麻生「女性は顔で投票せよ」発言VS柳沢「女性は産む機械」発言

2007-07-14 00:53:04 | Weblog

 07年7月13日『朝日』朝刊の≪各党 浮かぶ遊説戦略≫の記事の中に<自民「党首の顔」勝負>の副題で、次のような一文を掲載している。

 <――与野党逆転を食い止めようと、与党は民主党攻撃を仕掛ける。
 一つは「党首の顔」勝負だ。麻生外相は神戸市でこう聴衆に語りかけた。「奥さん方に分かりやすく言えば、小沢一郎の顔を取りますか、安倍信三の顔を取りますか?
 どちらが奥さんの趣味に合いますか。それが問われる」・・・・>

 安倍首相は昨年の自民党総裁選で、女性や若者にも人気があるということで、「選挙の顔」としても総裁に選ばれる大きな要因の一つとなった。「選挙の顔」が「党首の顔」の有力条件に位置づけられているということである。

 いわば対立候補だった麻生は「選挙の顔」としては安倍を下回ると言うことでお呼びではなかったから、残念ながら「党首の顔」とはなることができなかった。

 「選挙の顔」で負けて「党首の顔」となれなかった軽薄麻生としたら、「顔」が如何に重要か、痛感したことだろう。

 だが、安倍晋三のその「選挙の顔」にしても「党首の顔」にしても、その効能は大分怪しくなってきた。参院選初日の12日の街頭第一声で、「私は負けるわけにはいかないのです。みなさん力を貸してください」(NHKニュース)と絶叫していたが、絶叫自体が後はないことの現れであるが、「貸してください」と言うところで一瞬泣き出してさえいたのだから、「選挙の顔」の効力を失って、「規律ある凛とした」美しい振舞いになどは構ってはいられない、背に腹は変えられない切羽詰った状況にあったのだろう。

 何とも情けない自民党の「選挙の顔」となっている。当然その情けなさは「党首の顔」にも投射される。

 それでも自民党は安倍晋三なる政治家の「選挙の顔」・「党首の顔」に頼らざるを得ないようだ。それは安倍晋三が自民党の党首であることに変わりないというお家の事情だけではなく、多分自民党の多くが安倍首相がリーダシップも中身もない政治家だとは思いたくなくて、社保庁や佐田前行革相、愛人官舎同居本間正明前政府税制調査会長や柳沢「女性は産む機械」厚労相や久間「しょうがない」前防衛大臣や自殺松岡「何とか還元水」前農水相や、そして最後に自殺松岡後継赤城現農水相等々が足を引っ張って単に「党首の顔」としても「選挙の顔」としても窮地に立たされているだけのことで、安倍首相自身は何も問題はないと信じようとしているからなのだろう。
 
 そこで軽薄麻生としても参院選与野党逆転を阻止すべく、安倍晋三の「選挙の顔」・「党首の顔」に他力本願の願掛けに出たのではないのか。

 「奥さん方に分かりやすく言えば、小沢一郎の顔を取りますか、安倍信三の顔を取りますか?
 どちらが奥さんの趣味に合いますか。それが問われる」

 しかしこれは政策ではなく、「顔の趣味で選べ」と言っているのと同じである。どちらが顔の趣味に合うか、「それが問われる」とは、そういうことだろう。

 顔の趣味が投票の基準ということになれば、年金記録問題も格差問題も赤城疑惑もその他諸々があってもなきがごとき透明問題となって、自民党にはこの上なく都合はよくなる。

 顔で選ばせようとするこの政治性は自民党の総理・総裁を政策ではなく「選挙の顔」で選んで「党首の顔」に祭り上げた経緯を受け継いだ無理はない同じ発想とは言えるが、だが「奥さん方」に党首の顔の「趣味」で一票を投じよと、彼女たちの政治意識を自分たちと同じ程度の低さに置いたのである。

 これ程の失礼な話はないのではないか。柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言と張り合う一種の女性蔑視に当たらないだろうか。尤も「奥さん方」が「党首の顔」で一票を投じる低い政治意識を期待されたことに何ら疑問も持たず、その投票方法に納得するということなら、他人が騒ぐほどのことはないのかもしれない。

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