菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(2)

2010-10-15 14:28:47 | Weblog

 中断していた質疑が再開される。

 委員長「それでは山本一太君、もう一度ご質疑をお願いいたします」

 山本一太「私は、ここで総理に中国政府に対して、劉氏の釈放を求めるという答弁をして、いただきたいと申し上げました。そしたら総理が、総理として慎重な発言をしなければならないとおっしゃいました。ここでそのことをはっきりと言って、どんな国益が具体的に失われるのでしょうか、総理」

 菅首相「先程来申し上げていますように、ま、国益という、うー、概念は、大変広い概念の中で、私が申し上げる、うー、ということが、一つの国の代表としてですね、国の代表として、えー、それが、色んな、形で、影響することは当然、考えなければなりません。一方で、えー、普遍的な、あー、価値としての、人権と言うものを、しっかりとしてですね、国際的にも、おー、守っていく。保障していくと、いうことは、必要だと思います。

 まあ、そういうことを、私なりに、総合的に判断をして、私としては、あー、劉暁波氏に対して、釈放されることが望ましい、これは明確な意思であります。それを、をー、この場でお答えすることは、結果として、中国政府に伝わる、ことだと思っております。そのことで(背後で前原外相が腕を組見ながら、何度も頷く。)、この段階で申し上げることは私は、そういう表現にとどめることが、私なりの総合的な判断で、望ましいだろうと、こう思っております」

 ※要するに総理大臣の立場では「普遍的」としていないということであろう。単に一般論として述べているに過ぎない。だから、人権と言うものを保障していくことが「必要だと思います」と必要性を言うだけとなっている。「保障すべきだ」との直接的要求とはなっていない。

 この中国政府に対する極度の気兼ね、度を過ぎた配慮は中国を上に置き日本を下に置くと同時に中国を大きな存在とし、日本を小さな存在とする関係性を自らに強いる態度の提示であろう。いわば菅内閣はこのような上下下関係を対中基本姿勢とする意志を示し、既に実践しつつあるということである。


 山本一太「最初から、そういうふうに言っていただければいいんですよ、つまり、日中関係を考慮して、え、中国側に、イー、あの、困ったメッセージがいくと困るからということですね。総理」

 ※何だか急に物分りがよくなって、矛を収める様子を見せている。菅首相がそういう中国配慮の姿勢を中国に対して取ることによって基本的な対中外交姿勢まで制約することになるといったことまでは考えないようだ。

 山本議員、座ってから、「答えてください、総理」。菅首相は質問が打ち切られたとでも思ったのだろうか。

 山本議員(立ち上がって、)「日中関係に配慮して、ここでは強いことは言えないとおっしゃったんですね。簡単に言うと」

 (後ろで腕を組んだまま、前原外相が笑っている。)

 菅首相「総合的にということを申し上げましたが、例えば、あの、おー・・・(喉鳴らし)、ある国が先程申し上げたように、男性と女性の扱いを、違っているときに、えー・・・、そのときにどこまでですね、そのことを申し上げるのか、あー・・・、次元が違うと言うヤジが飛んでいますが、国によってではですね、人権についても色々な考え方があります。しかし私は、この表現の自由とか、発言の自由と言うのは、あの、まさに普遍的価値として、国際的にも、守られるべき、価値だと思っておりますので、えー、今申し上げたようなことを申し上げましたが、一般的に言えば、国々によって、えー、色々な問題での、おー、価値意識、あるいは法制は違います。

 そいう中で、どこまでですね、それぞれの国の、おー、主権である問題について、主権を超えた問題であるという認識の中で、私は、あー・・・(喉鳴らし。背後で前原が何度も頷く。)、釈放、をー、されることが望ましいと、申し上げました」

 ※新発見だが、諦めが悪いと言うか、往生際が悪いと言うか、そういった性格の持主でもあるらしい。

 国によって違いがあるから、その違いに合わせるでは「普遍性」を自ら放棄することになるとは気づかないらしい。

 また、「釈放を求める」と言えない以上、「普遍的価値だ、普遍的価値だ」と言ったとしても弁解の繰返しとしかならない。ムダな抵抗というものだろう。矛を収めたと思ったら、山本一太も再び繰返す。


 山本一太「やっぱり総理、私の質問にちゃんと答えていただいていないと思うんですね。今の総理のお話を聞いていると、何か、人権は国によって価値観は違うと、どこかで聞いたようなセリフですよ。それはまるで中国が言っている、『いや、価値観は世の中で違うから、中国の、何か人権問題は世界のスタンダードとは違うんだ』みたいなことをですね、総理が容認しているように聞こえますよね、今の話は。そういうことでしょうか。総理、もう一度お答えください」

 ※菅首相は自分は普遍的価値である人権思想を欠いている人間だと思われたくないためにだろう、国によって男女と女性の扱いの違いがある、人権も国によって色々な考え方があると、ピントの外れた例を上げて往生際悪く同じ弁解を繰返すから、山本一太がまた食いつき出した

 菅首相「何か私が言っていることを真反対のことを言われても困るんですね(前原、笑っている)。私が先程申し上げたように、えー、この問題、いー・・・、つまり(名前が頭に入っていないらしく原稿に目を落とし)劉暁波氏にノーベル平和賞が受賞されたことも、ヲー、普遍的価値である人権というものを、ノーベル、ノーベル委員会で評価されたと受け止めていると。私も、これは保障されるべきだと。あるいは、あー・・・、基本的な自由というものを保障されるべきだと。そのことを先ず申し上げているのです。

 それが、あー、保障されなくていいなんてことは、私は一言も言ってはいません。何か山本さんにかかるとですね、真反対に、私が何か、保障されなくてもいいというようなことを言っているが如く、質問をされるもんですから、あ、それは、明らかに私が、申し上げていることと違います。私が申し上げたのは、国によって色々な問題で扱いが違うことがあると、客観的な事実を申し上げたのです。

 いやいや、だから、広い意味で、人権にかかる問題も国によって価値が――。(山本がヤジを飛ばす。)いや、ホラ、ホラ、って言われていますが(ちょっと首を傾げてから)、まあ、あまり、あのー、おー、不規則発言について、あのー、オー、あまりお答えしても意味があまりないかもしれませんが、国によって、色々な、あー、考え方の違いが、あるという客観的なことと、普遍的な価値であるということとは、ある意味では矛盾するわけですよ。

 ですから、私は普遍的な価値という立場で、(原稿に目を落とし)劉暁波氏について、えー、そうした基本的な人権は守られるべきであって、釈放されることは望ましいということを申し上げたんです」

 ※性懲りもなく再度、「国によって色々な問題で扱いが違うことがある」ことを理由にその違いに合わせて自身の人権問題での扱いの違いを説明しようしているが、それでは「普遍的な価値」とはならないことに合理的判断能力を欠いているから相変わらず気づかない。幸せ者め。

 また、「釈放することが望ましい」では、「人権は守られるべきである」とする普遍的当為性に対する強力なメッセージとはならないとことを山本議員は言い、そうであることに菅首相は気づかない。山本は、「では、『望ましい』ではなく、中国に対して、劉暁波氏の基本的人権は守られるべきだとメッセージを発してくださいよ」と言えば、片はつかなくても、菅首相を立ち往生させることができたのではないだろうか。


 山本一太「今日はNHKのテレビ中継が入っているわけですが、恐らく総理の答弁を聞いた方は何を言っているのか全然分からないと思いますよ。はっきりしたことは、総理は、中国政府に対しては、劉氏の釈放は、求めるということは言えないと。そうよくは分かりませんけど、何だか、知らないですけど、国益を害するから、言えないと、そういうことなんですね。最後にそれだけはお答えください。そういうことですね、総理」

 菅首相「何かいやにですね、決めつけて色々言われていますが、エ、決めつけてですね、あまり私の言葉をですね、曲解して、この場でですね、あの、言わ、言わないで欲しい。いや、今ちゃんと何度も、説明をいたしました。基本的な価値である人権について、これは守られるべきだと。基本的な自由についても守られるべきだと。

 そういう立場から、勿論、ノル、ノーベル賞、受賞、いや、ノーベル委員会でも、そういうことが、えー、そういうことに基づく活動が評価されたんだと、いう認識を、ヲー、申し上げた上で、えー、そういう考え方に立って、(原稿を見る。)劉暁波氏が釈放されることが望ましい。(言葉を強めて)明確に申し上げています」

 山本一太「まあ、今の総理の答弁に、この内閣の対中政策が象徴されていると思うんですね。何かちょっと中国に、えー、不興を買うよなことを言えば、戦略的互恵関係ができないかのような、物凄くオドオドした物の言い方で、そこまで中国に気を使うことは、私はよく分かりません。時間がないですから、次の、あの、質問にいきたいと思います」

 ※一議員の立場でならともかく、総理の立場となると言えないとなると、「守られるべきだ」とする普遍性、普遍的当為性は立場に応じて常に相対化を受けることになるから、同じ一人の人間の中で常に相対的価値観として存在することになる。普遍性、普遍的当為性は逆に存在していると本人だけが思い込んでいる幻想でしかないことになる。

 勿論菅総理はそういったことは気づかない。既に触れたように人権思想を血肉化していなかったと言うことであろう。

 その意味で、市民活動家出身だとか、市民運動経験、あるいは人権擁護派だとかの自らの出自を誇る資格はないことになる。単に一議員の立場と総理の立場を違えているという問題を超えているはずだ。

 いずれにしても、山本一太が「この内閣の対中政策が象徴されている」と言っている以上に、劉暁波氏に対する菅首相の扱いが外交的な対中基本姿勢となる確実性は高い。首脳会談開催を求める姿勢等に既に見ることができる従属性でもあるからだ。

 矛盾だらけ、こじつけと弁解の繰返しに過ぎない菅首相の答弁であったが、山本一太は追及し切れなかった。甘さがあるからだろう。

 山本一太が質問を変えて中国漁船船長の釈放理由に「計画性がなかった」としていることを取り上げ、計画性がなかったとした根拠を追及するが、答弁に立った柳田法相が、「一般論で申し上げると、故意とは罪法を犯す意志のこと、計画性とは、物事を行うに当たって、方法、手順などを考え、企てることございます。これは両者は別の概念でございますんで、同じ被疑者が故意に犯罪を行った事案であっても、計画性がないと、いう場合もございます。これはこれに当たると思っています」と答えると、山本一太は、「最初からそれを言っていただければよかったんだと思います」と矛を収めてしまったが、前原国交相(当時)が衝突ビデオを見て、「悪質」と言った以上、悪質な「故意」による事案に相当した場合、逆に計画性はなくても、「故意」の程度に応じて、「計画性」を持った犯行事案以上に罪が重くなるケースもあるはずだから、処分保留の根拠を「計画性がなかった」だけとし、「故意」の程度を説明しないままなのは辻褄が合わない。二隻の巡視船に次々と体当たりしたのである。

 それを「故意」の程度を追及せずに矛を収めたのはやはり山本一太に甘さがあったからだろう。


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