菅首相が消費税発言にブレて叩かれ、野党申入れのテレビ党首討論から逃げて叩かれ、記者会見を避けて叩かれている。叩く相手は勿論野党だが、マスコミも商売柄、一緒になって叩いて回る。
野党にしてもマスコミにしても、与党を叩いて何ぼの世界に住んでいる。
精神的には相当イライラしているに違いない。前内閣が20%以下にまで下げた支持率を就任早々に60%半ば前後にまで“吊るし上げ”たものの、不用意・無計算な消費税発言が祟って2週間足らずで50%台にまで一挙に吊るし下げてしまって、参院選の序盤情勢では現有議席の維持さえ難しいと出ている。
内心のウップンを晴らそうと街頭演説でついつい言葉に力を入れてしまうからか、勢い余って行く先々で違う発言となり、野党とマスコミに叩く格好の材料を次々と与えてしまう。叩く相手が追加注文しないうちに、どうぞ叩いてくださいと注文の品を自分の方から出してしまう念入りな早さだ。
「asahi.com」記事――《「攻め菅」一転「逃げ菅」?TV討論回避、批判集中懸念》(2010年7月3日3時0分)によると、〈2日夜になってようやく2局の党首討論会への出演が決まった〉と書いてあるが、それがどういった形式の党首討論かまでは書いてないが、これまで党首討論から逃げていたのは相次ぐ新党発足で政党数が9政党となり、1対8の多勢に無勢の不利な状況に陥れられるのを恐れていたからだと書いている。
〈新党が次々に誕生し、野党は7党を数える。唯一の連立与党の国民新党にしても、亀井静香代表は消費税問題で「首相は寝言を言っている」と手厳しい。党首が一堂に会せば、一方的に攻め立てられる展開になるのは確実だ。短気な「イラ菅」ぶりがあらわになれば、イメージダウンにもつながりかねない――首相側にはそんな懸念がある。 〉――
2日、富山市のJR富山駅前――
菅首相「1対1の真剣勝負ならいつでもやるが、1対8の議論は議論ではない。下手をすれば吊るし上げだ」
「1対1」は大歓迎を記事は以下のように描写している。
〈6月24日の公示日にNHKのニュース番組に、1日にはテレビ朝日の「報道ステーション」に出演したが、いずれも単独でキャスターとの質疑に応じる形式だった。民放関係者によると「番組での党首討論を要請したら、逆に首相側から単独出演できないかと持ちかけられた」という。 〉――
2日程前のブログで、世論調査を睨んで参院選の当選ラインを現有議席の54に置いている菅首相の姿勢を、高いところに目標を置いて、そこに達しなかった場合の自身に降りかかる責任を回避できる安全地帯に当初から退避させたものだと書いたが、「真剣勝負」だと称しているこの「1対1」も、安全地帯志向の現われであろう。
「1対1」以外は強迫観念化しているようにさえ見える。
当選ライン目標が現有議席54の安全地帯に相応した「1対1」の安全地帯志向とも言える。
裏返すなら、菅首相にとっては現在の世論動向からしたら過半数60議席目標は危険地帯に属し、その意識の反映としてある「1対8」の危険地帯ということである。
「1対1」が安全地帯であることは、「1対8」の危険地帯となる党首討論で、その危険な状況を撥ね返して議論を優勢に進めた場合、議席を現有54を上回って大幅に伸ばすチャンスとなり得る可能性を秘めているにも関わらず、その可能性に挑戦する意志さえ持たずに固執していることによって証明される。
要するに首相は野党、マスコミに叩かれて何ぼの世界に立脚していると言える。にも関わらず、そのことを何ら自覚せず、率先垂範して回避に回避を重ねていた。
また政権を担当している以上、野党に対して議論を優勢に進める責任を負っているはずである。与党の政策は野党の政策よりも優れていなければならないからだ。少なくとも野党の政策よりも優れた政策を目指す責任を負う。
政権を担当している与党でありながら、与党の政策が野党の政策よりも劣るという逆説は国民に対する裏切り・侮辱の類に相当する。常に野党の政策よりも優れた政策を創造しなければならない責務を負う。そのためには自らの政治思想に信を置き、その忠実な具体化に務めなければならない。それが不可能となったとき、国民の審判を受けることになる。
あるいは与党は野党よりもより優れた政策を打ち出し、打ち出したより優れたその政策を国民に提示し、説明する責任を負う。国民に対する提示し、説明する方法はテレビや新聞、インターネットを通じて直接提示し、説明する方法と、記者会見で記者からの質問に答える形や国会やテレビでの党首討論、野党議員からの批判・追及に対する応答の形で間接的に提示し、説明する方法とがある。
大衆に迎合し、右顧左眄すると、見栄えだけ素晴らしい、見せ掛けの政策となる。
こういった条件を考えると、「1対8」であっても、政権党を占めている以上、議論を優勢に進める責任を負っているはずである。
だが、実際には野党やマスコミから「逃げている」と、「1対1」の安全地帯に自身を退避させたままでいた。〈最近の国政選挙では選挙期間中、各党首がテレビ各局の党首討論会に出演するのが通例となっている。昨年の総選挙では、低支持率に苦しむ麻生太郎首相(自民党)でさえ、NHKをはじめ、民放の討論番組に出演〉してきたこれまでの慣例を無視、〈首相はテレビでの討論会だけでなく、選挙時に報道各社が行う党首としてのインタビューにも応じていない。 〉状況にあった。
結果、多分業を煮やして、〈こんな首相の姿勢に、「見せ場」を奪われた格好の自民、公明、共産、みんなの党の野党4党の国会対策委員長は6月30日、首相がテレビでの党首討論に応じるよう求める申入書を民主党に送〉ることとなり、〈2日夜になってようやく2局の党首討論会への出演が決まった〉ということなのだろう。
野党党首にしても、菅首相の「1対1」はいいが、「1対8」は「下手をすれば吊るし上げだ」の尻込みを自分から手の内をさらけ出した弱みと見て、何としてでも「1対8」の党首討論に引きずり出してやろうと勢いづかせた面もあったに違いない。言いたい放題のことを言わせることになっている。
谷垣禎一自民党総裁「「首相たるもの、野党党首がどんなに攻めようと、ばったばったと切り捨てるぐらいの覚悟がなくてどうする」
「ばったばったと切り捨てる」剣豪の勢いある能力を心にもなく求めている。菅首相の逃げの姿勢からないものねだりとわかっていてねだった「ばったばった」の勢いに違いない。
山口那津男公明党代表「逃げるな菅、出てこい菅、山口那津男は『カンカン』だぞ」――
一方的な気勢となっていて、一方的な気勢を菅首相は許していることになる。
味方は与党のみ・・・と言いたいが、与党内でも主義主張を異にする勢力が存在すれば、政権を失わない範囲内で足を引っ張る動きが出てくる。参議院選挙は政権選択選挙ではないために例え与党が敗北しても連立もしくは閣外協力の形で政権を維持できるから、足の引っ張り合いがいささかエゲツなくなることもあるに違いない。
それに政権を失わない範囲内で失脚してくれれば、党内反対勢力にとっては政権担当のチャンスがまわってくる。
菅首相の味方の一人、仙谷官房長官。自分が任命した閣僚が味方でなくなったらお仕舞いだ。2日の記者会見。
仙谷「他党は全部、民主党批判を展開する。民主党批判一色にならないか」
当たり前のことを言っている。野党は与党を叩いて何ぼの世界であり、与党にしても野党に叩かれて何ぼの世界だということを何ら自覚していない。
この仙谷発言のより詳しい内容を《仙谷氏:テレビ党首討論の「1対8」は平等か?-反論時間確保を》(ブルームバーグ/2010/07/02 12:50)が伝えている。
仙谷「1対8で民主党批判一色になる。民主党一党だけが孤塁を守るという形になるとすれば、本来的な意味での実質的な平等なのかどうなのか。・・・・9党であっても反論の時間を与えるという話であれば、なんとかいいのかなと思う」
「反論の時間」を与えない党首討論などかつて存在しただろうか。
仙谷が言っている「平等」論は、情けなくも発言の量、発言の時間といった物理的な量を基準とした「平等」論に過ぎない。
日本の国を形作っていく与党政権党の政治・政策を検証するに発言の量、発言の時間を物理的に把えて、それでよしとすることができるとでも言うのだろうか。議論の中身は発言量や発言時間では計れないはずだ。中身の優劣のみによってこそ、計ることができる。
「孤塁を守る」という発想も貧しいばかりである。日本の国を形作っていく与党の政治・政策であるからには、胸を張って堂々と批判に、あるいは吊るし上げに応えるべきだろう。
平野官房長官が政権の舞台から消えて国益に適うと思ったが、また一人国益に反する官房長官の登場となったようだ。
野党としては与党から政権奪取して日本の国を形作っていく自らの政治を実現することを役目としているのだから、あるいは最も多く議席を獲得している与党から1議席でも奪ってこそ、日本の国を形作っていく自らの政治の実現に一歩でも近づくことになり、野党の中でも特に少数野党としては一歩でも近づくための自身の名と価値を高める絶好の機会であり、そのための勢力の趨勢を国民に知らしめることのできる絶好の場面でもあるのだから、野党は常に与党を叩くのが、あるいは吊るし上げることが商売だとも言える。
ゆえに野党は与党を叩いて何ぼとなる。
そういった勢力構図にあるなら、逆に政権を担っている総理大臣は叩かれて何ぼの世界に立脚していることの覚悟を明確に自覚すべきだろう。落語にあるように、「饅頭が怖い、饅頭が怖い」と言って饅頭にありついて、それをすっかりと平らげてしまう臆面のなさ、度胸を以ってして「1対8」に乗り込むべきを、その逆さ図となっている。
大体が野党時代は与党の首相や大臣を国会の場で散々吊るし上げたり、叩いたりしてきて、自分が与党の首相になってから、吊るし上げられるのも叩かれるのもイヤだは自分勝手が過ぎるし、甘えている。どこを探しても、指導力と言える何ものも見えない。
野党からのみならず、マスコミに批判されたり叩かれたりするのも政権党党首の宿命であり、受けるべき責任としてある。権力は常に見張られ、検証を受けなければならない。
党首討論の間、あるいは終わってからも暫くの間、野党とマスコミによるどんな菅叩きが展開されるのか、なかなかのお楽しみとなる。