菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(1)

2010-10-15 15:05:11 | Weblog

 さき10月14日の参議院予算委員会の質疑。自民党の山本一太議員が菅首相に本年度ノーベル賞平和賞受賞の中国人人権活動家で中国当局に拘束中の劉暁波氏の釈放を中国政府に求めるべきだと迫った。菅首相は勿論、快く応じた――といった急展開はなく、元市民活動家を名乗るだけのことはある事勿れな対応を見せた。答弁に対するちょっとした感想は「※」付きで述べてみた。

 山本一太「先般、中国では服役中の民主活動家劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞されました。先ずこれについての総理の見解をお伺いします」

 菅首相「ノーベル賞受賞があったと、私がコメントを求めれた、あー(喉が小さくゴロゴロと鳴る。)、ところ、で、ありました。まあ、あたしは、えー・・・(喉を鳴らす)、えー、これ、ノルウェー、えー、の、ノー・・・ベル賞の、委員会が、あー、普遍的な価値である、人権というものを、おー・・・(喉を鳴らす)、考え、て、えー・・・、えー・・・、受賞を、おー・・・、いわゆるノーベル賞の受賞を、決められたものだろうと、ま、こういうふうに申し上げました。

 えー・・・、まさに人権の問題は、あー・・・(喉鳴り)、国境を超えての、おー・・・(喉鳴り)、人類、共通の課題でありますので、私は、あー・・・(喉鳴り)喜ばしいことだと、このように、受け止めております」

 山本一太「あの、ちょっと総理、奥歯にはさ、物が挟まったような、非常に歯切れの悪いご答弁だと思いますけど、もうちょっと、もうちょっと踏み込んだお話をいただけないものでしょうか」

 ※奥歯に挟まったものの言い方というよりも、普段頭に押さえていない不慣れな考えだから、つっかえつっかえとなるのだろう。「20年間の日本の閉塞状態を打ち破るには――」といった自身が常にスローガンとしている主張は滔々と声を張り上げて淀みなく述べることができるのだから、その逆の頭にないことの意見表明ということなのだろう。

 菅首相「まあ、劉暁波氏の、おー・・・(喉鳴らし)、中に人間、あるいは国際的な活動について、私自身、そう詳しく、それ以前知っていた、わけではありません。シー、えー・・・(喉慣らし)、しかし、えー・・・、ノーベル賞、の、委員会が、そういう活動を、ヲー・・・(喉慣らし)、評価して、えー・・・、こういうノーベル賞を、おー、受賞を決められたわけです。シー、ま、このことは、ま、どこまで踏み込んでということになるか分かりませんが、ま、ある意味で、国際社会に対してと同時に、ま、中国自身に対してもですね、えー、人権に問題についての、もっと、おー・・・(喉鳴らし)、そういうものを、おー・・・、しっかりと尊重するようにという、まあ、ある意味での、おー・・・、そういう、うー・・・、意思というか、そういうものを伝えられたんだと思っています。

 シー、私も、その、おー・・・(喉鳴らし)、意味は、えー・・・、そういう、うー・・・、立場で、えー・・・、その問題についても、おー・・・、受け止め、場合によっては、あー・・・、必要なことがあれば、対応していきたいと、そう思っています」

 山本一太「今のは総理、従来よりは一歩踏み込んだご答弁だったと思います。やっぱり中国についても、人権問題についてはしっかり慎重、人権問題については尊重していくべきだと、そういう国際的な意志が示されたと、総理がおっしゃいましたので、これは以前よりも踏み込んだ答弁だと思いますが、総理、ご存知のようにアメリカのブッ、あのー、オバマ大統領は、中国政府に対してこの劉暁波氏の釈放を求めています。

 そして総理、これもご存知だと思いますが、EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども、日本政府として今後、この劉氏の釈放を求めると。こういうことをおっしゃる、ヨ、予定は、あるんでしょうか」

 菅首相「まあ、ノーベル賞受賞ということで、エー・・・(喉鳴らし)、まあ、その受賞、に、ご本人が出席を、おー、できる状況になるのか、あるいは、あ、奥さんや、家族は代って授賞式に出られることになるのか、ま、国際社会としても、ま、私としても、ま、注目をいたしております。ま、私もですね、エー・・・(喉鳴らし)、中国に於いて、普遍的な価値ある人権と、基本的自由が、保障されることが、重要だと、このように考えております」

 ※質問の趣旨に直接答えていないところに逃げている印象を与える。

 また、菅首相がよく使う、「まあ」とか「ま」と言う副詞は、積極性とは反対の消極的意思を表す一種の“逃げ”を表す言葉ともなっているはずだ。「まあ、行ってみる」と「行ってみる」とでは積極性に差がある。「ま、試してみる」と「試してみる」でも同じ。「まあ、ノーベル賞受賞ということで」と言っていることは、積極的関心を持った「受賞」ではないという、所極性への逃げた気持が現れた、「まあ」であろう。

 多分、人権問題となると、中国に対して何らかの意思表示を示さなければならない西欧民主国家の価値観を負う者としての菅首相の義務感からすると、厄介な障壁と化しているに違いない。


 山本一太「あの、私がお聞きしたのは、日本政府として劉氏の釈放を求めていくと、そういうステートメントを出されていくつもりがあるのかどうかっていうことなんですよ。お答えください」

 菅首相「まあ、どういう形での、どういう・・・・、表現をするかということは、あー・・・、考える・・・、必要があると思いますが、釈放されるのが望ましいと、このように思っております」

 山本一太「今の、釈放されるのが望ましいというのも、これは総理の新しい答弁だと思いますが、私はもっと踏み込んでおっしゃってもいいと思うんですね。これで総理が以前よりは踏み込んで答弁をしていただきましたが、人権問題についてはっきりと言わないと、日本人は人権問題について意識が低いんじゃないかと、そういうふうに国際的に思われてしまうと思うんですね。もうちょっとはっきり言ってください。もう一回答弁をお願いします」

 菅首相(微かにニヤッとした感じで笑う)「まあ、今のヤジで野党の党首であれば、はっきりと言ったであろうと、まあ、それはあの、おー、そういう指摘もあるかもしれません。シー、今ですね、あのー、ご存知のように、日中関係について、あのー、おー、私としては、あー・・・私のダイ、あー、総理になったとき、時点の6月に於ける、うー、胡錦涛、おー、総書記(ママ)との、会談などで確認した、あー、戦略的互恵関係という原点に、いー、現在戻りつつあると、おー、6月時点に戻りつつあるというふうに思っております。

 そいう中で、そいう中で、え、どこまでという表現で、どういう形を、で行動するのか、当然でありますが、個人で何を思っているのかと同時に、当然ながら、国益というものを考えながら、行動しなければならないのが、今の私の立場であります。

 そういう意味で、先程申し上げましたように、えー、(原稿を見る。)劉暁波氏について、釈放されることが望ましいと、そのことを、まあ、どういう形で今後ですね、形に、さらなる形に表していくかは、十分検討されていただきたいと、このように思っています」

 ※要するに野党の党首ではない、政権党の総理大臣としての立場上、中国との間に折角回復しつつある戦力的互恵関係を壊したくない、それを以て菅内閣として国益だと把えている観点から、あからさまに釈放を求めると要求することはできない、できることは、「釈放されることが望ましい」とする願望の国会の場での表明が限度だと言うことである。菅首相が言っていることの思いを解説して、その程度のことなのかと指摘すべきを、山本議員はそうはしない。

 山本一太「やっぱり菅総理、野党のときと全然違いますね。何か石原伸晃幹事長の、あの質問じゃないんですけど、オドオドしている感じがします。何か国際社会に対して、ステートメントを発するのに物凄く逡巡して、オドオドしている。中国に何でそんなに気を使わなきゃいけないんですか。はっきり総理、人権問題について言うことが国益に添うと思うから、こうやって申し上げているんです。もっと総理、はっきり言ってください。中国政府に対して、釈放を求めたい、今言ってください」

 菅首相「まあ、色々ですね、オドオドとか色々な表現をされますが、先程申し上げましたように、確かに野党の、代表とか、野党の一議員の立場とは違うということは、私は十分自覚しております。

 えー、私の発言がァ、一議員、あるいは一野党議員の、おー、立場じゃなくて、ある意味で国を代表する、発言、あるいは、そういう行動になるわけですから、私が、慎重な、言い方をすることについてはですね、それはそれでご理解をいただけるものと思います。

 先程来申し上げますように、釈放されることが、望ましい、と申し上げたわけですから、私の意思は、明確に、表明、している、表明できていると、こう思っています」

 ※対中関係をいたずらに刺激したくない。釈放要求など以ての外だ。総理大臣の立場で中国を刺激し、怒らせるようなことはとても言えない。そのような私の意思を「釈放されることが望ましい」とする言葉で明確に表明しているだけではなく明確に表明できているはずだと言っている。

 山本一太「総理、総理になられたら、発言、気をつけなければいけないっていうふうにおっしゃいますが、総理だから言っていただきたいんですよ、じゃあお聞きしますけども、ここで人権問題についてはっきりと総理がステートメントを出すと、例え劉暁波氏の、おー、釈放を求めると、これが、どう国益を損ねるのですか、お答えください」

 菅首相「まあ、山本さんも、あの、お分かりの上で言われているのか知りませんが、私が申し上げたのは私の、発言が、色んな意味で、国益に対して影響を与えるという、そういう一般的なことを踏まえながら、それを、配慮しながらですね、言葉を選んでいると、いうことであります」

 山本一太(笑いながら)「釈放されるのが望ましいと、中国政府に釈放を求めるのと総理、全然違いますよ。もう一回お聞きします。その、総理がはっきり言うことによって、失われる国益って、何なのでしょうか。お答えください」

 ※「国益を言うなら、菅総理ができないことをなぜオバマ大統領はできたのですか。オバマ大統領にしても、中国との間で国益を抱えているはずです。しかしオバマ大統領は釈放を求めた」と追及したなら、どうなっただろうか。こじつけ名人だから、「国の違いだ」と逃げるかもしれない、そう答えたなら、「トップリーダーのスケールの違いではないのか」と言い返す。

 椅子に座ってから、座りながら、「真面目にお聞きしているのですから」

 菅首相「え、大いに議論すればいいじゃないですか。ですから、ですから、山本さんは、こういう問題について、どこまでですね、どういう表現をするのか、色々と、その国際的に、えー、それぞれの国の中で、えー、判断がある中で、私は、この問題では、まさに普遍的な価値である人権の、あー・・・、国を超えて、守られるべきもんだと、おー、そういう基本的人権、あるいは基本的自由っていうのは、保障されるべきもんだと、そういう立場から、今申し上げたように、釈放されることが望ましいと、いう、私の考え方を申し上げました。私は非常に明確な、あー、判断だと、おー、思っておりますが、あー・・・、それでなぜ、えー、不十分なのでしょうか」

 ※この苦しい胸の内を理解してもらいたいという懇願が言葉の端々に滲んでいる。山本一太に滲んでいるのが分かっても、追いつめるのが目的だから、無視するに違いない。大体が菅首相の「普遍的人権」云々と言うとき、単に一般論として述べているに過ぎない。自身が総理大臣の立場であっても、血肉化した思想としていたなら、釈放を求めただろう。総理大臣になる前の一議員の立場でも血肉化させていたかどうかは疑わしい。一旦血肉化させたなら、立場を変えても、体から簡単に離れることはないだろうから。

 山本一太(笑いながら)「はぐらかさないでください。(一語一語言葉を強めて)私は、総理に、劉氏の、釈放を、中国政府に求めるとここで言っていただきたいんですよ。そのことによって、例えば総理が逡巡されている、それはなぜですかと聞いているんです。答えてください、ちゃんと」

 ※答えることはできないのだから、無理強いそのままだが、無理強いと承知していて要求しているとしたら、なかなかの神経だが、ほぼ同じ内容の質問の繰返しは単に言わせることを目的としている可能性が高い。「オバマ大統領にできたことが、なぜ菅総理にはできないのですか。できない理由を言ってください」といったふうに攻撃方法を変えることも一つの方法であろう。

 菅首相「ま、――、普遍的な価値というのはですね、色々あります。例えば国によってはですね、えー、その、男性と女性に対して、非常に、あの、扱いの違う国があります。しかし、普遍的な価値からすれば、女性の、(ヤジに対して)ちゃんと説明しているじゃないですか。

 そういう普遍的な価値というのは、私は国際的に普遍的な価値だと思いますが、国によってではですね、日本の価値、あるいは欧米の価値、あるいは色々な国の価値観が違うことがあります。人権に関しても、おー、例えば、あ、今申し上げましたように、えー、男性と女性に対する扱いもですね、国によっては違うこともあります。

 ま、どこまでのことをどこまで言うかという表現もこれ、えー、一つの判断でありますから、私は、この時点で、えー、この(原稿に目を落として)劉暁波氏が、釈放されることが望ましいということを総理大臣として申し上げて、いるわけでありますから、姿勢は明確に、えー、結果としては、中国政府にも、伝わっていると、こう思っています」

 ※菅総理は「普遍的」という言葉の意味を厳格に把握してはいないらしい。基本的人権思想を血肉化させていない証拠の一つと言える。「普遍的」とはすべてに共通する様を言うのだから、基本的人権思想を共通とする以上、国の文化によって少しの扱いの違いはあっても、基本的な骨格は同じくしなければ、「普遍的」とは言えない。それを「私は国際的に普遍的な価値だと思いますが」と言いながら、その基本性を無視して、「国によってではですね、日本の価値、あるいは欧米の価値、あるいは色々な国の価値観が違うことがあります」と強弁を働かしている。

 また、「結果としては、中国政府にも、伝わっている」と言っているが、直接伝える意志の発言と、直接ではなく、国会の場で、願望でしかない「望ましい」とする考えを表明し、それが間接的に中国に伝わる発言とでは意志の点で、強弱だけではなく、中身そのものも異なる。中国に対して恐れ憚る姿勢しか窺うことができない。


 山本議員が椅子に座ったまま、「ちゃんと答えていない」と言い、自民党議員に向かってだろう、手を伸ばして何か言う。男性議員が委員長席に近づく。そのあとから真っ赤なドレスの太った、遠目にも猪口邦子議員だと分かる女性が続く。何か抗議しているのだろう。

 委員長「速記を止めてください」

 「ただいま速記を中止しておりますので、音声は放送しておりません」のスーパーインポーズ。

 《菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(2)》に続く

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菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(2)

2010-10-15 14:28:47 | Weblog

 中断していた質疑が再開される。

 委員長「それでは山本一太君、もう一度ご質疑をお願いいたします」

 山本一太「私は、ここで総理に中国政府に対して、劉氏の釈放を求めるという答弁をして、いただきたいと申し上げました。そしたら総理が、総理として慎重な発言をしなければならないとおっしゃいました。ここでそのことをはっきりと言って、どんな国益が具体的に失われるのでしょうか、総理」

 菅首相「先程来申し上げていますように、ま、国益という、うー、概念は、大変広い概念の中で、私が申し上げる、うー、ということが、一つの国の代表としてですね、国の代表として、えー、それが、色んな、形で、影響することは当然、考えなければなりません。一方で、えー、普遍的な、あー、価値としての、人権と言うものを、しっかりとしてですね、国際的にも、おー、守っていく。保障していくと、いうことは、必要だと思います。

 まあ、そういうことを、私なりに、総合的に判断をして、私としては、あー、劉暁波氏に対して、釈放されることが望ましい、これは明確な意思であります。それを、をー、この場でお答えすることは、結果として、中国政府に伝わる、ことだと思っております。そのことで(背後で前原外相が腕を組見ながら、何度も頷く。)、この段階で申し上げることは私は、そういう表現にとどめることが、私なりの総合的な判断で、望ましいだろうと、こう思っております」

 ※要するに総理大臣の立場では「普遍的」としていないということであろう。単に一般論として述べているに過ぎない。だから、人権と言うものを保障していくことが「必要だと思います」と必要性を言うだけとなっている。「保障すべきだ」との直接的要求とはなっていない。

 この中国政府に対する極度の気兼ね、度を過ぎた配慮は中国を上に置き日本を下に置くと同時に中国を大きな存在とし、日本を小さな存在とする関係性を自らに強いる態度の提示であろう。いわば菅内閣はこのような上下下関係を対中基本姿勢とする意志を示し、既に実践しつつあるということである。


 山本一太「最初から、そういうふうに言っていただければいいんですよ、つまり、日中関係を考慮して、え、中国側に、イー、あの、困ったメッセージがいくと困るからということですね。総理」

 ※何だか急に物分りがよくなって、矛を収める様子を見せている。菅首相がそういう中国配慮の姿勢を中国に対して取ることによって基本的な対中外交姿勢まで制約することになるといったことまでは考えないようだ。

 山本議員、座ってから、「答えてください、総理」。菅首相は質問が打ち切られたとでも思ったのだろうか。

 山本議員(立ち上がって、)「日中関係に配慮して、ここでは強いことは言えないとおっしゃったんですね。簡単に言うと」

 (後ろで腕を組んだまま、前原外相が笑っている。)

 菅首相「総合的にということを申し上げましたが、例えば、あの、おー・・・(喉鳴らし)、ある国が先程申し上げたように、男性と女性の扱いを、違っているときに、えー・・・、そのときにどこまでですね、そのことを申し上げるのか、あー・・・、次元が違うと言うヤジが飛んでいますが、国によってではですね、人権についても色々な考え方があります。しかし私は、この表現の自由とか、発言の自由と言うのは、あの、まさに普遍的価値として、国際的にも、守られるべき、価値だと思っておりますので、えー、今申し上げたようなことを申し上げましたが、一般的に言えば、国々によって、えー、色々な問題での、おー、価値意識、あるいは法制は違います。

 そいう中で、どこまでですね、それぞれの国の、おー、主権である問題について、主権を超えた問題であるという認識の中で、私は、あー・・・(喉鳴らし。背後で前原が何度も頷く。)、釈放、をー、されることが望ましいと、申し上げました」

 ※新発見だが、諦めが悪いと言うか、往生際が悪いと言うか、そういった性格の持主でもあるらしい。

 国によって違いがあるから、その違いに合わせるでは「普遍性」を自ら放棄することになるとは気づかないらしい。

 また、「釈放を求める」と言えない以上、「普遍的価値だ、普遍的価値だ」と言ったとしても弁解の繰返しとしかならない。ムダな抵抗というものだろう。矛を収めたと思ったら、山本一太も再び繰返す。


 山本一太「やっぱり総理、私の質問にちゃんと答えていただいていないと思うんですね。今の総理のお話を聞いていると、何か、人権は国によって価値観は違うと、どこかで聞いたようなセリフですよ。それはまるで中国が言っている、『いや、価値観は世の中で違うから、中国の、何か人権問題は世界のスタンダードとは違うんだ』みたいなことをですね、総理が容認しているように聞こえますよね、今の話は。そういうことでしょうか。総理、もう一度お答えください」

 ※菅首相は自分は普遍的価値である人権思想を欠いている人間だと思われたくないためにだろう、国によって男女と女性の扱いの違いがある、人権も国によって色々な考え方があると、ピントの外れた例を上げて往生際悪く同じ弁解を繰返すから、山本一太がまた食いつき出した

 菅首相「何か私が言っていることを真反対のことを言われても困るんですね(前原、笑っている)。私が先程申し上げたように、えー、この問題、いー・・・、つまり(名前が頭に入っていないらしく原稿に目を落とし)劉暁波氏にノーベル平和賞が受賞されたことも、ヲー、普遍的価値である人権というものを、ノーベル、ノーベル委員会で評価されたと受け止めていると。私も、これは保障されるべきだと。あるいは、あー・・・、基本的な自由というものを保障されるべきだと。そのことを先ず申し上げているのです。

 それが、あー、保障されなくていいなんてことは、私は一言も言ってはいません。何か山本さんにかかるとですね、真反対に、私が何か、保障されなくてもいいというようなことを言っているが如く、質問をされるもんですから、あ、それは、明らかに私が、申し上げていることと違います。私が申し上げたのは、国によって色々な問題で扱いが違うことがあると、客観的な事実を申し上げたのです。

 いやいや、だから、広い意味で、人権にかかる問題も国によって価値が――。(山本がヤジを飛ばす。)いや、ホラ、ホラ、って言われていますが(ちょっと首を傾げてから)、まあ、あまり、あのー、おー、不規則発言について、あのー、オー、あまりお答えしても意味があまりないかもしれませんが、国によって、色々な、あー、考え方の違いが、あるという客観的なことと、普遍的な価値であるということとは、ある意味では矛盾するわけですよ。

 ですから、私は普遍的な価値という立場で、(原稿に目を落とし)劉暁波氏について、えー、そうした基本的な人権は守られるべきであって、釈放されることは望ましいということを申し上げたんです」

 ※性懲りもなく再度、「国によって色々な問題で扱いが違うことがある」ことを理由にその違いに合わせて自身の人権問題での扱いの違いを説明しようしているが、それでは「普遍的な価値」とはならないことに合理的判断能力を欠いているから相変わらず気づかない。幸せ者め。

 また、「釈放することが望ましい」では、「人権は守られるべきである」とする普遍的当為性に対する強力なメッセージとはならないとことを山本議員は言い、そうであることに菅首相は気づかない。山本は、「では、『望ましい』ではなく、中国に対して、劉暁波氏の基本的人権は守られるべきだとメッセージを発してくださいよ」と言えば、片はつかなくても、菅首相を立ち往生させることができたのではないだろうか。


 山本一太「今日はNHKのテレビ中継が入っているわけですが、恐らく総理の答弁を聞いた方は何を言っているのか全然分からないと思いますよ。はっきりしたことは、総理は、中国政府に対しては、劉氏の釈放は、求めるということは言えないと。そうよくは分かりませんけど、何だか、知らないですけど、国益を害するから、言えないと、そういうことなんですね。最後にそれだけはお答えください。そういうことですね、総理」

 菅首相「何かいやにですね、決めつけて色々言われていますが、エ、決めつけてですね、あまり私の言葉をですね、曲解して、この場でですね、あの、言わ、言わないで欲しい。いや、今ちゃんと何度も、説明をいたしました。基本的な価値である人権について、これは守られるべきだと。基本的な自由についても守られるべきだと。

 そういう立場から、勿論、ノル、ノーベル賞、受賞、いや、ノーベル委員会でも、そういうことが、えー、そういうことに基づく活動が評価されたんだと、いう認識を、ヲー、申し上げた上で、えー、そういう考え方に立って、(原稿を見る。)劉暁波氏が釈放されることが望ましい。(言葉を強めて)明確に申し上げています」

 山本一太「まあ、今の総理の答弁に、この内閣の対中政策が象徴されていると思うんですね。何かちょっと中国に、えー、不興を買うよなことを言えば、戦略的互恵関係ができないかのような、物凄くオドオドした物の言い方で、そこまで中国に気を使うことは、私はよく分かりません。時間がないですから、次の、あの、質問にいきたいと思います」

 ※一議員の立場でならともかく、総理の立場となると言えないとなると、「守られるべきだ」とする普遍性、普遍的当為性は立場に応じて常に相対化を受けることになるから、同じ一人の人間の中で常に相対的価値観として存在することになる。普遍性、普遍的当為性は逆に存在していると本人だけが思い込んでいる幻想でしかないことになる。

 勿論菅総理はそういったことは気づかない。既に触れたように人権思想を血肉化していなかったと言うことであろう。

 その意味で、市民活動家出身だとか、市民運動経験、あるいは人権擁護派だとかの自らの出自を誇る資格はないことになる。単に一議員の立場と総理の立場を違えているという問題を超えているはずだ。

 いずれにしても、山本一太が「この内閣の対中政策が象徴されている」と言っている以上に、劉暁波氏に対する菅首相の扱いが外交的な対中基本姿勢となる確実性は高い。首脳会談開催を求める姿勢等に既に見ることができる従属性でもあるからだ。

 矛盾だらけ、こじつけと弁解の繰返しに過ぎない菅首相の答弁であったが、山本一太は追及し切れなかった。甘さがあるからだろう。

 山本一太が質問を変えて中国漁船船長の釈放理由に「計画性がなかった」としていることを取り上げ、計画性がなかったとした根拠を追及するが、答弁に立った柳田法相が、「一般論で申し上げると、故意とは罪法を犯す意志のこと、計画性とは、物事を行うに当たって、方法、手順などを考え、企てることございます。これは両者は別の概念でございますんで、同じ被疑者が故意に犯罪を行った事案であっても、計画性がないと、いう場合もございます。これはこれに当たると思っています」と答えると、山本一太は、「最初からそれを言っていただければよかったんだと思います」と矛を収めてしまったが、前原国交相(当時)が衝突ビデオを見て、「悪質」と言った以上、悪質な「故意」による事案に相当した場合、逆に計画性はなくても、「故意」の程度に応じて、「計画性」を持った犯行事案以上に罪が重くなるケースもあるはずだから、処分保留の根拠を「計画性がなかった」だけとし、「故意」の程度を説明しないままなのは辻褄が合わない。二隻の巡視船に次々と体当たりしたのである。

 それを「故意」の程度を追及せずに矛を収めたのはやはり山本一太に甘さがあったからだろう。

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