今日1月24日から始まる通常国会を政治の世界にはあってはならないドタバタ喜劇に陥れそうな予感を持たせる動きが菅改造内閣以後特に執行部の間にいくつか散見されるようになった。すべては菅首相の指導力ゼロ、無能無策に始まり、菅内閣延命を唯一絶対の目的として通常国会乗り切りを策していることから起きているはずだ。
菅首相始め、執行部が言っているように決して国民のためが目的ではない。特に予算案は国民生活に密着するから与野党協力して国会を通すべきだと言っているが、実際は菅内閣延命だけを考えた程度の低いお願いの類いの主張に過ぎない。
その動きが今日1月24日の通常国会開催前日の1月23日日曜日NHK「日曜討論」の民主党陣営の出席者安住国会対策委員長の発言に如実に現れていた。《民主 予算案修正応じる用意も》(NHK/2011年1月23日 12時0分) から見てみる。
安住民主党国会対策委員長「野党に賛同してもらわなければ、法案は1本も通らず、折り合いをつけていくことが新しい国会のあり方だ。どの程度修正するかは、予算委員会などでしっかり話し合えばいい。子ども手当法案は、6月に一括支給するとすれば、4月までにある程度形をつけなければならず、審議を急がなければならない。修正するのであれば、平成23年度予算案と並行する形で話し合う土俵を作ってもらえれば、大変ありがたい」
「折り合いをつけていくことが新しい国会のあり方だ」と尤もらしく聞こえることを言っているが、「修正するのであれば」と、国会審議入り前の与党案修正前提の与野党折り合いが「新しい国会のあり方だ」としていることにどんな意味があるのか、本人が気づいていないことは恐ろしい。
修正前提で与党案を提示するとはどのような意思を以ってして可能とすることができるのだろうか。
もし最善の案だとしているなら、修正を前提とすることはできない。
他党と比較してより優れた政策だとマニフェストに掲げ、様々な発言の機会を捉えてその優越性を国民各層に訴えて自らの存在意義を誇示したのは優秀な政策づくりの能力があることの訴えでもあり、そのことをも含めて国民の承認を得て政権を担当することになった。
にも関わらず、肝心のマニフェストの目玉とした子ども手当法案を修正します、国民生活に直結すると自ら散々に言っている、優秀な政策づくりの能力に基づいて作成したはずの予算案を修正しますでは何のために優れた政策だとマニフェストに掲げたのか、あるいは国民生活向上を目的に予算案を作成したのか、さらに政策の優越性を訴える過程で優秀な政策作りの能力があると何のために間接的に訴えたのか、最終的に国民の承認を得て政権担当与党に何のためになったのか、全ての意味を失うことになる。
修正前提で与党案を提示すること自体が既に矛盾そのものなのである。どのような感覚なのか、その矛盾に何ら気づいていない。
この安住の与党案修正前提論はたちまち野党ばかりか、連立を組む与党の国民新党からも否定される
下地幹郎国民新党国会対策委員長「自公政権のときと違う個性ある予算を作ったので、しっかり通したいが、そのためには民主党がまとまらねばならない。修正を言い出すのは早すぎで、今は自分を信じてボールをまっすぐ野党に投げなくてはならない」
「自公政権のときと違う個性ある予算を作った」は政策の点でも政策作りの能力の点でも優越性ある立場を取らなければならない与党としては当然の発言である。双方の点で野党よりも劣ると国民が判断したときは政権担当の座から降ろされることになる。
「修正を言い出すのは早すぎで、今は自分を信じてボールをまっすぐ野党に投げなくてはならない」
自らを優秀だとし、国民にその優秀さの承認を受けた政権担当与党としての矜持を示すべきだと与党の一員としてまっとうなことを言っている。
引き比べて与党の主体を築く民主党の主要な一員である安住の矜持のなさは測り知れない。
逢沢自民党国会対策委員長「財政が厳しいときにばらまきを強化しようとしている。予算関連法案は、予算案と一体だから論理的には賛成できない。予算案の修正の話し合いを拒絶するつもりはないが、政権与党が国会が始まる前に修正に言及することは、絶対の自信作でないことを明らかにしている。通常国会で政権与党を必ず解散・総選挙に追い込みたい」
「政権与党が国会が始まる前に修正に言及することは、絶対の自信作でないことを明らかにしている」
政権与党として意味を失っているとの言及であるが、修正意思は「絶対の自信作でない」からではなく、ねじれ状況の参院を通過させるための妥協が目的で、それを国会で審議する前から持ち出すから、予算案やその他の政策の優越性を疑わせることになる。結果的に政権与党が修正を目的に政権与党として最善の政策をつくった、そのために最善の知恵を絞ったということになり、滑稽な倒錯以外の何ものでもなくなる。絞った知恵自体の価値まで失わせる。
漆原公明党国会対策委員長「2年続けて国債の発行が税収より多い予算案で、子ども手当や農家への戸別所得補償などは金額を増やしている。財政規律をどう思っているのか、景気回復ができるのか、厳しく追及したい。予算案に反対である以上、予算を執行する関連法案にも慎重にならざるをえない」
山内みんなの党国会対策委員長「民主党は、マニフェストで示した政策のうち、歳出を増やす方は頑張っているが、減らす方はやっていない。予算案は、思い切った修正をするなら検討の余地はあるが、微修正なら賛成できない」
穀田共産党国会対策委員長「学生の就職内定率も過去最低で、中小企業には仕事がない。政府は、大企業を法人税減税で助ける一方で、消費税増税を庶民に押しつけようとしている。国会の中で対じしていきたい」
照屋社民党国会対策委員長「法人税は5%減税、個人所得への課税は増える、さらに計上するなといったアメリカ軍普天間基地の移設関連予算は計上した。徹底的な審議と修正協議を経たうえで対応を決めていく」
以上4氏は政権与党が予算案、その他を修正前提とする矛盾に何ら触れていない。
片山たちあがれ日本参議院幹事長「財源の多くを赤字国債と埋蔵金で賄っており、財政規律の観点からいうと今年度より後退した予算案だ。審議が始まっていない段階から修正協議に応じろと言うのもおかしい」
やはり自民党に長く在籍していたベテランだけあって、「審議が始まっていない段階から修正協議に応じろと言うのもおかしい」とその姿勢の矛盾を突いている。
本来なら国会審議・議論を通じて与野党共に自らの政策の優越性を訴える手の内をさらけ出し、その上で特に政権与党は政権担当の責任を担う立場から、相手をして自らの政策に引き込む努力を果たした上で、与野党共によりよい政策に仕上げる意思の元、お互いが認め得る修正を図るべきだが、そのようなあるべき手続きを取らずに与党案の修正を先ず最初に持ち出す。
このことはある意味政権担当の立場を捨てたことになる。
菅首相に内閣低支持率、指導力なしの批判等と合わせて、政権延命のカギとなる予算案の行方への懸念から、予算案やその他の法案の衆参通過の確約が早く欲しい焦りがあるのかもしれないが、そもそもはねじれ国会乗り切り対策として1998年の参議院の与野党ねじれ状況下で民主党その他の野党の金融再生法を与党自民党に丸呑みさせた例を挙げたことが出発点となっている修正意思なのだろう。
菅首相は参院選与党民主党敗北による参議院与野党ねじれを熟議の国会を導き出す「天の配剤」とまで言い切った。だが、熟議に持っていく前に修正を言い出す矛盾を最初から犯しているが、そのことへの言及がないのも、菅内閣の延命だけしか頭にないからだろう。延命のみに目を向けていることによって視野を狭くしているから、審議前に修正を申し出るといったことも含めて自身の矛盾に気づくところまでいかない。
大体が1998年の金融再生法野党案与党丸呑みは民主党が野党の立場として行ったことで、愚かにも与野党立場を変えていることにまで考えに入れないねじれ国会乗り切り策でしかなかった。野党案与党丸呑みをねじれ国会乗り切りの手段とするなら、与党が野党案丸呑みの力関係・メカニズムは変わらないのだから、その丸呑みをねじれ国会乗り切り策とすることによって与野党立場を変えた状況下では菅内閣は野党案を丸呑みする立場に自らを置いたことになるである。
いわば丸呑みしますよと確約したも同然のねじれ国会乗り切り策の提示だった。丸呑み意志を持ったということである。
要するに菅首相は政権与党として野党に対して優越性を属性とすべきを、その優越性を放棄することによって政権与党自体の意味を自ら失わせた。「熟議」の機会を提供するとした参院選敗北であり、「天の配剤」だとまで言っておきながら、上記安住の言葉で言うと、「新しい国会のあり方」となるが、実際は丸呑みの力学を内なる姿勢としていた。政権与党を担うことによって自身がその立場に立たされることを考えることもできずに。
もし考えることができたなら、ねじれ状況下でただでさえ野党が力を得ている関係にあって野党案与党丸呑みの情報を提供することはなかったろう。例え野党の方から気づくことがあってもである。菅首相はとてもとてもアキレスと比較できない小物ではあるが、アキレスが自分の弱点はここですよと世間に教えるようなことをした。
だが、いきなり丸呑みまでいったなら、既に政権与党としての主体性を失っているものの、それを国民に露骨にさらけ出すことになるから、修正という形式を持ち出したのだろう。修正でうまくいかなければ、菅内閣延命のために丸呑みまでいくに違いない。例え丸呑みまでいって、自らは望みも予想もしていなかったろうが、ねじれ国会乗り切り策として持ち出した最終地点の丸呑みに到達、発言との整合性を獲得できることになる。
滑稽と言えば滑稽なことだが。
結局のところ、「熟議」も「天の配剤」も体裁のいい奇麗事でしかなかった。菅内閣に残されているものは菅内閣の1日も長い延命でしかない。もしかしたら、鳩山内閣よりも1日でも長く維持することが目的となっていることさえ予想させる与党としての主体性を失った数々の動きとなっている。
内閣延命のみを図る与党としての主体性の喪失、矜持の喪失は断るまでもなく国民の意思からの離脱を示している。
国会審議前の予算案、その他の修正意志がこのことのすべてを証明している。
野党が通常国会で追及するとしている予算案と与謝野起用に対する国会攻防が見ものである。
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