政治主導確立法案は果して参議院通過は不可能なのだろうか

2010-07-19 07:25:15 | Weblog

 《「国家戦略局」菅首相が断念 実権ない知恵袋組織に縮小》asahi.com/2010年7月15日21時53分)

 昨年総選挙の民主党マニフェストで財務省や外務省が握ってきた予算編成や外交方針決定の権限を移行させ、政治主導の構造とする目的で設置した首相直属の「国家戦略室」を、菅首相が政策決定の実権を持たない、首相の「知恵袋」的な組織に役割変更させ、縮小する方針を14日夜の国家戦略室メンバーとの会合で説明したと記事が伝えている。

 玄葉政調会長が6月17日のマニフェスト発表記者会見で、「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めると言う観点から書かれているということです」と、マニフェストの基本構造を環境・状況次第で変わる伸びたり縮んだりのナメクジとしたのだから、どう変えようと自由ではある。マニフェスト違反だなどと批判するのは野暮な人間のすることだろう。

 但しどう変更しようと、最終的には国民の問題として降りかかってくるということに関しては何ら変更はない。降りかかり次第で支持を得たり失ったりする。あるいは降りかかる予想に先手を打って、支持を与えたり与えなかったりする。

 一夜明けた15日の国家戦略室長平岡秀夫・内閣府副大臣の記者会見。

 平岡「戦略室は首相の知恵袋の役割を果たす。各省調整の役割もなくなる」
 
 記事は「国家戦略室」はムダ削減を担う行政刷新会議と共に政治主導の車の両輪と位置づけられていたと書いている。だが、政策決定の実権を持たない、「各省調整の役割もなくなる」ということなら、政治主導につながらないはずで、〈菅政権は2011年度の予算編成については、首相、仙谷由人官房長官、野田佳彦財務相、民主党の玄葉光一郎政調会長の4人で相談しながら基本的な方針を決めていく考えだ。 〉と記事が伝えていることは、あくまでも予算編成に関わる「基本的な方針」までで、具体的決定は各省庁と財務省の交渉に任せる政治主導の放棄ということなのだろうか。

 記事は、〈政治主導で大胆な予算の組み替えが実現できるかが問われることになる。〉と、その可能性を問いかけているが、政策決定の実権を持たないという前提からすると相矛盾する可能性の問いかけとなる。

 「国家戦略室」設置の狙いと経緯を記事は次のように書いている。

 〈官僚のおぜん立てに乗らずに政権の基本方針を打ち出す狙いで、鳩山政権はまず法改正の必要がない「国家戦略室」を新設。初代の国家戦略相に菅氏、後任に仙谷氏と重量級〉を起用、〈菅内閣では荒井聰氏が国家戦略相に就任。だが、民主党の参院選敗北による「ねじれ国会」で、法的な権限を持たない「戦略室」を権限のある「局」に格上げする政治主導確立法案の成立にめどが立たなくなった。このことも首相の判断を後押しした模様だ。〉と。

 「政治主導確立法案」の成立を断念したこと自体が既に政治主導断念のシグナルとなっている。「国家戦略室」をどのような形式にしようと、法的権限を持たないまま推移させることに変更はないのだから、〈当時、国家戦略相だった菅氏は「総予算の全面的な組み替えを十分進めることが出来なかった」と、その限界を口にしていた。〉ということなら、限界を限界のまま持ち続けるということだろう。

 では「国家戦略室」をどういう形式に移行させるかというと、〈首相は、英国で首相に政策を提言したり情報提供したりする「ポリシーユニット」と呼ばれる組織が日本にも必要だとの思いが強く、そうした役割を国家戦略室に任せる考えだと見られる。(鯨岡仁、岩尾真宏)〉と解説している。

 ここで問われるのは偏に菅首相個人の指導力であろう。提言を受けた政策、提供を受けた情報を法的権限もなく、政策決定の実権もない中で如何に官僚たちを動かして望みどおりの形にするのかの指導力である。

 官僚側から言わせたなら、法的権限がない以上、従わなくて許される菅首相の指導力ということになる。

 その指導力だが、衆参ねじれを受けて、政治主導確立法案の成立の目途が立たなくなったからと早々に断念するところを見ると、指導力は期待不可能に見えてしまう。

 尤も菅内閣発足後得た虎の子の高支持率を準備不足の不用意な消費税発言でフイにしてしまう合理的判断能力の欠如していることから、指導力のない首相だなとは最初から見ていた。指導力は合理的判断能力なくして成り立たない能力だからだ。

 「ポリシーユニット」について、「西日本新聞」WEB版の「Word Box」が次のように解説している。
 
 ポリシーユニット

 英国の首相府の一部局で、首相直属のスタッフとして政策的な企画立案、助言を行う。1974年に創設。シンクタンク出身の民間人や党職員、官僚などで構成し国会議員はいない。サッチャー政権初期は3人程度だったが、ブレア政権以降は10~20人規模に増員した。首相が政策的に各省に対抗できるようにするのが目的とされる。首相のカラーを出しやすい半面、首相が密室で物事を決める場となり閣議が形骸(けいがい)化したとも指摘される。菅直人首相は政権交代前に英国へ視察に訪問。国家戦略局のモデルとする考えを表明していた。

 インターネットで他にも調べてみたが、英国の「ポリシーユニット」が法的権限があるかどうかの記載に触れることはできなかったが、菅首相が思い描く日本版「ポリシーユニット」――国家戦略室を機能縮小する組織は法的権限は持たないままの発足である。法的権限を持たない限界を受けることに変化はない。

 この国家戦略室の機能縮小への批判が民主党内からも出ているという。《経済・財政運営 新組織案浮上》NHK/10年7月19日 5時8分)

 松井孝治前官房副長官「財務省主導ではなく官邸主導で予算編成を行うことが国家戦略局構想の肝であり、総理大臣と官房長官が財務大臣と相談して予算編成をするなら、自民党政権と同じだ」

 こういった批判を受けて、〈政府・与党内では、新たに経済・財政運営を政治主導で行うための組織を、政府内に設置できないかという案が浮上しており、調整が行われる見通しです。〉と記事は書いている。

 要するに物事の決定が最初のステップとして党内議論と閣内議論を経た上で次のステップとして両議論から最善の物事を取捨選択して最終的結論に導く構造を取るのではなく、直接的関係者のみの議論で決定して公表、批判を受けると、それを繕い直す新たな方法を模索する、あれがダメならこうするという段階を経ないことには物事を決めることができない全体を見通した合理的判断能力の欠如だけが浮かぶ。

 これは菅首相が党内議論を経ない不用意な消費税発言をして、支持率を下げるとあれこれと繕い直して却って傷口を広げた合理的判断能力の欠如に重なる無計画性と言える。

 こういったことは菅首相が党内議論や閣内議論の段階を経て最終的に物事を一発で決定することとは異なる、手直し手直しの指導力しか発揮できていないことの証明ともなっている。

 指導力も期待できない、政策決定の実権もない、法的権限もないのないない尽くしなら、せめて法的権限を持たせて政策決定の実権を手に入れ、ない指導力に色をつけてプラスマイナスの差を縮める道を選択することが最善だと思うが、野党多数・与党少数の参議院を通過する見通しが立たないからと最善の選択を諦めてしまっている。

 民主党が掲げた「官僚主導から政治主導へ」なるスローガンは多くの国民を魅了し、この変革に期待して政権交代を託すべく1票を投じた国民が多数いたはずである。いわば政権交代とは、イコール「官僚主導から政治主導へ」の大きな一面を抱えていたはずである。

 となれば、民主党政権としては「政治主導」は一歩たりとも後退させてはならない国民との契約と見なければならない。

 例え参議院がねじれていても、「政治主導か、官僚主導か」を前面に押し出して、それを一大争点とし、そうすることで政権交代を託したときの国民の記憶を思い起こさせて、その世論、国民の支持の回復を計画し、成功したなら、世論調査に具体的な数値として現れるだろうから、それを力として頭数の劣勢を補いつつ参議院通過を図った場合、野党も迂闊には反対できないはずである。

 この見方は甘いだろうか。法案化を諦めて、法的権限を手に入れないまま、それを指導力で補う展開が期待できない状況下、ねじれ国会の影響を諸に受けて、従来以上にその場限りの解決策で凌いでいくことの方が正解だということだろうか。

 例え正解だとしても、ジリ貧状態で支持率を下げていくことになるように思えて仕方がない。

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