員や管理している人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでいる。3月、4月に入った人もいたが、雲泥の差だと話していた。残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、『福島の再生なくして、日本の元気な再生はない』と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話をした。

 除染対策について、伊達市と南相馬市も先進的に取り組んでいる。大変困難ななかだが、14市町村の首長が、除染をしていくと前向きの形もでてきている。首長を先頭に、私も、住民のみなさんが前向きに取り組むことで、困難な事態を改善に結びつけることができると話した。政府は全面的にバックアップしたい、とも話した」

 記事は同時に陳謝発言も伝えいている。

 〈●鉢呂経産相が「死のまち」発言を撤回、陳謝した9日午後の記者会見での詳細は、以下の通り。

 鉢呂経産相「本日午前の記者会見での私の発言は、表現が十分でなかった。反省をしている。全体の私の思いは、みなさんにも理解いただけると思うが、表現自体、大変被災地のみなさんに誤解を与える表現であったと真摯(しんし)に反省し、この表現を撤回させていただき、深く陳謝を申し上げる。大変申し訳なく思う。
 記者「被災地にどういう思いを与えると考えて、陳謝したのか」

 鉢呂経産相私の率直な、昨日、まちを訪ねたかたちが、ああいう表現につながった。軽率だった。午前中も話したが、あのような事態を私自身の原点にして、経産行政を再びあのまちに、いま被災をされているみなさんが戻ってこられるように、除染対策などを強力に進めていくと、こういうことを申し上げたかったわけで、そういま反省しながら、陳謝をしている。

 記者「撤回にあたって政府や党から指示や相談は」

 鉢呂経産相「まったくない」

 記者「自身の判断か」

 鉢呂経産相「はい」 〉――

 陳謝発言はどうせ正当化のこじつけに後付けで捻り出したものに過ぎないから、殆んど意味はない。

 「大変厳しい状況が続いている」と、簡単には除染が進まない放射能の汚染状況とそのことが制約することになっている帰宅困難な状況も含めてだろう、深刻に受け止めている。

 まさか残留放射線量の数値が高いことだけを以って「大変厳しい状況が続いている」と言ったわけではあるまい。最初の記者会見発言では「帰宅」に関する言葉は使っていないが、頭の中に常に住民の帰宅を最終目的として入れていなければならないはずだ。帰宅を果すまでの住民の不安、困窮等々も思い遣らなければならない。

 続けて「福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ」と言っている。

 現在も福島第一原発から放射性物質の放出は止まっていないと伝えられているが、現場では完全シャッタウトに向けて懸命な努力を傾けているし、菅仮免が8月27日に福島県を訪れて佐藤県知事と会談、「原発事故で放射線量が非常に強い地域は、除染の取り組みを講じても、長期間にわたって住民の帰還や居住が困難になる地域が生じてしまう可能性は否定できない」とは言っているが、強い地域以外は如何に的確、効果的、迅速に除染を果すか、その実施に取り掛かる段階にきている。

 このことは放射能避難住民も強く望んでいるプロセスのはずである。

 にも関わらず、「福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ」「汚染」からの「出発」を今以て言うのは経産相の意識自体が前進していないことを示しているのではないだろうか。

 「出発」ではなく、次の段階、さらにその先の段階への“前進”が求められているのであり、その求めに応じる姿勢が必要だと言うことである。

 簡単には帰ることはできないと別の土地での生活を選択した住民も多く存在するが、放射能放出の完全シャッタウトと健康に影響しない範囲で生活可能な十分な除染への“前進”のプロセス終了を待ち望んで帰宅を果そうと多くの住民が待ち構えている。

 また10年、20年は帰れないだろうと諦めて他処の土地を止むを得ず選択した住民にしても、10年、20年先には住んでいた場所が元の状態に“前進”することを希望していない住民が果たして存在するだろうか。元の状態に“前進”したなら、一度帰ってみようと思い描いていない住民が。

 当然、経産省をも含めて政府が以後重点的に取り組むべきは、繰返しになるが、「福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ」、そこからの「出発」といったことではなく、放射能放出の完全シャッタウトと可能な限りの除染、そして帰宅という“前進”のプロセスでなければならないし、全身、そのような心構えを持していなければならなかったはずだ。

 政治家が頻繁に使う言葉で譬えると、殆んどが口先だけだろうが、「前向き」の心構えということになる。

 それを「残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった」と、“前進”のプロセスに冷水(れいすい)を浴びせるような、「前向き」でも何でもない後ろ向きなことを平然と口にする。

 少なくも、「1日も早く住民の帰宅を果すことで死の町を生きた町に戻したい」と“前進”のプロセスの文脈で発言すべきだったろう。

 このように“前進”のプロセスの文脈で把えた発言ができなかったのは「大変厳しい状況が続いている」の発言が被災地の状況を、除染や帰宅困難な問題も含めて深刻に受け止めたものでも何でもないニセモノの印象に過ぎなかったからだろう。

 このことは第1原発の視察を終えた8日夜のおふざけが証明している。《鉢呂経産相:「放射能つけた」発言 辞任やむなしの声も》毎日jp/2011年9月10日 時59分)

 報道陣の一人に近寄って防災服をすりつける仕草をし、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をしたという。

 子どもたちがイジメの趣旨からではなく、ふざけ合う“バイキンごっご”そのものである。誰かを追いかけていってタッチすると、その子にバイキンが移り、移された子が別の誰かを追いかけていってタッチしてバイキンを移し合う、「バイキンを移したぞ」、「わぁっー、バイキンを移されたー」と叫んで面白がる遊びである。

 福島から他処の土地に移っていった住民のその理由が子どもの放射能汚染を恐れてのことである。全住民の内部被曝の検査も行われている。放射能汚染被災地を視察し、「大変厳しい状況が続いている」と深刻な状況であることを訴えた。

 その訴えの舌の根も乾かないうちに“一人放射能ごっご”に興じた。住民のことを配慮しない「人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった」の発言と言い、「大変厳しい状況が続いている」はまさしく口先だけのニセモノの深刻度だったことを証明して余りある。

 当然、閣僚の資格はない。


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