仙谷官房長官の参議院予算委員会答弁に見る日本国民“愚民論”

2010-10-16 08:50:34 | Weblog

 10月15日参議院予算委員会、みんなの党の小野次郎議員が仙谷官房長官に対する質問を行った。

 小野議員「仙谷官房長官、先日亡くなられた大沢監督、大沢親分、言わせれば、仙谷官房長官、あなたは“喝ッ”ですよ。私はそう思います。

 おとといの官房長官の記者会見、そして昨日の予算委員会の遣り取り、自分を小村寿太郎外務大臣になぞらえていますね。私はおこがましいと思いますよ。命を賭けて国益を守った、小林寿太郎氏と、あなたは似ても似つかないじゃないですか。民主党代表選にまだ早いですよ。

 民主党代表選にみな現(うつつ)を抜かして、中国に付け込む隙を与えてしまった。それは民主党政権でございませんか。あなたは内閣全体を考えなければならない重責にありながら、あたふたと対応してしまった。違いますか。中国に対する柳腰外交、今後も忍従、弱腰の対応を続けるつもりですか。もしご感想があればお伺いいたします」

 仙谷官房長官「えー、今日も某新聞が先生がおっしゃられた論理を、お書きになっておられたわけでありますが、私は日本の大政治家小村寿太郎に私をなぞらえたり、決していたしておりません。それほど自惚れているわけではありません。

 ただ、外交への評価というのは(一語一語ゆっくりと強い口調で話す)、松岡洋祐が、国際連盟を脱退して帰ってきたときに、日本国民の殆んどが、歓呼の声を以って迎えた。小村寿太郎が、ポーツマス条約を、締結して帰ってきたときには、焼き打ちに遭ったという、この二つの日本の歴史は、これを教訓として、とりわけ政治家はこの二つのことは、拳々服膺して(常に心中に銘記し、忘れないこと)、自らの言動を、相対的に、いつも客観的に点検しながら、そのときの国民が、大いに喜んでいただける、大いに歓呼の声を与えてくれる、そういうとき程、自戒をして、行わなければならないと、いうことを思っているわけであります。

 (一段と大きな声で)そこで、今回のことについては、世論調査の結果もそうでありますし、みなさん方も、かなり多くの方がよわ、弱腰だ何だ、もっと中国と、強く闘えという、ある種のナショナリックな、雰囲気が多いわけでありますけれども、政治家はそのことをじっくりと考えて、自ら判断しなければいけない。

 そういう例として、ポーツマス条約のときのことと、満州事変後、満州建国をして、国際連盟を脱退したこの二つのことを、記者のみなさん方に、掲げて、お話をしているだけの話であります」

 小野議員「あなたね、歴史の授業を改めて受ける必要ないんですよ。自戒の言葉だってご自分でおっしゃったんじゃないですか。自戒の言葉は自分で呑み込んで、自分の戒めとするんじゃないですか。それを記者会見で、また予算委員会で繰返し、自分と小村寿太郎と対比して言ってるじゃないですか。どこが似てるんですか、あなたと。

 まあ、あの、とりあえず別の質問に移りますが、また戻ります」――

 この原稿を書きながら保存動画から後続の質疑を聞いていた範囲では最後まで小村寿太郎になぞらえたことの追及には戻らなかったようだ。

 仙谷官房長官が言わんとしたことは、政府の対応に対する評価は過去の例にもあるとおりにその場の判断のみで短絡的に決めると過つ場合が往々にして起こる。野党の政府批判も国民の世論調査にしても、その場判断とならずに長期的視野に立った判断を心がけなければならないとの訴えであろう。

 要するに野党の政府批判も世論調査の結果もその場判断、短期的視野に立った判断に過ぎない。長い目で見たなら、菅内閣の外交にしても内政にしても必ず評価されると都合のいいことを言っているに過ぎないが、このことは野党の政府批判を否定するのはともかく、ポーツマス条約と国際連盟脱退時の国民の対応を例に挙げた世論調査否定となっている。果して仙谷官房長官のこの否定は正しい判断なのだろうか。

 私の無学を以てしても、ポーツマス条約と国際連盟脱退時の日本社会が天皇を絶対君主とした言論統制社会であったことぐらいは知っている。天皇を批判すると不敬罪で罰せられる例一つとっても分かるように国民自身が発する情報も統制され、外から知らされる情報も統制され、体制側に都合のいい情報だけを知らされる情報操作、その逆の都合の悪い情報は知らされない情報隠蔽を受けていた。

 要するに政治の事実、国家の事実、社会の事実、さらに世界の事実を学ぶことのできない情報に関わる座敷牢状態に国民は置かれていた。そして戦後、国民はそのような情報の座敷牢から解放され、時の経過と共に様々な情報媒体の発達によって、政治の事実、国家の事実、社会の事実、世界の事実をそれぞれに自由に学ぶ機会を得ることができるようになった。学び方によっては無制限に近い学ぶ機会を獲得できる。

 こういった自由な情報世界に住むことによって、国民は国家や政治について、社会について、世界について多くを学んでいるはずだ。幼保から小学校、大学までの教育機関も情報授受の場であり、成長過程で多くの情報を学ぶ機会を与えれらて成長を果たしていく。 

 仙谷官房長官は中国船衝突事件での中国人船長の釈放をアメリカ政府も評価している、アメリカの各新聞も評価しているとして、評価しない野党の批判と同じく政府の失態だとしている世論調査を否定しているが、消費税発言以降、菅首相の指導力に対する国民の評価は下降曲線を取り、衝突事件が起こる前は10%に満たない指導力否定評価となっていた。中国船衝突事件と船長釈放等々の政府の対応に対して国民の前々からの指導力否定評価が呼応した側面もある中国漁船衝突事件と対中外交に関わる現在の世論調査結果でもあるはずである。

 一度指導力がないと看做されれば、その色眼鏡で何事も評価されることになるのは当然の趨勢であろう。

 不都合は殆んどない世論であるにも関わらず、仙谷官房長官は菅首相に対する前々からの否定的評価に発した現在の世論という経緯を否定しているばかりか、現在の国民が戦前の国民と比較にならない程に情報的成長を果たし、情報未成長のかつての国民とは姿を違えているにも関わらず、同じ成長状態に置いて国民を判断する基準としている。

 この仙谷官房長官の国民を見る目、対国民視野は現在の情報成長した国民を愚弄する“愚民論”に当たるはずである。

 だが、小野次郎議員はそうは受け止めずに仙谷官房長官が自身を小村寿太郎になぞらえているとのみ把えて批判している。

 「Wikipedia」で小村寿太郎の日露戦争ポーツマス条約締結による焼き打ち事件と松岡洋右の国際連盟脱退による歓呼の歓迎を調べてみた。概略を記す。

 【日比谷焼き打ち事件】(1905年9月5日)

 1905年のポーツマス条約によってロシアは北緯50度以南の樺太島の割譲および租借地遼東半島の日本への移譲を認め、実質的に日露戦争は日本の勝利で終わる。

 日本国民は情報統制により連戦連勝報道がなされていたが、戦費を賄うために多額の増税・国債の増発もなされていた(戦費17億円は国家予算6年分。外債8億、9億内債・増税)。国民の多くは内情を知らされておらずロシアから多額の賠償金を取ることができると信じていたが、ロシアは日露戦争の戦場は全て満州(中国東北部)南部と朝鮮半島北部であり、ロシアの領内はまったく日本に攻撃されていないという理由から強硬姿勢を貫き、賠償金の支払いについては拒否。日本は戦争を継続する余力を残していなかったために妥協。

 日本側は賠償金50億円、遼東半島の権利と旅順-ハルピン間の鉄道権利の譲渡、樺太全土の譲渡などを望んでいたことから、締結内容に国民は不満を高めた。朝日新聞(9月1日付)が、「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」と報道した事実を記しているが、このような激しい論調が国民の不満を高める役目を果たしたに違いない。

 一部右翼活動家の中にはイルクーツク地方以東のロシア帝国領土割譲がされると国民を扇動する者までいたということも、煽った国民の期待を不平不満、怒りに突き落とす役目を果たしただろう。

 〈長きにわたる戦争で戦費による増税に苦しんできた国民にとって、賠償金が取れなかった講和条約に対する不満が高まった。このため、9月3日に大阪市公会堂をはじめとする全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのである。その内容は、「閣僚と元老を全て処分し、講和条約を破棄してロシアとの戦争継続を求める」という過激なものであった。〉――

 国民の「戦争継続を求める」は戦争継続の余力を失っていた日本政府にとって、どう逆立ちしても受け入れることができなかった条件であったろう。戦争継続のカードを手に入れることができなかった国民の不満の爆発が焼き打ちとなって現れた。

 それもこれも「情報統制」に縛られ、国の事実、戦争の事実、いわばそれぞれの実情を知らされなかったばかりか、連戦連勝の都合のいい情報の捏造という事実・実情のみを知らされたことが原因した国民による暴走だったはずである

 国際連盟脱退(1933(昭和8)年)に関しては、「Wikipedia」は次のような一文の載せている。

 〈3月8日に日本政府は脱退を決定(同27日連盟に通告)することになる。翌日の新聞には『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』の文字が一面に大きく掲載された。「英雄」として迎えられた帰国後のインタビューでは「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」、「いまこそ日本精神の発揚が必要」と答えている。42対1は当時流行語になり語呂合わせで「向こうは死に体でこっちは1番なんだ。」等と一部で評された。〉
 
 新聞が書いた、『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』の記事題名は言論統制下にあった新聞が政府の意向を汲み、あるいは指示を受けて、日本の勇ましい姿だけの情報を流し、国民の士気を高めた様子を間接的に伝えている。

 そのような情報統制、情報操作を受けた、仙谷の言う「歓呼の声を以って迎えた」であったはずだ。

 過去・現在の国民の姿の違い、国民が置かれていた事実・実情の違い等々の内実を隠して、国の制約、情報の制約を受けたかつての国民の姿をモノサシに開かれた情報下にある(と言っても、政府は都合の悪い情報をときには隠すが)現在の国民の政治に対する考え、評価を否定的に取り扱う思い上がりとも言える言動、“愚民論”とも看做し得る言動を何の疑いもなしに展開する。

 所詮仙谷官房長官の僭越な“愚民論”は現在の日本国民を愚かだとすることによって、その世論調査を否定し、否定することで菅首相の指導力のなさを擁護する唯一残された切り札に過ぎない。実際の政治で菅首相自身が自らの指導力を証明することができないからだ。

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