菅首相の施政演説冒頭発言を支持率30%前後、不支持率60%前後及び冒頭発言から読み解く

2011-01-25 08:55:53 | Weblog



 菅首相は昨1月24日(20011年)の通常国会施政演説冒頭、「発足から半年、私の内閣は、元気な日本の復活を目指し、『経済』『社会保障』『財政』の一体的強化に全力で取り組んでまいりました。これを推し進めた先に、どのような国をつくっていくのか。そのために国政はどうあるべきか。本日は、改めて、私の考えを国民の皆様、そして国会議員の皆さんに申し上げます」と言い、政権発足からの半年間に菅政治を強力に推進してきたかのように言っているが、果して実質的に取組んできたことになるのか、単に自分がそう思っているだけのことかが問題となる。

 このことを問題とする前に昨年12月12日(2009年)夜の菅首相の後援会忘年会での発言との整合性を見てみる。

 菅首相「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で、いろいろなことに配慮しなければならず、自分のカラーを出せなかった。これからは本免許を取得し、自分らしさをもっと出し、やりたいことをやっていきたい」(NHK記事

 政権発足後のこの半年間は政権運営に不慣れなために満足な政治ができなかったが、これからは本格スタートを目指していくと言っている。以前ブログにも取り上げたが、この発言には時間が短かったのだから、満足な政治ができなかったのは仕方がないとの自己免罪がある。就職問題や失業問題で生活不安や生活困窮に追いやられている切実な状況下の国民にとっては僅か半年であっても猶予ならない問題であるにも関わらず、そういったことに目を向けることができずに「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」だったと言う。あるいはそのように言うことができる。

 多分、この「仮免許」発言が各方面がら批判を受けたからだろう、「発足から半年、私の内閣は、元気な日本の復活を目指し、『経済』『社会保障』『財政』の一体的強化に全力で取り組んでまいりました」の、さも各問題に全力で取組んできたかのように修正した冒頭発言となった疑いが濃い。

 そうと解釈しないと、「仮免許」発言と整合性を取ることができない。「仮免許」発言から40日程度しか経過していないのである。40日前は「仮免許」だったからたいしたことはできなかった、40日後には全力で取り組んできたでは矛盾そのものである。

 では、「発足から半年」の短い期間が各課題に取り組むに不十分な時間とすることができるかどうかの正当性を、以前ブログに取り上げたが、今回は内閣支持率の面から探ってみる。

 民主党政権は1年4カ月を経過している。鳩山政権を受け継いで合計1年4カ月である。例え鳩山政権と菅政権では政策に違いはあっても、菅首相は野党時代、政権を取った場合に備えてどんな政治を行うべきか、自身の頭に描き、仲間と共に行動もし、政策実行の準備をしてきたはずである。

 その準備期間中のどんな政治を行うべきか蓄積した情報・経験の中には、日本の経済はどうあるべきか、社会保障はどうあるべきか、財政はどうあるべきかは当然含まれていたはずで、あとは実行あるのみの状況にあったはずである。

 でなければ、野党時代何をしていたのかということになる。いつでも登板オーケーのリリーフピッチャーのように肩を慣らしておかなければならなかった。

 また政権運営の点では鳩山政権下では副総理として共に民主党政治を推し進めてきた関係から、政権運営とはどんなものか、多少なりとは学んでいたはずであるし、野党時代、実際の内閣を模して「次の内閣」(=影の内閣)を形成してきた。あとは応用能力の問題となる。

 当然政権を担った以上、その時点でそれぞれの政策チームをつくって自らが思い描いてきた政治を実行していく段階に進まなければならない。「発足から半年」だからと言って、その日数の短さのみを理由に見るべき成果を挙げるところまで進めることはできなかったで済ますことはできない。長い準備期間を経歴としているのだから、例え実質的な政権担当の日数が短くても、
野党時代と副総理時代に思い描いたかくあるべしを土台とした政治の実践に対して少なくとも国民に期待や希望を抱かせる成果を予感させる政治運営でなければならなかったはずだ。

 だが、内閣支持率で見る限り、国民に期待も希望も与えるまでに至っていない。「『経済』『社会保障』『財政』の一体的強化に全力で取り組んでまいりました」と本人がいくら言っても、例えその取り組みを半年の期間のことだとしても、何がしかの共鳴を与えるところまではいっていないということだろう。

 菅首相がオハコとするキャッチフレーズに「20年間の閉塞状況」あるいは「20年間の危機的状況」という言葉がある。「20年間近く続いている日本の閉塞状況を打破し、元気な日本を復活させなければならない」(2011年1月20日の外交演説)とか、「国民の皆さまの閉塞状況を打ち破って欲しいという期待に応えるのが、新内閣の任務です」(2010年6月11日の第174回国会所信表明演説)、「今の日本の置かれた大変危機的な状況、20年間続く経済の低迷、財政の悪化、不安な社会保障、そして進まない地域主権、また外交の問題でも多くの問題を抱えております」(2011年1月14日記者会見)といった具合に。そしてその原因をここ20年の「政治のリーダーシップのなさ」に置いている。

 いわばこの20年間の日本が政治のリーダーシップを欠いていたために如何に危機的状況に陥ったか、閉塞状況に見舞われたかを常々訴えてきた。そうである以上、自身の強力な政治のリーダーシップを以ってして危機的状況打破のために、あるいは閉塞状況打破のために自身の政治を強力に、ときには強引に進めていかなければならないはずであるし、そうすることを自らの使命及び責任としなければならなかったはずだ。

 この点からも政権発足から「半年」などと言ってはいられない立場にあり、何ら意味のない言葉としなければならない。野党時代の長い準備期間と鳩山政権下の副総理時代に蓄積したあらゆる情報、あらゆる経験をフル稼働させて、政権発足早々から猛ダッシュして緊急解決を要する政治課題に取組んでいかなければならなかった。

 そしてその取り組みの過程で、それが半年の期間であるためにさしたる成果を上げることができなかったとしても、国民に何らかの期待、希望を与える強力な政治の推進でなければならなかった。日本の再建を予感させる力強い政治の展開でなければならなかった。

 そのようにできたとき、国民が菅内閣に抱くことになった期待、希望が刻々と世論調査の内閣支持率に跳ね返り、反映されていくことになる。

 だが、各マスコミの世論調査の内閣支持率30%前後、不支持率60%前後を見ると、菅政治はそういった経緯を取っていない。

 ということは、施政演説冒頭の「発足から半年、私の内閣は、元気な日本の復活を目指し、『経済』『社会保障』『財政』の一体的強化に全力で取り組んでまいりました」の発言は昨年12月の「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で、いろいろなことに配慮しなければならず、自分のカラーを出せなかった」の発言と実体は同じであって、実質的には何ら変わらない菅首相の政治だったということになる。

 いわば内閣を運営している以上、各政策に取り組んではきただろうが、実際には取り組んできたとは言えない、自分でそう思っているに過ぎない取り組みでしかなかったことになる。

 あらゆる情報やあらゆる経験を蓄積させてきたはずの野党時代の長い準備期間と副総理時代のいわゆる見習い期間とプラス政権発足から半年も経ていながら、それらを役立たせることができずに「仮免許」同然の内閣運営、政策の取り組みしかできなかった。何らリーダーシップを発揮することができなかった。

 そのような取り組み、リーダーシップ欠如からは当然のこととして国民に期待や希望を抱かせる成果さえ予感させなかったとしても不思議はない。当然の帰結とさえ言うことができる。

 だからこその内閣支持率30%前後、不支持率60%前後の菅内閣取り組みに対する評価、リーダーシップ如何に対する判断なのだろうが、実質的に取り組んだことにはならない、国民に期待や希望を抱かせる成果さえ予感させない、リーダーシップに期待できないということなら、冒頭発言以降、どう美しい言葉を尽くしたとしても、どう力強く訴えたとしても、実際のところは言葉に尤もらしく強弱の抑揚をつけて原稿を読み上げたに過ぎなかったが、結果は同じだということになる。

 「平成の開国」だ、「最小不幸社会の実現」だ、「不条理をただす政治」だと何度スローガンを掲げようが、「農林漁業の再生」だ、「開国を成長と雇用につなげる新成長戦略の実践」だ、「社会保障の充実」だ、「社会保障と税制の一体改革」だ、「熟議の国会を実現」だと言おうともである。

 さらに、「この国会では、来年度予算と関連法案を成立させ、早期のデフレ脱却により、国民の皆様に安心と活気を届けなければなりません」からと建設的な議論を求めているが、内閣支持率30%前後、不支持率60%前後からすると、60%前後の国民が菅内閣に対してノーの意思表示を示しているのである。このノーの意思表示の中には菅内閣政治運営の骨子となる来年度予算案も含まれているはずである。国民生活に直結するとしても、役に立つ形で直結するわけではないと看做しているということになる。

 いわば頭から“国民”を人質に建設的な議論を求める程の予算案ではないと国民の多くは見ていると言うこともできる。にも関わらず、菅首相は今まで言ってきたことと殆んど変わらない主張を施政演説の言葉とし、「熟議」だ、「建設的議論」だと言い立てていた。そのことにも虚しさを感じた、何ら期待を抱かせることはない一幕であった。


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