民主党・枝野の「中国は悪しき隣人」説は日本政治の無能を中国に責任転嫁する責任逃れ

2010-10-03 09:48:12 | Weblog

 民主党の枝野幸男幹事長代理が昨10月2日、さいたま市で講演、尖閣沖での中国漁船衝突事件についてご高説を宣(のたま)わったそうだ。《民主・枝野氏「中国事業、リスク含め自己責任で」》日本経済新聞電子版/2010/10/2 19:13)

 対中国観――

 枝野「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ。中国は悪しき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制が違う」

 枝野「政治的システムや、法治主義、人権に対する考え方を見ると、日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている。法治主義が通らない国だという大前提でお付き合いしないといけない」

 枝野「中国に進出する企業、取引をする企業はカントリーリスクを含め自己責任でやってもらわないと困る」

 ではなぜフジタ日本人社員4人拘束事件で外務省や駐中(チュウチュウとは言いにくい。一般的には中国駐在と言っているのだろうか)日本大使等を通じて逮捕理由の説明や早期釈放、面会等を求めたのだろうか。「自己責任でやって」くれと突き放すを政府の原則とする言っていながら。

 また、国・政府が「国民の生命・財産を守る」は日本国内活動の日本国民を限定とし、外国活動の日本国民は除外することを原則とすることになる。民主党政権は今度から、「国民の生命・財産を守る」と言うとき、「日本国内活動の日本人に限りますよ。外国に進出して外国で活動する日本国民の生命・財産までは守れませんから、自己責任でやってもらわないと困る」と言うべきだろう。特に枝野には先頭に立って大声で言ってもらわないと困る。

 枝野「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけないし、顔を見たら挨拶ぐらいはしないといけない。・・・・日本と同じ方向を向いたパートナーとなり得るモンゴルやベトナムとの関係をより強めるべきだ」   

 「日本と政治体制が違う」とは分かりきったことを言っている。共産党一党独裁体制を取り、中国国民の基本的人権、特に共産党批判・政権批判の言論に対しては言論の自由を認めず、出版禁止、身柄収監等の厳しい統制を行い、対外的にはスーダンの民族紛争や人権抑圧に対する制裁決議案にしても、2001年のミャンマーの政治弾圧や人権侵害に対する非難決議案にも中国は西欧民主国家の人権意識に反して拒否権を発動しているし、2007年9月の仏教僧を中心とした大規模な反政府デモに対するミャンマー軍を動員した暴力的弾圧を非難する西欧諸国に対して中国は内政干渉を理由に安保理では拒否権発動を見せ、決議案から強制力を伴わない議長声明案に後退させることを余儀なくさせた上、文言を「 非難」から「強い遺憾」に和らげる内容で採択するに至っているし、北朝鮮の2006年と2009年の核実験に対しては制裁決議を採択できたものの、2010年7月10日の北朝鮮による韓国哨戒艇魚雷攻撃による沈没事件では日本が韓国と共に望んだ法的拘束力を持った安保理決議による北朝鮮制裁に関しても中国は同様の当該国擁護の態度を取り、法的拘束力を持たない議長声明案で結末を迎えている。

 こういった一連の中国の態度を見ていて、中国という国は「法治主義が通らない国」だと日本は十二分に承知していたはずである。だが、そういった「法治主義が通らない国」である中国と付き合ってきた。2004年に日本の対中貿易総額は対米総額を抜き、最大の貿易相手国となっているし、2009年には対中輸出総額が対米を抜き、中国は日本にとっての輸出入共に最大の貿易相手国となっている。経済的関係に於いては「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」中国とこれ程までに深い付き合いを持ってきた。

 その理由は中国なくして日本の経済は成り立たない場所に立たされているからであり、この事実に尽きるはずである。リーマンショックに端を発した「100年に一度の金融危機」からの回復の足がかりにしても中国のお陰があった。

 勿論中国も日本を経済的に必要な存在としている相互関係にあるが、経済的利害が「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」であっても、そのような非共通の価値観を無視、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」背に腹は代えられない態度を日本に取らせている。

 いわば「法治主義が通らない国」とか、「悪しき隣人」だとか、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」だとか、「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ」とか、「日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている」とか、偉そうなことを言える立場にはないということである。

 社長がいくら気に入らない人間であっても、退職して他の会社に勤める甲斐性もないままに給料を得て、それで生活をしているなら、我慢してその会社にしがみついていなければならない。

 今回の中国漁船の巡視船衝突事件が発端の中国の対日圧力は「尖閣諸島は我が国固有の領土」だということを具体的、実質的に示す行動をしてこなかったことがそもそもの原因となっているはずだ。漁船に領海侵犯を受けても、常に曖昧な態度に終始してきた。領海侵犯漁船に対して、「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」(鈴木久泰海上保安庁長官)とすることを“我が国固有の領土”活動としてきた。

 政府の下位行政機関である海上保安庁が単独で“我が国固有の領土”活動に反する職務を遂行できるわけがないから、政府がこのことを方針としていて、この方針を受けた海上保安庁の「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした“我が国固有の領土”活動であったはずだ。

 中国と台湾が領有権を主張し出したのは、「Wikipedia」によると、1971年に地下資源埋蔵の可能性が確認されてからだということだが、それからほぼ30年経過している。30年前から、「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を厳格に示威する“我が国固有の領土”活動を行い、“我が国固有の領土”であることの既成事実を厳格に積み上げてきたなら、今回の事態はなかったはずである。

 その理由は、1971年は台湾が国連から追放され、中国が代って国連に加盟した年であり、ニクソンが中国訪問を予告して、実際に中国を訪問した1972年の前年に当たり、まだ毛沢東の時代だった。軍事的にも政治的にも経済的にも強国の地位を占めていなかった中国であり、少なくとも中国以上に日本が経済的、軍事的には強国の地位を占めていたはずだからだ。

 その当時は厳格な“我が国固有の領土”活動を示威していたと言うなら、そのような示威活動を固守せずに、いつ頃から「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした当たり障りのない“我が国固有の領土”活動となったのだろうか。

 いつ頃から満足な“我が国固有の領土”活動もできない程に日本の政治は無能状態に陥ったのだろうか。

 いわば「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした当たり障りのない“我が国固有の領土”活動イコール日本の政治の無能が中国に今回のような付け入る隙を与えたとも言える。

 民主党が政権交代するまで戦後ほぼ一貫して自民党が政権を担ってきた。「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした“我が国固有の領土”活動イコール日本の政治の無能が自民党政権が打ち立てた情けない有様であったとしても、政権交代した民主党政権にしてもそれを改めもせずに引き継いだ政治の無能が問われることとなり、その責任から免れることはできないはずである。

 自民党政権、民主党政権に共々にある政治の無能であり、共同責任でありながら、その責任意識がないばかりか、中国なくして日本の経済が成り立たない日本の現実を無視して、枝野は「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」、「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ」、「日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている」と前々から分かっている事実でしかない中国像を並べ立てて中国を悪しざまに非難するだけで済ましている。

 この一点に於いて、“我が国固有の領土”活動を満足にしてこなかった日本の政治の無能の責任を中国に転嫁する枝野の責任逃れと言わざるを得ない。

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