菅首相の“消費税争点隠し”論に見る指導性・責任性の欠如

2010-07-24 07:38:17 | Weblog

 7月22日のBS11の番組収録で鳩山前首相が内輪の話を明かす形で出てきた菅首相の財務相当時からの主張だそうだ。記事はそれを「内幕暴露」だとしているが、それ程大層なことではない。なぜなら、菅首相の主張の裏側に透けて見える愚かしさ、小賢しさだけが浮き立つからだ。

 《鳩山氏「首相は反省示して」 内幕暴露しつつ代表選支持》asahi.com/2010年7月23日4時0分)

 菅首相の主張「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」

 この主張に鳩山前首相は小沢前幹事長と二人してこぞって反対したと打ち明けたという。

 だが、反対は実を結ばなかった。菅首相が消費税発言で支持率を下げたとき、鳩山前首相も小沢前幹事長も、やってくれたよなあ、と思ったに違いない。

 そして菅首相への忠告。

 鳩山前首相「消費税の議論を生煮えで出した反省を示し、党内をまとめるべきだ」

 さらに鳩山氏肝いりの国家戦略局構想に対する菅首相の縮小方針への苦言。

 鳩山前首相「(首相は)私に『法案がなかなか通らないから』と説明したが、最初からあきらめてもらいたくない」

 さらにさらに菅政権の「脱小沢」の人事登用について批判。

 鳩山前首相「幅広く取り込む人事をしたら良かった」

 尤も批判、苦言に反して、9月の代表選では菅首相の続投を支持。

 鳩山前首相「代わったばかりで(首相を)降ろすという話にはならない」――

 総理を辞した者はその後影響力を行使したなら、政治に混乱をもたらす。だから、「次の総選挙に出馬はいたしません」と議員引退声明を夏の高校野球甲子園大会の選手宣誓並みに高らかに宣言していたが、7月17日に地元北海道苫小牧の会合で、結論は来春の統一地方選挙を目安に結論を出すと先送り。

 7月20日、大韓航空機爆破犯の金賢姫来日の宿泊場所として自身の別荘がマスコミに登場、インタビューを受けて、「国益のためになるならと引き受けた」と発言、7月22日夜には都内の日本料理店で小沢前幹事長と民主党参院議員会長に無投票4選を果たしたばかりの輿石東と計3人で、会長再任祝いを口実に、祝いだけで済むはずはない会合を持ち、その話の内容にマスコミの憶測が集中、同じ日の昼には上述のBS11の番組収録での菅内閣に対する批判、苦言等々を発言。

 最近のこういった一連の活動は議員引退を先に置いた政治家の、そのことを常に意識した活動ではなく、影響力を持った者としての、そのことを常に心身に意識させた政治家の活動であって、そのような活動からは議員引退完全撤回に即した姿しか窺うことができない。

 首相として指導力を発揮できなかった政治家が引退を撤回することが国益に適うかどうかは分からない。

 問題は、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」とした菅首相の財務相当時からの主張である。

 菅首相のこの発想には与党と野党の立場の違いの視点がない。与党の指導性・責任性と野党の指導性・責任性の立場上の違いである。与党は野党の指導性よりも上回る指導性を常に発揮するよう務めなければならない。与党は野党の責任性を上回る責任性を発揮するよう、常に心がけなければならない。いずれも下回ったとき、政権交代の審判を国民から受けなければならない。

 与党の指導性が野党の指導性を下回るといった状況を想定することはできないからだ。あるいは与党の責任性が野党の責任性を下回ると言った状況を。指導性・責任性の与野党逆転は倒錯そのものであり、政権党として国民の選択を受けた意味を失い、国民には受け入れがたい状況となる。

 子どもが大人の悪い真似をした場合、大人の責任になるが、大人が子どもの悪い真似をした場合でも、大人の責任となる。

 また、大人は子どもが大人の悪いことを真似しないように子どもを指導しなければならない。大人の指導性と責任性は子どもの指導性と責任性とは比較にならない程大きいからだ。

 与党は常に野党よりも大人であることが求められる。それが逆となった場合、与党は与党としての存在意義を失う。

 例え消費税増税を超党派協議で推し進めるプロセスを取ろうとも、その場面に於いてどう決めていくか、与党は野党よりも指導性を発揮しなければならないはずだ。そして決定の結果に対しても野党以上に与党は責任性を引き受けなければならないはずだ。

 指導性にしても責任性にしても野党任せであったなら、政権党としての意味を失う。

 そうでなければならないはずなのに、菅首相は財務相当時から、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」だと、政権与党としての指導性、責任性を自らの考えの中に入れていなかった。

 具体的には、菅首相は6月17日の民主党参議院選マニフェスト発表記者会見で、「なお当面の税率については自由民主党が提案されている10%という、この数字、10%を一つの参考とさせていただきたいと考えております」と言っていた「10%」はあくまでも「自民党と一緒の主張」をするために出した争点隠しの「10%」であり、民主党なりの根拠を持って算出した税率ではなかったことになる。

 同じ10%の税率にしておけば、反撥を一身に受けずに自民党と二等分に分け合うことができ、無難に遣り過ごせるのではないかという予測のもと決めた「10%」だったというわけである。

 与党民主党を率いる内閣の長でありながら、何という指導性、責任性に立った“自民党10%参考”だったのか、呆れる話ではないか。

 しかし、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」の財務相当時からの主張に反して、参議院選の一大「争点」と化し、民主党大敗の原因となった。否、菅首相自らが大敗の原因をつくった。小賢しさがつくり出した大敗とも言える。

 「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」の主張自体が合理的判断能力を欠いていたからだろう。政権与党として担うべき指導性・責任性の視点を欠いていたこと自体が既に合理的判断能力を失っていたことを物語っている。

 指導力は偏に合理的判断能力に負う。合理的判断能力を欠いた指導性、責任性の上に築かれた指導力なるものは考えることはできない。 

 菅首相が首相として必要な資質であるにも関わらず、指導性、責任性の視点を欠いた合理的判断能力を持たない指導力なき政治家であるなら、鳩山前首相が言っている「代わったばかりで(首相を)降ろすという話にはならない」にしても合理的判断を欠いた発言となる。

 指導力のない政治家を首相という職にとどめておくのは国民に対する冒涜であるばかりか、必要として求められながら、求めに応じることができていないという点で、指導力に関して逆説そのものを演じることになるからだ。

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