ニューヨークで行われた9月21日の日米首脳会談終了後、オバマ大統領が日本の誇る野田首相を、「I can do business with him」と評したと大統領周辺から首相同行筋に伝えられ、このことを首相同行筋は9月22日に記者団に明かしたとマスコミ各社が伝えている。
「彼となら一緒に仕事がやれる」という意味だそうで、協調行動を取る相手としてオバマ大統領に信頼感を与えたということだろうが、あくまでも予想と期待から発した信頼感であって、首相就任時の世論調査と同じく、何らかの成果が証明した信頼感ではない。
成果次第で信頼感は簡単に失望感に姿を変える。鳩山、菅、元・前首相が証明した経緯でもある。いわば思い違いだったと落胆させる可能性も否定できないオバマの「I can do」であって、首相同行筋がわざわざ公表したのは両者が初対面で良好な雰囲気の内に話し合いを持ったとアピールする狙いがあるのだろうが、信頼を得たとする価値観のみで判断するのは甘いと言わざるを得ない。往きはよいよい、帰りは怖いといった場面が待ち構えていないとも限らない。
だが、何よりもの問題は価値判断の主体がオバマ大統領となっていることである。オバマ大統領が野田首相をどう評価するかに重点が置かれていて、野田首相がオバマ大統領をどう評価するかは問題外となっている。
いわば日本の野田首相をマスコミも首相同行筋も、また野田首相自身もだろう、当然の如くに従の関係に置いている。この価値判断のどちらを主とし、どちらを従とするかの関係はそのまま全体としての日米関係を反映した、その象徴としてある日本側の受け止めであり、オバマ大統領の自らを主とした態度であろう。
アメリカにどう価値判断されるかで行動するとき、アメリカの価値観の範囲内の行動となる。当然、アメリカの主体性のもと、その主体性に付き従う日本の主体性なき従属的な行動となる。
アメリカにどう価値判断させるかで行動したとき初めて、日本は自らの価値観に従った主体的行動を取ることができ、アメリカの価値観の範囲内の行動を打破することができる。
勿論、そうなったときアメリカの価値観と日本の価値観との闘いが生じることになる。ときには自らの価値観を引っ込める妥協も必要となるが、あくまでも自らの主体性を貫いていく過程で取引きを成り立たせるための、主体性をバックとした妥協であって、最初から主体性なき、従属ありきの妥協とは異なる。
日本の首相がアメリカの大統領にいつの日か「I can do business with him」と言うことができるときがくるのだろうか。言うことができる主体性、自らの価値判断を示すことができる時が。日本人が持つ強い者に対する権威主義的な従属性からすると、絶望的かもしれない。 |