「原子力安全及び核セキュリティに関する国連ハイレベル会合」(2011年9月22日)での野田首相のスピーチ。首相官邸HPから採録してみた。 《野田首相スピーチ》
事務総長、議長、ご列席の皆様、
1.東京電力福島第一原発の事故は、人類が原子力にどのように関わっていくべきかという深淵な問いを我々に改めて投げかけています。各国代表の参集する国連総会の機会に、この会議の開催を主導された事務総長の慧眼に敬意を表します。
2.巨大地震と津波に被災した日本国民は、世界中から心温まる励ましと支援を頂きました。全国民を代表して、改めて深い感謝の意を申し述べます。
3.科学技術は人類の進歩を助け、世界の隅々に繁栄をもたらしてきました。我が国は、最先端の科学技術を用い、1957年に原子力の平和利用に一歩踏み出して以来、半世紀以上にわたって、懸命にその安全な活用の方途を研究・応用し、原子力産業を育成・発展させてきました。それだけに、今回の事故は、日本国民に深い衝撃を与えました。
4.事故発生から半年間あまり、我が国は、事故の早期収束のため、国家の総力を挙げて取り組んできました。私は、その対応の総責任者として、今月の総理就任直後に、東京電力福島第一原発の敷地内で、原子炉建屋を間近に視察しました。この事実が、事故収束に向けた取組の着実な進展を物語っています。
5.関係者のひたむきな努力によって、事故は着実に収束に向かっています。事故当初に比べれば、放射性物質の放出量は、最新の推計で、400万分の1に抑えられています。原子炉の冷温停止状態についても、予定を早めて年内を目途に達成すべく全力を挙げています。事態の改善は、被曝と熱中症の危険にさらされながら、黙々と作業を続ける、2000人を超える作業員の献身的な取組に支えられています。そのことを決して忘れることはできません。
6.高さ15メートルに達した巨大津波の想像を絶する破壊力は、今も現場に痕跡を残しています。少なくとも、津波への備えに過信があったことは疑いがありません。非常用の電源やポンプが、津波で水没するような場所に設置されるべきでなかったことは明らかです。実際に炉心損傷に至る過酷事故を想定した準備も不十分であり、ベントの作業に手間取り、貴重な時間を失いました。本格的な事故原因の究明は今後も続きますが、既に判明している「過ち」とそこから導かれる「教訓」があります。何よりも急がれるのは、それらに基づき、内外で原発安全性の総点検を進めることです。
7.日本は、この事故の全てを迅速かつ正確に国際社会に開示します。既に二度にわたり、事故経過報告書をIAEAに提示しました。従来の行政から独立した事故調査・検証委員会が、中立・客観の立場から包括的に事故を検証中であり、来年には最終報告を示します。同じく来年には、IAEAと共催の国際会議を我が国で開催し、総点検の結果や原子力の安全利用への取組の方向性を国際社会と共有します。
8.日本は、事故の教訓を世界に発信します。既に国際社会に対し、各国の規制機関同士の連携、事故時の国際支援体制の強化、IAEA安全基準の再検討などを提案してきています。国際社会がこれに応え、G8首脳はドーヴィルで、更に多くの諸国はパリで、原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し、本日、IAEA総会において、原子力安全の行動計画が確定したことは、実に喜ばしいことです。
9.日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。既に講じた緊急的な措置に加えて、「規制と利用」を切り離すべく、原子力安全・保安院を経済産業省から分離して、来年4月を目途に「原子力安全庁」を創設し、規制の一元化と安全文化の徹底を図ります。さらに、原子力安全規制自体についても、根本的に強化します。
10.日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます。数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます。
11.日本は、再生可能エネルギーの開発・利用の拡大も主導します。官民が持つ先端技術を結集し、再生可能エネルギーの開発・利用を拡大する努力を倍加します。我が国の中長期的なエネルギー構成のあり方についても、来年の夏を目途に具体的な戦略と計画を示します。
12.日本は、核セキュリティ確保にも積極的に参画します。原子力施設などへのテロ攻撃への対処、各国関連当局間の情報交換なども重要な課題です。来年の核セキュリティ・サミットに参加し、国際社会の共同作業に積極的に参画するとともに、我が国として、核物質や原子力施設に対する防護の取組を強化します。
13.エネルギーは、経済の「血液」であり、日常生活の基盤です。広くは、人類の平和と繁栄を左右します。我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石です。次なる行動について長く迷い続ける余裕はありません。科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し、そして、早急に次なる行動を定めなければなりません。
14.私は、確信いたします。人類が、その英知によって、今般の事故の突きつけた挑戦を必ずや克服することを。福島が、「人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所」として思い起こされる日が訪れることを。そして、本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを。日本は、今回の事故の当事国として、全力でその責務を担い、行動することをお誓いして、私の挨拶といたします。
ご清聴ありがとうございました。 |
ここでは「原子力の安全性を世界最高水準に高める」とする日本と国際社会とが相互に呼応した「原子力安全の行動計画」を取上げてみる。
先ず、〈8.日本は、事故の教訓を世界に発信します。既に国際社会に対し、各国の規制機関同士の連携、事故時の国際支援体制の強化、IAEA安全基準の再検討などを提案してきています。国際社会がこれに応え、G8首脳はドーヴィルで、更に多くの諸国はパリで、原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し、本日、IAEA総会において、原子力安全の行動計画が確定したことは、実に喜ばしいことです。〉とする発言によって、国際社会が「原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し」、「原子力安全の行動計画」を確定したことを歓迎している。
〈9.日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。既に講じた緊急的な措置に加えて、「規制と利用」を切り離すべく、原子力安全・保安院を経済産業省から分離して、来年4月を目途に「原子力安全庁」を創設し、規制の一元化と安全文化の徹底を図ります。さらに、原子力安全規制自体についても、根本的に強化します。〉
国際社会の「原子力の安全性を世界最高水準に高める」「原子力安全の行動計画」に呼応して、野田首相は「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」と、国際社会と同質の「原子力安全の行動計画」の推進をある意味二人三脚で行うことを宣言した。
二人三脚と言って悪ければ、国際社会と競う形でと言い直すこともできる。日本独自に「原子力発電の安全性を世界最高水準に高め」る技術を発揮し得るとする自信を持っていたなら(過信していたなら?)、必然的に競う形になる。
どちらであっても、「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」は日本の原子力技術に対する信じて疑わない確信性を高らかに謳い上げた言葉となっている。
かくも野田首相をして確信させている根拠は何なのだろうか。
〈10.日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます。数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます。〉
「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」で以って世界各国の「原子力利用」に応える用意があること、応える決意であることを宣言している。
〈13.エネルギーは、経済の「血液」であり、日常生活の基盤です。広くは、人類の平和と繁栄を左右します。我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石です。次なる行動について長く迷い続ける余裕はありません。科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し、そして、早急に次なる行動を定めなければなりません。〉
長く迷い続ける時間的余裕のない、早急に決めなければならない、「科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し」た「次なる行動」に「再生可能エネルギーの開発・利用の拡大」を特定しているわけではない。
「原子力発電の安全性を世界最高水準に高め」ることについても「科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚」が絶対条件となる。
「次なる行動」が「再生可能エネルギーの開発・利用の拡大」に重点を置いたものなのか、「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」に重点を置いたものなのかは次の発言項目が答を出している。
〈14.私は、確信いたします。人類が、その英知によって、今般の事故の突きつけた挑戦を必ずや克服することを。福島が、「人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所」として思い起こされる日が訪れることを。そして、本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを。日本は、今回の事故の当事国として、全力でその責務を担い、行動することをお誓いして、私の挨拶といたします。〉・・・・・
「本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを」。
「次なる行動」とは「原子力安全を最高水準に高める」ための行動であり、「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」を以って「経済の『血液』」とし、「日常生活の基盤」として「人類の平和と繁栄」を目指す行動のことだと。
そのような行動を以ってして、「我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石」とすることを大目標としている。
「福島が、『人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」という言葉には二つのイメージを描くことができる。
単に原発事故を克服し、除染に成功して住民が生活の原状回復を果したでは、福島を「『人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」記念地点とした場合、大袈裟に過ぎる。
一つは原子力発電を一切廃止、ゼロにして、国家「経済の『血液』」たる国家エネルギーを原子力以外のグリーンエネルギー等で成り立たせる新しい国家像を「切り拓」き、このことが国際モデルとなって世界から原子力発電をなくした、そのような「人類の未来を切り拓いた場所」として福島が出発点となったとするイメージ。
もう一つは、福島の原発事故を収束させた上で「原子力安全を最高水準に高め」た原子力発電を開発、そのような「世界最高水準」の「安全性」を持った「原子力発電」を普及させることで原発事故の恐怖を克服、国家「経済の『血液』」たる国家エネルギーを成り立たせていくことによって「人類の未来を切り拓いた場所」として福島が出発点となったとするイメージ。
だが、「次なる行動」が「原子力安全を最高水準に高め」た「原子力発電」によって「人類の平和と繁栄」を切り拓いていくことを理想として掲げていることとの整合性、「10」の「世界最高水準」の「安全性」を持った「原子力発電」で以って世界各国の原子力利用に応えるとする国家意志との整合性を併せ考えると、「福島が、『人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」とするには、どうしても後者のイメージ以外に考えることはできない。
菅仮免の「脱原発」が計画性も見通しも何もないその場限りの発言だったとしても、その発言に対する野田首相の脱「脱原発」の原子力推進の意志としか読み取ることはできないスピーチとなっていると解釈したが、果たしてどんなものだろうか。
|