高校無償化は通過儀礼としての教育空間への給付と看做して、朝鮮高校も等しくあるべき

2010-10-21 08:01:25 | Weblog

 記事の冒頭次のように書いてある。〈高校の授業料の実質無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかをめぐって、民主党の関係部会が会合を開き、判断にあたっては、個別の教育内容を基準にすべきでないとした文部科学省の有識者会議の報告内容を、おおむね了承するなどとした見解案をまとめました。〉・・・・

 《民主 朝鮮学校無償化で見解案》NHK/10月20日 15時5分)

 関係部会は昨20日(2010年10月)開催だとのこと。要するに文部科学省設置の有識者会議が既に纏めていた「朝鮮学校を無償化の対象に含めるかの判断にあたっては、個別の教育内容を基準にすべきではない」とする報告を部会が了承したということである。

 但し大部分のところで(「おおむね」)ということだから、小部分は残していることになる。その小部分とは、朝鮮学校の反日的な教育内容の点と無償化の資金が生徒個人ではなく学校に渡る点だとしていて、文部科学省に対してこうした点にも配慮するよう求めたという。

 このおおむねの了承は「生徒ひとりひとりの学びを支援するという民主党のマニフェストの理念」を基準に判断、有識者会議の報告がこの理念に即しているとして部会として容認したものだとしている。

 記事は最後に、〈民主党は21日の政策調査会の拡大役員会でこの見解案を了承する見通しで、これを受けて文部科学省は今後、朝鮮学校を無償化の対象に含める方向で検討を加速するものとみられます。〉と解説、朝鮮学校無償化に向けて進展することを伝えている。

 《高校無償化基準を了承、朝鮮学校も対象 民主部門会議》asahi.com/2010年10月20日)はいくつかの点で上記「NHK」記事を補強する内容を示している。

 〈文部科学省の専門家会議が示した「教科書の記述などの具体的な教育内容は問わず、授業時数や教員数といった外形的な項目で判断する」との適用基準を了承した。基準をあてはめると、全国の朝鮮高級学校10校(休校を除く)は無償化の対象となる。 〉としている。

 「NHK」記事が「関係部会」と書いてあるのは、教育問題を担当する文部科学部門と拉致問題を担当する内閣部門の合同会議のことだそうで、拉致問題担当が加わったのは拉致を正当化し、金日成・金正日を礼賛する教育が行われているとされていることと経済制裁関連からの参加なのだろうか。但し、そのことを踏まえてもなお、〈「国から支給される助成金が授業料軽減に使われることを担保すべきだ」「教育内容を問うべきだ」との声が出たことも付け加えたが、基準の変更は求めていない。〉と「NHK」記事が言う「おおむね了承」となっている。

 判断基準としている「外形的項目」とは――、

▽修業年限3年以上
▽授業時数が年800時間以上
▽体育や芸術などの授業も開設
▽教員は教職に関する専門的教育を受けている――こととしていて、具体的な教育内容に関しては「既に適用されている他の外国人学校では判断基準にしていない」ことに準じた不問だとしている。

 さらに、〈同会議は基準以外に「助成金が授業料減額以外に使われるおそれがある」との批判を意識し、文科省が毎年財務書類をチェックする規定や、3年ごとに検証して基準を満たさない場合は適用を取り消す規定をつくるよう提言。同省が検討している。〉と伝えている。

 高校無償化は今年4月から開始しているものの、朝鮮学校が適用外となっていたことについて記事はのちに金賢姫遊覧ヘリコプターで有名になった中井洽・拉致担当相(当時)等が反対、文科省が一旦適用を先送りし、5月に専門家会議を設けて議論してきて今回の経緯となったということを紹介している。

 中井洽の反対については以前ブログに取り上げた。

 中井(今年2月26日の発言)「拉致問題に絡んで制裁措置をしている国の国民だからこれはどうなんだろうと、昨年12月に川端達夫文部科学相に強く申し上げた」

 いくら偏向教育を受けていたとしても、同じ国民であることを以って、北朝鮮の体制の道義を朝鮮高校生の道義とイコールの扱いをしている。

 これも前のブログに取り上げたが、今年(2010年)8月4日の参議院予算委員会で自民党の山本一太が当時の川端文科相に例の如くの執拗さで反対論を繰り広げた。その一つ。

 山本一太「私は別に朝鮮高校で学んでいる高校生の方々、勿論彼らに何の罪もありません。彼らを排除するって言ってるんじゃないんです。・・・・北朝鮮は日本の外交安全保障にとって最大の脅威なんです。200あるか300あるか分かりませんけれども、日本全土を射程に収めるノドンミサイルが配備されている。核実験を2回強行している。しかも拉致も彼らがやってるんです。独裁国家なんです。その、あの、独裁者を礼賛する教科書を使っている高校に何で国民の血税を入れなきゃいけないのか」

 朝鮮学校の生徒に「何の罪もない」と言いながら、北朝鮮国家の非道に対する懲罰を「何の罪もない」北朝鮮高校生に着せようとしていると書いた。

 中井と同じ文脈の批判であろう。

 今回の関係部会の了承に民主党内からでは柳田法相が8日、関係部会の開催に前以ての牽制なのか、反対の声を上げている。《高校無償化:朝鮮学校無償化、柳田法相も反対》毎日jp/2010年10月9日)

 柳田「(中井洽前拉致問題担当相の方針は)その通りと私も思う」

 柳田「「税金が必ず教育に使われるかはっきりさせてほしい。教科書も訂正してもらわないといけない」

 柳田法相は拉致問題も担当している。拉致被害者家族自体が朝鮮学校無償化に当初から反対していることに合わせた、あるいは家族会の意を受けた反対姿勢なのか、自身の判断からの反対姿勢なのかは分からない。前者なら家族会の利害を代弁する立場を取っていることになり、後者なら、利害の一致と利害代弁を兼ねた発言となる。

 自民党では山本一太が反対の姿勢を変えるべくもないが、石破政調会長が20日の記者会見で反対意見を述べている。《朝鮮学校無償化を批判 石破氏》MSN産経/2010.10.20 19:24)

 石破「日本にいて果たすべきいろいろな責任を教えない教育に日本国民の税金を充てることは、国家のあり方として正しいとは思わない」

 インターネット上には、金一族礼賛の教育、崇拝の教育が行われている、反日教育が行われている、拉致を否定する教育が行われていると朝鮮学校無償化に反対する発言が飛び交っている。

 幼保、小学校、中学校、高等学校、大学等のそれぞれの教育段階は社会に向かうための通過儀礼(イニシエーション)として存在する教育空間とも言える。例え朝鮮学校で反日教育や金一族崇拝教育、あるいは礼賛教育、拉致否定教育といった偏向教育が行われていたとしても、日本社会に向かう通過儀礼(イニシエーション)としてある教育空間であることに変わりはなく、その通過儀礼が例え歪んだ通過儀礼、偏向した通過儀礼であったとしても、ゆくゆくは彼らをも日本社会に同じ社会の一員として迎えなければならない以上、その通過儀礼に同じ条件の無償化を与えて社会に迎えるだけの度量を持ち、そのような度量で以って、彼らが常識としている認識を日本人が常識としている認識で以って影響していく、あるいは中和していく社会への受入れ、人間関係の構築を選択すべきではないだろうか。

 勿論対立したままの状態が続く多くのケースが残るかもしれない。しかし同じ日本人同士の間でも、「いろいろな責任を教え」る教育を受けていながら、極端な考えを持ち、社会の常識から離れて対立した考えを押し通す日本人も多く存在する。何も在日朝鮮人だけを対象とする問題ではない。

 また反日教育や金一族崇拝教育、あるいは礼賛教育、拉致否定教育が行われていると言っても、すべての授業がそのような歪んだ偏向教育によって成り立っているわけではないだろうから、他の授業との間で認識の相対化を受け、偏向からの中和作業を意識しないまま行い、精神の糧とする生徒の存在も否定できないはずだ。

 さらに言うと、朝鮮学校社会は日本社会の下位社会の一つで、生徒は日本社会に囲まれた社会で生活している。朝鮮学校のみを自らの生存社会としているわけではない。我々も経験しているように一部のクソ真面目な生徒、ガリ勉一辺倒の生徒を除いて成長と共に学校社会の影響に劣らない一般社会の影響を受ける。

 いわばいくら朝鮮学校で日本社会から見た場合偏向教育が行われていたとしても、日本社会の知識・情報をテレビやマンガ、映画、雑誌や書物等の知識・情報に触れているだろうから、既にそこで彼らが朝鮮学校で受ける偏向した知識・情報との間で相対化の中和作用が彼らの意識の中で刻々と行われていない生徒は一人として存在しないと誰も否定できないはずだ。

 いや百歩譲って日本社会の知識・情報との相対化の中和作用を一切受けずに朝鮮学校社会の偏向教育の影響のみで彼らの知識・情報(=認識能力)が成り立ち、彼らがそのような偏向した知識・情報で自らの存在を立脚させていたとしても、朝鮮学校社会が日本社会の下位社会の一つなのだから、それが特殊な形式ではあっても、既に彼らを日本社会の一員として受け入れていたのだが、そのような朝鮮学校社会から離れて、卒業という形か大学進学を経た形か、日本社会に出て上位社会の一員となったとき、日本人はそれを拒むことはできない。日本社会の一員として迎え、彼らは日本人と同様に日本社会の一員となる。

 彼らと上位社会の内側に抱えた基本的には対等の人間関係を築くこととなり、そこでも彼らに対して日本人が発する知識・情報との何らかの相対化の中和作用が行われるはずで、そのとき、高校無償化の対象から排除されていた場合、その恨みが、あるいはその拘りが日本人が彼らに向けた知識・情報の相対化の中和作用を妨げる障害とならない保証はない。

 逆に高校無償化の朝鮮高校対象化が知識・情報に関わる相対化の中和作用の助けとなることも考えることができる。

 少なくとも日本側が発する知識・情報との相対化の中和作用を容易にする土壌を日本人の側から設けていたなら、例え知識・情報の対立が続いた状態にあったとしても、極端な地平から穏便な地平まで様々な姿を取るだろうが、全般的に見て、決して極端な地平一辺倒とならないはずだ。

 だが、高校無償化の対象から外したとき、その逆は起こり得る危険性は高くなる。

 様々な矛盾や対立が起きたとしても、それは日本人同士の間でも起こることで、彼らを日本社会に受け入れなければならない以上、受け入れるについては同じ条件を課すべきではないだろうか。

コメント (2)
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