冬芝・公明党のマヤカシ

2007-07-16 01:55:02 | Weblog

 公明党太田代表にしても同じムジナなのだが。

 赤城農水相の事務所費問題の関連記事。≪説明は不十分 国交相が見解≫(07.07.10/「朝日」朝刊)

 <赤城農水相の事務所費問題について、冬芝国土交通省は10日午前の閣議後の記者会見で「しっかりした説明が必要であろう」と述べた上で、これまでの説明について「(しっかりと説明したと)私は思いません」と述べ、説明責任を果たしていない、との認識を示した。
 冬芝国交相は「私自身が赤城さんの説明を聴いていない。皆さんに納得していただけるよう、複数の事務所を持っていても一つの届けでいいという現行の政治資金規正法に則って、よく説明すべきだと思う。
 一方、野党が領収書の公表を求めていることについては、「議論して政治資金規正法ができている。ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」と批判した。>――

 本人は当然気づいていないだろうが、奇麗事で言っている美しいばかりの自己都合の説明となっている。胡散臭げな冬芝ならでは演じることができない胡散臭いばかりのパフォーマンスといったところだろう。自民党と与党を組む公明党のお偉いさんだけのことはある。「しっかりした説明が必要であろう」と言いながら、「ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」と領収書の公開以外に「しっかりした説明」は不可能である状況を自ら打ち消す相反する要求を何食わぬ顔で披露している。肉料理の注文を受けながら、魚を俎板に乗せて料理にかかるようなものだが、中国のダンボール入り肉まんではないが、それを肉料理に見せかけてしまうマヤカシをやらかすようなものだろう。

 それと言うのも、参院選の趨勢だけではなく、与党を組む公明党の評価にも響く安倍内閣に対する国民の信頼に悪影響を及ぼす前農水相の自殺に続いての現農水相の辞任という事態、あるいは首相が自身の責任にも撥ね返ってくる任命責任者として罷免せざるを得ない事態を招くことを避ける唯一有効な特効薬は領収書の公開は決して行わないことであり、結果として〝説明〟は不完全燃焼の生煮えにならざるを得ないが、それを周囲が全体としての姿勢は「もっと説明が必要だ」とする見せかけの要求でバランスを取る連携プレーで補い、言葉による説明のみ・領収書非公開の既成事実を積み上げていき、急場を凌ぎつつ、それを当たり前の場面に持っていって、そういった場面に国民を慣れさせ、結果として国民の不信を麻痺させる。そういった狙いがあるのだろう。

 そう、柳沢「女性は子どもを産む機械」発言に与党女性議員の殆どが一方で同じ女性として決して許せない発言だと言葉では激しく怒り、激しく断罪しながら、その一方で辞職を求めなかったことで怒りと断罪を言葉のみにとどめて実体を伴わせなかった相反する自己都合の姿を見せたようにである。

 今回それを公明党の冬芝がやらかしている。いつも思うのだが、厭味な身体の太りように太くて短い首がネクタイを締めているだけなのに自分で自分の首を絞めているような息苦しい印象を与えて、こちらまで息苦しい気分にさせられるが、その息苦しさは内側に隠した狡猾な権謀術数が充満し常に爆発寸前の状態になっているのを気づかれないように辛うじて抑えていることから生じている息苦しさに思えて仕方がない。

 領収書公開という前例をつくることになったら、赤城農水相と任命責任者たる安倍晋三の進退に関わる波及のみならず、同じ穴のムジナを演じている同僚議員も多々いて、累が及ぶことになり、自殺松岡前農水相同様に赤城玄農水相にしても領収書公開となっては困るということも含めた「ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」という取り繕いなのだろう。

 いずれにしても、赤城農水相だけではなく、安倍首相や冬芝公明党も含めた与党ぐるみで自身及び与党の保身のみに目を向けることになって、政権を担う与党として、あるいは与党の一員たる主要な政治家として国民に向ける顔が結果的に保身の仮面を普段の顔の下に巧妙に隠し、その意識に立った不正直な対応となっている。

 不正直になれるからこそ、一方で「もっと説明が必要だ」と言いながら、その一方で領収書の公開は必要ではないといった相反する態度を相反することに気づかずに示すことができるのだろう。赤城にしても冬芝にしても安倍晋三にしても、いくらでも不正直になれる政治家のようだ。

 「私自身が赤城さんの説明を聴いていない」とはどういう意味なのだろうか。直接説明を聞いたわけではないからという意味なら、「しっかりした説明が必要であろう」とか「(しっかりと説明したと)私は思いません」とは言えない。としたら、俺のところに説明に来いという意味なのか。公明党への説明を待って、説明に納得したという公明党のお墨付きを与えることで正当化への鑑札にしようということなのだろうか。だとしたら、思い上がりも甚だしい。

 どう扱おうと、領収書の公開以外はマヤカシを演じるに過ぎない。政治資金をどう、いくら、何に使ったか経理操作で隠蔽する直接的なマヤカシだけではなく、それをみんなして見て見ぬふりや弁護する間接的なマヤカシまで含めて、マヤカシが蔓延している。

 自己保身がマヤカシの上にマヤカシの上塗りを重ねることになっていることに冬芝にしても安倍晋三にしても、勿論赤城自身にしても、誰も気づいていない。

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