辻元清美も菅仮免広報担当下村健一と同様に肝心なことは何かが気づかないトンチンカン

2011-09-18 11:59:08 | Weblog

 元社民党議員辻元清美が民主党に入党することになった。昨年7月に社民党を離党した時点で既に分かっていたこと。離党後無所属に所属していたが、民主党と会派を組んだのはいきなりの民主党到着は露骨過ぎることからの経由地点としての会派であり、今回の最終地点へのフライトと言うわけなのだろう。

 一つのWeb記事がある。読むと、辻元清美も親しい友達らしい元TBSキャスターの広報担当内閣審議官下村健一が「その国の人たちにその国のトップの動きがオープンになる方がいいでしょ。そう思って、来て、(各種情報を)つくっているわけですよ」(2011年5月1日朝日テレビ「サンデー・フロントライン」)と菅仮免の動向を伝えるビデオやホームページ、ツイッター、壁新聞、ラジオ、地方紙広告、在外公館への情報提供等を駆使して、問われている肝心なことが菅仮免の実体としての国家統治能力・指導力・実行能力・内閣運営能力等であり、さらに震災に関しては復旧・復興に向けた進捗であることから比較すると肝心なこととは決して言えない見せ掛け、虚像の類いでしかない好印象の有能な政治家像をつくり上げ、国民の人気を高めようと虚しい情報操作に励んだように辻元清美も肝心なことから離れて肝心でもないことで菅仮免のイメージアップにムダな抵抗を試み、尚且つ矛盾したことを言って菅仮免の無能を擁護している。

 《ザ・特集:「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る》毎日jp/2011年9月7日 15時0分)

 〈粘りに粘ったが、ついに土俵を割って官邸を去る菅直人首相(64)。批判のしどころは多々あるにせよ、結局、何がいけなかったのか。「市民運動出身」という同じルーツを持ち、東日本大震災後は災害ボランティア担当の補佐官として支えた辻元清美衆院議員(51)に尋ねた。〉のインタビュー。
 
 辻元清美「2世でも金持ちでもない菅さんが首相になり、政治の質が少し変わった」

 どう変わったのかの言及を記事は伝えていない。2010年7月参院選敗北を菅仮免は「熟議の政治」を展開するキッカケとなる「天の配剤」だと形容しながら、「熟議の政治」を実現させるどころか、与党としての主体性を失った過剰な対野党妥協と政治混乱を生み出しただけで、結果として国民の政治不信を招き、それが内閣低支持率に反映した「天の配剤」になったに過ぎなかった。

 総理大臣j記者会見で「この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と自らの使命を「宿命」とまで意義づけたはいいが、遅滞と混乱を招いた復旧・復興対応から見ると、口で言っただけのご大層な「宿命」に過ぎなかったことを暴露させている。

 日本の政治と社会を悪化させる方向に「政治の質」を変えたということだけは確実に言える。

 〈8月26日昼、衆院議員会館。テレビ画面の中で「退陣の弁」を語り始めた菅首相に〉次のように語りかけたと言う。

 辻元清美「自分の言葉で。終わり良ければ全てよし、でっせ。

 (聞き終えてから)あっさりしてたなあ……」

 「自分の言葉」だからと言って、哲学や知性、教養、特に肝心な実行性を備えているとは限らない。辻元清美は言葉の質・中身に向ける目は持たないようだ。

 また、何を以て終わりを良しとしたのかまるきり意味不明である。多分退陣自体を「終わり」と見て、それを以て「良し」としたと思うが、退陣に至る経緯の政治上の終局場面をこそ「終わり」としなければならないはずだ。例え出だしや中間場面で見るべき「政治は結果責任」がなかったとしても、政治上の終局場面で素晴らしい「政治は結果責任」の成果を上げたなら、初めて「終わり良し」と言える。

 だが、菅仮免は序章場面も中間場面も終局場面も「全てよし」とはいかなかった。

 震災から2日後の3月13日に首相補佐官に起用されてから、これも首相補佐官の仕事なのか、〈新しいスーツづくりの採寸にも立ち会った。〉と記事は書いている。

 辻元清美「一国の総理だからヨレヨレの格好はあかん。欧米の首脳の横に立ってもひけをとらんように、と服、つくらせたんです。馬子にも衣装やから。ハハハハ。なのに昨年11月の横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で、オバマさんと一緒にいるところを見たら、ネクタイは曲がってるし、胸の当たりも盛り上がっている。メガネを入れているわけ。何してんねん、と。すぐに電話をして『高いスーツ買うてるんやから、ポケットにもの入れたらあかん!』と言ったら菅さん、『ごめん……』の一言だけ」

 要するに見栄えを良くして好感度を少しでも高めようとした。だが、肝心なことはどの外国に対しても毅然とした態度で外交に臨む政治姿勢であって、このことに比較したらネクタイが曲がっていて、服装が「ヨレヨレの格好」で「欧米の首脳の横に立って」少しぐらい「ひけ」を取ろうと、どうでもいいことではないか。

 先ずは心がけなければならない国家の統治に必要な指導力や実行能力の獲得であり、「政治は結果責任」の実現であり、被災地の復旧・復興の進展のなお一層の加速化であり、着実・厳格な外交能力だったのだから、肝心なことから離れた瑣末主義に何様となったかのように得意然と囚われていたことになる。

 何が必要なことかを見抜く目を持たない政治家というのは滑稽な倒錯でしかない。菅仮免同様、辻元清美も同じ滑稽な倒錯状態にある。

 辻元清美「私自身、自社さ政権を経験して実感したのは、『まめさ』こそが権力維持の最大の装置やということ。ある自民党の幹部は『芝居ではステージの幕が上がったときには準備が終わっているのと同様、政策も公になったときにはほとんど終わっていないと周りが混乱する』と教えてくれた。ところが菅さんは、自分で幕を上げてから『さあ始まりだ』とやるからなあ」

 自民党幹部が指摘した状況整備を以って「まめさ」がつくり出す状況であり、そのような「まめさ」を「権力維持の最大の装置」だとしているが、いくら「まめさ」があっても、政策構想力、構想した政策を実体化していく指導力、あるいは他から上がってきた政策を纏め上げていく組成能力、部下をしてリーダーを信頼させる信頼能力・求心力等々をひっくるめた国家統治能力を欠いていたなら、いくら「まめさ」を備えていても、まめったいというだけで終わる。

 だが、国家統治能力そのものを欠いていたばかりか、その「まめさ」も欠いていたことになる。何もいいところはなかった。

 辻元清美はこのことを次のように釈明している。

 辻元清美「理念や考え方を重視するあまり、そこでつながっていればいいんだ、みたいなところはありますね」

 かねがね菅仮免は「政治は結果責任」を欠いていると書いてきたが、辻元清美のこの発言はまさにこのことを証明している。「理念や考え方を重視する」以上に「政治は結果責任」を重視しないことには一国のリーダーとしての資格はないし、リーダーに相応しい責任を果すことにはならないはずだ。「政治は結果」につながらない「理念や考え方」は意味がない。

 「みたいなところはありますね」で完結させていたのでは、国民は菅仮免に何も期待するものはなくなる。実際にも殆んどの国民が期待しなくなった。

 辻元清美は自身の認識能力はこの程度だと暴露する発言ともなっていることに気づいていない。

 〈保守派を中心に「市民運動出身の政治家の限界」を指摘する声〉が相次いでいることに対する答。

 辻元清美「確かに(市民運動出身の政治家には)批判するのは上手でも、批判を受けるのは下手という特徴がある。私もそうなわけですよ。そりゃ『総理!総理!』と言ってるほうが簡単やで」

 相変わらず表層的な把え方しかできない。「批判するのは上手でも、批判を受けるのは下手」といった問題ではない。批判能力のみを自己存在証明の手段として首相に就任したことになる。首相になった以上、批判能力とは別に首相としての自己存在に必要とする統治能力、指導力、その他の能力が一本の鋼のように貫いていなければならなかったはずで、貫いていたなら、「政治は結果責任」をその時々に果すことができたろうし、「政治は結果責任」の遂行こそが自己に対する批判を抑制する最良の方法となったはずだ。

 基本はリーダーとしての統治能力や指導力、その他の能力だと気づかない。

 次に辻元清美は「統治論」を述べる。

 辻元清美「一議員なら権力のチェックをすればいい。大臣は、時の政権の政策を実行すればいい。でも、総理大臣になったら『統治』をする。統治とは考え方が違う人、相反するイデオロギーを持つ人をも守ること。そして、やりたい仕事だけでなく、やりたくないことでも妥協しつつ利害関係を調整することなんです。

 私ら市民運動から出てきた人間はね、何もないところから自分が動き回り、ものごとを形にしてきた。憲法を守るため、脱原発の理念を守るためなら命をかける。同じ志を持った仲間となら、それでいけるんです。でも、統治はそれだけではあかん。立場の違う人たちと、どう付き合うか。そこを訓練しておかないと、いざリーダーになった途端に立ち往生してしまう。菅さんも、そこに悩み続けたと思うんです」

 言っている事が矛盾だらけである。「統治」は一国のリーダーに付き物の当然の務めであり、当然の責任である。それを背負うために首相になったはずだ。対立する利害、対立する国民存在相手の「統治」なのだから、最初から困難を覚悟して首相に就任するという道理を体現していなければならなかった。

 当然、「統治とは考え方が違う人、相反するイデオロギーを持つ人をも守ること。そして、やりたい仕事だけでなく、やりたくないことでも妥協しつつ利害関係を調整することなんです」は「統治」の道理として元々存在することなのだから、言わずもがなのことだろう。

 わざわざ言うということは、所詮菅仮免には統治能力がなかったということの証明にしかならない。

 また、市民運動家だろうが一国の首相だろうが、自らが言ったことに対しては「結果責任」を負わなければならないはずだ。市民運動家には「統治」の責任は伴わないが、いくら高邁な理想を掲げたとしても、社会に実現させずに言いっ放しで終わったなら、市民運動家としての意味を失う。

 「脱原発」にしても市民運動家の言いっ放しで終わっていた「結果責任」に過ぎない。市民運動家が加速させた状況ではなく、福島の原発事故が加速させた状況であることは菅仮免内閣が2010年6月10日、2030年までのエネルギー政策の方向性を示す「エネルギー基本計画」を閣議決定、原子力発電に関しては「2030年までに14基以上の発電所を新増設する」と謳っていたことがこのことを証明している。国民も多くがこのことを受入れていた。

 もし福島事故がなかったなら、民主党政権は着々と原発を新規増設していって「脱原発」とは逆の方向を取っただろうし、市民運動家の「脱原発」の訴えを益々「結果責任」から遠ざけていったろう。市民運動家には偉そうなことは言えない「脱原発」への流れと言える。

 辻元清美「統治には2種類あると思うんですよ。一つは中曽根康弘元首相のように自らが引っ張る『強いおやじ型』。もう一つが、市民一人一人に社会に参加してもらう市民参加型です。こちらは、まず子育てやまちづくりで同じ考えを持った人が地域にいて、さらにそういう発想の地方議員が増えなければ安定しない。現実には自民党長期政権のもと、市民型統治は未成熟のまま今日まで来てしまった。菅さんの理想と首相としての行動が合致しなかったのは、そこにも原因があると思うんです」

 菅仮免の「理想と首相としての行動が合致しなかったのは」日本に於いて市民型統治が未成熟だったからではなく、菅仮免自体の政治的資質が未成熟だったからに他ならない。

 もし菅の政治的資質が成熟していたなら、未成熟な市民型統治を成熟へ向けて幾ばくかは強力に推し進めていくことができたろう。

 一国の総理大臣としての大きな権力を手に入れたのである。その権力を生かすも殺すも基本は本人の能力であるはずだ。

 記事の最後。〈8月30日、衆院本会議。辻元さんは菅首相と言葉を交わした。「お疲れ様でした。近く市民運動の仲間で一杯やろうよ」とねぎらうと、「やろうやろう」とうれしそうに答えたという。〉――

 辻元清美にしても菅仮免にしても、お目出度い限りである。


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