10月1日午後の「MSN産経」のインタビューでの発言。《【菅改造内閣 閣僚に聞く】蓮舫行政刷新担当相 尖閣事件の対応「ベストだった」》(2010.10.2 09:17)(尖閣発言のみ抜粋。)
【尖閣諸島事件の対応】
蓮舫「内閣の一員として、今回の対応策はベストだったと思っているが、より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ。外交問題はどのような結果を出しても、いろいろな意見がある。それぞれの立場からそれぞれの国民の声があると思うが、司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」――
9月30日実施の産経新聞社とFNN合同世論調査の公表は10月1日だから、蓮舫は菅内閣の対応を国民の70・5%が「不適切」、中国人船長の釈放にしても77・6%が「不適切」、菅首相を始め内閣の面々が口を揃えて「政治的介入はなかった」としている説明に対して84・5%が「政府の関与があった」と見ている等々の調査結果を知っていたはずである。
知らなかったとしたら、首相のリーダーシップは国民の信頼獲得に欠かせない重要な要素であり、国民の信頼は内閣支持率に反映される関係からして(実際に上記世論調査では9月18、19日前回調査64・2%から-15・7ポイントの48・5%と下げている。)、首相のリーダーシップが機能しているか、国民の信頼を獲得するに十分な機能を果たすリーダーシップとなり得ているかどうかを知るバロメーターとして情報収集して分析することに怠慢と言わざるを得ない。
少なくとも産経新聞社・FNN合同世論調査に於ける尖閣諸島事件に関する世論は菅首相のリーダーシップに失格点を与えている。蓮舫はこのことを前提の主張でなければ、単なる身贔屓の浅はかな強弁と看做される。
産経新聞社・FNN合同世論調査に於ける世論が菅内閣の対応をすべて「不適切」としている以上、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」を最初に持ってこなければならない。だが、「内閣の一員として、今回の対応策はベストだったと思っている」を最初に持ってきている。
「いろいろな意見がある」、あるいは「それぞれの国民の声がある」は一見、国民の意見・声を尊重しているかのような印象を与えるが、「内閣の一員として」と断ったのは、「外交問題はどのような結果を出しても、いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」と一方に「国民の声」を置いて、その対極に「内閣の一員」である蓮舫自身を置き、「今回の対応策はベスト」だとすることで実質的には「国民の声」、「意見」を否定することを目的としていたからだろう。
否定することによって、「司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」と菅内閣の正当化、あるいは菅内閣の絶対化を図る結論を導くことが可能となる。
この菅内閣の正当化、あるいは絶対化は蓮舫自身の判断の正当化、あるいは絶対化でもある。自己の判断に過ちはないとする無誤謬性が仕向けている自己判断の正当化、絶対化であろう。このことは蓮舫自身の自信たっぷりな話し方、攻撃的な議論術に現れている。
また、「いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」は賛成もあれば反対もあるという意味を含んだ世論の相対化でもあり、絶対ではないとする相対化の中にも、巧妙な世論の否定を含ませている。
だが、ここに矛盾がある。「司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」と断言するなら、他のやり方はなかったとしていることになるのだから、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」はウソになる。また、「今回のやり方しかなかった」と言うなら、「いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」にしても世論の否定であるばかりか、「今回の対応策はベスト」だとする主張を導き出すためのもっともらしげな体裁に過ぎないことになる。
国民の意見・声を尊重しているかのような印象を与えながら、実際には尊重どころか否定する態度、菅内閣の対応を「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と自己の判断を一方的、無条件に正当化、あるいは絶対化し、自分に過ちはないとする無誤謬性、無誤謬性からくる自信過剰は一方に危険を抱える。判断は柔軟、且つ強固な合理性を備えていなければならないが、このような性格を失って自己判断の一方的、無条件な正当化、あるいは絶対化を押し通そうとすると、否応もなしに独断の方向に走りかねないからだ。最悪、独裁の傾向を帯びることにもなる。
毎日新聞が10月2、3の両日に行った全国世論調査によると、
中国人船長の釈放を「検察の判断」とする政府の説明に対し、「納得できない」――87%
「政府が政治判断を示すべきだった」――80%
中国人船長逮捕、「適切だった」――83%
中国人船長釈放、「適切ではなかった」――74%
菅内閣の支持率――49%(前回調査64%)
となっている。(《世論調査:内閣支持急落49% 中国漁船衝突対応に批判》毎日jp/2010年10月3日 22時22分)
同じく読売新聞が10月1~3日に実施した全国世論調査((《内閣支持下落53%、船長釈放「不適切」7割》YOMIURI ONLINE/2010年10月3日21時58分)では――
中国人釈放、「適切ではなかった」――72%
理由 「日本は圧力をかけると譲歩するという印象を与えるから」――41%
「適切だった」 ――19%
理由「日中関係の悪化を避けるべきだから」――45%
「政治介入はなかった」の説明
「納得できない」――83%
対中感情
中国を「信頼していない」――84%
「民主党政権の外交・安全保障政策に不安を感じる」――84%
菅内閣支持率、「支持する」――53%(前回9月17~18日調査66%)
尖閣問題で国民がどう見ているか、一般的な見方となっている反応であって、決して「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と見ているわけではない。
だが、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」と言いつつ、「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と断定し、他のやり方はなかったとしている。これは国民の一般的な判断の否定を超えて自己の判断の一方的、無条件な正当化、あるいは絶対化が傲慢な境地にまで至っている兆候と言えないだろうか。
自信を持つのはいいが、国民から負託を受けた地位に存在する以上、国民の判断を一方的に否定する傲慢さは許されない。
勿論、菅首相にしても今回の不適切な対応の修正の機会はある。だが、菅首相のリーダーシップ、仙谷官房長官や前原外相に動かされる確固たる主体性の欠如が修正の機会を生かし切れないだろうとしか思えない。首相自身の能力だけが問題ではなく、蓮舫のように傲慢な身贔屓で首相を守ろうとする人間が内閣の重要な位置を占めている限り、欠点を隠すには都合がよくても、欠点を修正する方向への力とはなり得ないことを考えると、やはりよりよい方向に進む期待は持てない。